星歴2012年12月4日、午後7時。
5.
星歴2012年12月4日、午後7時。
レギオンは、今やレン自身を部品の一つにして、完成されたシステムだった。
レンには、自分自身が闘争行為を遂行する部品の一部として、必要欠かざるものとなったという自覚があった。
美人の艦長に依頼されたお姫様の救出は結局のところ、機械の修理に紛れて舞い込む、コロニーの数多のトラブルシューティングと何ら変わらない。厄介事であり、一つ々々がレンにその日の糧を与える為の事件であり、そして、レンがレンである為に必要な、ある意味で儀式の様な、闘争と言う名の様式美に彩られている。
マフィアたちの放つマシンガン、懸賞金の掛けられた銀行強盗の拳銃の硝煙、潜伏した無差別殺人犯のナイフの輝き。
どれも、レンとレギオンにとって、自分の存在価値であり、存在意義となるべきもの。それらがあって、初めて自分が存在する。都度、依頼人はいるにしても、誰も望まぬままにいつか自分がその凶弾か凶刃に倒れるならば、それはそれで良いという気がしている。ひょっとすると、珈琲店のマスターぐらいは悲しんでくれるかもしれない。自信はないが、多分、葬式ぐらいは出してくれそうな気がする。
昔、爺さんが言っていた。正義の味方には、悪人が必要なのだと。その時、いつもの通りガレージでグラインダーを掛けながら、爺さんはレンに確か戦争の起きる理由を説明しようとしてくれていたのだ。
銀河帝国や星間共和国の星々を往く星船、日輪の如き輝きを残し消滅する船。宙を渡る漆黒の爆雷。不可視領域で飛び交う主砲列の、音もなき殷々たる砲声。
だけれど、ああ、もっと身近な・・・。今のレンにとってはそんな比喩的なものではなく、現実そのままのことになってしまった様だ。
あの時の爺さんの話を思い出したのは、数日前にガレージのグラインダーで、レギオンのセラミックブレードの刀身を磨いていた時のことだった。
半年前までは、きっと、そんなではなかった。あの日、それまでただ動かすことが目的だったレギオンで荒れ地を疾走して、灼熱した衛星の外板を抉じ開け、爆発寸前だった炉心の緊急停止装置の起動ボタンを叩きつけた。
あの時の緊張、恐怖、狂気に等しい高揚。
あの時、あのボタンを押した時、レンの中で何かが変わってしまった。
頭上の太陽灯が落とされ、コロニーの人工の大地を暗闇が覆い、僅かに農道沿いに街灯が瞬く中をレギオンが疾走する。3時間の沈黙の後に崩れた小屋に不意に現れた殺し屋を、木のドアから顔を出したところで容赦なく殴りつけて縛り上げると、遅れを取り戻すべくレギオンを駆る。レギオンの水素エンジンは、背面の水素タンク1本で約4時間程度の戦闘巡航が可能だ。2本のタンクを装備し、通常は2本均等に消費していく。他に可搬式の増槽もあるにはある。ガレージに何本かあるが、レギオンでは増設用のハードポイントがそもそもないので、手にでも持つか、指揮車か補給車に積む前提なのだろう。
赤外線灯光器に照らされて浮かび上がるヘッドセットの視界の中で、1km程先にお姫様が捕らえられているという、古びた平屋建ての農場の小屋が見えてくる。艦長からの情報ではマフィアたちは小屋の周囲を地雷原で囲い、出入りの際にマフィアたちしか知らないルートを通らないことには、装甲歩兵でも吹き飛ばされてしまうのだそうだ。フィアたちは、いったい誰と戦争をしようというのだろう? レギオンの暗視装置は小屋から飛び出し慌てて駆け寄ってくる、ロケット弾の弾頭を抱えた男を捕らえる。もう一人、ロケット砲の砲身を持つ男が後ろにいる。こちらの立てる走行音を聞きつけたのだろうが、まだロケット弾をロケット砲に装填しない限りは無害と言っても良い。こちらとしては、装填させる余裕を与えるつもりは毛頭なかった。
レギオン頭部に設置されたカメラの架台と、ソフト的な処理とで二重のスタビライザで安定化された画像は暗くて荒くとも、ロケット弾を込めようと慌てる男たちの心臓音さえも見える様な気がする。
音と映像が一つになって、どちらから得た情報なのか分からなくなる。
