第29話:黄昏の変貌
第二十九話
デパートからの帰り道、屋上の遊園地よりも大きな遊園地を眺めながら有楽斎は言うのだった。
「今度はあの大きな遊園地に行こうか」
「え」
まだまだ日は高く昇っていて夕焼けと言うには早かった。冬場ならこの時間帯であたりは闇に包まれているのだが夏ではそうもいかない。
里香の顔は少し赤く染まっていた。
「…………あ、ありがとう」
「ううん、いいよ」
「嬉しいけど……ちょっと無理かな」
「え」
今度は有楽斎が聞きなおす番である。
「どうしてさ」
「……私にね、眼鏡なんて似合わないんだよ。有楽斎君の中では眼鏡をはずしている私が定着しちゃっているだろうし」
「そんなの明日からずっと眼鏡をつけておけばいいじゃないか」
実にその通りなのだが有楽斎の考えを否定するために里香は首を振った。
「私は人が怖いの。現実なんてぼやけて見える世界で十分……ううん、たまにはしっかりと見たいときだってあるけど望むものを手に入れたときは望まないものも手に入るからさ。世の中は自分の思うとおりに動くことなんてないんだもん」
「………そうかな」
「そうだよ」
「ごめんね、有楽斎君に誘われたって言うのはすごくうれしい事なんだけど……一パーセントでも可能性があるから信じるって言う人もいるかもしれない。だけどね、私はそんなリスクを負いたくない」
「………」
黙り込んだ有楽斎に里香は続ける。
「だからさ、私がまた眼鏡をかけて勇気を出したらその時はまた一緒に遊んでくれないかな」
「わかったよ。榊さんがそこまで言うなら誘わないよ」
「いや、別に誘ってくれた方が嬉しいけど………有楽斎君に…」
そこで口ごもって顔を伏せる。有楽斎は悪い予感がしてならなかった。
「………いや、うらちゃんにそんな勇気があるならねっ」
悪戯心をのぞかせたレンズの外れた瞳に映るもの……それは口を開けて戦慄する有楽斎であった。
――――――
冷房が作動していないにもかかわらず、外から入ってきたものは涼しさを感じるだろうくつろぎの野々村家応接間。
「こっちに来て思ったけど自分が雪女でよかったわぁって思う」
「暑さには弱いんだろう」
霧生はノートパソコンに何かを打ち込みながら雪女のつぶやきに返事をする。
「……そうねぇ、人間よりも弱いと思う。寒さには強いけどね」
「冬将軍だな」
「雪女よ………大体他人の体温って言うか暑さに強いとか寒さに強いとか興味ないけど鬼ってどうなの」
鬼について知っている事と言えば『暴力的で個体差がある』ということぐらいだった。この気に出来るだけ情報を調べようと考えたのである。
しばらくの間返答はなかった。しびれを切らした雪が口を開こうとしたタイミングで霧生は口を開くのだった。
「………どうだろうな。鬼が寒いとか暑いとか何かを考えているとは思えない」
「あんた鬼でしょ」
「正確には違うが………他の鬼がどうかは知らないが俺は暑さにも寒さにも強い。もちろん、快適に過ごせるならそれに越したことはないだろう。些細なことで怒り、あたりにわめき散らすようなおつむの足りてない鬼ならそれこそ春のそよ風ぐらいで暴れまわるだろうな」
「……よくわからない」
「俺もわからないな。雪女みたいに里があってそこで生活しているのなら自分たちの事なんかを知ることが出来るなら説明もできるだろうが………あいにく鬼の知り合いなんてほとんどいないものでね。いたとしても自覚症状がないから調べようがない」
「じゃあさ、その鬼の知り合いとやらに会わせてよ」
「あ~……」
霧生が言葉を濁したところで玄関の方から音がした。あわてたような足音が迫ってきて応接間の障子が音を立てることなくスライドする。
「………はぁ、はぁ、た、ただいま」
「お、お帰り」
「お帰りなさい、坊ちゃん。お邪魔してますよ」
「霧生さんちょうど来てたんだ………と、ともかく助かったぁ……」
「何か………あったの」
まるで鬼にでもあったかのような表情の有楽斎だったが力なく首を振った。
「ううん、何でもないよ。夏の暑さの時にうろつくのはよくないって学習した、ただそれだけ」
霧生は有楽斎を見て満足そうにうなずくとノートパソコンを持って静かに立ち上がった。
「さて、本当は坊ちゃんに何か夕飯を御馳走して帰りたいのですがあいにく用事が入りましたので失礼します」
「あ、そうなんだ」
雪が『絶対にうそでしょ』という視線を送ったが霧生はどこ吹く風で背中を見せた。
「そこまで送ろうか」
「いや、大丈夫ですよ。外はまだ暑いですからこの冷房の効いた部屋でゆっくりとしておいてください。それでは失礼します」
音もなく閉められた障子。応接間には雪と有楽斎が残された。
「………本当に何もなかったんだよね」
「うん、まぁね。でもまぁ……大変な一日だったよ。雪のほうはどうだったの」
聞き返されるとは思いもしなかったので少しの間考える。
「うーん、疲労感が溜まったかな」
「そっか」
「うん、そう」
たまの休日だがちゃんと休めないんなら休日じゃないかもしれないなぁと有楽斎は呟いた。