星歴2012年12月4日、午後3時。
3.
星歴2012年12月4日、午後3時。
歩みを止めたレギオンの前方。正面の半ば瓦礫となったコンクリート造りの建物の窓、2階から上は崩れて、1階の窓枠だけが残っている。
この辺りは土地の改良が十分ではないままに、行政に急かされるままに農地として耕作を始め、結局収穫が得られず、また長期の土壌改良プロセスに戻された場所だ。大元は巨大な港湾ドックが並ぶ様な場所だったのを、何年か前にわざわざ壁をぶち抜いて繋げて、コロニー周辺の小惑星を砕いて土にして敷き詰めた所だった。ところどころに立つ巨大な柱が、壁を取っ払った名残なのだろう。今は農地にも出来ず、元の港湾施設に戻すでもなく打ち捨てられているかの様だ。頭上から降り注ぐ太陽灯は日の出時間から日没まで変化のない均質な光量で、まばゆいか、真っ暗かで情緒の欠片もない。それはそうだろう、照度から時間を知るべき人間など、一人もいない無人の地。込み入ったコロニーの居住区に住む人からすれば、余りにスペースの無駄な場所だ。小石の混じった痩せた土地には、ところどころに壊れたトラクターや散水用スプリンクラーが転がっている。スプリンクラーさえも稼働させていないのは、行政が怠慢だからか、レンには政府の事情は良くわからない。道路脇には、文字のかすれた古びた木の看板が倒れていた。支えていた木の棒がへし折れたのは、ごく最近なのかもしれない。折れ口の尖った木片が、周囲の赤茶けた色合いに比べて真新しかった。
周囲に他に建物はなく、一本道の細い農道沿いの、かつては見晴らしの良い少し高台になった場所に建てられたのだろう。今は屋根もない無人の廃屋が、周囲の農地を見渡せる位置に見える。
もし、自分がいずれはやってくる敵を待つ狙撃兵だとしたら、アンブッシュに最適だ。
そう思った瞬間、背筋がざわめく様な気がした。
「正面、防御姿勢!」
レンの声に反応して、ボイス・コントロールにより普段なら瞬時に行われる既定の動作が、まるでスローモーションの様に感じられた。
口元が引きつる。
レギオンの左手が、盾ごとゆっくりと持ち上がる。左肘と左膝の、連結部を覆うカバーが外れる。レギオンが右足を引いて腰を落とし、そのまま小石の散らばる地面に右膝をつく。レギオンの躯体を、僅かな縦揺れの振動が駆け抜ける。右足の踵に付けられたスパイクが開くと、がっちりと地面に食い込んで、弾かれた小石が宙に舞う。
じりじりと過ぎる無限の時間の後に、左肘と左膝の接合部が連結され、イージケータが同時に強固な一枚のラージ・シールドが形作られたことを知らせてくれる。
シールドにカメラの視野を遮られた頭部センサーに代わって、視界を右肩のスナイパー・スコープに切り替えるのと、盾に防がれた敵の初弾が強烈な打撃を残して弾かれていくのは、ほぼ同時だった。跳ねた弾頭がひしゃげながらレギオンの斜め後方の乾いた地面に弾痕を刻み、僅かな土煙を立てる。レンの頭の位置から30cm程前方で発生した強烈な擦過音が、ヘッドセットのノイズキャンセリングのヘッドホンで殺せずに鋭く耳を打つ。左手の盾の裏側で仕込まれたショックアブゾーバが瞬時で悲鳴を上げる。このコロニーの中では、長距離の射撃を狂いなく当てるのは至難の業だ。だが、敵はたった一発でレギオンに当てて見せた。狙撃仕様のレギオンのお株を奪う精確な狙撃は、何度かこの辺りの標的で補正をした結果に違いない。道端の倒れた看板が、偏差修正の過程の産物だろう。
