第77話:蛇足『雪』
第七十七話
野々村家の北側、一か所だけ日のあたらない場所がある。そこには粗末な石が置かれており、その前には白い着物を着た女性が手を合わせていた。
「………」
「祈ってどうなるものでもないだろう」
その隣にいるのは黒いスーツを着た体躯のいい男。女性の知り合いのようで手には数珠が握られている。
「本当さ…浮かれてて……ごめんね」
男はその言葉が石の下に眠っている少年へと向けられたものなのか、はたまた自分に向けられたものなのかわからなかった。
「絶対に襲われるって思ったけど……」
「そりゃ、どう見ても俺よりお前の方が坊ちゃんを失ったダメージは大きいだろ」
男も手を合わせる。
「………そう、だけど……」
「……ちょっと調べてみたんだが坊ちゃんが文化祭の前日に誰かに告白されたらしい」
「え」
いまだに目をつぶっている男を見るが、相手はゆっくりとしている。
「……それが誰なのか、まではわからなかったが坊ちゃんはそれを断ったそうだ。『ごめん、僕……他に好きな人が出来たから』…その言葉が聞こえたって上級生の人が教えてくれたよ」
「そっか…」
「ま、他に好きな人が出来た……っていうのは俺にとってはどうでもいい……原因は坊ちゃんが熔けちまった理由だな。きっと、人の温かさに触れたんだろうな」
そう言われても意味がわからなかった。
「何それ」
「さぁな。とりあえず坊ちゃんに告白した奴は坊ちゃんを精神的に追い詰めるようなことをしたんだろうよ………坊ちゃんは初心だからなぁ……口づけされたぐらいで熔けちまったのかもな」
男はそう言って目を開ける。当然、そこには粗末な石が置かれているだけだ。優しそうな瞳をした少年がいるわけではない。
「ああ、先に言っておくが告白した奴を見つけて仕返ししようなんて考えるなよ」
「なんでよ」
「第一に坊ちゃんが哀しむ。第二にお前に敵を討たれたと言う俺のプライドが許さないからだな」
「………」
白い着物の女は首を振って苔むした庭を歩きはじめる。
「おう、今度はどこに行くんだよ」
「………どこでもいいでしょ。私の部屋よ」
「そうかい、それで何しに行くんだよ」
「いちいちうるさいなぁ……思い出に浸りに行くのっ。邪魔しないでよ」
首をすくめて男はため息をついた。
「坊ちゃん………残念です」
粗末な石に一礼し、男は姿を消したのであった。
――――――――
以前は盗聴器のスピーカーやらモニターといった機器が所狭しと並んでいた一つの部屋。
今ではそれらの機械はどこにもなく、元から置かれていたそれなりに高そうな机が一つ置かれているだけだ。
しっかりと掃除が行き届いており、塵一つ見つけることは出来ない。たとえそれが掃除のプロだったとしても花丸を付けて帰ってしまうだろう。
「………はぁ」
白い着物の女は机の引き出しを開けて一つのスイッチを取り出した。
「信じられないんだけど………うーん……」
機材は全て作成者の元へと返してきたのだが……このスイッチをもらったのだ。前にも説明を受けていたのだが押したら世界が少しだけ変わるらしい……らしいというのは実際に押してから確認したわけではない為である。
「ちょっとだけ変わる……か、本当かな……」
気休めで押すわけではない。
自分の為に押すわけではない。
「………もし、もしも……世界が変わるなら私は何も望みませんっ。熔けたっていいから……世界を変えてくださいっ」
白い着物を着た雪女は赤く塗られた丸いスイッチを右手でしっかりと押さえつけたのだった。
世界が変わったかどうかは定かではない。