第94話:吉瀬家の客
第九十四話
吉瀬真帆子が自分の家に向かうのは当然のことなのだが、今日は隣に人がいる。
「真帆ちゃんちって野々村大屋敷の隣なんだねー」
「うん、そうなんだよっ」
野々村家の隣を五分程度かけて歩く。自分の家がちっぽけに見えて仕方がなかった。
「小さく見えるね」
「失礼だなー……でも真帆子もそう思うよ」
兄である有楽斎が先に帰ってきているかと思ったのだが、残念ながら玄関が開いていない。
「お兄ちゃん帰ってきてないなぁ……」
鍵を取り出して玄関を開ける。
「さ、美奈代ちゃんどうぞ」
「うん、お邪魔します」
玄関に入ると右が台所に続く廊下になっており、左の方には縁側があった。客間を抜け、『真帆子の部屋』と書かれている扉を開ける。
「じゃ美奈代っちゃん勉強しよっか」
「うん………ん」
吉瀬家に招かれた子子子子美奈代は真帆子の机の上に置いてある写真に注目した。
「その人……」
「あ、これが真帆子のお兄ちゃん。色白で弱っちいんだ。優しいだけが取り柄の人なんだけどね」
吉瀬有楽斎に一度助けてもらったことがある彼女としては首をかしげるような表現もあったのだが、話の腰を折らないようにしておいた。
「頼りになるお兄ちゃんなんだよっ……ああ、でも……お兄ちゃんって女の子大好きだし、美奈代ちゃん可愛いから…お兄ちゃん家にいなくて正解だったかも」
「え、それってどういう事……」
しばらく頭の中でまとめていた真帆子だが、そんなことは起きないだろうが美奈代が有楽斎を好きにならないように出鱈目を教えておくことにしたのだった。
「お兄ちゃんってばかわいい女の子を見ると暗がりに連れ込んで………」
「連れ込んで……どうするの」
「いろいろとしちゃうんだよっ」
「いろいろって……」
「いろいろはいろいろだよー。お兄ちゃんってば二年生になってもう三人の人に告白してふられてるからねっ。お兄ちゃんみたいな優男は相手にされないって言うのに」
困ったものだと真帆子はため息をつく。
「相手が女だったら見境ないからねぇ……どんな時でもした心満載なんだよっ」
「え、そ、そうなの……」
「現にお兄ちゃんの部屋にはエッチな本がいっぱいあるからね」
「え…」
「えへへへへっ、こっちだよっ」
どうにも真帆子は悪戯を思いついたようで勉強をほっぽり出して立ちあがった。必然的に美奈代も真帆子に続くしかない。
真帆子の部屋の正面にある『兄の部屋』の扉を開ける。比較的整頓された部屋で、机の上には家族写真が載っているだけだった。
「たしか……此処だったかな」
押し入れを開けてそれまでエッチな本が置かれていたと思われる場所に手を伸ばしたのだが何もなかった。
「あれれれ、おかしいな」
「なーにがおかしいのかなぁ」
「お兄ちゃんのエッチな本が此処に……痛っ」
真帆子の後頭部にチョップが炸裂する。
「いたたた……あ、お帰りお兄ちゃん」
「あ、お帰りお兄ちゃんじゃないよ全く……人の部屋に勝手に入ってガサ入れしてるんじゃないよ」
学生服姿の有楽斎は鞄を机の上に置いてため息をついた。そこで自分の部屋に入っている二人目の少女に視線を写した。
「あれ、君は……」
「あ、え…あ……あ、あの時はありがとうございましたっ」
いきなり頭を下げられて有楽斎は首をかしげる。真帆子も首をかしげていた。
「えーと、もしかしてお兄ちゃんって美奈代ちゃんと知り合いだったり……する…みたいだね」
「いや、知り合いって言うか……四月の終わりくらいナンパされているのを邪魔しちゃった気がするよ。あの時は悪いことしたかなぁって」
「そんなことは全然ないですっ。困っていたところを助けてもらって嬉しかったですっ」
その目に映る憧れの表情を真帆子は見逃さなかった。
「美奈代っちゃん、お兄ちゃんはそんなに称賛されるような人じゃないよっ」
「こらこら、真帆子は何を言っているんだ。まぁ、真帆子の友達だったのならちょうどよかった。後でお茶を持っていくから真帆子の部屋で待っていなよ」
「はいっ」
元気よく返事した美奈代を見て有楽斎はしきりにうなずいていた。真帆子にもいい友達が出来たと思っているのだ。
対して、真帆子はそう思っていなかった。
「真帆子んのお兄ちゃんって弱っちくてかっこわるーい」
そういった意見が以前いた場所ではよく聞かれているし正直、女子に見向きもされないような男だったのだ。こんな憧れの表情を向けられるなんて想像していなかった。
「真帆ちゃんのお兄ちゃんってかっこいいね」
真帆子は少しだけ美奈代をこの家に招待したことを後悔していた。