星歴2012年12月5日、午前0時。
7.
星歴2012年12月5日、午前0時。
「まいったわね」
レンとお姫様の消息は、ようとして知れなかった。
「それは確かに、逃げろと言ったのは、私なのだけれどね」
覇気を欠いたせいなのか、心なしか金髪の輝きまでくすんで見えると、鏡の中の自分を見てがっかりしたのは1時間程前のことだ。彼女は部下たちが誰も見ていないのを良いことに、ぐったりと艦長室のソファーの背もたれに身を任せて呟いた。彼女としては、艦長たるもの部下の前では威厳や尊厳を保っているべき、だったはずなのだが、自分の努力があまり報われてはいないだろうな、とは気が付いてはいる。
「不本意だけれど、良くできましたと、褒めてあげるべきよね」
レンとお姫様を見失ってから、既に4時間が経っている。お姫様の救出作成の開始からは既に9時間が経過してしまっていた。そして、本国から彼女に封緘命令がもたらされてからは既に3日が過ぎた。
量子通信による封緘命令。
量子エンタングルメントを利用して任意の2点間でのみ、それが如何に遠方にあっても光速という限界を超えて、ごく小容量の1量子ビット単位の通信が可能となる。原理的に盗聴の出来ようのない、恒星間通信を使用した本国軍令部から外地で作戦行動中の艦船に向けての命令書形式で、元から極度に効率の悪い通信手段を更に情報容量を犠牲にして艦長のみが開封可能な暗号化を行っているのが封緘命令だった。艦長が負傷するなどの事態が生じ、任務遂行に支障をきたすと判断される場合にのみ、次席指揮官である副長が開封権限を持つ。明らかなのは機密保持の名の元で、一般的な作戦指令と異なり書かれた命令書を読まれたくない相手とは、決して敵だけではない、ということだ。
単艦で独立艦隊を形成するコロネルに在って、この艦を指揮するシェトランドには、比較的なじみ深いものではあった。一度として、開封した時に喜んだ試はないが。
彼女の乗艦である巡洋戦艦コロネルは現在、民間の大型の遠距離貨客船に偽装してコロニーの外周港湾区に作られた外宇宙航宙船用大型ドックのひとつを占領している。稼働中の大型ドック自体はコロニーでもだいぶ数も、その使用機会も減っていて、ちょっと考えれば予定外の外宇宙航路の航宙船の入港は怪しい限りであったが、港湾管理局の管理官には十二分に鼻薬を嗅がせてあった。
港湾の管理コンピュータには見た目の偽装以上に商船が入港しているらしい環境データや監視画像が通知されていて、偽装を見破るだけの目の利く者がドックの中から直接コロネルを見でもしない限りは、怪しい気配はまったく伺えない。
シェトランドが駆る共和国宇宙軍の巡洋戦艦ギャラクシー・コロネルは、単艦で第11エリダヌス座以遠方面派遣艦隊を構成する。つまり、彼女と彼女の乗艦は、このセクタに於ける共和国政府の利害を代表する義務と権限を併せ持っていた。
共和国と銀河帝国、双方の主力艦隊は現在、遠く地球太陽系外縁宙域で対峙している。今この瞬間にも、100年の戦乱を持ってやっと購われた貴重な平和が、たかだか10年を経ずして破綻するということも十分にあり得ることだった。ただそれは、このエリダヌス座イプシロン星系からは10光年の彼方のことだ。つまり、光速に限りなく近く亜光速の巡航速度を誇るギャラクシー級巡洋戦艦を持ってしても、船外時間で10年以上掛かる遠い世界での対立ということになる。もっとも、銀河帝国海軍も複数の巡洋艦クラスをこのセクタに送り込んできており、このイプシロン星系でも突発的な衝突が発生する可能性は否定出来ない。
ギャラクシー・コロネルは、恒星間航行能力を持つギャラクシー級巡洋戦艦の一番艦で、純白の全長2200mに及ぶナイフ刀身部分の厚みを増した様な艦体に200人近くが乗艦する。ナイフの左右エッジの部分には、各々二列に反物質曲射砲の砲列が並び、敵とすれ違いざまに痛烈な一撃を浴びせることが出来る。
