1話目
気が付けばもう遅かった。そんな出来事に直面した時、人間の頭は完全にフリーズ、停止する。
それはどんな高名な人間でも一般人でも変わらない、人間であるが故の不文律だ。所謂どうしようもない知的生命体の性というもので、思考が追いつかなくなる、もしくは出来事が予想の範疇を大きく上回る、と言った時にそうなる人が多い。
大抵の人はそういった出来事に直面すると、しばらく唖然と口を大きく開け、何も考えられずに身体の動きを止める。そして自分ではっと正気に戻るか、周りの人に注意されたりして気が付くかのどちらかで我を取り戻す。そしてその瞬間今まで停止していた思考の波にざあっと一気に飲み込まれる事となり、再度動きを止める。どうしよう、どうしよう、と焦燥感に包まれながらの思考なので大概は全く的を射ていない答えに辿り着き、奇想天外な行動に出る人もいるのではないか。そもそも答えに辿り着く事すら出来ない場合も多い。
だが、前述したような程度ならまだ良い方なのだろう。なんたって、そういった出来事って言えば宿題を忘れていただとか寝坊しただとか、そんな類いなのだから。そんな事なら先生に怒られたり上司に打たれたりするだけでもう解決だ。確かに怒られるのは嫌かもしれないが、それだけで後は反省すればすっきり解消。後腐れなんかそう長くは続かないだろうし、精神的なダメージも人による所があるが多くの場合は少し気が滅入るくらいだろう。
そんな人達は寧ろ自分の境遇に感謝しながら毎日を送るべきだと私は考える。何たって分かり合ってくれる人達がいるのだし、『許す』という方法で物事をさっぱり解決してくれる人が側にいるのだから。それは本当に幸せな事なのだ。どれくらい幸せかと卵を割った時身が二つあった時なんかとは比べ物にならないくらいの幸福。ふと視線をやると女子のスカートが大きく捲れ上がっていた時くらいの幸福。
人々は泣き叫び地面に顔を擦り付け涙と涎で汚れながらに感謝しなければならない。アリガトウ。全てに感謝を。
この世には筆舌に尽くしがたい理不尽がたんまりとあるのだ。そういう事がないだけ感謝しろよ一般ぴーぽー。それすら気が付かないなんて全く平和ボケしてやがるぜ、こいつら。そんな慢心してたら、何時か絶対に痛い目見るんだからなざまーみろこんちきしょう。
…ごほんっ。突然で悪いが、私の事について少し語らせてもらおう。
私の名前はリーヴェント・プロミネンス。今現在中等教育機関を卒業して魔法学園の入学を待つニート(高校入学前の14歳くらい)をやっている。赤い髪の毛を長く伸ばし、前髪を眉の所で切りそろえている。顔は…まあ、自分で言うのもなんだがめちゃくちゃ美人だ。つり上がった意志の強そうな目つきさえなければどんな男でも堕とせるくらいの美人さんだ。背は結構高く、プロポーションはモデルの方々が裸足で逃げ出す位洗練されている。一つ欠点を上げるとしたら胸が余り大きくない所と、目つきがきつ過ぎるぐらいだろうか。
…はい、そこ。ナルシストだなんて思わない。
私が自分の容姿について客観的に話せるのには、ちゃんとした理由があるのだ。
私がミレラーツ王国の名門貴族、プロミネンス家の次女として生まれたのは今から14年前の事である。当時は王国全土がとある事情により神より恵みを授かっており、そんな最中に生まれたものだから、お父様やお母様に『この娘は神様が授けてくれた子どもなんだ(なのよ)!』とめちゃくちゃ甘やかされて育てられたものだから、13歳の終わりまでめちゃくちゃ暴れん坊で我が儘なお嬢様として君臨したのだった。
だが、そう、あれは運命の日。私の14歳になる誕生日で、例年通りに誕生日パーティーが開催されるその寸前の事だった。
ぼうっとパーティー専用の机の真ん中に飾り付けてあった白いろうそくの火の揺らめきを眺めていた私。何時もは傍若無人に振る舞う私、とりわけ誕生日パーティーの真っ最中なのだからさら更に酷い事になる事を予想していた給仕の者達やメイド達からすれば、その時の私は余りに可笑しく見えたらしい。当たり前だ。普段なら『なにこの料理!全然美味しくないわ!』と机を下げさせたり、親戚筋の人達からのプレゼントに対して『こんなのいらないわ。捨てて来て頂戴』とほざいたりするあのリーヴェント・プロミネンスが急にしおらしくなったとあれば、それはもう大騒ぎだ。一体何事なの。天変地異の前触れかしら。この世の終末が近いんだ。憶測が憶測を呼ぶ中、私はただ黙りこくってろうそくの火を眺め続ける。
