星歴2012年12月5日、午前2時。
9.
星歴2012年12月5日、午前2時。
人類が太陽系の外へとその版図を広げて、既に3世紀になんなんとする。恒星間宇宙船に反物質反応炉を搭載することにより、恒星間航行に必要な継続的な加速を可能とするエネルギー源が確保され、人類は大宇宙の海原に乗り出していった。しかしながら、太陽系以外の恒星系に到着した人類が最初にやったことは、それまで太陽系の中に閉じ込められてきた政治的ないざこざを、恒星間規模に拡大したことだった。続いて、やはり歴史上何度も繰り返してきた通り、植民惑星を炎の様な独立運動が焼き尽くし、時代の濁流は新たな帝国主義と恒星間戦争の時代へと流れ込んでいった。
現在、太陽系外に於ける最大勢力は、バーナード星系とプロクシマ星系に跨る銀河帝国だった。人類の恒星間航行と植民惑星の歴史は、そのまま両星系の独立と帝政への移行の歴史と言っても良い。両星系に於いては大規模なテラフォーミングを進めつつも、その完了を待たずに過酷な環境下で植民惑星の開拓が進められた。帝政に至る道は、この過酷な生存環境故に誘発されたとも言われる。地上に降り立った移民が呼吸マスクから解放されるのに数十年、その間も痩せた土地に多くの移民が溢れ、僅かな食料や水を争って殺人が横行した。異星の現実に打ちのめされた人々は、強力な指導者と統制を望んだ。
バーナード星系の一地方植民都市で起きた軍事クーデターが、大概の識者の予想に反して民衆に熱烈に迎えられ、惑星全土を席巻するのに僅か1年。当時、開発されたばかりの恒星間通信網が地球へと伝えた最初のニュースが、銀河帝国の設立であった。
過酷な環境が、一度は人類が遠く地球に置き忘れてきたはずの古めかしい元首制の焼き直しを現出させてしまったとして、このコロニーに於ける自治政府だの、ましてマフィアだのというものも、実はそれなりに由緒正しいものと言える。
どちらも、周辺諸国から比べれば弱者たる一コロニー、あるいは社会的な弱者たる移民たちが結束して造られたもので、自分たちの利益を守ることが最大の目的だった。そういう意味において、実のところ自治政府とマフィアは表裏一体のものとも言える。自治政府が表だってなしえない利益の追求を、裏で行うことこそがマフィアの存在意義であった。マフィアたちは不法カジノだとか、闇取引だの闇経済だとかでコロニーを活性化し、同時に表だって行えない自治政府の問題要素の排除の役目を担っている。
自治政府がマフィアの取り締まりに乗り気でないのは、持ちつ持たれつの関係があることを、お互いが認識しているからだった。ただ、闇経済の規模がコロニー全体の総生産の3割にも達する様になり、マフィアという組織も肥大化からくる形骸化の弊害が起き始めている。官僚がおざなりの仕事に明け暮れる様に、マフィアさえも時がもたらす、そういった弊害からは逃れられなかったということだ。
近年、このコロニーに入港する船も流れ込む物流も大幅に減りつつある。それはこのコロニーの表の経済を支える、貿易高の減少に他ならない。増え続けているのは、唯一、人だけだ。そんな中、もし裏の経済を管理するマフィアが破綻でもすれば、総生産の3割にも上る裏経済も道連れになって、たちまち街には失業者が溢れて首を括る奴が五万と出るだろう。それとも、裏の経済を、コロニーのマフィアの後釜を狙う他国のコネクションにでも牛耳られれば、他国に首元を掴まれる様なものだった。
事の発端は数週間前、イプシロン星系の最外縁、第8惑星の更にその外側に連なる小惑星地帯で発見された、100年も前の古い一隻の貨客船だった。小惑星の鉱物資源を探す山師たちは、小惑星に不時着して擱座した船の中で複数のミイラ化した乗組員たちの亡骸と、100年を経てなお稼働中であると思われる人工冬眠カプセルを1つ発見した。難破船は何らかの事故があったらしく、動力炉の火は落ちて久しく船のメインコンピュータを動かすことも出来なかったが、船内に残された紙の航海日誌から、その船が神聖連邦船籍の軍属の特務艦であったことを突き止めた。艦の任務は、まさしくたったひとつの人工冬眠カプセルを、神聖連邦からエリダヌス座イプシロン星系の第3惑星へと輸送することだったのだ。
この発見と人工冬眠カプセル自体がコロニーの自治政府にもたらされると、予想にもしていなかったことに、タウ星系からコンタクトがあった。人工冬眠カプセルを買い取るというのだ。中間マージンを取っているであろう、いくつものブローカーを介した申し入れでさえ、それは法外な金額であった。
その金額と余りにも早い申し出に、マフィアたちは単なる商取引以上の危険なものを嗅ぎ付けていた。どちらにせよ、自治政府としては中に遭難者が入っているやもしれぬカプセルを自身が売って一儲けする訳にも行かない。自治政府とマフィアの間では早々に、自治政府管轄下のカプセルをマフィアが強奪して売り飛ばすというストーリーを、自治政府も黙認するという裏取引が成立していた。もちろん、マフィアの得た利益の一部は、自治政府の幹部へと還流される。