主機は反物質反応炉に直結されたプラズマジェットエンジンで、プロペラントのプラズマ化と亜光速への加速、噴射に無尽蔵とも言える反物質反応炉のエネルギーを使用する。実質的に燃料補給なく無制限に、実態として年単位で1G超の加速が可能だった。
恒星間巡航時は、約1.5Gの加速を継続することで、最大で光速の約97%に達する速度を得る。それでも、ギャラクシー級の巡航速度を持ってしてもタウ星系からイプシロン星系を航行する場合で、各恒星系に於いては約7年、船内の主観的な時間でも約3年が必要であり、この時間的な隔たりこそが星間戦争を100年も長引かせた直接の理由だった。
ナイフの柄の先端の部分、コロネルの全部で6基ある主機は、120度づつ離れた位置に2基づつ独立したジンバル(多軸)構造上にマウントされていて、推力偏向ノズルと併せて噴射方向を斜め前方方向にまで可変出来る。これにより、亜光速航行の後半、減速区間に於いても前方に向かって切り裂く様にも見える艦体の姿勢を変えることなく、減速加速が可能となっている。
亜光速による恒星間航行に於いては、行程の真ん中の基本的に加速を行わない巡航区間の前後に於いて、同一期間の加速及び減速区間が必要となるが、減速区画に於いて艦体全体を反転してノズルを前方に向ける様な姿勢制御を行うと、ノズル部分に前方に存在する星間物質の直撃を受けかねない。
コロネルの場合、強電界スクリーンとイオン化被膜により、宇宙塵の衝突をキャンセル可能な航行姿勢を継続する必要がある。その為には、加速、巡航、減速全ての期間で船首のエッジを進行方向に保ち続ける必要があった。
恒星間巡航速度が亜光速に達する巡洋戦艦ギャラクシー・コロネルの、星間物質の衝突を防ぐ為に船体に沿って流れる磁場と装甲から電離したイオンの長大な尾を引きずって白銀の流星のごとく戦域を疾走する姿は、敵対する帝国海軍にさえ広く知れ渡っていた。
恐怖と畏怖を持って呼ばれる残虐な艦長『ホワイト・シェティ』と、彼女の駆る悪名高き戦艦、『白き魔女』の二つ名は、もはやどちらが船でどちらか艦長を表すのかという区別も薄れ、ただ、100年戦争末期に単艦で帝国海軍の艦船7隻を葬ったことでのみ、知られている。
彼女は戦後10年を経た今も最強の乗艦で静かに牙を隠し、出来れば隠し通したまま今回の任務を全うしたいと望んでいた。
そして、彼女がソファーでぐったりとしている間も、部下たちはコロニーの中心軸の工業区画、中間リングの商業区画を中心にレンとお姫様の捜索を続けているが、残念ながら入ってくる定時連絡の内容は余り芳しくない。
彼女の立てた作戦は、途中までは順調に進行していた。
彼女の期待通り、あるいはそれ以上に、あの少年は見事にこのコロニーを仕切るマフィアの手から、手際良くお姫様を救出してみせた。
不測の事態は、この争奪戦に帝国軍が介入の動きを見せ始めたことで生じた。自由都市の自治権の及ぶぎりぎりの宙域、コロニーの浮かぶ衛星軌道上まで複数の帝国海軍の航宙艦が進出し、自治政府に対してお姫様の引き渡しを要求してきたのだ。
もちろん、彼女にとって、かねてより共和国と敵対関係にある帝国軍の存在は、単なるコロニーのマフィア風情に比較して遥かに危険だった。帝国軍が本気になった際に行使できる軍事力は、単艦でコロニーに潜伏しているコロネルを現時点で大きく上回っており、最悪の場合、退路を断たれたコロネルが包囲攻撃を受ける可能性もある。しかしながら、帝国軍の声高に自らの存在を盾に自治政府に圧力を掛ける手法は、直ぐにこのコロニーへの揚陸部隊の派遣を意味するものではないはずだ。
問題はこれまで水面下で行われていた争奪戦が、これを気に一気に表面化したことだった。この帝国軍の暴挙は、それまで誰も確信が持てなかったお姫様にまつわる噂話の真偽を帝国軍が保障してしまった様なもので、結果的にお姫様の商品価値を一気に跳ね上げてしまった。一度手に入れながら奪われたことが気に食わなかったのか、それとも買い手の当たりがついたのか、マフィアは次々とお姫様奪還の為の追撃部隊を投入している。