レンは凝視した瞬間、スッと周囲の音が消えるのを意識する。
代わりにレン自身が無意識に呟く。
スピードを上げよ。
スピードは最大の攻撃力となり、同時に最大の防御力となる。
そして、レン自身の思考をも瞬時に加速する。
自分たちの想像以上のスピードで、急速に迫りくるレギオンに恐怖した男の、獣の様な叫び声。あるいは叫ぼうと開かれた口。
慌てて足元に取り落としたロケット弾が描く、ほぼ垂直に近い落下の曲線、地面で一度跳ねて、転がって描かれた弧。
相手の狂気は、自分の狂気に他ならない。
張り詰めた全神経が発火する様な感覚、レギオンは敵までの最後の数メートルを跳躍し、レギオンの背中のジョイントから引き抜いたセラミックブレードを、地面に落ちた砲弾に叩きつける。
恐怖に見開かれたロケット弾を落とした男の目と口、無力なロケット砲を抱えたまま後ろに逃げようとする、もう一人の砲手が振り返っている。一瞬全てが止まったかの様にレンの視野の中で切り取られる。
叩き割られた信管が誘爆して、レンの視野の中で紅蓮の炎に染め上げる。
艦長殿の情報によれば、マフィアが雇った殺し屋だかチンピラだかは、全部で5人。小屋の外で待ち伏せしていた3人を倒したところで、小屋の中にいた残り2人はさっさと降参した。もし外にいた3人と連携して応戦してこられたら、こちらとしてはとてもまずい状況だったに違いない。少なくとも、ロケット砲は地雷原の内側から撃つべきだった。幸いにして彼らには協力しあうという感覚はまったくなくて、各個撃破させて貰った。
小屋の中にいた連中も、レギオンを扱い難い小屋の中に引きずり込んで、カプセルを盾に応戦されたら、こちらも手詰まりになっていただろう。ただ、奴らにしてみれば、安い金で命を掛けることは分に合わないらしかった。別に、気絶させて縛って転がしてきただけで、こちらもそれ以上のことはするつもりもなかったのだが。どちらにせよ、最後の拠り所となった小屋を取り囲む様な10m幅の地雷原を、レギオンの跳躍でクリアされた後は、さっさと手を上げるしか、なかったのかもしれない。
入口に面したかつてはリビングだったらしい部屋で、残った二人のチンピラを部屋の隅の床に転がした後、その奥の部屋へと進んだ。どの部屋も室内は薄暗く、小屋の裏手にあるらしい自家発電機から供給される不安定な電力で、それぞれ一灯だけ灯った照明の電力を賄っている様だった。
奥の寝室だったらしい部屋の扉にも、鍵は掛かっていなかった。レギオンを降りたレンが片手で押すと、木の扉はギィと音を立てて難なく開いた。
さほど広くもない部屋の隅に、最近までは部屋の中央に置かれていたらしいベッドが今は壁に押し付けられていた。その手前、代わりに部屋の中央に場所を占めているのは、長さ2m足らずのガラスの筒の両端に金属の箱で蓋をした様な機械だった。近づくと、ガラスにはうっすらと霜がついている様で、天井から下げられたペンダントライトの光を反射して白くキラキラと輝いている。金属部分に作りつけられたイージケータが、いくつもグリーンに明滅を繰り返していて、未だこのガラスの筒、つまりは100年前の人工冬眠カプセルが、正常に機能しているらしいことを示していた。
それぞれの点滅間隔は異なっていて、ランプ毎に規則正しい様だったが、見ていてもそれ以上の変化はなかった。周囲を確認すると、木の床に置かれたカプセルは特に小屋の発電機から電源の供給を受けている訳でもなさそうで、100年に亘ってこのカプセルの稼働を維持し続ける給電システムは、少しレンの興味を誘った。両端の金属部分の筐体カバーを外してみようか、などと考えていると、小屋の入口で降りたレギオンから、通信のコール音が聞こえてきた。
仕方なく、一旦レギオンまで戻って背中のバーの隙間から手を伸ばし、ヘッドセットの片耳だけを押し当てる。
「まずいのよ!凄く、まずいの!その娘を連れて、直ぐに逃げるのよ!」