副業の更に副業の最中に、港湾地区の片隅でたまたま地元マフィアの取引に出くわしたレンに浴びせられたマシンガンに比べると、どうやら一発の打撃力は数倍重い様だった。たとえそうであっても、こちらの唯一のアドバンテージである劣化ウラン複合装甲の盾は、対戦車ライフルの小口径高速弾では抜けない、はずだ・・・。これが重装装甲歩兵の持つ大口径砲弾だったら、盾は抜けずとも打撃だけでレギオンは大きくのけ反らされているだろう。接合部を撃たれたら、盾がへし折れているかもしれない。少なくとも正面の敵は、重装装甲歩兵ではない。多分、生身の人間。だから、アンブッシュを仕掛けてきた。
スナイパー・スコープへの切り替えは敵の初弾の発砲炎を確認するのには間に合わなかったが、射撃地点は方角からするとやはり前方の廃墟の窓だった。敵の姿を探して、スコープ越しに廃墟の窓の奥を凝視する。乾いた口の中で、喉の奥が張り付いている。
ここは、盾の作り出す僅かな面積で陰になった、唯一の安全な場所。
2撃目はこない。
もし再び撃たれても、盾の裏側から出なければ、大丈夫だろう。
このまま、ならば。
動かなければ。
そして、敵が複数ならば、狙撃でこちらを釘づけにしたまま、こちらの背後に回り込むだろう。自分ならば、そうする・・・。
スコープ越しに、前方の建物の左右を注視する。
どちらも、次の遮蔽物には距離がある。
敵の偏差修正は、初撃の為だけのものだろう、多分。農道からも外れた、あらゆる方角に向かって試していては、弾がもったいないし・・・。実際、自分は敵の読み通りに農道を歩いてきた。敵はレギオンの様に、どの様な射角でも対応出来る訳ではないはずだ。銃はあっても一発しか当てられない敵兵と、銃を持たないレギオンが持つ偏差修正能力。どちらも皮肉なことだ。
最初から別働隊がいるとか、敵の援軍が来るとかの可能性は、取りあえずほっておく。敵はあの瓦礫の背後だけだとすれば、遠距離狙撃型のこちらの機体を見て、安易には左右どちらにも飛び出し辛いはずだ。否、敵のスコープの解像度が良ければ、こちらが狙撃銃を持っていないことが分かってしまうかもしれないが。
躊躇は一瞬だった。
考えても分からないことは、考えても仕方ない。
「いけっっ!」
手動で防御姿勢を解除し、そのまま低姿勢で農道から外れる方向、斜め前方へとダッシュする。
レギオンD4型の地上走行速度はスタートからの最初の数十メートルで最高時速100km近くに達する。有り余る水素エンジンのパワーでホバリングさえ可能な最新の装甲歩兵にはとてもかなわないが、機械式でも時速100kmで突進する装甲歩兵に対し、生身の狙撃兵では対処できないはずだ。姿勢を低く保った上半身を左手の盾で守り、前方へは強烈な電磁波のジャミングを掛けながら、敵の照準を外す為に巡航管制コンピュータが作り出す乱数に従ってジグザグに突進する。踏み出す毎に、後方に小石交じりの土煙が沸き起こり、最高出力で保たれた水素エンジンの咆哮を上回る走行音を奏でる。
両膝の多重関節は、見た目は蟹股だが躯体上半身の上下動を最小限に抑え、腰の機械重量式のスタビライザーが左右の揺れを相殺してくれる。蟹股なのは、左手の盾と左足の脛当ての加重からくる重心のずれを左右の揺れにしてしまわない様に、僅かに左右の歩幅が調整されているからだ。それでも吸収出来ない複雑な揺れがレンをシェイカーの中身のアルコールの様にかき回すのを、両手のセンサ・グローブの中を汗で水浸しにしながら耐える。
ここは死線だ。
まだ、姿を見せぬ敵の狙撃手にとっても、狙撃銃は持たずとも、レギオンを駆り敵に迫らんとする自分にとっても。
心地よい、狂気。
