第98話:悪者
第九十八話
「んっ……くっ……あ………お、おにいちゃ……」
吉瀬家、有楽斎のベッドの上で真帆子がせつない声を挙げる。
「どうしたの」
有楽斎はうつぶせにしている真帆子の上に乗って色々と動いている。
「あっ……そ、そこ………」
「そこって……ああ、ここかぁ」
ぐっと力を入れると真帆子が先ほどとは段違いの声を張り上げた。
「んあああぁっ」
真帆子の声が耳ざわりだったのか有楽斎はため息をつく。
「あのさぁ、さっきから変な声出してるけどやめてくれないかなぁ。ご近所さんに迷惑でしょ」
真帆子の腰辺りを親指で押している有楽斎はもう一度ため息をついた。
「だって気持ちいいんだもん。えへっ」
「えへっ(はぁと)じゃないよ全く」
「はぁとなんてつけてないよ。お兄ちゃんが言うとちょっと気持ち悪い」
「………」
仕返しとばかりに有楽斎はさきほどの真帆子のツボを押してやるのだった。
「んんんんんぅっ…」
「くくく…よう感じに啼きよるわ」
「お、お兄ちゃんのけだものぉっ」
「………真帆子、楽しそうだね」
「うんっ」
有楽斎は一つため息をついて真帆子から降りる。
「買い物に行って来るよ」
「あ、真帆子も付いてくよっ」
「真帆子は台所を掃除しておいてよ」
有楽斎は真帆子にそういいつけて買い物の準備を始める。特に何かを持っていくわけでもないので財布とマイバックを掴んで家を出るのだった。
「いってらっしゃーい。車に気を付けてねっ」
「うん」
片手をあげて真帆子に応じる。
有楽斎は空を見上げてため息をついた。
「また雨が降ったらどうしようか………この前みたいにしてばれたら大変だもんなぁ」
天気予報では週末天気がぐずつくところはないでしょうといっていたのだがあくまで予報だ。外れることだってあるだろう。
有楽斎がスーパーにつくまで雨は降らず、曲がり角で運命的な出会いもなかった。
特売品の中でその日に消費できるものを見つけて籠の中に放り込む。雨が降りそうな空模様だからかいつもの休日より人が多いように見えた……雨に濡れたいと言う人なんてそうそういないだろう。
もっとも、河童か何かだったら雨に当たりたいだろうがあいにく有楽斎は河童ではない。
「あ、有楽斎くーんっ」
「え」
知り合いの声に似ていたのでそちらを振り返ると野々村雪、鬼塚霧生が立っていた。
「先生……こんなところで何しているんですか」
「俺はお前の担任でもあるが雪お嬢様の世話係でもあるからな。本当は他の世話係が買い物などに行くのだが今日は雪お嬢様が我儘を言ったので護衛で来ている」
近所のスーパーにも護衛とは非日常的な話である。
「でも……普段は雪さんに護衛なんてついてないですよね」
「最近は物騒だからしょうがないんだ。連日の野々村施設襲撃事件……犯人の意図がわからないから誰かを人質に取るかもしれないだろう」
「そう言ったことを僕に言っていいんですか」
雪は笑って言うのだった。
「いいと思うよ。知られて困ることじゃないし、事実だもん。知られたくないことならお父さん達が公表すらしなかったからね」
「そういうことだ」
「それに霧生さんは荷物持ちで連れてきただけだから」
「………そうなんだ」
護衛と言うものは建前なのかもしれないな……有楽斎はそういいながら霧生の方を見ると睨まれた。
「吉瀬、今度個人授業をしてやろう。野々村家の歴史についてみっちり教え込んでやるからな」
「え、いや……遠慮しておきます」
その後、数分間だったが三人で買い物をすることになった。用事があるらしいのでスーパーの駐車場で有楽斎は二人と別れることとなる。
「送って行ってあげるよ」
「あー、いや、いいよ。たまには歩かないと身体がなまるからさ」
「そうか。気をつけろよ」
きっと車に気をつけろと言いたかったのだろう……有楽斎は素直にうなずいておいた。
「じゃーねっ」
「うん」
黒塗りの車で去っていく雪と霧生に手を振った。
「なるほどのぅ」
そんな声が後ろから聞こえてくる。誰だか容易に想像できたのだが振り返らないでおいた。
「さーっ、早く帰って晩御飯の支度でもしようかなっ」
「おいおい少年。わしにそんな態度をとっていいのか」
「………はぁ」
これ以上無視をしたら何されるかわからない……というわけで有楽斎は後ろを振り返った。
「何ですか」
「行ってもらいたい場所が出来たんじゃよ。ほれ、ここじゃ」
地図を取り出される。なんとなくみた事のある地形だな……そう思ったら近所であった。
「って、野々村さんの家ですか」
「そうじゃ。これまでお主が襲っていた場所にあると思っていたのじゃが考えが甘かったようじゃのう。この世界を再スタートさせた人物はこの野々村家におるはずじゃ……むろん、スイッチもこの家のどこかにあるじゃろう」
「でもなぁ……知り合いがいるんですよ。その家を襲撃しろって……」
「誰もそうはいっておらんよ」
地図を畳んで懐へと入れる。
「大きな家じゃからな。中を見させてほしいとか遊びに行けばよかろう。誰も今すぐに行ってほしいとは言っておらん。こっちでも潜入するときの準備を整えておくから内部を探っておいてくれよ」
老人はそれだけ言うとひょこひょこと去って行った。
「………はぁ」
再び有楽斎はため息をついた。その時、彼の頭に雨粒が落ちてきたのだった。
「…………はぁ」
その日の夕方、ずぶ濡れになって有楽斎が帰ってくる事となった。
現段階では百十話ぐらいまで話が進んでいます。いまだに問題を抱えていますが、この小説も百話を迎えます。ではまた次回。