うわっ、この人、声でか過ぎ。これでは、魅力も半減するというものだ。どうせなら、最後まで騙していてほしい気もする。多分、今のレンのマフィアたちとの戦いで高揚した気分では、彼女の魅力も素直には伝わってこないというか、自分にはもっと、クールダウンの時間が必要だと自覚出来る。
「何を言ってるんですか?取りあえずマフィアは全部、やっつけましたけど?」
今一つ、話が見えない。この艦長さん、戦場で自分の艦を指揮する時もこんなんなのだろうか? 多分、この人、直観だけで物事を決めるタイプだ。自分も直観は信じるけれど、もう少しデータを示すとか、プロセスを明確にするとか。そういう努力をしてほしい気がする。
「マフィアたちは、頼まれてその娘を盗んだだけなのよ!いいから、早く!」
だとしたら、きっと優秀な部下が揃っているに違いない。多少意味不明の命令も、全て補足解釈して実行してくれる、そんなエキスパートたちに違いない。レンがマスターの店から誘拐された時も、店の外にはコロニーの救急隊に仮装した複数の優秀な部下たちが待機していたのだろう。美人の上司に仕える部下たちは、さぞかし大変だろうと、他人事ながら心配になってしまう。
「分かりました。カプセルを持って、急いで撤退します。安全地帯まで離れたら、連絡します」
レンはヘッドセットを戻すと、カプセルに向き直った。
レギオンが持つ、回収したカプセルの重みを感じながら、考える。人工冬眠カプセルは、全高255cm、乾重量1950kgのレギオンに対し、おそらく1/3ぐらいの重さがある。帰りは、地雷原の手前で幾らでも距離を取れた行きに比べると、今度は十分な助走距離が取れない。
縛ったマフィアを叩き起こして、安全なルートを探した方が良いかもしれないが、何とかなるだろう。
ぎりぎり小屋の入口まで下がってから、一気に加速する。
踏み込んだ左足が地面を離れた瞬間、ふと、背筋が寒くなった気がした。
自分の着地するであろう10m先の地面が、すっとクローズ・アップされたかの様に明確に意識される。
しまった、と思った時は既に遅かった。
農場の庭は丁寧に小石が除かれ、マフィアの前に住んでいた住民は、野菜畑でも作るつもりだったのかもしれない。だから、先ほどはレギオンが着地しても、柔らかな土にめり込むだけで、せいぜい土埃を巻き上げるだけだったのだ。一方、地雷原の外側に広がるのは、小石だらけの人工の丘陵地帯だ。
ドゥッ、と両足が地面にめり込む。
膝の多関節が軋み、脛のショックアブゾーバが撓む。
踵のアンカーが開かれて、レギオンがつんのめるのを防ぐ。
そして、レギオンが着地した時に跳ね飛ばした小石が、たった今飛び越えて来た地雷原の方向にもいくつか跳ね飛ばされていた。
今は、レギオンの両手で捧げる様に持った人工冬眠カプセルのせいで、盾は使えない。しかも、レギオンの背中側はレン自身の背中を晒している。
そうとなれば後は、地に倒れ込むのみ!
アドレナリンが駆け巡り、レギオンの着地動作を緊急キャンセルして、そのまま顔面から地面に突っ込む。暗闇に包まれた農地に閃光が奔る。レギオンの全高に数倍する土石が奔流となって立ち上がる。背後の熱風と衝撃が更にレギオンを後押しして、顔面から地面へと叩きつけた。
ヘッド・セットの視界が灼熱に焦がされ、意識が暗転した。
どれ程、時間がたったのだろう。
痛みで意識が戻った。
自分の焼け焦げた髪が、嫌な臭いをさせているが、幸い背中の痛みは打撲によるものだった。今や爆発の火の手は消え、農地を覆うのはうっすらと遠い街灯の明かりと、立ち込める土煙だった。おそるおそるレギオンの背中から這い出すと、見下ろしたレギオンは両手にカプセルを捧げ持った姿勢のままで、轢き殺されたカエルの様に無様に突っ伏していた。近づくと、カプセルはまだレギオンの両手の平の上にあったが、破損していた。人工冬眠カプセルの真ん中辺りで、ガラスが裂ける様に割れている。衝撃による荷重が、最も脆いカプセルの中央部分に集中してしまったのだろう。裂け目から、保存液が滴っているのが見える。もちろん、中にはまだ女の子が眠っているはずだ。
如何すれば良い?
