ふたつめ 光と影/太陽と月――ファングとアストル
【一】
掘っ立て小屋のような家。
見渡す限り山ばかりで、とくに特産品の様なものはない。
川の水が綺麗なのはどこも同じで、畑には申し訳程度の作物。
そんなどこにでもある、裕福にはなり得ないがとりあえず食べるのに困らない村。
その一角にある普通の家に、彼は生まれた。
あまり感情を表に出すことが無く、またどうにも他の子供達と感性が合わない。
人より少し足が速くて、人より少し力が弱い。
彼は、そんなどこにでもいる子供だった。
人付き合いが苦手で、一人で居ることを好む。
そんな彼にも……“友達”のような人物が居た。
「またそんなところに一人で居たのか、アストル!」
よく響く声が、山々に木霊する。
赤茶色の髪に赤茶色の目をした、大柄な少年だった。
その声に、木の上で寝ていた少年が、むくりと身体を起こす。
こんな大声を出されていつまでも寝ていられるほど、彼は図太くはないのだ。
「うるさいよ、ファング」
緑色の髪に茶色の目。
背は低く骨張った細い身体。
貧弱と呼ばれても仕方がない、ひょろりとした少年だった。
彼の名前はアストルといった。
「起きたか!さぁ、行くぞ!」
「行くって、どこにさ?」
そういいながらも、アストルは軽やかな身のこなしで木から降りる。
流石に飛び降りたりはできないけれど、するすると降りて来る姿は獣のようだった。
「良い場所を見つけた!」
「今度はどんな場所?またアインウルフの群れとかに連れて行ったら、怒るよ」
「ふん、あれはつまらなかった!」
一々大きな声で笑いながら話すファングに、アストルは小さなため息を吐く。
その呆れたような顔に浮かぶのは、一縷の不安と隠しきれない好奇心だった。
なんだかんだと文句をつけながらも、アストルはファングの誘いを断ったことがない。
なぜならば、どんな人間と遊ぶよりも、豪快な彼とともに在る方が、ずっと楽しいからだ。
「今度は洞窟だ!ここで、何かが光った!」
「それこそ、アインウルフの目なんじゃないの?」
「ふふん……なんとそれは、黄金に輝いたんだ」
「黄金……って、金色?」
「そうとも!」
洞窟の中で金に輝く、何か。
それはまさしく、宝の証。
そう捉えても違和感のない、証言だった。
「だから行くぞ、アストル!」
「断っても、行くんでしょ?」
「もちろんだ!」
断るつもりなんか、無い。
それでも吐いてしまう悪態に、しかしファングは笑顔で頷く。
アストルはその笑顔に釣られて、緩む頬を隠しきれずに、声を出して笑う。
感情を表に出すのは苦手なはず……なのに、ファングには通用しない。
それがどうしてか嬉しくて、アストルはただ笑っていた。
永遠なんて、くだらない。
そう言い切れなかった、子供時代の一幕。
この日が彼……アストルにとっての、一つの転機だった。
【二】
ファングはこの頃から、一つの夢を掲げていた。
それは、“冒険者”となって世界の全てを、見て回ることだった。
妹からは呆れられて、両親からは反対されて、村の子供達からは笑われる。
こんな小さい村の出身者が、冒険者なんて仕事に就けるはずがない。
世界を見て回るなんて無謀で、それ以上に愚行である。
そうして夢を否定されても、ファングは諦めなかった。
諦めずに努力を続けてきた時、出会ったのだ。
自分の夢を反対せず、ただ一縷の好奇心と共に声をかけてくれた少年に。
『ふーん、いんじゃない?』
その一言が、ファングの胸を打った。
ただの一言、無関心に思える言葉。
だが確かにファングは聞き取っていたのだ。
そのぶっきらぼうに紡がれた言葉に宿る、小さな賞賛の感情に。
自分が、粗雑だということは理解している。
友人は多いが、本当の意味で彼についてきてくれる人間はいない。
だが、アストルは違った。
ぶっきらぼうでも、彼はファングの思いを汲んでくれていた。
「この先だ……行くぞ、アストル」
意図的に声を潜めると、アストルはこくりと頷いた。
