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 平凡な毎日というものの有り難みをしみじみ思う。

 『何もない一日』は、本当はものすごく貴重だ。


「シアンさん……」


 不安に揺れる大きな目が、じっとわたしを見上げる。

 無理もない、ことではあった。軽食と共に歓談を交え、随分と少女の気もほぐれていたところだったのだ。

 そこへ来て、不意のお呼び出しである。

 ――彼女にとってみれば、不意討ちのようなものだろう。


「直ぐに参ります、とお伝えして」

「かしこまりました」

「し、シアンさん」

「大丈夫、わたしも一緒に行くから」


 頭を撫でてやりながら、こっそりと溜め息を吐く。

 どうにか時間の調整がついたのだろう。陛下も、陛下の近習も、実に優秀だ。およそ四時間程度で、あの綿密なスケジュールを組み換えて見せるとは。

 もう少し猶予が得られるかと思っていたが、呼ばれてしまっては仕方がない。


「さ、立って」

「は、はい」


 部屋の前にはパオラが控えていて、扉を開けるとぴょこりとお辞儀をした。


「出口までご案内致します」

「ありがとう。……見惚れて、はぐれないようにね」

「えあっ。はい、だ、大丈夫です!」


 少女は大きな目をぱちぱちと瞬かせ、豪奢な廊下に惚けていた。声をかけるとハッと我に帰り、こくこくと何度も頷く。


「(後でゆっくり案内しようかな)」


 女の子はきれいなものが好きだ。

 そして、こと美しさにおいて、この王宮に勝るものはそう無い。


 それは、王宮を統べる陛下についても同じことが言える。


「シアン・フィルドラ、サヤカ・ユウキ。お呼びにより参上致しました」

「入れ」

「失礼致します」


 銀色の髪をした、ぞっとするほど美しい――男。

 しかしその容貌は中性的で、顔だけを見ていれば女とも分からない。

 かつて化け物呼ばわりされたその美貌に、わたしの後ろに隠れた少女が身を固くしたのが分かった。


「随分と懐かせたようだ」


 執務机ではなく、来客用のソファに身体を沈めた美青年は、笑みをゆるく唇に刷いてそう言い放ち、優美な指で向かいのソファを示した。


「座りなさい」

「ありがとうございます。……サヤカ、どうぞ」

「はっ……はい」


 ギクシャクとぎこちなく、椅子に身体を落ち着ける。


「サヤカというのか、そなた」

「そ、うです。サヤカ・ユウキと言います」

「きれいな音をしている。意味は?」

「ええと、清らかな香り、って意味、です」


 多分、という小さな声は陛下には聞こえなかったらしい。


「なるほど」


 陛下はどこか満足げに頷き、少女をしばし見つめた後、いくらか声を和らげて再度質問をした。


「単刀直入に聞くが、そなた、元の世界に戻りたいか?」


 ぎくり、と。

 少女の身体があからさまに強張り、隣で見て分かるほど、顔が色をなくした。

 それは、あえてわたしが尋ねなかったことでもあった。

 予想はついている。陛下にも、わたしにも。


「思いません」


 震える声は、しかしきっぱりと言った。


「私、あっちに、戻りたくなんかない……!」


 一瞬だけ、陛下とわたしの視線はぶつかった。それは互いに安堵する色を示していた。


「(この子は確かに竜の姫だ)」


 変わることなく。外れることなく。


「……あ」


 刹那の激情の後、彼女の顔は幼く揺れた。小さな手が何かを探すように中途半端な位置をさまよい、覚束ない視線がきょろきょろとふらつく。


「あ、あの、ごめんなさい。ちが……わ、私に出来ることなら、何でもしますからっ。こんな凄いとこに居座ろうなんて思ってなくて、違って、どどどどこかで働けたらなあって……!」