如何すれば、この娘を助けられる?
まずは、急いで着ていた革製の上着を脱いで、割れた強化ガラスの裂け目に詰める。鋭利なガラス片に触れて手首から血が噴き出したが、今は構っていられない。これで、カプセルの中の保存液の流出が止まるはずだ。ちょっとだけ、時間が稼げる。
この人工冬眠カプセルはレンの知る限りごくコンパクトに出来ていた。初期の恒星間探査に使われた極低温のカプセルの様に、大規模な保全システムと繋がっている訳ではない。だとしたら本来は比較的短期間の冬眠が目的で、艦長が言っていた様に保存温度もそれ程低くはないはずだ。正規の手段でも、何十時間もかからず蘇生が可能な保存なのであれば、きっと短時間で機能する緊急蘇生装置があってもおかしくないはずだ。
あった。
カプセルで眠る女の子の頭の部分に、薄暗い中でも鮮やかな赤枠で囲われたトグル・スイッチが見えた。これが緊急蘇生装置の起動スイッチだとして、正常に機能するだろうか?
躊躇っていたのは一瞬で、レンがスイッチを稼働位置に起こして両手で力を込めて引くと、急速にカプセルの中が白濁し始めた。不足する保存液を補う意図もあるのか、数分を掛けて一度カプセルの中が完全に満たされると、そのままカプセルが左右に割れた。思わず飛びのくレンの足元に、中を満たしていた液体が今度こそバシャっと音と立てて流れ出る。
カプセルの中には、一糸纏わぬ少女が横たわっていた。
綺麗だった。
カプセルの中で扇の様に広がる亜麻色の髪は、保存液に濡れて微かな明かりの中で艶やかに輝いている。髪に縁どられた小作りな顔立ちは、たとえ瞳を閉じていても優しくあまりに儚げで、小ぶりな、すっと通った鼻筋と、その下の色を失ったやはり小作りな唇が、生身の人間と言うより、妖精の様な印象だった。まるで、子供の頃に読んだファンタジーの中から抜け出してきた、そう、薄闇色の精霊。すらりとした体つきは抜ける様に白く・・・。
そこで、眠る少女の裸をまじまじと見入っていた自分の罪悪感に耐えられなくなって、流石に目を逸らした。それで意識も逸れたせいか、レンは遠くに艦長殿の懐かしいハスキーボイスの罵声が聞こえてきて、思わず我に返ると這いつくばったままのレギオンに残してきたヘッドセットを付ける。
「如何なってるの!?応答して!レン!レン!」
どうやら艦長殿は、それなりに心配はしてくれているらしい。そんなに心配してくれるならば、出来れば一人でマフィアに立ち向かう様な仕事を斡旋しないでほしいのだが。やはり、こう、勘所が間違っているというか、ずれているというか。
「こちらレン、まだ生きてますよ。死に掛けましたけど」
しかしながら、数分間呼び続けてくれていたらしい艦長殿が、喜んでくれるであろうというレンのほのかな期待は残念ながら叶わなかった。如何やら向こうの声は聞こえるが、こちらの声はあちらに届いていない。届いていても、会話が成り立ったか如何か、少し疑問ではあったが。
「応答して!レン!レン!」
先ほどの地面への突撃で、見ると、レギオンの頭部にある送信アンテナは見事に破損している様だった。あるいは送信機部分が潰れたのかもしれない。通信機自体が壊れていないだけ、まともなのかもしれないが。どうやって艦長と連絡を取ろうかと考え込むレンに、再び艦長のハスキーな声が聞こえて来た。
「いい!?兎に角逃げて。そこから1km先に、コロニー中心部にまで通じる点検抗があるわ。既に海兵隊を向かわせている。彼らが行くまで、『亜麻色の髪の乙女』を連れて逃げ延びるのよ!」