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星歴2012年12月5日、午前5時。

10.

星歴2012年12月5日、午前5時。


街は、朝の冷気に包まれていた。見上げれば、視線は頭上で緩やかにカーブした、幾つもの太陽灯のパネルに行き着く。その太陽灯が徐々に光度を上げているが、まだ薄明りの中で街を行き交う人はまだほとんどいない。


 1ブロック先では先ほどボヤ騒ぎがあって、消防車や突入消火用の装甲歩兵が押し寄せて大変な騒ぎだった。今は公園の敷地に立つレンは両脇にレギオンの水素タンクを1本づつ抱えている。一方、彩夏はレンがガレージから持ち出したぶかぶかのグレーのオイルセータと、これもぶかぶかの色の褪せた濃紺のジーンズ、詰め物をして彼女の小さな足に合わせたスニーカーという出で立ちで、クッションを一つ両手で胸に抱え込んでいる。

 ボヤ騒ぎの発端となったのは、レンの偽の通報だった。通常は街の監視カメラで確認が取れないと、悪戯として判断して実際の消防隊の出動は行われないのだが、『マフィア同士の抗争で銃撃戦の末、火の手が上がった』との一般市民からの通報の上、周囲の監視カメラが全てブラックアウトしてしまっては、軍警察と消防隊が大挙して出動せざるを得ない。

 横では彩夏が未だに茫然と呆れているが、ガレージを見張っていたマフィアたちが慌てて撤退した隙に、駆け付けた警官隊や消防隊に紛れてガレージから水素タンクを持ち出す際に、ふと目について一緒に持ってきたふかふかのクッションを渡したところ、少し彩夏の機嫌は直った様だった。

「縫いぐるみみたい」と、彩夏は素直に喜んで、渡したクッションを抱きしめてくれていた。履いているのは使い古しのレンのスニーカーだが、こっそり爪先の詰め物と一緒にレーダー反射板の欠片を入れてある。お姫様が万が一はぐれでもした時の為だったが、詳細は話していない。レンとしては良心の呵責よりも、今は彩夏の不機嫌の方を避けたいところだ。彩夏は可愛い娘だが、自分の乏しい経験値だけでは機嫌を損ねるのはいろいろな意味で致命傷だ。因みに街の監視カメラは、いつの間にか正常な状態に戻っている。


 レンと彩夏が立っているのは、居住区の集合住宅の合間に造られた公園で、公園の時計台が穏やかな時間を刻んでいる。

 彩夏は空にも海にも、いろんな色があるという。レンは寒々とした晩秋の朝の公園に立って、せめてこの公園にも風が吹いたら良いのにと思う。彩夏が言う『秋のまるで、空の底が抜けてしまった様な空』っていうのは何のことやらイメージできなかったが(だって、そもそも惑星の空に底なんかがあったら、コロニーと変わらない)、木々が風に揺れてその向こうに空が見えればたとえ底が抜けてなくても、ずっと本物らしいのではないだろうか。

 でも、全てが人工の造られたこの街で人間以外の唯一の不確定要素というか、あまりに些細な事なので誰も気にも止めてないだろう、おそらくはコロニーの設計者たちも想定外の、ある事象にレンは気が付いていた。もう一度メンテナンスシャフトに隠したレギオンに戻る前に、それを見せに時間潰しも兼ねて彩夏を連れて来たのだった。

些細なそれは、公園の霜柱だった。

 公園の土の露出した部分では、僅かに霜柱が立っている。

霜柱が出来るのは、コロニーでは12月から1月に限られていた。霜柱は地表の温度が氷点下を下回り、且つ地中の温度がそれより高い時に限り、地中の水分が毛細管現象で地表に吸い上げられて柱状に凍ってできる。

 夜の間、居住区の中心軸側の太陽灯の明かりは落とされているが、もともと、太陽灯の投げかける明かりは可視光域の分布こそK型恒星と同じでも、あまり赤外線を含んでいない。コロニー内の人工の大地に太陽に代わって気温の上昇をもたらしているのは、コロニー全体に電力を供給している熱核反応炉の排熱だった。

 コロニーでは昼の間だけ、道路の下や建物の壁面に埋め込まれた給熱パイプの中を熱水が駆け巡り、夜はほとんど循環を止めて熱水タンクの温度を加熱して排熱の熱量を溜め込んでいる。設定された地球の北半球に似せた季節に合わせて、大気温度や湿度を調整しているのだが、冬に於いては、夜の間ほとんど止まっていた給熱パイプ内の熱水の循環が再開されると、氷点下まで冷え切った地表より地中の温度が先に上昇し始め、短時間なのでけして高くはならないものの、土の見えるところでは地中の水分が凍って至る所に霜柱を形造っていた。