「シアン」

「はい」

「面白い娘だね、これは」

「そのように存じます」

「……へ?」


 くつくつと喉を鳴らしながら、とても楽しげに陛下の目が細まった。


「竜の姫。そなたが働く必要はない。しばらくこの城に留まるが良い」

「……良いんですか?」

「帰らぬと言われて安堵しているのはこちらよ。そなたは得難い宝物ゆえ」

「ほ、ほうもつ」

「左様。そこの者に話は聞いたか? 竜の姫は癒しと平和をもたらす者。戦を控える我が国にとってはこの上ない瑞兆よな」


 宝物だの、瑞兆だの、まるでモノ扱いである。

 間違いではないのが、哀れなところでもあったけれど。


「シアン」

「はい」

「先にも言ったが、竜姫殿をよくよく頼むぞ。細かい話は追って……ひとまずは、神託の結果を待つことになろう」

「承りました」

「サヤカ殿」

「はいっ」

「私も忙しい身ゆえ、此度は急な呼び出しを失礼した。近い内に、ゆるりと話せる場を設けよう。それまでは何でも、そこの者に申し付けるがいい」

「え、ええっ?」


 ――ごく短く終わった会談の後、少女は困ったような怒ったような顔でわたしを見上げた。わたしはといえば、陛下の圧迫感から解放されたことで、ようやく呼吸を楽にしていた。