お姫様の監禁されていた小屋を取り巻く地雷原の外側で、辛うじてマフィアより先に既に開封された人工冬眠カプセルを発見した彼女の部下たちは、カプセルが空なのを彼女に伝えた後にカプセルを焼却処分した。金属アルミニウムの還元反応による高熱を用いたテルミット爆弾を設置されたカプセルは、マフィアの増援部隊が到着する前に跡形なく消滅した。これで、マフィアたちは今、探すべきがお姫様本人なのか、それともカプセルなのかが分からなくなったはずだ。
後はレンとお姫様の追跡だったが、この点に関しては現在のところ、マフィアと部下たちには余り明確な優劣が生じていない。
現在、レンの祖父の家と、レンのアルバイト先であるドブ板通りの珈琲店は、多数のマフィアたちの監視下にある。更にそのマフィアたちを、一般市民に紛れた彼女の部下たちが取り巻いて監視している状況だった。その存在を知られていない分、多少は彼女の部下たちが優位と言えるだろう。いまや部下たちもマフィアたちも先じてレンとお姫様を見つけるべく、互いに密かに身を潜めていた。
ドブ板通りと言っても、本当にメインストリートにドブ川が流れている訳ではない。ドブ川に見立てられているのは、最新とはとても言えないものの、とてつもない大容量の情報ハイウェイだった。
無数の人だかりで溢れかえっている通りの中央の地下、さして厚みもない錆びた鉄板で蓋をされたメンテナンス・スペースには無数のありとあらゆる情報回線が走り、分岐し、複雑に絡みあっている。何世代も前のメタル・ケーブルも、通信速度が低下した理由が分からず古いケーブルに沿って敷設しなおされた何本ものファイバー・ケーブルも、通りの両端でなぜか種類や規格が異なっている設計上は一本のはずのケーブルも、途中何か所もある巨大な中継器やパッチ・パネルも、誰も全容を知り得ない、巨大な情報の潮流を作りだしていた。
20年ほど前、余りに度々掘り起こされるこの長大なメンテナンス・スペースに、通りを挟む様に増え始めた周辺の良く言えば中古の電子機器を扱う個人商店、普通に言えばジャンク屋たちは、掘り起こした部分を鉄板で塞いで良しとしてしまったのだが、それがこの通りの通称『ドブ板』の起源だった。
今ではドブ板通りと言えばコロニーの経済活動のうち、表の公式な経済統計には一切表記されることのない地下経済の中心地となっていた。売られている商品が、表立った物流経路を経ていない再生品か偽物、あるいは下請による生産が二次三次と辿るうちに、ついにはダミー会社経由で帝国にまで至る様な密売品。中には一部の部品どころか密売品そのものや、亡命貴族が持ち込んだのだろう骨董的な価値があるのかないのか分からない様な品々。サルベージ業者が持ち込んだ大戦当時の遺物だったり、妙に新しい物であれば酒保からの横流しかもしれない。そして、一切生産的ではなく、この辺りに店を連ねる他の業種とは、適度に風紀の乱れた所を探しているという点でのみ共通な風俗産業。
この、一部が公式で他の一部が明らかに不正で、残りの大半がグレーな情報ハイウェイとその周辺地域が、コロニーの情報ネットワークの中心そのものと言って良かった。
ドブ板通りは位置的には、コロニー外周リングに作られ遠心力による擬似重力が1Gに保たれた居住地域と、コロニーの回転軸に近く遠心力の弱い工業地区の間にあって、コロニーの中間リングのひとつを一周する様に作られている。互いに反転する居住地区のリングと中間リングだが、内側の中間リングの回転は低速だった。更に内側の工業地区との間のリニアモータの列が発電機として機能しており、コロニー内側のリング程擬似重力は小さくなる。故に居住区に比べると構造物を建てるに易く、最下層のドブ板はまるで荒野にV字谷を刻んだ河川のごとく、概ね4層ないしは5層に亘る立体的な街が通りに沿って形造られていた。
