6
私がシアンさんについて知っていること。
職業は魔術師。南方の出身。お兄さんが一人いる。馬が好きで、果物が好き。得意な魔術は、結界や守護。
堅苦しくなくて、気さく。もしかして、小さい頃はいたずらっこだったのかもしれない。よく笑う。ほとんど怒らない。
優しい。
「(知らない、なあ)」
彼女と話した時間は、たくさんだ。この一週間、ほとんどずっとおしゃべりをしていた。魔術のことだったり、この国のことだったり、私のことだったり。その内のほんの少しだけが彼女のことで、だから私は、ほんの少ししか彼女を知らない。
「仕様のないやつだな」
「特に必要なことでも……」
「見ろ、サヤカが驚いている」
アスターさんに話題を振られて、私はシアンさんに視線を向けた。
「シアンさん、偉かったんですね……」
「いや、偉くないよ」
――話は、少し遡る。
三竜の方々と会わなければいけない、ということで、私はとても緊張していた。
そのせいかどうかは分からないけれど、顔合わせの場所に指定されたのは私の部屋だった。お茶でも飲みながらお話しましょう、ということらしい。
「出来るだけ、気軽に話せるようにするから」
シアンさんはそう言って、私に何をするようにも言わなかった。当日の朝、私はいつも通り起きて、いつも通りご飯を食べて、いつも通りの服を着た。
ところで、当初、この部屋のクローゼットにはドレスがぎっしり用意されていた。二日目の朝、お好みはありますかとエレーネさんに尋ねられて仰天した私は、思わず「し、シアンさんに訊きます」と言ってしまったのだ。エレーネさんは、直ぐに彼女を呼んでくれた。彼女は、クローゼットの前でおろおろしていた寝間着姿の私を見て、ぷっと噴き出した。
「いや、どれでもいいと思うけど。凄いね、どこから集めてきたの?」
「急なことでしたので、合いそうなものをこの宮の衣装庫から選び出しました。」
「そうだねえ、明るいイエローなんか、いいと思うけど……」
彼女はそこで言葉を区切り、私に顔を向けた。
「あんまり、慣れない?」
「へっ」
「貴族のお嬢さんには、普段からこういうのを好む方もいるけどね。慣れていないなら、当座はまあ、もうちょっと楽な方がいいんじゃないか」
「ですが……」
「もちろん、公の場ではそれなりの格好をしてもらうよ。でも、サヤカは多分、裾のさばき方も知らないんじゃないかな。コルセットだって、慣れない内は拷問だし」
「だからこそ、慣れて頂きたく存じます」
「それは追々、ね。エレーネ、衣装庫にだって、もう少しシンプルなものはあったろう? ……サヤカは小柄だから、少女向きのデザインも似合うかな」
私がドレスを着慣れない人間だということは、すっかり見透かされていたらしい。エレーネさんはちょっとクローゼットを見つめた後、探して参ります、と部屋を出ていった。
思ったほど待たされることはなく、次に現れた彼女は数着のワンピースを抱えていた。
「わ、かわいい!」
チェックやストライプの、レトロでかわいいワンピース――私くらいの年齢だと、少しかわいらしすぎるのではないかと思うような、古風なデザイン。一瞬ためらったのだけれど、シアンさんは頷いた。
「いいね。これと、これはさすがに幼いかな。サヤカ、これは?」
「あっ、あの、かわいいです!」
「うん、季節にも合うしね。後でショールを持ってきて貰おう。靴は……」
「こちらに」
「じゃあ、この茶で。着方は分かる? サヤカ」
「はい、多分」
「それは良かった。着替えたら声をかけて。髪を結ってあげるから」
次の日、クローゼットの中のドレスは半分くらいになっていて、代わりにワンピースとカーディガンが押し込まれていた。どれもよそゆきと言って差し支えないくらい可愛いものばかりで、うきうきしてしまう。
