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 ふよふよと赤い光が舞う。


「あれは秘密主義なんだ」


 見つめていると、手足がぽわりとあたたかくなる。

 緩やかに体温が上がるけれど、不快感はない。――気持ちがいい。


「有能だし、信頼出来る女だ。ただ、ほとんど自分のことを明かさない。……自分の話などつまらないだろうと笑っていたな」


 きゅううう、と、ゆるく拡がっていた熱が一点に集中していく。……左の手の甲へ。


「いつだって笑っているからタチが悪い。それなりの付き合いになるが、ちっとも底が見えんな。さすが塔の秘蔵っ子だ」

「……塔?」

「ん、知らないか。それもそうだな。……塔というのは……何というべきかな。知識の先端とか、夜が明ける場所と言われるな。賢者たちが住む場所だ」

「研究施設、ですか」

「少し、違う……賢者たちは、一日中思索に耽っている。研究といえば研究だが、実験や実践のように手を動かすことを、あれらはしない。ただひたすらに考えている……シアンの師匠は、今は賢者の一人だ」

「昔は違ったんですか?」

「昔は魔術師だったさ。だから、それ自体は珍しいことじゃない。しかしシアンの師匠は、シアンを塔に誘ったと聞く」


 左手が、一際熱くなった。


「塔に入れるのは賢者だけだ。そして、塔に入れば、二度と外へ出ることはない」


 赤い花の紋様が、左手の甲に咲いていた。









「あんまり信用しない方がいいよ」


 緑色の光は、ゆるく螺旋を描いている。


「彼女はね、こわいひとだから」

「……こわくないですよ」

「こわいよ」


 ひやりと、右足に冷気が這う。


「彼女はね、とても恐ろしい」

「……何で」

「自分の命の使い途を、心得ている」


 血が、冷えるような感覚。けれど凍るほどに寒いのではない。静かな水底に沈むような感覚。


「彼女の『唯一』は決まっている。君は絶対、それになれない」

「…………シアンさん、優しいですよ」

「うん、君は、竜のお姫さまだものね」


 冷たい血が、右足にこごっていく。


「君は世界に愛されている」


 つきりと小さな痛みがあって、右足の甲に、緑色の蔦の文様が絡んでいた。









「……あなたは」


 白い光が、一瞬、視界を焼いた。


「シアンさんの、幼なじみ、って」

「それが、何か」

「……どんなひとですか、シアンさん」


 何かが、優しく肌を撫でる感触がある。ふわふわとして、柔らかいもの。


「…………貴様に話すことはない」


 それなのに、響いた声は硬かった。


「知りたい、なって」

「私の知ったことか」

「怒って……ます、か」


 右手にゆるくまといつく風。それに集中することが出来ない。動悸が激しくなって、口の中が乾く。


「気を散らすな」


「す、すみませ、」

「黙れ」


 こわい。

 反射的に体がすくみ、その瞬間、ふわ、とまといついていた風が空気にほどけた。


「あ」

「ちっ……。……シア!」


 シア?

