第79話:吉瀬家の朝
第七十九話
吉瀬家の朝は早い。今日から学校が始まると言うのも一応関係している。
目覚まし時計をすぐさま止めて吉瀬有楽斎は目をこする。そして、頭を一度だけ掻いて隣で丸くなっている少女の頭にチョップをくらわせた。
「痛っ」
頭を押さえ、少女が目をこすり始める。
「こら真帆子。もう高校生になるんだから自分の部屋で寝なさい」
「えー、減るもんじゃないよぉ」
「寝ることのできる面積が減るでしょう」
有楽斎が目を覚ました場所は床である。ベッドは真帆子が完全に占領していた。
「うん、それなら大丈夫っ」
吉瀬有楽斎の妹である吉瀬真帆子は両手を広げ、唇を突き出す。
「……お兄ちゃんが真帆子の上に乗ればいいんだよっ……んーっ」
「………はぁ」
「それにね、お兄ちゃん……ほら、こんなエッチな本を隠したつもりになっちゃってさ」
そういってベットの下にあるあれな本を取り出した。ピンクの文字で『月刊揉みしだき』と書かれている。
「そんなに揉みたいなら真帆子の……揉ませていいよ」
「ごめんね、真帆子。残念ながらお兄ちゃんは板をこすりたいわけじゃないんだ……ともかく、朝ごはんを食べよう。母さんに連絡して、書類を提出しないといけないからね」
「あれだね、婚姻届だよね」
そういってどこからともなく婚姻届を出してきた。すでに吉瀬真帆子と記入されていたりする。
「うん、そうだね。学校に行って転入することに関しての書類を提出するんだね。まぁ、真帆子の分はないから教室に行っていていいよ」
決して動揺する事のなく淡々と兄としての仕事をこなす有楽斎。素早く妹の手から十八歳未満のお子様御断りの本と婚姻届を没収する。
今後はどこに隠せばいいのか考えるのは後でするとして、いまだ引っ越して開けていない段ボールの中に放り込んでおいた。
「じゃ、朝食を作ってくるから」
「あ、お兄ちゃん待ってっ」
「今度はどうしたのさ」
「えへへー、お兄ちゃん、このシャツぶかぶかだよっ」
有楽斎のシャツを着て真帆子は自分の兄にそういうのだった。ボタンもわざとかけ間違えている。
「それはそうだよ。だって僕のだもん……さ、朝食を作るから待っててね」
「えーっ、ぶかぶかのシャツを着ている真帆子を見て何か思わないのっ」
不満が爆発したようでぶーたれた表情で有楽斎を見る。みられた兄貴は首をかしげていた。
「………おや、真帆子……昔着ていたらもっとぶかぶかになっていただろうね………これでいいかな」
「ぶーっ。やり直し」
「………」
しばらく考えていた有楽斎は唐突に手を叩いた。
「お次にご紹介するのはこのプロテイン・プライムっ。なんとなんと、このプロテイン・プライムを食後に一度飲むだけで……お兄ちゃんサイズのシャツを着た妹さんがたったの一週間で某拳王のような胸板に早変わりっ。力を入れただけでお兄ちゃんのシャツが吹き飛びますっ」
「落第っ」
どうやら答えを完全に穿き違えてしまったらしい…ご立腹である。
「じゃ、顔を洗ってくるんだよ」
「うん…あ、お兄ちゃん……」
はにかみながら真帆子は有楽斎に近づく。
「おはようのちゅう」
唇を近づけてくる真帆子に有楽斎はにこやかにほほ笑んだ。
「はい、おはようからおやすみまでの……」
そういって真帆子の額に右手を振り落とした。
「ライオンのチョップっ」
「痛っ…うー、お兄ちゃん嫌いっ」
べーっと舌を出して廊下を走って行く真帆子を見ながら有楽斎は頷く。
「真帆子、ライオンのチョップは痛いで済むけど………」
不敵に笑いながら有楽斎は扉を閉める。
「鬼のチョップは泣く子も沈むチョップだぞ」
鬼のチョップがどの程度の痛さか判断できたところで有楽斎は朝食を作る為に台所へと向かうのであった。
引っ越してきたのは数日前で、真帆子の入学式も昨日終わった。転入と言えど、クラスで転校生として扱われることはないだろう。
今日は吉瀬有楽斎が二年生になった日である。お隣の野々村さんの家に引っ越しそばを持っていくよう、母親の吉瀬雅から言われている。家が大きすぎてびっくりしたものだ。
「お兄ちゃん、顔洗ったよー」
「うーん、じゃあ新聞取ってきてー」
「まだ契約してないよー」
「あ、そうだったね。じゃあもうちょっとで朝食できるから待っててねー」
いたってどこにでもありそうな家庭の朝の風景。しかし、この二人はお互いに知らない裏の一面を持ち合わせていたりするのである。
「あー、野々村家の情報基地が何者かに襲撃されたんだって」
「へー」
テレビに映し出される映像はただ単なる会見であって実際の場所などの映像は流れない。暴漢の仕業だとか何とか言って次のニュースへと移り変わる。
「怖い世の中だね。真帆子、暗い夜道を一人で歩いたりしないようにね」
「うん、お兄ちゃんも気を付けてよ」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんはこう見えても強いからね」
そういって鉄人のポーズをとってみるが悲しい事に力こぶは出来ていなかった。
「えー嘘だー」
色白でひょろっとした優男の兄を見ながら真帆子は笑うのであった。
真帆子は気が付かなかったが、有楽斎の影では人のそれとは思えないぶっとい腕が蠢いていたのだった。