既に手段と目的を取り違えているという、妙に達観した自覚。
自分に今、レギオンがあるならば。
スタートからの無防備な数十秒を再び狙撃されることなく、農道から外れて小高い丘を駆け上がる。ヘッドセットの中で計測された崩れた窓の開口部は、レギオンの身長をぎりぎり上回ることを示している。廃墟が目前に迫り乱数走行をクリア、内部は一切分からないまま一気に窓から飛び込んだ。窓枠がレギオンの左足先にかすれ粉砕した瓦礫と一緒に、ドゥッ、と轟音を立てて、右手に背中のポッドのジョイントから引き抜いた黒塗りの長刀を構えて部屋の内部に着地する。
背筋がぞくり、とした瞬間、目の前で何かが光った。
「正面、防御姿勢!」
閃光と熱風が同時に沸き起こった。無数の金属片がレギオンの躯体を包み込む様に擦過する。
今度は、狙撃ではなかった。
レギオンの盾を完全には構える余裕はなかったが、それでも炸裂する手りゅう弾の威力を削ぐことはできたらしい。ヘッドセットのノイズキャンセリングヘッドホンをしていてさえ、まだ、わんわんと響いている。
使われたのは対人用の手りゅう弾で、対装甲歩兵用の小型ナパームでなかったのが幸いした。ナパームだったら、今頃、レギオンを包み込む様に回り込んだ高熱の炎がレンの背中を焼いている。ナパームでなかったのは、多分、敵が単に持ってなかったからだろう。
レギオンがコンクリートの破片を振り払って立ち上がると、もうもうとした埃を透かして肩の暗赤色の赤外線探照灯が映し出す部屋の内部は、無人だった。
「ふうっ・・・」
分かりたくはないが、自嘲のため息さえ震えているのが分かる。
おそらく、最初の狙撃で倒せなかったと分かった時、敵はトラップを残してこちらの死角である後方の扉から、即座に撤退してしまったのだろう。やはり、敵兵は最初から一人だけだった訳だ。今頃、十分に距離をとって、この崩れた小屋の爆発を見ている。
問題は・・・。
「敵がトラップ屋だった時、自分の成果を確認しに戻ってくるか?」
口に出して呟くと、不思議と震えが止まっていた。
敵からすれば、獲物がブービートラップに掛かったならば、問題ない。そうでなければ、一旦やり過ごして、今度は背中から狙撃する。もし、自分が先に進み敵が自分の背後を取ったならば、今度は確実に、レギオンの装甲のない背面から狙撃される。盾もブレードも役には立たないだろう。地元マフィアのばら撒く手数の多いマシンガンに比べると、一撃々々がはるかに重い。嫌な奴だ、まるで自分みたいだ・・・。一匹狼で、一人で全て片を付けたがる。仲間を連れてくるなんて考えもしない。
そうであるならば。
自分が嫌いなのは、時間、だ。無益に時間を過ごすこと。無駄なのに待つ、なんてしたくない。来るか来ないか分からない敵の狙撃の瞬間を待ち続けるのと、生きているか死んでいるか分からない敵の確認を先延ばしするのと。前者は耐えられる、後者は・・・、耐えられない。なぜって、敵を見てしまったから。だから、敵がそんな選択肢をとったなんて、思わない、思いたくない、きっと。
敵がもし戻ってくるならば、自分が飛び込んだ窓からか、あるいはひとつだけある、木の扉か。扉は窓とは反対の壁に作りつけられ、扉の横には今は床に倒れて砕けた棚があったのだろう。扉と窓とどちらからも離れた部屋の隅に移動すると、レンは装甲を降りて、今度は崩れた窓枠の横に身を潜めた。
「今度は、こちらが待たせて貰おうかな」
自分が、二度も後手に回った。
嫌な敵だ。
じりじりと時が進む。
人工の日没まで、3時間。敵が動くなら、闇に閉ざされた時。