ドレスほどになると気後れが先に立つけれど、クラシカルなワンピースは着心地もよく、素直におめかしを楽しめた。私だって女の子だから、かわいい洋服はやっぱり嬉しい。
私が選んだ服に合わせて、シアンさんが髪を結ってくれるのも、毎朝の楽しみだった。
そんな訳で、私がいま身につけているのはモスグリーンのワンピース。襟は白いレースで、たっぷりした袖は手首できゅっと細くなっている。スカートの部分は裾に向かってふんわり広がり、アクセントとして黒いラインが二本。羽織ったカーディガンが白なので、白いカチューシャをつけることにし、髪は一部を編み込みにしてもらった。
ドレスでなくても大丈夫ですか、と尋ねた私に、やっぱりいつも通りの格好をした彼女が答えた。
『コルセットなんて着けた日には、お茶の一杯も飲めなくなるよ』
そう、お茶。お茶会なのだ。
さほど大きくはない白いテーブルを囲む、五人。私と、シアンさんと、三竜のみなさん。
はじめ、お三方は部屋に入るなり跪いて長々口上を述べようとしたらしかった。
「ひっ」と怯んだ私を背に庇い、やんわりとそれを制したのはシアンさんだ。
『恐れながら。竜の姫はまだ年若く、人の上に立てば萎縮してしまうでしょう。三竜の皆様におかれましては、年上の友人として……』
口の上手いひとだなあ、と思った。
そして私に異存は無かった。
アスターさんという、赤い髪のひとは当初渋っていたが、私もお願いすると簡単に打ち解けてくれた。姐御肌というか、気っ風がいいというか、さっぱりした性格の女性らしかった。
「ルシエ・アスター・クラークだ。ルシエでもアスターでも、好きに呼ぶがいい。よろしく頼む」
「は、はい、よろしくお願いしますっ」
真紅の髪に琥珀の瞳。シアンさんの言った通り、華やかで、大輪の薔薇みたいな女性だった。
「アスターさまは侯爵家の出身で、かつては騎士を目指されていたんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ、クラークは武門の家柄だからな。魔術学校は一般過程だけ修めて、騎士学校に編入するつもりだったんだ」
「一定以上の魔力が認められると、魔術学校への入学が義務づけられるから、そういう方はあまり珍しくない」
「私の従兄もそうだったしな。しかし、はじめてみると面白くてな、魔術というものは。結局、特殊過程まで修めてしまったよ」
「魔術学校……ですか。楽しそう」
そわ、とした私にアスターさんはふっと表情を緩め、ひらりと手のひらを遊ばせた。
「とはいえ、私が在籍していたのはもう十年も前だ。思い出話ならそちら二人の方が適任だな」
「えー、僕ぅ?」
「…………」
「貴様らは三年前まで学生だったろう」
「ったってさあ、僕は不良学生だったしー。フィリはがっちがちの優等生だし」
「お二人は、同級生なんですか?」
驚いた。確かに二人は、あまり年齢に違いは無さそうだけれど、タイプが全然違ったのだ。
緑色の衣装を身につけた――多分、こちらが、緑の魔術師なのだろう。緩く波打つ金髪を一つに結んで背中に流している。薄い青の目は、何だかずっと楽しそうで、チシャ猫みたいなひとだなあと思う。
目が合って、にこっと微笑まれた。
「はじめまして、サーシャ・ロキア・ムズルです。サーシャって呼んでほしいかな」
「よ、よろしくお願いします」
「こっちはフィリ……ねー、もう、その仏頂面いい加減にしなよ。サヤカちゃん泣いちゃうよ」
「いえ、それは」
「……ルード・フィリ・セシリアだ。フィリと呼べ」
「うわあ偉そう」
「は、はい、分かりました」