 ぱ、と振り向いたときには小部屋のドアが開いていた。すぐに「どうしたの」と声があり、彼女がずっとそこにいたのだろうと気が付く。


「あの小娘が気を散らす」

「……他のお二人は問題なく出来たんだけど?」

「知らん。余計なことを聞くから……」

「余計なこと? ……ああ、いいよ、どうせ君が威嚇したんだろう」


 ひょこり、ドアからシアンさんが覗いた。


「ごめんね、何か怖いことされた?」

「してない」

「いえ、あの、私……」

「フィリさまはね、ちょっと無愛想で。怒っている訳じゃないんだよ」


 小さな部屋だ。

 シアンさんは数歩で私の隣に立ち、そっと白い手で私の手をとった。

 いつのまにか握り締めていた拳を優しく撫でられる。

 胸の奧が、ほわ、とした。


「わ、私が、変な質問して……それで」

「変な質問?」


 きょとんと目を丸めたシアンさんが、傍らに立つフィリさんを見上げる。

 フィリさんの眉間の皺がぐぐっと深まる。


「……お前のことだ」

「わたし?」

「ああ。なぜ俺に聞く……」

「お二人が、その、幼なじみって聞いて、気になって」

「ああ。ふうん」


 いたずらっ子の顔。

 シアンさんはくふんと笑った。


「やっぱり君がいじめたんじゃないか」

「違う」

「違わないだろう。……ごめんね、サヤカ。これで、悪い男ではないんだよ。生真面目で優しいし、顔も良いし」

「は、はあ」

「でも、わたしのことはわたしに聞くといいよ。答えるから。……ほら、何が聞きたい?」


 あ、と思ったときには、ふわふわしたものが再び集まり始めていた。

 右手に柔らかくまといつき、やさしくやさしく撫でていく。


「幼なじみ……って」

「うん。……私たちの父は仲がよくてね、フィリさまのお家に問題が起きたとき、彼のお父さまが、うちに彼を預けたんだ。六歳くらいのことだったかな」

「それ、以来?」

「うん。学校も一緒だったし、進路も同じだったからね。ずっと一緒」

「あの……恋人、では……」

「まさか」


 軽い調子で、ころころと転がすように彼女は笑った。


「フィリさまには婚約者がいるし、わたしも……今はいないけれど、何人か恋人はいたよ。わたしたちが恋人だったことはないけどね」


 まあるい熱が右手の甲に押し込まれ、白い紋様がくっきりと浮かび上がった。















「さ、これで本格的な勉強が始められるね」


 シアンさんの明るい声に、私もちょっとドキドキする。左手の甲を見つめると、きれいな深紅の紋様が一つ。

 これは、私の魔力を抑えるための封印なのだそうだ。私の魔力はとても多いから、万が一にも暴走しないように、わざわざ三竜の方々から封印をもらわなければならなかったらしい。


「それに、これで外にも出してあげられる。今まで苦労を強いたね、ごめん」

「いえ、シアンさんがいてくれるから、あんまり嫌じゃなかったです」

「それならよかったけれど」


 シアンさんは笑う。このひとはほんとによく笑う。大体いつも笑っている。


「ふふ。ねえ、サヤカ」

「はい?」

「フィリさまを、どう思った?」

「どう……?」


 不意に言われた意味が分からず、ワンテンポ反応が遅れる。

 シアンさんは小さく頷いて、子供みたいに、ちょっとずるい顔をした。


「きれいでしょう」

「あ、はい」

「無愛想だけれど、あれで優しい男だよ。誠実だし。生真面目なんだ」

「はあ」

「あなたに対しても、若い女の子というものに戸惑っているだけで、悪い印象はないんだよ」

「はあ……?」


 惚気だろうか、これは。


「……反応がにぶいね」

「いや、あの」

「あなたがね、フィリさまを恐がっていたようだから。そう悪い男ではないんだよ、と……まあ、あなたへの態度は、あとで叱っておく」

「ええっ」

「あれはいらない意地を張るから」


 くっくっ、と、シアンさんは喉を鳴らした。

 それから、庭に出ようよ、と私の手をとった。


 ――夕食は、神殿のひとと一緒に摂るらしい。その前に私の気分を落ち着かせようという気遣いなのだと、小さなベンチに腰掛けてはじめて気が付いた。

 風が柔らかい。今、この国は初夏なのだという。


「この庭園は、春の庭の一つだそうだ」

「春の庭?」

「春に美しくなるように、設計された庭。春に咲く花や、実をつける木々が植えられている。いまは少し時期を外しているから、あまりひとが訪れない」

「……今も十分きれいですよ?」

「うん、そうだね」


 きれいな緑の庭は、静かだった。

 シアンさんは、艶やかな葉の輪郭を指で撫でて、少し俯いていた。


「わたしも、この葉を美しいと思う。ことによると、花よりも好ましいかもしれない」

「緑、好きですか?」

「ん……緑というか……。単に、実家が田舎だからかもしれない」

「田舎? ずいぶん、大事なところなんじゃ」

「要所かもしれないけど、辺境は辺境だよ。花よりも、雑草の方がずっと多い。風の吹く、だだっ広い土地」

「……お好きなんですね」

「好きだねえ」


 嫌味でも何でもない、ほがらかな声だった。

 故郷のことを語るとき、シアンさんの表情は少し幼くなる。それに気付いて、私の胸は微かに痛んだ。

 私はそんな風に思える場所を持たない。生まれた場所になんて、二度と戻りたくない。


「サヤカ?」


 噛みしめてしまった唇をそっとほどく。

 ――シアンさんの目は、きれいな緑色をしている。


「私も……」


 気付けば、私はそれを見つめていた。彼女が愛する遠い大地は、もしかしたらこんな色なのだろうかと思った。


「私も、好きになりたい……です」


 それなら、私も好きになれるかもしれないと……夢を、見る。

 とても魅力的な夢。私が、どこかを好きになれるかもしれない、なんて。『あそこ』では想像もしなかったような夢だ。

 私は、全部嫌いだった。

 学校も、家も、自分の部屋も、全部全部嫌いだった。どこかに行きたいとずっと思っていた。


 どこか。


 それは、この世界の『どこか』なんだろうか。


「シアンさんの、好きなところ。私も好きになりたい」


 シアンさんのきれいな目が、眩しいものを見たときのようにきゅうっと細くなった。


「わたしも、そうなってくれたら、嬉しいな。……わたしは、この国が好きだから」


 あなたがすきになってくれるならうれしいな、と。ゆっくりと視線を滑らせながら、高い空を見て、彼女は言ったのだった。


 私が、この言葉の本当の意味を知るのは、もっとずっとあとのことになる。

 本当にずっとあとになって、私は彼女が見つめていたものの正体を知った。

 このときはただ、彼女の細い横顔に、息をひそめて見とれるだけだった。





 

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