二人が今立っているのは、ファングが散歩中に見つけた黄金が眠るという、洞窟の前だった。鬱蒼と茂った木々の間から覗くのは、ぽっかりと口を開ける青い洞窟だった。
青く光る苔で覆われていることから、別名“蒼壁の穴蔵”と呼ばれている。
ここは、吸血コウモリが生息しているため、物音は立てられないのだ。
「さぁ、ついてこいっ」
「あまり大きな声は出さないでくれ、ファング」
「努力するっ」
ため息を吐きながらも、アストルはしっかりとファングに続く。
大切で、対等な友達。
それが、ファングにとってのアストルという、少年だった。
いつか果たすと決めた夢。
それをできることなら“一緒に”叶えたいと願う、たった一人の人間だったのだ。
【三】
洞窟はしんと静まりかえっていて、物音といえば二人の少年の拙い足音くらいだった。
黄金を探すと勇んで来たはいいのだが、途切れることのない青の空間に、アストルは僅かな不安を覚え始めていた。
「ファング、本当に見たんだろうな?」
「疑っているのか?」
「そうじゃないけど……見間違いって可能性もあるし」
事実、アストルはファングのことを疑ってはいない。
ただ、割とノリで動くことがあるファングの感覚を、微妙に疑っていた。
「見た」
「はぁ、まぁそういうなら信じるよ」
短くもはっきりと告げたファングの言葉に、アストルは頷く。
彼がこう言うのなら、アストルは信じる以外に術を持たなかった。
そうして変わらぬ景色に文句を言うこともなく、ただ淡々と進んでいく。
すると、漸く少し開けた場所に出た。
「うん?ファング、あそこっ」
アストルはその奥に輝くものを見つけて、指し示す。
青い苔の灯る奥、暗闇に揺らめく黄金の揺らめき。
そのともすれば炎のような輝きに、アストルは目を輝かせた。
「おお、確かにアレだ!」
子供らしい興奮を隠そうともせずに、二人は走る。
声を潜めることも忘れて、苦労の末に辿り着いた黄金に、揃って手を伸ばした。
だが、近づくにつれその全容を視界に納め、ぴたりと足を止める。
『人間、生きた、人間、人、人間、人間、生きた、生き、きききき』
何十にも重なった声を持つ、霧状の“何か”の姿が、そこにあった。
黄金に輝く二つの指輪。それを中心に揺らめく黒の霧。
その不気味な姿に、二人は足を止める。
「幽族の、ライフイーター(生への渇望者)……だと」
冒険者を目指すファングは、様々な種族の勉強をしていた。
その中に出てくる、幽族の項。
その中でも、生者に対しては“最悪”の部類に入る、種族だった。
「逃げるぞ、アストル!」
ファングはすぐに踵を返す。
だが、アストルがその場から動いていないことに気がつき、足を止めた。
「アストル?!どうし……」
慌てて戻り、アストルの手を掴む。
そして硬直する身体を自分の方に振り向かせて、言葉を飲んだ。
ファングの知らない、敵の“攻撃”の一つ。
恐れの精神の隙間に入り込み、それを増長させる技。
年不相応の強靱な精神を持つファングはそれに対抗して見せたが、アストルはそうはいかなかったのだ。
「チッ……俺の後ろから出るなよ、アストル」
青い顔で震えるアストルを庇うように、ファングは一歩前に出る。
そして、普段から持ち歩いている、木剣を手に霧の悪魔に対峙した。
『恐怖、もっと、恐怖、恐怖、怖い、恐怖、もっ、もっともっともっとっっっ!!!』
「俺を怖がらせたいなら、もっと気張れ、低級悪霊がッ!」
強がることで、魔を弾く。
恐怖心を増幅させてそれを喰らい、対象者が発狂しするまで精神を喰い続ける種族。
物理攻撃が通用しないこの敵相手に、ファングはただ己の精神のみで立ちふさがっていた。
「正気に戻れアストル!……長くは、保たん」
余裕に見えても、ギリギリなのだろう。
ファングの額から、一筋の冷たい汗が流れ落ちるのだった。
【四】
長く沈黙していたようにも思えても、それはほんの一瞬の間だった。
その緊張状態をこれ以上持たせるのは不可能だろうと、ファングは小さく唇を噛んだ。
