第142話:上機嫌
第百四十二話
ウェイトレスを呼んでコーヒーとケーキを注文すると再び有楽斎の方へ視線を戻す。
「…スイッチの話よ」
「ああ、あの話ね。僕はてっきり…」
「てっきり…何よ」
「理沙が僕に女の子でも紹介してくれると思ったよ」
「………物騒な枝持って追いかけてくる後輩なら紹介してあげるわ。あの子、気が立っているようだから今度会ったら命の保証は出来ないわね」
「いや、遠慮しておくよ」
カップを受け皿に戻して有楽斎はため息をついた。
「スイッチの話だけどスイッチなんて押してみないとわからないと僕は思うよ」
「だからといって押すわけにはいかないでしょ。押して世界が代わったら……その、すっごく不便って言うかこうしてあんたと非常識な話もできなくなるでしょ」
「まぁ、そうだけどさ」
老人の話を信じるのならスイッチを押すと世界が変わるのだ。どのように変わるかは知らないし、ノリで押しましたとか通用しそうにない。
「あんた、これ以上スイッチの事に関わるのはやめた方がいいわよ…いや、やめなさい」
突如理沙がそう言うので有楽斎はきょとんとした。
「え、いきなりどうしたのさ。今だってスイッチの話していたのに」
「……この前あったおじいさんには私の方からちゃんと説明しておくわよ」
「それはいいけどさ。でも、なんでそんなことを急に言うのさ」
少し間が空く。理沙は一つため息をついて有楽斎の口元あたりを見ながら話を始めた。
「……一つ、聞きたい事があるわ」
「何」
「野々村家の連中はあんたを未だに探している」
「それは前にも聞いたよ。それに聞きたい事じゃないでしょ」
「私は吉瀬のその背中から生える腕を消せる方法が一つだけあるわ」
有楽斎は首をかしげ、前かがみの体勢になる。最近痛くなる事が多かったのでなければいいのかなぁとちょうど考え始めていた。
「……これまでは腕が邪魔だなんて思った事、一度もないよ」
嘘をつかないように、そして勘づかれないようにそう言う。
「そうね、もう私にとってはどうでもいいことだけど…何が起こるか分からない」
異変が起こっていることを理沙に話したほうがいいのかどうか、有楽斎にはわからなかった。
「だから、今日以降、私に約束して欲しいの」
「…何を」
「腕を出さないって約束。絶対にしなさいよね」
命令口調かよっと心の中で突っ込みを入れて有楽斎はためいきをついた。
「……わかったよ。腕は絶対に生やさない。これでいいかな」
腕を出さなければ痛みも出ないのだからこの条件は飲んだほうがいいだろう。もし、腕をはやしている所なんかを理沙に目撃されたら今後は腕の痛みのほかに身体的な痛みも伴う事となるに違いない。
「もうひとつ、こっちが重要なんだから」
「まだあるんだ…」
唐突に理沙は顔を伏せた。両腕は何かを我慢しているようで拳に力を入れている。
「あんた、私に会えてよかったって思ってるわよね」
「……」
全く意図を読み取れなかった有楽斎は黙って理沙を見ていた。
「もし、吉瀬が…私に会えて嬉しくなかったとか言ったらこの世界、ぶっ壊すわよっ」
いきなり立ち上がり、有楽斎を睨みつけている。その顔は真っ赤に染まっており、自分で制御できていないといった感じだ。ここまできたら最後までやってしまえ、突っ込んでしまえ、頑張ってしまえ……
「……あのー、もしもし、理沙さん」
「どっちなのよっ。世界なんてスイッチ一つで終わりなんだからねっ」
「……」
頬を掻いて有楽斎はため息をついた。
「な、何よ…ため息なんてついて」
「いやー、ね、そんなに必死にならなくてもいいよ」
「……別に必死になんてなっていないわよ」
「そうかな」
「そうよっ……私、もう行くからっ」
立ち上がる理沙を引き留めることなく、有楽斎はコーヒーを飲みほした。一度だけ理沙は振り返るも、有楽斎の手を振る姿に再び怒ってでていってしまったのだった。
「あとで謝っておかないと怒るだろうなぁ……」
そんなことを考えていると有楽斎の前にケーキ、そして紅茶が置かれる。
「僕、紅茶なんて頼んでいませんけど…」
「あ、申し訳ありませんっ。コーヒーでしたねっ」
ウェイトレスはそういって戻って行った。ふと、窓の外を見ると理沙が立っており、こちらを見ている。
「……」
手招きをするとバツの悪そうな顔をして店内に戻ってきた。
「……ケーキ、食べてなかっただけよ。これ食べたら出て行くから」
「そうかい」
ケーキにフォークを突き刺して二口で食べ終える。紅茶も一気飲みをして周りの客はそんな理沙を見て口を開けていた。
「理沙、さっきのことだけど」
「別に聞きたくない」
「ああ、そう…じゃあ独り言って事で」
喫茶店の代金は全て理沙が払った。先ほどとは打って変わって上機嫌である。その証拠にスキップしながら帰ったぐらいだ。
「……スイッチ、理沙の家にあるんだろうなぁ」
有楽斎はそういって理沙の後に続くのだった。