ところが、マフィアにとっては、いわばお墨付きの取引であったにも関わらず、これまでも何度か商売の邪魔をされたことのある、組織外の装甲歩兵にカプセルを奪われてしまった。しかも、得体の知れないクライアント以外に、帝国軍まで動き出しているとの情報を受けると、事は組織の面子だとか、単なる利害だとかだけではなくなってしまった。
もし、帝国軍がカプセルの捜索の為にコロニーに陸戦隊を送り込んでくる様なことになれば自治政府も、ひいてはマフィアもその存続が危うい。そもそも、この国がこれまで生き残ってこられたのは、帝国と共和国を上手く操って長引く戦乱を掻い潜り、自国の軍隊育成に注ぎ込むべき金を経済活動に注ぎ込んでこられたからだった。これまでこの国が費やした軍事予算はせいぜい僅かな装甲歩兵の配備と、大量の地雷のストックを更に増やすことぐらいだった。植民惑星を持たず、たかだかコロニー一つしかないこの国が一度でも帝国の進駐を許せば、たちまちこの宙域に於けるパワーバランスは崩れコロニー自体が帝国、共和国の代理戦争の戦場になるだろう。
なんとしても、帝国軍の上陸を防がなくてはならない。
となれば、得体の知れないクライアントにさっさとカプセルを引き渡すか、それがもし間に合わなければ、いっそ帝国軍にくれてやっても良い。帝国軍の進駐を許すぐらいなら、それも已む得ない。この判断は、自治政府も裏で承諾した結果だった。
そうとなれば不本意ではあったが、マフィアとしては仕事の確実性を期すならば誘拐だの強奪だのといった、いわばマフィアの本来業務さえも、アウトソーシングに出すしかない。長年、マフィアを牛耳ってきた男は、先ほどコロニーの軍警察の幹部から密かにもたらされたばかりの、帝国軍が突き付けてきた要求に関する機密情報を反芻していた。
コロニーもマフィアも、危機的状況だった。ただ、その解決をこんな、どこの馬の骨ともわからん女に頼らねばならんとは。
深いスリットの入った紅いカクテルドレスはベルベットの手触りで、見る者全てにドレスの下に隠された、素肌の吸い付く様な感触の想像を否応なく、掻きたてさせた。
「で、その二人を殺せば良いの?」
だが、初対面の興奮が過ぎ去ると、相手の長身痩躯の男は、今や苦虫を噛み潰した様に顔をしかめている。
それが女だからとは言わないが、男だろうが女だろうが、最近の若い者は人生を舐めている。この女が良い例だろう。仕事が出来んくせに、微塵の謙虚さもない。たとえそれが、裏の仕事であってもだ。
「違う。そんなことは言っていない。一緒にいる男は殺して良い。女は傷ひとつ付けずに、ここに連れてくるんだ」
男が机を叩き、コースターの上のカクテルが震えたが、女はさして気にした風もなく、勿体ないじゃない、などと呟きながら、自分の分のカクテルに手を伸ばした。鮮やかな色のシェリー酒だった。店の者がこの女にも酒を注いだのは、儀礼的なものに過ぎない。本来だったら、口を付けることさえおこがましい。不甲斐ない部下ばかりで、今度の不始末の片を付ける為にこの女を仕方なく雇った。
「逆だったら良いけど。男の方を殺すだなんて、そんなのつまんないわよ。ねぇ、ブレンダ?」
ブレンダと呼ばれたのは、彼女の足元で寝そべっている金属の光沢を纏った機械の猫だった。この辺りにも多く棲みつく普通の家猫の十倍以上あって、まるで人造の豹かチーターの様だった。数年前、彼女が可愛がっていた猫が死んだ際、その脳を移植したアンドロイド猫だが、普段はこうしてごろごろしているだけで、何も役にも立たない。
「貴様が如何思おうが構わん。兎に角、女は生きたままで、ここに連れてこい。でないと、意味がないんだ」
男は業を煮やした様に、自分のカクテルを一気に煽った。
仮に今回の取引が成立せず、帝国軍にカプセルを引き渡すことにでもなれば、カプセル強奪に掛かった経費も、この女や無能にも装甲歩兵にカプセルを奪われた殺し屋共を雇うのに使った金は丸々赤字になってしまう。法外な利益を生むはずのうまい商売が、一瞬にして焦げ付いたリスクの塊になってしまった。
「あら、殺し屋にそんなことを言われてもねぇ・・・」
ついにカクテルのもたらす軽い陶酔では足りなくなって、男は控えているバーテンダーを呼んだ。
マフィアが雇った殺し屋どもは早々に仕事を放り出してしまったらしい上に、同じくらい無能な部下共は、未だカプセルを奪った装甲歩兵を見つけられていない。
だが、たとえこれ以上に出費が嵩もうとも、今更放っておいて帝国軍のコロニー進駐を許す訳にもいかない。これから更に金が掛かる、最悪な状況だ。
「殺し屋は他に幾らでもいる。我々が雇ったのは、トラブルシューターだったはずだが?」
手慣れたバーテンダーは、客を怒らせない程度にそそくさと、不躾にならない程度に静かにやってくる。男はバーテンダーの屈んだ耳元に、いつもの、とだけ囁く。目を合わせる必要もない。
「そう、きっと、認識の相違ってやつね。男は殺して、女は連れてくる。残念ね・・・」
目の前の男が睨んでいるのも気にせず、女もバーテンダーを呼ぶと、空になったグラスを返した。
「私も、もっと強いのが良いわ。私にも、そちらと同じのを、お願いね・・・」
女の足元で、機械の猫がつまらなさそうに、ひとつ伸びをした。




