笑っているから大丈夫だと思うな
「大丈夫?」
そう訊かれてときめくのは、人生というものの痛みも苦味も知らない小娘か、頭の軽い恋愛小説の主人公だけだと思っていた。
柔らかく形作った笑みを浮かべながら、実際私は心の中で罵倒した。
本当に気を利かせられる人間は、大丈夫かなどど訊かない。
年端もいかない小娘ならともかく、お局に片足どころか両足突っ込みつつある人間には、間違ってもその手の質問に弱った姿など見せられない。
無理だと言って媚を売れば可愛らしいと思ってもらえる年齢など過ぎてしまった女は、自分自身の矜持に掛けて敵に弱音など吐けない。
男は外に出れば7人の敵がいると言うが、女の場合は外に出れば周り中全て敵と思わなければならない。
そうじゃないと、生存競争に負けてしまう。一旦負けると、後は惨めなものだ。背中を丸め、息を殺して気配を消すしかなくなる。
だから精一杯背筋を伸ばして、大丈夫と強がりを言う。
もう、私に女としての可愛げなど残っていないのだろうと浮かんだ苦笑はそのままに、相手に誤解されるに任せて笑みを浮かべる。
可愛げなど、邪魔なものは傷付くだけの繊細さと一緒に捨ててしまった。
だから落胆したような表情に胸が痛むのはきっと気のせい。
世界が灰色に塗りつぶされたように感じるこの息苦しさも、食べ物の味が分からないこの空虚さも、全部気のせい。
「余裕ですよ、伊達に歳食ってませんって」
「うん、相変わらず良い笑顔だね。じゃあ、大丈夫だね」
必死に取り繕ってしまう自分自身も、私が拒絶していることにすら気付かれない人間関係にも、疲れ果てていく。
心配を掛けたくないから笑っている訳じゃない。
ザックリついたまま、痛みを忘れられない傷を隠すために笑う。
痛みも悲しみも苦しみも感じないかのように振る舞うことで、不用意に伸ばされる全ての手を拒む。
決して触れられないように。
触れられれば叫ばずにはいられない、この傷に。
「もちろん、大丈夫だって言ったじゃないですか」
だから触るな。
私に触るな。
良い人アピールするために、表面上だけ心配してみせる人間にも、誰に対しても猜疑心ばかりの自分自身にも、吐き気がする。
ヘラヘラと出来るだけお気楽そうな中身のない笑みを浮かべて、慎重に距離を取る。
何もかもを諦めて、自分の殻に引きこもることがとても楽だと思ったのは、いつだっただろう。
だから私は、恋をしない。
自分自身を愛せない人間は誰も愛せないというのは、多分正しいのだろう。
だから私は、笑う。
笑顔に悪意も失望も、あらゆる感情を隠すために。
笑っているから大丈夫だとか言うな。
そういう無神経な言葉に傷ついてなどやらないけれど、その言葉も、それを当然のように吐く人も嫌い。
憂いなどなさそうな貴方は忘れたい痛みを呼び起こすから、貴方のことも嫌い。