「……どうしたの?」

「あの……私、結局、どうすればいいんでしょう」

「どう、とは」

「だから、私……ごめんなさい、私、何か言われると思ったんです。こうしなさいとか、これはダメとか。でも……ええと、私、明日からどうしたらいいんでしょうか」

「ああ……そうだねえ」


 端的にこちら側の望みを伝えるなら「大人しくしていろ」となるのだろうが、さすがにそれは可哀想だろう。


「……勉強、かな」

「へ」

「あなたは、あちらに戻る気は無いんだろう? なら、こちらのことを勉強しておくのは、どう転んでも良いことだと思うよ」

「べ、勉強」


 少女の茶色の瞳がくるりと回る。


「もしかして、苦手かな?」

「す、少し……」

「大丈夫だよ、一つずつやるから」


 あまりいじめては叱られてしまうものね、と笑えば、少女は微妙な半笑いを浮かべた。

 歴史と、作法と、魔術。とりあえずは、そんなものだろう。








 ――とはいえ、それは明日からのこととして。


「シアンさんは、どんな人なんですか」


 問われたのは、美しい庭園に立ってのことだった。

 戻った室内が互いに少し気詰まりで、エレーネに許可を取り、今の時期はほとんど人が来ないという東の小庭園に出た。

 花の少ない緑色の庭は、あまり広くは無い。木々に高低をつけることで奥行きを出している。

 気持ちのいい天気だね、というと、少女は嬉しそうに頷いた。

 それからややあって、控えめに質問を口にした。


「……どんな、か」

「ええと、お仕事とか。好きなものとか……」

「ふむ」


 そういえば、自分のことはほとんど話していなかったことに気付く。

 先ほど雑談で聞いた限り、目の前の少女は学生で、五人家族、豊かでも貧しくもない平民だったのだそうだ。

 住んでいた場所は比較的都会で、読書や絵本が好きだったという。

 一方で、わたしは話を聞いたきり、あまり語らなかったから、それは少し不公平なことかもしれない。

 彼女としても、得体の知れない人間に張りつかれるのは嫌だろう。


「何から話せばいいだろうね……わたしの名前は、シアン・フィルドラという」

「はい」

「帝都に出てきたのは12歳のときで、18歳までを魔術学校で過ごした。今は宮廷魔術師をやっているよ」

「この世界、魔術があるんですもんねえ……」

「あなたの世界にはないのだものね」

「はい、一応……あ、小さい頃はどこにいたんですか?」

「南部。実家の辺りは、農業が盛んな美しいところだよ」

「わ、いいですね。ご実家、農家さんなんですか?」

「畑は持っているけど、ちょっと違うかな。……そういえば、馬には乗れる?」

「え? あー……いえ、ほとんど乗ったことないです」

「そうか。あの辺りは馬の名産地でね、わたしも少しは乗れるから、もし機会があれば教えるよ」

「わあ、ぜひ! ……わ、わたし、運動、苦手ですけど……」

「大丈夫。気性の優しい子もいるし、二人乗りをしたっていい。見る分にも、馬は美しいしね」

「お好きなんですね」


 微笑ましげに少女は微笑った。

 返答を考え、わたしは緩く首を傾けた。


「そうだね……身近なものだったからね。うちの家紋は馬だし、小さい頃からよく乗った」

「家紋ですか」

「そう。ええと……ほら、これ」


 魔術師は通常、黒いマントを羽織っている。

 術具を多く身に付ける者がほとんどであるため、そうでもしないと服装の統一が出来ないからだ。

 わたしの場合、黒い布は左肩の首元近くで留めている。留め具にしているブローチは家紋だけを彫り込んだ丸いもので、かつて兄から贈られたものでもある。


「ボタン? ……ブローチ、ですか? きれい」

「ありがとう。馬の横顔が彫られているの、分かるかな」

「え、と……あ、はい。でも……これ、角……?」

「ああ、そう。彫られているのは、一角種だから。とても珍しい特徴だれど、みな足が速い馬になる」

「ユニコーンみたい」

「そうとも呼ぶ。知っているの?」

「私の世界では、伝説の……実在しない生き物なんです。想像上の。他にも、ペガサスっていう羽の生えた馬とか」

「それはさすがにいないな。ペガサスと呼ばれるのは、小型の騎乗竜だ」

「あ、竜も伝説の生き物なんですよ」

「竜、いないの」

「いないです」

「そうか……それなのに、名前は知っているんだね」

「知っているというか……想像の生き物としては、いるんです。本当にはいないけど、伝説や、昔話には出てきます」

「不思議だね」


 わたしの言葉に、少女はきょとんと目を丸くした。


「誰か一人の想像、というのじゃないんだろう? あなたの口振りからして……いないけど、みんな知っている、という感じだろうか」

「知らないひとは、まあ、確かに少ないかと……」

「みんなが、同じ幻想を持っているのか。……確かに、あなたの世界に魔術は無いんだろうね。この世界でそんな風になれば、きっとそれは生まれてしまうよ」

「う、生まれる?」

「魔術は、いや、法術を含め魔法というものは、意志によって世界に働きかけるものだから」


 微かな風に、庭の木々が揺れた。

 肌寒さは無い。ちょうどいいかもしれないと思って、わたしは周囲に視線を巡らせた。

 庭の片隅に小さな椅子が置かれている。さすが、いくら小さくても王宮の庭、薄汚れた様子はない。


「座ろうか、立ち話も何だし。もちろん、あなたに興味があれば、だけど」

「はい。あの、すごく聞きたいです」

「それは良かった」


 これから話すことは、魔術についての知識の中では一番基本的なことで、そして魔術のほとんど全てでもある。

 そう言うと、少女は気を引き締めた表情を見せた。

 魔術を習い始めた子供たちが、一番最初に見せるのと同じ顔だ。


「まず、自分の手を見てごらん」

「手、ですか」

「そう。そして、あなたはお腹が空いていて、目の前には食べてもいいパンがあるとする」

「はい」

「あなたは何を思って、どうするかな」

「えっと……パンを食べたいなあと思って、食べます」

「どんな風に?」

「……パンを手にとって、口にいれて……?」

「そうだね。このとき、パンを食べたいというのは意志で、あなたの手が魔力、手を伸ばすのが術式で、パンを食べるのが結果だ。大雑把に言えば」

「……あーっ、と……」

「パンが遠くにあれば、あなたはパンを食べられないね。また、手を伸ばせなかったり、違うことをしてしまうのでも、パンは食べられない」

「はい……」

「意志によって、魔力を正しい術式で動かし、対象に働き掛ける。これが、魔術の基本」

「何か、分かったような、分からないような」

「簡単なことだよ。だからこそ、間違いやすいんだけど」

「間違いですか……」

「魔術を万能なものだと思う人間は多いよ。実際は、本当に望んでいることしかなせないのにね。……本当に望んでも、魔力や技術が足りずに叶わないこともあるけど」

「魔術で出来ないこともある、ってことですか」

「魔術は、いつも本当に望むことしか出来ないんだ」

「本当に望むこと……」

「それだけが、望めることだからね」



 分からない、と言いたげに、少女は小さく俯いてまるい後頭部を見せた。





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