第99話:溺れる鬼
第九十九話
「水泳の時間で対岸の女子を眺めるのは男の特権だな」
海パン一丁の友人は称賛のため息をつきながら対岸を眺めている。
「そうだね、僕もそう思う………視力が悪くなくて本当によかった……そう思える瞬間の一つだよ」
同じく海パンの有楽斎がしきりにうなずいている。
「まぁ、なんだ。女子生徒の水着姿もいいが先生の水着姿もいいもんだな」
「そうだねぇ、滅多に見れないからね」
そんな二人にビート板が飛んできて一つが有楽斎に直撃する。
「危なっ」
友人はよけようとしたのだが飛来物が軌道を変え直撃。有楽斎は白羽取りをしようとしたが瞬間的に得物が加速して直撃したのだった。
「お前ら二人、ちゃんと話を聞いているのか」
筋肉が苦しそうにせめぎ合っている体育教師………その筋肉にぞっとしたような表情で有楽斎は頷く。
「聞いてますっ。自由で八百泳げばいいんですよね」
「おう、そうだ。出席番号で順次いけよっ。遅い奴は追い抜け、終わった奴は自由だ」
生徒よりも我先にとプールに飛び込んでいった。
「俺に続けぇっ」
二組いるので番号の早い順から入って行く。有楽斎の順番もすぐそこだったがあまりやる気が出ない。
「僕ってば泳ぐの苦手なんだよねぇ。出来ればずっと観賞していたいんだけど」
「単なる変態って思われるだろ。運動できる変態ってところを女子に見せてやれよ」
「変態に変わりはないからね」
有楽斎が困ったもんだとため息をつくと友人に肩を叩かれる。
「あれを見ろっ」
「何さ」
友人が指差しているところには女子が固まっていた。そしてこっちを見て何か言っているようである。
「よく聞こえないね」
「俺に任せておけ……えーっとだな、『あはっ、こっち見たっ』『まじでキモいよねぇ』『特にあの吉瀬有楽斎って人が生理的に受け付けないっ』『やっぱり友人君のほうがかっこいい』って彼女達は言ってるぞっ」
「…………こっちから願い下げだよ」
「お、あっちを見てみろよ」
再び友人に肩を叩かれたので視線を動かす。飛び込み台から水の中へと入って行ったのはどうやら榊理沙のようだ。
「うーん、すごいね」
「感嘆だな。俺もあれだけ泳げれば水泳部でエースになっていたんだろうけどなぁ……というか、先生は足つってギブアップかよ」
体操せずに飛び込んだのが悪かったのだろう……マッチョな先生はプールサイドで足を摩っていた。
「ああはなりたくないね」
「全くだな……お前も遅れて体操してないだろ」
「大丈夫、なんとかなるよ」
自分の番が来たことに気が付いて有楽斎が飛び込む。先生の事を笑ったからだろうか……いや、体操をしなかったのが原因だったのかもしれない。
「がほっ」
右足がつったのだ。さらに悪いことにもがこうとして左足までつってしまった。つったときに水を多量に飲み込んでしまったのだ。
薄れゆく視界の隅に人魚が見えた気がする……男の人魚がいたらおぞましいなと有楽斎は最後に思って意識が埋没するのだった。
有楽斎が溺れて数時間後、彼は保健室で目を覚ました。
「………あー……死ぬかと思った」
すぐさま自分の置かれている状況を察して深く息を吸い込んだ。まだ水が残っていたのか一度だけ咳が出る。
白いカーテンで覆われており、隣に誰かが居るのかもしれない。それが儚げな美少女だったらいいなぁと思いつつ上半身を起こす。
ちょうどチャイムもなったがそれが授業の終了を告げるものなのか、始まりの物なのかはわからなかった。
誰が着せてくれたのかは分からないが制服をちゃんときている。海パンを穿いているわけでもなく、いつものパンツを装着していた。
「お、目ぇ覚ましたかい」
「あ、はい」
「じゃあ今から放課後だろうから部活に行くなりなんなりするといい。俺はそこで寝とくからまたおぼれた時は言ってくれよ」
そういって保健室の先生は有楽斎が寝ている場所に寝転がるのだった。
猪口美優(34)、乱暴な口調で適当な性格……護ってあげたいと思っている男子生徒に大人気らしい。
先生が僕のパンツを付け変えてくれたんですかと尋ねるタイミングを逃したので仕方なく教室へと向かう。
放課後となっていたからか、生徒は残っていない。みんな部活に行ったのだろう。
「しょうがないから僕も部活に行くかな」
鞄を持ち上げると何やら紙が落ちた。
「……友人かな」
丸められていた紙を広げると『一つ貸しだから』と書かれている。何のことかは分からなかったが、とりあえず有楽斎はその紙を大切にしまうのであった。
それから数日、友人たちからはよくわからない冷やかしを受けたり、雪がどこかよそよそしかったりしたのだが本人には理解できなかった。