「アストル……俺の勇姿の一項目だ、その目に刻んでおけ!」
その言葉は、自分を奮い立たせるものだった。
木剣を大上段に構えて、生への渇望者へ斬りかかる。
実態があろうが無かろうが関係ない。ただ、強い意志を示すだけの行為。
あざけ笑う黒い霧相手に、しかしファングは笑っていた。
背中に友がいるのに、ここで退けはしない。
「はぁぁあっ!」
『足りない、足りない、足りない、足りないぃぃぃぃぃいいぃっっっ』
「その不快な声を噤め、穢らわしい地の底の住人よ!」
いくら木剣を振るっても、決して当たることはない。
しかしそれでも、渇望者はそれを煩わしく思い始めた。
『おまえは、邪魔だ』
「っ!?」
どこにそんな力があるのか、黒い霧を手の形に変えてファングの身体を掴み取る。
巨大な手で掴まれたファングは、その痛みに木剣を手放した。
「ぐあぁぁっっ!!」
手から離れた木剣が、洞窟に落ちる。
――カラン
そうして落ちた木剣が、アストルの足に当たった。
「ファン、グ」
親友の叫び声。
痛みを伴う声に、アストルは我に返る。
色の戻った視界に映るのは、叫び声を上げながらも諦めようとしない、ファングの姿だった。
「そんな、ファング、が」
その場に尻餅をついてアストルは呆然とファングを見上げた。
親友の危機に何も出来ず、ただ足手まといにしかならない。
その事実がどうしようもなく、いやだった。
「おれは、俺は……」
悔しさから唇を噛み、そして手を握る。
そうして思わず視線を落とすと、そこにはファングの木剣があった。
自分で木から削りだした、無骨でおおざっぱな剣だ。
――俺の勇姿の一項目だ、その目に刻んでおけ!
木剣を握り、震える足で立ち上がる。
恐怖感はある、けれどそれよりも、歩きたい道がある。
「俺“たちの”だろう、ファング!」
一歩踏み出す頃には、震えはぴたりと止まっていた。
速く、速く、速く、それだけを頭に置いて走る。
そこに、余計な思考や感情は混じらず、アストルはただ一直線に走った。
「はぁぁぁあっっ!!」
剣を振るって当たらないのなら、当たる場所に放てばいい。
そうしてアストルが狙ったのは黄金に輝く二つのリング。
それを繋ぐ、鎖だった。
――ガヅンッ
『ぎぃっ?!』
それを断ち切った、その瞬間。
悲鳴を上げて渇望者が消えていく。
魔力が豊富な場所以外で幽族が現存するには、なにか媒介が必要だ。
そんな知識はなくとも、アストルはただ直感で、生への渇望者の弱点を断ち切ったのだ。
――どさっ
「ファング!」
そしてアストルは、勝利の余韻を感じ取る暇もなく、倒れるファングに走り寄った。
「すごいじゃないか、アストル」
「君が……君が引きつけてくれたから勝てたんだ、ファング」
力なく、それでも笑みを浮かべたまま、ファングはアストルを賞賛する。
アストルは、泣き笑いのような表情で、そんなファングの一言を受け取った。
「俺、もっと強くなる。自分で納得できるくらい、強くなる」
「アス、トル?」
「だから」
悔しさに声を震わせながら、アストルは握り拳を作る。
「だから、その時は……俺をファングの右腕に、してくれるか?」
「――当たり前だ。俺の相棒はおまえしかいないぞ、親友」
ファングの言葉に、アストルは大きく頷いた。
その瞳に、決して揺らがない意志の炎を、讃えて。
――†――
強い風が吹く、荒野。
その一角に、若い男が立っていた。
緑の髪を風にたなびかせて佇む、男。
目を眇めて見るその先には、大地から上半身をせり出す巨大なミミズの姿があった。
「ワースムか、面倒な敵だ」
「だが、俺たちの敵ではない」
その男の後ろから駆けられて声に、男は愉しそうに笑う。
ニヒルで不敵な、笑みだった。
「牙の団、出陣だ。行くぞ!」
その声に、男――アストルは、強く頷く。
斧を持ったファングの背を追いかけるのは、嫌いではない。
けれどやはり、アストルは彼の隣に並び立つ。
「あぁ行こう、ファング!」
走り出した二人。
その胸には、金のリングが輝いていた――。