火。火。揺らめく赤。火の粉をまき散らす破壊の象徴。何もかも、燃やしてしまう恐怖の権化。
ゆらゆらと思考と無意識の狭間で細波が起き、波紋が広がる。
火。炎。鉄の、コンクリートの、色んなものが焼ける匂い。黒い煙。肉の焼ける感覚。響き渡る悲鳴…。
ああ、一体何なのかしら。どうしても火から目が離せない。どうしたのかしら。
どうしようもなく冷静な頭の中、沸々と湧いて出る全く知らない記憶。いや、今まで忘れていた記憶。
徐々に、細波から大きな揺れへと変わっていく。記憶の波に思考がだんだんと揉まれ、翻弄されていく。
私は、リーヴェント・プロミネンスは、もう既に気が付いた時には地に伏せっていた。
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そして次の日。最悪な誕生日を終えた私は天蓋付きのベッドの上で目を覚まし、すぐに昨日の事を思い出した。
知らない記憶に埋もれて、脳がパンクしたのだ。そう納得するもどこか腑に落ちない感がある。
ベッド。タンス。カーテン。机に椅子。絨毯。床から天井に至るまで全て私自身が選びに選んで拘った最高級品だ。窓から漏れる朝日の眩しさに眉をしかめ、私は首を傾いだ。
何時も通りの部屋の筈なのに、何故か違和感を感じた。それも鮮明にだ。
リーヴェント・プロミネンスはそりゃ我が儘だが、一度気になった事は自分が納得いくまで考えないと気が済まない質だ。その事を自覚していた私は、何の抵抗もせず思考の海に身を投げかけた。
思い当たるのは昨日の記憶だ。あれは一体何の記憶だったのだろう。
…あれは、そう。私自身が体験した事だ。火が、業火が。私の身を確かに焼いた。
熱い夏の日。天気予報で注意警報が出る程その日は乾燥していた。私は道路を、硬く舗装された歩道を一人で歩いていた。蝉の鳴き声をBGMに、一人黙々と歩き続ける。
理由はただの私の趣味だ。目的地は『中古ゲーム専門店』。
私は男性との恋愛シュミレーションゲーム、所謂乙女ゲームをプレイする事が趣味だった。特に異世界モノなんかが大好物で、毎日仕事に行っては業務をこなして、それ以外の時間はゲームと睡眠だけ、という生活を送るぐらい大好きだった。愛していると言っても過言ではなかった。だって好きだったんだもの。なによ独身アラサーのどこが悪いって言うの。
『君の瞳で恋を知る』、というゲームが存在した。一つのパッケージにゲームディスク2本仕立てという超大作で、異世界を舞台にした完全レベリング制の恋愛シュミレーションゲームだ。
プレイヤーはただの庶民である主人公の女の子となって、とある理由により学園へと入学することになる。入学した後、これまたとある理由により半ば強引に生徒会に入らされ、そこで生徒会メンバー、すなわち攻略対象のイケメン達と出会う。そこで主人公は、四苦八苦しつつも笑いあり、涙ありの生活をイケメン達と過ごし、たまに良い雰囲気になりつつも最終的に運命の相手を見つけ、ハッピーエンド、となる訳だ。
異世界ならではのファンタジーな戦闘システム、アクションやアニメの出来、声優、ストーリー。どれをとっても天下一品と断言せざるを得ないゲームだ。
まあ、何が言いたいかと言うと、私の好みのど真ん中を完全どストライクしていたのだ。
長年プレイし続けて来たが、ここまでの秀作には出会うのは初めてで、一番最初にプレイした時何かハラハラドキドキ、会社なんてぶっちぎっての完徹94時間と少し睡眠入れてーの83時間でプレイを続行。全ての分岐点を選びエンドを全て見つけた頃には私は既に死ぬ直前だった。だが、後悔はしていない。
そんなゲームなので、他人に貸していたのをコーヒーを零されて返ってきたとなっては私の精神的ダメージは計り知れないものとなった。もう死んじゃいなよYOU。どちくしょう。
そんな訳で買い直しに行きつけのゲーム屋さんに向かっていたのだが。
途中で交差点に出る。普段から車の往来の激しい所なのだが、その日が休日だった所為か、結構車の数が多かった。なんとなしに横から流れる車を眺めつつ、信号が青になったので向こう側に歩き出す。
