表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15


 気が付いたら、異世界だった。正気のことではないと思う。

 もしかしたら、夢を見ているのかもしれない。目を覚ませば、またあの陰欝な日々が続くのかもしれない。

 それとも、自分はやっぱりあのとき死んでいて――これは、死ぬ直前に見ている夢か何かなのかもしれない。真実は見極められなかったけれど、でも、それでいいと思った。


 いつか目覚めるとしても、目覚めないとしても、今の私はあそこにはいない。私は今、見知らぬ世界にいる。


 瞼の裏にしなやかな姿を描いて、私はほうと息を吐いた。


 ――明日もまた、彼女に会える。


 今日も彼女は優しかった。辛抱強く説明を繰り返し、物分かりの悪い私にも苛立つような素振りさえ無い。最近は、分からないことを聞くのも恐ろしくなくなってきた。彼女は決して、私を怒ったり、なじったりしない。


 だから、大丈夫。明日も頑張れる。


 自然とそう思うことが出来て、私は思わず頬を緩めた。









 『彼女』は、少し風変わりなひとだと思う。

 異世界から来たらしい私がいうのもおかしいけれど、何となく、他のひとたちとは違う空気を纏っている気がする。

 もっとも、私はあまり多くの人と関わった訳ではないから、それは的外れな印象かもしれない。


「どうしたの?」

「あ、いえ……」


 お茶を飲む彼女を見つめていたら、首を傾げられてしまった。上手い言い訳が思いつかずに言葉が切れる。

 淡い色の睫毛をゆっくり瞬かせ、彼女は柔らかく笑った。


「……おいしい?」

「は、はいっ」

「それは良かった」


 こちらもどうぞ、と、お皿に乗ったクッキーを勧められる。

 私はそれを口にしながら、またこっそりと彼女を窺った。


 ――綺麗なひとなのだろうと思う。

 ストレートの髪はむらのないミルクティー色で、目は鮮やかなエメラルド。肌も白い。

 化粧の気配の無い顔は華やかとは言い難いけれど、整ってはいる。体付きは、長くたっぷりとした黒衣のためによく分からない。指はほっそりしている。

 宝飾品を色々と身につけている割に、あまり強く女性を意識させないのはなぜだろう。かといって男性的という訳もなく、紡がれる声は耳に柔らかで、落ち着いている。

 そういえば、傍に寄ったときはほのかにハーブのような匂いがした。香水や汗とは違う、不思議な香り。


「シアンさんって、香水つけてますか?」


 何となく知りたくなって尋ねてみる。


「香水じゃないのかな……何だか、不思議な匂いが」

「ああ、強かった?」

「いえ、近づかないと分からないです」

「そうか。多分、薬草だね」

「薬草?」

「最近はしていないけど、薬の調合、使用は日常だから。髪やローブに匂いが染み付いているんだろう」


 ちゃんと洗ってはいるけどね、と彼女は軽く笑った。


「どんな薬を作るんですか?」

「魔術の媒介や、補助をするものだよ。よく使うものは販売されているけど、それを自分用に調整することもあるし」

「へえ……魔法使いの薬って、毒や惚れ薬、みたいなイメージがありました」

「ん」


 お茶のカップに唇を寄せていた彼女は、動きを止め、迷うように視線を巡らせた。


「そういうのは、魔術師の中でも特に調合師と呼ばれる者が担当する。……それはそうと、魔法使いって言い方は、あまり正しくないね」

「え、……ええと、魔術師……?」

「うん。そうなんだけど」

 お茶のカップがテーブルに置かれる。


「魔法使いというのはね、普通、存在しない」

「……?」

「魔法、という言葉はある。魔術と法術、両方を指す言葉だ」

「法術、ですか」

「そう。魔術師は、魔力でもって世界に働きかけるね。法術師は、法力で世界に働きかける」

「何が違うんですか?」

「使う力が違う。魔力は、個人が初めから持っている力だ。ところが、この量には個人差がある。君のように、とても大きい者もいれば、ほとんど無い者だっている」

「はい……」

「法力は、自力で手に入れる力なんだ。神を信仰し、その賜り物である世界を強く愛することで、法力が生まれる。言ってみれば、意志によって得る、世界へ働きかけるための力が法力……かな」