白い服を纏った、長い黒髪の男性。白の魔術師フィリさんは、本当に、ものすごく綺麗なひとだった。
アスターさんもサーシャさんも、十分『美人』といえるひとたちだ。けれどその中でも、フィリさんの美貌は群を抜いている。
思わずほおう、と息を吐くと、サーシャさんが軽く肩を竦めた。
「やっぱ女の子って、こういう、人形みたいな顔が好きなの?」
「私はもっと男らしい顔が好みだな」
「アスターちゃんは顔より筋肉なんでしょ、筋肉」
「貴様、筋肉を愚弄するか」
「しないけど、一般的じゃないよそれ」
「何?」
「うるさい……」
隣のシアンさんが、あー……と小さく嘆息した。
小言で、「いつもこうなんだよね」と囁く。
「仲が良いのはいいんだけど」
「大体貴様らは筋肉がなさすぎる。何だそのひょろひょろした身体は。みっともない」
「やめてよー、アスターちゃん好みの筋肉だるまになんてなりたくないー」
「…………」
「均整のとれた美しい筋肉は至宝だ!」
「ええー」
……うん、仲は良いのかもしれない。多分。
シアンさんは苦笑して、間に入るようなことは無かった。あちらの、と言ってサーシャさんを示す。
「ロキアさまはね、フィリさまの同級生で、お二人はいつも首席を取り合っていらしたよ。今は宮廷の女性人気を取り合っているけど」
「お二人とも、きれいな方ですもんねえ……あ。そういえば」
「ん?」
「ロキアって、ミドルネームですか?」
緑色の目が瞬く。ミドルネーム……? という小さい呟きに、私は間違えたかとハッとしたが、シアンさんはゆるく首を傾けて微笑を浮かべた。
「ロキア、アスター、フィリは『竜名』だよ。建国の四竜の名で、竜に選ばれた者はそれをもう一つの名とし、基本的には公称にする」
「えっ、サーシャさんは……」
「僕ねえ、その名前、ロキアってやつ、あんまり好きじゃないんだよね」
いつの間にか、サーシャさんがこちらを見つめてにこにこしている。
「生まれたときからの名前じゃないから、今一つしっくりこなくて。みんな、名前で呼んでって言っても聞いてくれないんだけどねえ。ねー、シアンちゃん」
「怒られてしまいますから」
「フィリのことはちゃんと呼ぶくせにさあ」
「フィリさまのことも、フィリさまとお呼びしています」
「プライベートの話ーっ。……ああ、そうそう」
ぴ、とサーシャさんの長い指がシアンさんを示す。話についていけなかった私は、どきっとして、にんまり笑うサーシャさんを見た。
「これも同級生だよ。フィリの幼なじみだもん」
「へ?」
「何だ、言っていなかったのか、シアン」
「はあ、まあ」
「え、じゃあ三人とも同級生なんですか?」
「うん、まあ」
「……何も話していないな?」
フィリさんの言葉に、シアンさんが曖昧に笑う。アスターさんが呆れたように言った。
「相変わらずの秘密主義だな」
「……そういう訳では」
そこからは、暴露大会の様相を呈していた。
「シアンの家名を知っているか?」
「え、と。確か一回、聞いて……ふぁ……」
「フィルドラ、ねー。出身地は聞いた?」
「み、南の方ですよね? 農家で、馬がいっぱいいる……」
「うわーあー」
「間違ってはいないが……シアン」
「地理はまだ教えていないんです」
「シアンちゃんの出身地はね、フィルドラだよ。そんでそれはそのまま、シアンちゃんの家名ね」
「フィルドラは、クーシェン王国との国境にある広大な土地一帯を指す。豊かな農業地帯だ。そこを領地とするのがフィルドラ辺境伯、今はシアンの兄の称号だな」
「ええっ」
「フィリさま……」
「諦めろ」
「先代のフィルドラ辺境伯が、セシリア公爵と仲良しだったんだっけー?」