街の大半は航宙輸送船の貨物コンテナを転用したもので、コロニーでは標準規格のコンテナを用いて増築する場合は、簡単な書類審査のみで可能だったことや、この本来は臨時というつもりだったらしい建物自体には建築や所有に掛かる税金がほとんどタダに等しかったことから、大幅な人口増加に伴う地下経済の発展と共にその階層を増やしてきた。
近年、ついにコロニーの中間リングの天井にまで達して、この中間リングの空間容積をほぼ満たしてしまっている。上層ほど建築年度が浅く最下層が最も古いのは、地球に於ける古来の都市遺跡の発掘現場と同じだ。唯一異なるのは、最下層であっても現在でも普通に人が住み、無数の経済活動が営まれていることだった。階層毎に下の階層の屋根の上を繋いだ脇道が作られていて、最下層のメイン・ストリートも上層の脇道も、いつも無数の人だかりで溢れかえっていた。
「死なせる訳には、いかないわ・・・」
お姫様も、レンも。
レンとお姫様を追うマフィアたちも、追われるレン自身も知らない情報として、レギオンの持つ盾は、カーボンとセラミック系の防護層を劣化ウランの板で挟んだ様な積層構造体であり、粉砕して体内に取り込まれでもしない限りは人体にも無害なごく微弱な放射線を絶えず放射していた。もし、レンがレギオンに乗っているならば、コロネルの遠距離精密観測用のスキャナであれば見通しで10km先からでも、その機影を探し出すことができる。
問題は、理由は分からないがこの地区には、近似した微弱な放射線源が無数に存在していて、その唯一のアドバンテージもまったく役立っていないことだった。今更ながら、レンと事前に取り決めた連絡手段が、レギオンの通信機のみだったことが悔やまれる。知ってか知らずか、彼は動けばすぐに見つけられるだろうという、こちらの過信を逆手に取る様に、身を潜め続けている。レンが現れるとしたら、マフィアの取り囲む自宅か? それとも珈琲店か? あるいはこのコロネルのある宙港だろうか。レンとこちらが組んでいることは、マフィアはまだ知らないはずだ。何れ、知られる事となるとしても。そうであればレンは、自力で宙港にお姫様を連れてくるか? だが、宙港はコロニーで最も隔絶した場所だ。逃げる者が閉鎖空間に飛び込むのは、逃げ道を失う事になりかねない。追っているのがマフィアだけとは言い切れない状況ならば、政府の目が行き届いた宙港に向かうリスクをも考えるだろう。レギオンがあれば、途中いくつかのゲートを強行突破することも可能だろう。だが、これまで調べたレンの行動から判るのは、彼は無鉄砲な様に見えて着実に石橋を叩いて渡る事が出来るタイプだということだ。今も、マフィアの動きを読んで、何処かで身を潜めているはずだ。だが、残念なのは彼の方がこちらより、よりこのコロニーに詳しいということだ。潜伏先を特定するのは、我々より地の利があるマフィアがそれをなし得ていない以上に、我々には厳しいことだろう。
「待っているとするなら、何を待っているのかしら?」
あのレギオン、けして一朝一夕で仕上げたものではない。レストアにも、その後の調整にも十分過ぎる時間を掛けている。それが出来る、そういう子だ。それなのに、その子が唯一頼るべく私は、何も出来ずに待っている。身を晒さないのは、見つかった瞬間に私が保護出来る状況を作り出そうとしている・・・?
「私に、会う・・・」
・・・私に会うことが、現在の目的ならば。そして、私に会えれば助かると、信じてくれているのならば。明確な言葉で意思を伝えることが困難な今であればこそ。あの子が向かうのは・・・。
やがて、珈琲店に包囲を布いていたマフィアに、ついに動きが生じたとの報告が来た。一向に姿を見せないレンたちに業を煮やしたマフィアが少数の手下を残して、宇港へと捜索の範囲を広げだしたのだった。