「ううん、似てるんですね……?」

「法術は、魔力の不足から魔術を使えなかった者が、その代替として編み出したものだから」

「代替、ですか」

「……偉大な魔術師は、『世界に愛された者』と呼ばれる。魔力は世界からの贈り物だからね。対して、偉大な法術師は『世界を愛する者』と呼ばれる」


 そして、と、彼女はほんの少し声を低めた。


「邪者とか、邪術師とか呼ばれる者も、時にはいるね。『世界を憎む者』と言われ、排除の対象となる」


 淡々とした言葉だった。

 私は、思わず息を飲んだ。


 世界を憎む者。

 世界を、憎まれるのではなく、憎む者。


 背中がぞおっとした。それを知ってか知らずか、彼女の緑の目が柔らかくしなる。


「講義になってしまったな。お茶の時間だったのに。……ま、そういう訳で、魔法使いという言葉はないんだ。この二つをどちらも使う者はいないし、魔術師と法術師は、普通、一緒くたにされるのを嫌がるから」

「仲、悪いんですか」

「悪いねえ」


 くすくすと笑う顔は猫か狐のようだった。割に冗談やユーモアを好むらしいというのは、ここしばらくで分かっている。


「そのうち分かるよ。どうせ君はどちらにも追いかけられる」

「う」

「大変だねえ」

「ひ、他人事にしないで下さい」

「うん、わたしもあまり他人事じゃない」


 その割に、口調は軽い。

 こちらを見る眼差しは穏やかで、私は不意にどきりとした。


「サヤカが困ると、わたしも困る。だから、ちゃんとサポートするよ。安心してくれていい」


 ――心臓の辺りにある何かが、ほろりと小さく崩れる。

 彼女は、優しい。優しくて、恐ろしくない。

 嬉しい。

 けれど、どう答えればいいか分からなくて、私はただ頷いた。それでもいいのだと、彼女の微笑みに言われているような気がした。



 そういう風に、最初の一週間はとても平穏だった。

 初日こそ訳の分からないままに過ぎてしまったけれど、二日目からは勉強が始まり、生活のリズムが作られ始めた。

 朝、彼女に起こされて、身仕度を整えてから一緒に食事を摂る。それから勉強。合間にお茶の休憩を挟み、軽い昼食。少し食休みを挟んで、午後も同様に。夕食の後に――これはちょっと恥ずかしいのだけれど、一緒にお風呂に入る。肌や髪の手入れをしてから、就寝。別々の部屋で寝る。

 一日中勉強漬けの割にそれが苦にならないのは、がりがりと机に向かう訳では無いからだろう。教科書だけではなく、窓から見える景色や、小さな庭の植物からも、彼女はいろいろな話を取り出して見せる。

 作法に関しては実地で、食事やお茶のときに教えられた。あまり、元の世界と変わるものではないらしい。少しだけ安心した。

 魔術の勉強もした。私は魔力の量が多いそうで、最初は全然要領が掴めなかった。自分の中に魔力があることさえ、三日かかって気が付いた。

 「大きいものほど気付きにくいものだよ」と彼女は言う。「小石を踏めば直ぐに分かる。けれど山ほどもある大岩は、そのままなら、地面だと思ってしまうだろう」

 分かったような、分からないような例えだ。

 今では、指先に光を灯すくらいのことは出来る。魔力というのは燐光を帯びているので、集めてやると光るらしい。

 術だとか、そういうのはもう少し後になると言われた。実はかなり楽しみにしている。


 ただ、その前に越えなければならない困難があった――ようで。


「え」

「ようやく、お三方の都合があったらしい。明日の午後に面会だって」

「お、お三方って」

「負けじと神殿もねじ込んできたから、夕食はそっち。大人気だねえ」

「お三方って!」

「三竜の皆様」

「うえええ」


 三竜、といえば。

 もはや記憶はおぼろだけれど、一番初めに私を殺そうとした人たちだ。この国で最高クラスの魔術師らしいが、なおさら怖い。何をされるのか身構えてしまう。

 あの混乱と恐怖を思い出し、ぞくりと腹の底が冷えた。


「どうどう」


 しなやかな手が、私の背を撫でる。


「大丈夫、彼らは君に何もしない。ほんの顔合わせなんだ。彼らは竜で、これから君と、深く関わることになるから」

「……りゅう」

「三竜の説明はしたろう?」


 問われて、頷く。

 三竜という言葉は、『竜の位』を持つ当代の魔術師三人を指すそうだ。建国に関わった四竜の色を位にいただくもの、それ即ち、竜姫の末裔たる皇帝の最も優れた剣であり盾であり宝である。