「ああ。御家騒動の頃に、妻と息子を託したんだったな? それ以来の幼なじみだったろう」
「……まあ、そうだ。そのまま、お互い魔術学校に進んだからな」
「……あっ。えっ。フィリさんは公爵さんなんですか?」
「いや、現公爵は父だ」
「り、理解が追い付かない……」
「更にいうなら、シアンは私の副官だ」
「何で自慢気なのー?」
「ええと……」
頭の中の情報を、一生懸命整理する。
サーシャさんはにやにやしていて、フィリさんは真顔だ。
少し困った顔をしたシアンさんに、アスターさんは「仕様のないやつだな」と笑った。
「特に必要なことでも……」
「見ろ、サヤカが驚いている」
緑色と視線がぶつかった。
「シアンさん、偉かったんですね……」
「いや、偉くないよ」
少しばかり疲れた声だった。
「血筋が偉いというなら、アスターさまやフィリさまの方が遥かに偉い。魔術師としてもわたしはお三方に及ばないし、ちっとも偉くは無いんだよ」
わざわざ竜の姫に申し上げるようなことではないね、と彼女は結んだ。アスターさんが軽く肩をすくめ、テーブルに頬杖をつく。
「本人はこう言っているが、サヤカ。シアンがあなたの教育係になったのは、おおむねそういう理由だ」
「そういう……?」
「貴族としての教養があり、魔術に優れ、人脈に富む者。見たところ、あなたは彼女を信頼しているようだが、この人事に不足は無かっただろうか」
「あ……」
そうか――、と、ようやく腑に落ちる。
これは、ちょっとした牽制だ。シアンさんは、本来、私のお守りなんかしているべきひとじゃないのだ。
優秀な魔術師で、必要な人材。それが、その能力を腐らせて、何も知らない小娘にべたべたと甘えられている。
はい、と私は言うべきだった。
私には、もったいない先生です、と。それが、少なくともアスターさんの聞きたい答えだろう。
それはもちろん本当のことでもあったから、私は慌てて口を開いた。
「は、」
ぽすり。
い、と音にする前に、薄い手のひらが私の頭の上に乗っていた。
「アスターさまこそ、相変わらず恐ろしいことを仰る」
「へあ?」
「これで『いいえ』と言われたら、わたしの首が飛んでしまいます」
「い、いいえなんて! そんなっ」
「まあ、竜の姫はお優しい方ですから、このように仰いますが」
ぽふぽふ、頭を撫でられる。……あれー?
「本来、姫は大変お心の柔らかい方。無為な問い掛けを迫るような真似は、どうぞおやめ下さいませ。わたくしに至らぬ点があれば、お三方の慧眼が見抜きましょう」
「……お前な、シアン」
「かわいい姫を、いじめないで下さい」
庇われた――のか。
にこりと笑うシアンさんに、アスターさんは呆れて、サーシャさんは噴き出した。フィリさんはシアンさんを睨んでいる。怖い。
「それにね、サヤカ。偉い、偉くないの話をするなら、いまこの国で二番目に偉いのはあなただよ」
シアンさんは、穏やかな声でそう言った。
「あなたは、それを怖いと言った。人を従えることは恐ろしいと。……その感覚は、とても正しい。あなたはよい竜の姫になるだろうし、当代の三竜は、あなたへ友情を尽くすだろう」
一瞬。
ほんの一瞬、周囲の空気が止まった気がした。
けれどシアンさんは、ただ柔らかい笑みを浮かべていた。
「ねえ、アスターさま」
「……お前、甘やかし過ぎだろう」
「シアンちゃん、シアンちゃん、フィリがすごい顔してるからやめて」
「私は自分の意志で竜の姫にお仕えしているということです」
「…………」
「うーわー冷気出てる。怖いー」
――もしかして。
「(三人、じゃなくて……四人の仲が良いのかなあ)」
何だか話がまとまったらしいことを朧気に理解しながら、私は冷めかけのお茶を静かに飲み干した。