第7話:梅雨と部長
第七話
どうも神様は僕をいじめ抜きたいらしい。もし、神様がいるのならば、だ。有楽斎は土砂降りの灰色空を見上げる。
六月頭のとある日、置いていた傘は昨日まであったはずなのだが今日に限ってなくなっていた。そりゃそうだ、雨が降っているのだから誰かが持って行ってしまったのだろう。
「どうしよう」
有楽斎は何故だか朝、雪と交わした会話を思いだした。
―――――――
「あ、今日はいきなり雨が降ったりすると思うよ」
「え、そうかな。天気予報じゃ雨はふらないでしょうって言ってたよ」
「いや、降ると思うね。私って………ええと、天気結構当てれる自信があるんだ」
「ふーん、まぁ、学校に傘を置いているから大丈夫だよ」
「そっか、それならいいね。うん、いってらっしゃい」
――――――――
持っていくべきだったぜ、ブラザー。そして、時すでに遅しだぜ、シスター………。
バカをやっている有楽斎の隣を一人の少女が歩いて行く。
「あれれれ、やっぱりうらちゃんだ」
「…………」
なんて不幸なのだ。この一言に尽きた。
「どうしたの、なんで帰らないの。部活も終わったよねぇ」
「…………うん、ちょっと傘がないんだ。置いていた傘を誰かに盗られて…さ」
比較的大きめの、『私たち超ラブラブなんですよ~』と書かれた傘をわざわざ開いてまで見せつけてくる。
「うらちゃん、一緒に帰ってあげようか」
「いや、いいよ」
そんな傘で相合傘なんてやったらバックアタッカーが明日の朝から僕を襲いに来るだろうから………とは言わなかった。
「榊さんがラブラブやりたい人とやればいいよ」
「えっとね、それはね、一人だけいるんだけどね」
「そっか、うん、頑張って。僕、トイレに行くから」
トイレのほうへと逃げて、ちらりと見るが相手はどうやら諦めたようである。おとなしく帰ってくれている途中なので頃合いを見計らう。
しかし、先ほどの大きな傘は使っておらず、どこからともなく盗られたと思っていた有楽斎の傘を取り出し、土砂降りの中を走って行ってしまった。
「………確信犯だな」
再び、戻ってため息をつく有楽斎の肩が叩かれる。
「どうしたの、金づる。なんで帰らないのよ」
「え、ああ、榊さんか」
「あ、もしかして傘を持ってきてなかったりするわけ」
「いや、泥棒に盗られたんだ」
この泥棒猫、そんな言葉が頭に浮かぶ。
「へぇ、そんな奴がこの高校にいるのね」
あんたの妹さんだよ。なんて言ったらさらに面倒なことになりそうだったので辞めておいた。
「はい、傘どうぞ」
「え、い、いいの………」
差し出されたのは何の変哲もないこうもり傘。有楽斎は生まれて初めて理沙の事をいいやつだと思うのだった。
「十万円になりま~す」
「は………」
「タダであげるわけないじゃない。ほら、雨に濡れたくないのならさっさと金を渡しなさいよ。カード決済でもいいわよ」
「………遠慮しておくよ」
こうもり傘を丁寧にお返ししておく。傷がついた、買い取れと言われないために仕方のないことだ。へし折って返したいのだが、そうしたらいくらむしり取られるのだろうかとなかなか想像は尽きない。
「じゃ、濡れて帰るといいわ」
真っ赤な傘をくるくる回して手を振られた。
「………くそう、部室でやむまで待つしかないか」
比較的濡れないようなルートを通り、部室前までやってくる。電気がついているところをみるとまだ部長が残っているようであった。
「………しっかし、サッカー部はこの雨の中でも部活をやっているんだな」
人がたっているのがわかるのだが、豪雨のせいでぼやけてしか見えていなかった。部員たちは身体を左右に揺らしているように見えるのだがきっと、サッカー部員たちもボールをこの雨のせいでしっかりと捉える事が出来ないのだろう……有楽斎はそう思って部屋に入った。
ちなみに、彼は知らないのだがこの高校には七不思議がある。六月、雨が降っている日には誰もいないはずのグラウンドに人影が………。
「………って御手洗部長」
「何、どうかしたの」
「すいませんでした」
部室で御手洗花月は濡れていたためか、着替え中であった。肩にかかっている黄色い紐が何なのか、有楽斎でも理解できる。
「別にいいわよ」
「え、と………」
そうだな、部長に限って『きゃー変態っ、バカ』というわけがなかったなぁ。有楽斎は冷静になって椅子に座る。
「部長、タオルありますけど」
「ああ、ありがとう」
シャツを脱ぎ、下着のままで身体を拭いている花月のほうへ視線が行かないように有楽斎は頑張っていたりする。有楽斎だって男だ、嫌でも引き寄せられそうになるがなんとかしのいだ。
そして、ああ、やっぱり見ておけばよかったかなぁと後悔もするのである。
「そういえば部室に一本だけ傘があったわね」
「えーと、これですか」
おんぼろ傘を掃除用具入れから取り出す。他に入っているのはカメラを固定する三脚に孫の手、マジックハンド、木刀などである。何に使うのだろうかと有楽斎は毎回気になるのだが花月に聞けるわけでもない。
「そうそう、これで一人だけが帰ることが出来るわ」
「……部長どうぞ」
おんぼろと言えど傘は傘、性格がちょっとあれだが花月も女の子………『女性は大切にするように』と母親から叩き込まれているので当然のように傘を差し出した。