 ただ、『竜の位』は何も魔術師のみに与えられる訳では無いという。

 例えば騎士、例えば賢者、例えば都市。この帝国では『四』の数が尊ばれ、優れたものを四つ選び出してはそれに『竜色』を与える。

 竜の騎士、竜の賢者、竜の都市。いずれも常に四つが並びたち、赤、青、白、緑のいずれかを冠する。


 『竜』が欠けることがあるのは魔術師のみなのだそうだ。

 また、単に『三竜』、あるいは『二竜』『四竜』と呼ばれるのも魔術師のみ。

 なぜなら、唯一魔術師だけは、『竜の位』を皇帝によって認めらるのではないから。


 ――優れた魔術師は、竜石に向かうことを許される。石が認めた者にのみ、『竜の位』が許される。


 彼女は、少しの苦笑を浮かべてそう言った。


 その言によると、竜は――特に古竜は、魔術師のシンボルであるらしい。彼らは、世界で最も強大な魔力を有した種族とされる。


「三竜の方々は、建国の四竜の形代……の、ようなものだと思えばいい。竜石は眠る四竜の揺籃であり、彼の魔術師たちは、結び付いた竜石から竜の魔力を借りることも出来るから。……そして、それがどういうことか、分かる?」

「それ、って」

「君は『竜の姫』、彼らは『竜』。関わりが深いというのは、つまりそういうことだよ」


 ぱちぱち、と瞬き。思わず、返す言葉に詰まる。

 彼女はちょっと楽しそうに笑い、小さく肩を竦めて見せた。


「過去の竜の姫には、当時の『竜』のいずれかと結ばれたものもいる。勿論、皇帝と結ばれた例もあるし、市井に降りた例も……これは一例だけだけれど、ないではない。だけどとりわけ、『竜』と『竜の姫』の関係は特別なんだ。――建国の四竜は国ではなく、『竜の姫』をこそ愛し、従ったのだからね」

「え、と。つまり……?」

「形式上は、彼らは君に従うことになるんだ。彼らにも仕事があるから、直属って訳にはいかないけど」


 くすくすと、楽しそうに彼女は笑う。何が、そんなに楽しいのだろう。

 私ときたら、胃がきゅっと縮み上がったというのに。


「い、いやです」

「ええ?」

「し、従うとか、えっ? こわい」

「怖くない、怖くない。彼らは君に逆らえないもの」

「何それこわい」


 『竜の姫』。

 それが一体どんなものか、私にはいまだ実感がない。けれど、ここのひとたちにとっては大切なものなんだろう。

 私のような小娘を、こんなに丁重に扱うのだ。異世界から来た、というだけで。


「私、そんなたいそうな人間じゃないのに……」


 ぽつりと呟く。彼女の、すんなりした眉が器用に片方だけ持ち上がった。

 物言いたげな表情に一瞬身構えたのだが、しかし彼女は、『仕方ない』とでもいう風に目元を和らげて微笑みを作った。


「卑下することはないし、出来れば、あまり彼らを嫌わないでやってくれ。独特でも、悪い方々ではないよ」

「お知り合い、ですか?」

「わたしの上司だからね」

「あ、魔術師」


 そういえば、目の前の女性の本職は魔術師だった。

 魔術以外の知識も広く(これは、私が何も知らないからそう思うのかもしれない)、教え方も上手いので、『先生』という印象が強かった。けれど、彼女は帝国とやらに仕える魔術師で、教師は本職ではないらしい。


「そう。『赤の魔術師アスター』様が、わたしの直接の上司。華やかで美しい女性だよ」

「わ、美人さんですか」

「とびきりね。大輪の花のような方だ。あとの二人は男性だけれど、どちらもそれぞれに綺麗な方だよ」

「そのお二人は、確か、緑と白の方ですよね?」

「うん。『緑の魔術師ロキア』様と、『白の魔術師フィリ』様」

「どんな方なんですか?」

「んー、ロキア様は、物腰が柔らかくて話上手な方だよ。風貌も優しげだから、女の子に人気がある。フィリ様はその逆で、とても生真面目な方。でも、ものすごく顔が綺麗だから、やっぱり人気はあるね」

「ものすごく……ですか」

「ものすごーく、だね。皇帝陛下を覚えている?」

「えっ、あっ、はい、銀髪の」

「タイプは違うけど、あのくらい」

「…………」

「人外だよね」

「で、ですよねえ……」


 さりげなく失礼なことを言ったような気もするが、深い同意にこくこくと頷く。

 初日に顔を合わせた皇帝陛下は、それはもう凄まじい美貌の方だった。声で男性だと分かったが、容姿自体は中性的で、一見ではどちらとも分からない。

 確かに、人外。魔王さまですと言われても違和感はない。


「とりあえず、楽しみにしておいで」


 きれいな緑の目を三日月にしならせ、彼女は私の肩をぽんと叩いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