 彩夏はクッションを抱えたまま、サクッ、サクッ、レンのスニーカーで霜柱の立った公園の植え込みのひと隅に今日初めての足跡を残して、歩き始めた。

 最初は不思議そうに、慎重に踏み込んだ足が音を立てて僅かに埋まる様子に戸惑っていた彩夏だが、今は楽しそうに駆け回っている。



レンは、わたしが100年も眠っていたという。

突拍子もない話だけれど、レンと話してみて、彼がとても嘘をついている様には思えない。

だから、それは本当なのだとして。

一晩明けてみて、やっぱり昔の事に思いを馳せれば、何もかも失ってしまったという、一抹の寂寥感が滲んでくるのは否めないけれど、でも、何だか何か吹っ切れた気もする。


それにしても。

100年が経っても、人間は変わらないものなのだ。

100年経って、変わっていたのは、わたしの髪の色だけだ。

身長も小さくなってしまったが、あれは仮想世界で偽っていただけ、ではある。こちらか本当の自分。でも、どうせなら、髪の色以外にもいろいろと残しておいてほしかった。胸とか。

それはそれとして、100年経ってもやっぱり人はいろいろな悩みを抱えているし、戦争や争いもなくなってはいないみたい。

そして多分、わたしは自分を100年の眠りに就かせてくれた、あのアンソニーと名乗った科学者と、100年後に自分を目覚めさせてくれたレンに感謝している。

そういえば、昨日レンの作ってくれたスープを食べて眠りについた時、また、あのアンソニーと言う名のおじさんが夢に出て来た。何かわたしに、わたしの役目を教えてくれていた様な気がしたのだけど、目が覚めたら忘れてしまった。

今思い返してみれば、あれがわたしの初恋だったのかもしれない。

初恋は実らないというけれど。

どこまでが夢で、どこからが現実なのか、良く分からない。

それとも、どこまでが現実で、どこからが夢なのかしら?


サクッ、サクッ、とレンから借りたスニーカーが霜柱に埋まる。

それにしても、レンはちょっと、変な人だ。

と言うか、悪戯で消防車や警察をあんなに呼んで、実は悪い人かもしれない。

でも、あんまり悪びれていないから、本当は悪くはないのかしら。

わたしのことを助けてくれた訳だし。

借りたグレーのセーターの肩に頬を寄せると、レギオンという名のロボットの油と、レンの匂いがする気がした。


ちら、とレンを見ると、いつの間にか公園のベンチに座って眠ってしまったらしい。

多分、昨日わたしが眠った後も、あのロボットの整備やら何やらで、あまり寝ていないのだろう。レンの横のベンチの上には左右に一本づつ、先ほどの大騒ぎの理由である、緑色をした何かの筒みたいなものが合計2本、置かれている。

彩夏は静かにレンの座るベンチまで戻ると、抱えていたクッションをまずベンチの隅に置く。次にレンの左右に置かれた筒の一本を如何にか両手で持ち上げて、反対側の1本の横に並べた。

ふぅ、と息をついて、空いたレンの横の背もたれに、もう一度クッションを移動させると、彩夏はそこが定位置とばかりに腰を下ろす。そう、今はここがわたしの定位置だと思う。


やっぱり、100年が経っても、人間は変わらない。

結局、わたしは人恋しくて堪らない。

不安なのは、100年も経ってしまったからじゃない。

不安なのは、わたしが誰だかに引き渡されて、レンと離れてしまうこと。

彩夏は両手を自分の膝の上で握りしめた。

見つめるレンの横顔は、今は幼い少年の様だった。

そういえば、実年齢ではわたしの方が100才以上、年上だ。

ダメだなぁ、年下だわ、と考えて何がダメなのかと自分で、ばかばかしくなる。

マフィアに誘拐されて、どっかに売り飛ばされそうだったわたしを助けてくれた。

誰かを好きになるには、べたと言うか、余りにストレートというか捻りのない理由だ。

まぁ、白馬の王子様みたいなものかしら。

王子様には、眠れる森の美女にキスする権利があるはずなのだけど。

やはりこちらから裸で迫ったのが、いけなかったのかもしれない・・・。


間近でレンの横顔に見入っていると、不意にレンが目を開けた。

寝顔に見入ってたのはこちらだけど、やっぱり気恥ずかしい。

思わず、彩夏は真っ赤になってそっぽを向いた。

目を覚ましたレンが一つ伸びをして、横に座る彩夏を不思議そうに見ている。


「あれ、もういいの?」

如何やら、公園を駆け回るのは終わりかという質問らしい。

寧ろ、わたしが子供っぽいと思われている気がする。

間違いなく、こちらの想いは伝わっていない。


「鈍感!」

彩夏は眦を上げて抗議しつつ、首まで真っ赤になって、もう一度そっぽを向いた。


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