が。
大きな音。衝撃。私は宙を舞っていた。
眼下にはトラックが猛スピードで走り去るのが見えて、ひき逃げとんずらしようという魂胆が目に見えて分かった。
そのまま私はアスファルトの地面へとまさかのフォーリンラブ無しのエターナルディープキッス。ちょっと目を動かしてお店の窓ガラスで自分の身体を確認する。足の骨が飛び出して五臓六腑ぐちゃぐちゃになって腕が片方折れていたってその時の私って確かに生きていたんだから人間の生命力って凄い。
そのまま眼球だけを動かしてトラックが走り去った方向を見る。と、トラックは既に車の往来の中に飛び込み、連鎖事故を起こしていたらしかった。
しかも運の悪い事に、その中にタンクローリーが2台ほど混ざっていたもんだから中々壮絶な事になってしまった。目の前で爆発が起きたのだ。音は全くしなかった。後爆風に晒されても熱くなかった。感覚がなかったのだ。
もくもくと上がる黒煙。揺れる炎。舞い上がる火の粉。爆発は結構大規模だったらしく、色んな所に火が飛び火した。
勿論、私の所にも。
身体が燃える感覚がなかったのは不幸中の幸いと言っても良いのだろうか。ただ鼻の機能がギリギリ生きていたので、自分の肉が焼ける匂いを嗅がされたのは精神的にきつかったが。
そうして、私は、前世の私は命を落としたのだ。結構不幸な部類に入る最低な死に方だ。これなら孤独死の方がまだ良かった。
だけど。
「ああ、そうなのね。昨日のあれは、前世の記憶だったのね」
やっとそう結論付ける。
だが、よく分からない。前世の私が転生してきたのか、それとも私が前世の記憶を持っているのか。それともその両方なのか。ここら辺は一般人の私には理解の範疇外だった。
しかし、一つだけはっきりした事はある。
「…私の名前。これってやっぱり…」
そう、前世の私は今世の私の名前を知っていた。有り得ない事かもしれないが、知っていたのは知っていたからどうしようもない。
リーヴェント・プロミネンス。『君の瞳で恋を知る』の中で、その名前は結構な頻度で出てきたのだ。
役は真っ黒な悪役。その身を嫉妬の炎で焦がして焦がして焦がしまくって主人公に色々と変な事をして、最終的に一家もろともおじゃんになる、最後の最後まで惨めな女の子なのだ。
そんなリーヴェント・プロミネンスが、今の私なのだ。
私はその事実をすっと受け止め納得した。まるで煙が空気に混じって溶ける様に、私の中に一つの要素としてさっと追加されたのだ。
所で話は変わるが、いくら独身アラサーでコミュ症気味の乙女ゲーマーの記憶だからといって、一応はそれも良識を持った人間の記憶だ。ちゃんとした常識、やってはいけない事、頑張らなければいけない事、して恥ずかしい事、してかっこいい事。そんな『当たり前』が私の中に一気に流れ込んできたもんだから、私はベッドの上で唖然と口を開いて息を止めた。
そして思い出されるのは、私がこれまで生きてきた14歳までの記憶。してきた所業。言動の数々。
「…あ、あ…」
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
恥ずかしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
いやああああああああああああああああああああああああああ!
私は枕に顔を埋めて足をバタバタさせてごろごろと転がった。いや、いや。認めたくない。認めたくないのだわ!この私があんなに恥ずかしくてイタいお子様だったなんて、認めたくないのよおおおお!
だが、いくら認めたくないとはいえ、それが事実な訳で。
もう、取り返しのつかない、『気が付けばもう遅かった』の類いに入るものでして。
だけど、だけれども!これだけは確定している!
「こ、ここここのまま何も変わらずにいれば…!わ、わわわ私は一家もろとも没落人生のスタートを切っちゃうのね…!」
私は思わずごくりと息を飲み、余りの事実に戦慄した。
「これから私は変わるわ。このまんまでは、あの純粋無垢な悪魔、主人公ちゃんとその仲間達(イケメン達)に殺られるのだわ…!」
こうして、私は私を、そしてお父様、お母様、お姉様を守るため努力する事を誓ったのだった。