「あら、私は別にいいのよ」
「僕、ちょっと用事がありますから。その用事が終わったころには雨、止んでいるかもしれませんし」
「そう、ありがとう、野々村君」
にこりとほほ笑まれるとなんだかグッとくるものがある有楽斎。ああ、嘘ついてまで傘を渡してよかったなぁと思うのだった。
「じゃあね、野々村君」
「あ、はい、また明日」
「ええ、また明日。下手な嘘でも嬉しいわよ」
「………」
今日の部長はおとなしかったなぁ、ああ、あの人もおとなしかったらきれいだから………写真だけ撮っている連中は幸せだろうな。あんなきれいな人を永遠に写真の中に閉じ込めておくことが出来るんだから。
まぁ、有楽斎の場合は動き、わめき、ごねる花月の相手をしなくてはいけない。
「あ~携帯電話があればなぁ」
自宅に電話すれば雪が出てくれて無理を言って傘を持ってきてもらえるのに………しかし、携帯電話はどこかで落としてしまったためにない。事務室近くにある公衆電話は硬貨を入れる場所にガムが突っ込まれている為に使用中止だったりする。
「僕が超能力でも使えたらなぁ」
雨脚が強くなったように思われる外を窓越しに睨んだ後ため息をつく。
「傘を持ってきてくれるように雪に頼むんだけどな」
―――――――――
「あはは、ん、あれ」
野々村家、テレビのある部屋で霜村雪は爆笑していたのだが、笑うのをやめた。ちなみに、雪が見ていたものは『高速道路を全裸で駆け抜ける男』だったりする。
彼女は有楽斎の事を調べ上げなくてはいけない。よって、調査をするうえで必要なことだと思ってやっているのである。
「なんだか有楽斎君が困っているような気がするなぁ」
外を見ると、当然の土砂降り。しかし、傘は置いてあるから大丈夫と言っていたはずだ。うん、それなら大丈夫だろう。
「うーん、一応持って行ってあげたほうがいいのかな」
ちょうどいい、学校までの道のりは既に有楽斎をつけて知っているので今度は彼のクラスについて調べ、学校ではどんなことをしているのかクラスメートから聞いてみようと思ったのである。
こうして、有楽斎はエスパーではなかったのだが救助隊員が彼のもとへと向かうことになったのだった。
―――――――
「あー、やっぱり無理言って部長と一緒に帰ればよかったかなぁ」
遠慮なく有楽斎にぶつかってくる雨はやんだりしなかった。既にパンツまで濡れまくっている彼はため息をつく気力さえ残っていない。校門を出てまだ五分と経っていない状況だから大変である。これが冬だったならば風邪をひいてしまうところだったが雨が冷たいというわけでもない。
「後悔するようじゃいけないわよ、野々村君」
「え、御手洗部長」
突如として背後から声をかけられる。それが誰だったのか一発でわかった有楽斎は自分と同じくらいずぶ濡れの花月を見て首をかしげるのだった。
「あの、なんで濡れているんですか」
「偶然通りかかった車に水をかけられたのよ、タオル貸してくれるかしら」
「はい」
ずぶ濡れのタオルを絞って顔を拭いたのだがあまり効果はなかった。そのタオルを有楽斎に渡す。
「さすがにずぶ濡れの後輩を残して帰れないわ」
「ありがとうございます」
おとなしくずぶ濡れの状態で傘の中に入るが、あまり意味がない気がした。どの道、傘が小さいから体半分出てしまうために濡れるのだ。
「傘持ちなさいな」
「あ、はい」
「私の右がぬれてるわ」
「すいません」
結局、傘に入れるのは1人分ぐらいなので有楽斎は濡れ続けた。そんな時、視界に見知った女の子が入ってくる。
「あ、有楽斎君」
「あ、雪」
傘を手に持ち、手を振る少女を有楽斎は見る。当然、花月も雪の事を見ていた。
「あれ、誰」
「えっと、霜村雪………さんといって、僕の両親の知り合いのようなんです」
雪も駆け寄ってきて花月の事を見る。そして何を納得したのか手をたたいた。
「ごめん、彼女さんと帰ってたんだね」
「え、違うよ」
もし、この人が彼女だったら僕の身が持たないよ、とは口が裂けても言えなかった。
「この人は御手洗花月って言って僕の所属している部活の部長さんなんだ」
「へ~、ちなみに何部なの」
「新聞部」
「じゃあ新聞を作ったりしているんだね」
「………どうだろう」
雪は首をかしげるが、それが正しいのかもしれない。有楽斎は構内新聞なんて作ったことないのだが、たまに校内新聞が貼られていたりするので花月が作っているかもしれないからだ。
「野々村君、私は帰るわ」
「あ、すみません」
雪とのやり取りを見ていた花月はくるりと踵を返す。
「じゃあね」
「あ、はい。お疲れ様です」
土砂降りに消えていく花月を見送った有楽斎に雪は傘を渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
既に濡れていたのだがどうでもいいことだ。女の子が自分のために傘を持ってきてくれるなんてそれだけで嬉しいことなのである。気がかりなのは花月のことなのだがいたって普通に帰ってくれてほっとしたりもする。
「まぁ、たまには土砂降りの日があってもいいかな」
「え、何か言った」
「ううん、何も言ってないよ」
余談だが、有楽斎は家の近くで車に水をかけられたのだった。これほど惨めなことはない、と彼は後に語っている。