第141話:スイッチの話
第百四十一話
榊理沙は整理整頓された自室でため息をついていた。休日の朝からため息をつくなんて不幸せさんだけかと思ったらそうでもない。
「世界を変えるスイッチかぁ…子供のころから話は聞いていたけど、本物ってわけじゃないわよね」
老人の話を信じるのならスイッチは本物であるし、スイッチは誰かに押されたと言う事になる。
もし、スイッチを再び押して世界を変える事が出来たのなら、有楽斎の背中にある六本の腕や施設関係を襲ったと言う事も変えられるのではないだろうか。
今、関係施設を襲った犯人を探すためにスペシャルチームが動いているそうなのだ。もちろん、何度も襲撃を受けている野々村屋敷のところにまで手は伸びてきている。
自分ひとりだけの判断で物事を実行する勇気のなかった理沙は携帯電話に手を伸ばした。昨晩もちょっとした話をした相手に電話をかけることにしたのだった。
「……」
幾度かのコール音の後、聞きなれた声が聞こえてくる。少しほっとする。
『おはよう、どうしたの』
「いや、ね、ちょっと話したい事があるのよ」
『話したい事…』
「これから吉瀬の家に…駄目ね、妹がいるでしょ」
『そうだね。じゃあ国道沿いの喫茶店でどうかな』
「わかったわ」
十時に待ち合わせだから、そういって電話は切られる。理沙は携帯電話をベットの上に放り投げると服を脱ぎ始めた。着替えを終えて髪を櫛でときながら机の上に置かれた一つのスイッチを見下ろしたのだった。
「……あのおじいさんから渡されたスイッチって押したらどうなっていたのよ」
この質問に答えるものは誰もおらず、待ち合わせの時間までまだ四十分以上時間があったが外に出る。
「あ、榊先輩」
「子子子子…」
外の門付近に後輩を見つける。ベレー帽っぽい帽子に、オレンジ色のタートルネックといった見た目、色合い的に秋の感じがした。
「どうしたのよ」
「すみません、さっき電話したんですけど話し中だったみたいで直接来ました」
「そう、で、何よ」
「今日のお昼、全員集合とのお達しです。雪さんからですけどね」
「お昼ね、わかったわ…それだけならメールでも送ってくれればよかったじゃない」
「あ、そうですね」
すみませんと謝って美奈代は回れ右をした後に帰り始めた。しかし、それもすぐさま止まって振り返る。
「誰かに会うんですか」
「そうよ」
「…そうですか」
「あんたが考えているような甘いものじゃないわよ」
スイッチの話をする為に会うのである。こういった共通の話ぐらいしか外に誘って話せないので自分には勇気が足りてないと実感させられる。
「次、いつもの相手が襲ってきたら本格的に捕らえる気ですよ」
「そう、頑張らないとね」
「そうですね」
美奈代の視線はしっかりと理沙の方を見ていた。なんだかこれまでとは様子が違うと思って首をかしげる。
「どうしたのよ」
「別に、どうもしていませんよ。じゃあこれで失礼します」
今度こそ美奈代は帰り始めたので理沙も先を急ぐ事にしたのだった。
国道沿いで人がよく通るのだが、あまり客の寄って来ない喫茶店。飲み物以外は結構高い値段だったりする。
理沙と待ち合わせをしていた有楽斎は理沙より先に来ており、集合時間五十分前に既に来ていたのだった。
女の子から電話があってこれから会えないかと言われれば何時間前でも行ってしまう…というわけでもない。その近くを偶然通りかかっただけで、買い物の帰りである。
「ここ初めて来たけどコーヒーはピンからキリまであるくせにケーキとか超高級ってついているもんなぁ」
強いて褒めるならウェイトレスが可愛い…そして店長がまるで岩山のような身体をしていることだろうか。
客もまばらで貧乏そうな人たちばかり。もちろん、彼らのテーブルの上に乗っているものはコーヒーだけだった。
もう一度歩いているウェイトレスを眺めようと目で追いかけていると…窓の外でこちらを睨みつけている知り合いを見つけた。
「…や、やぁ」
片手を上げたところ、向こうも右の中指を立ててくれていた。そして、こちらのほうへ、店内へと恐ろしい顔をして入ってきた。
「おはよう、吉瀬」
「…おはよう」
別に彼氏と彼女ってわけじゃないんだからと有楽斎は咳払いをして時計を見る。
「あれ、まだ約束の時間まで四十分あるよ」
「用事が出来たから早く来たのよ」
「ふーん、で、話って何かな」
「あんたと直に将来の事について話したかったのよ」
「は」
「冗談よ」
今日は一体どうしたのだろうかとコーヒーに口を付けながら理沙の方を見るのだった。いつもと違っておしゃれな感じがしたりする。何より、いつもと違って…こんな事を言ったら怒られるだろう…真面目な雰囲気だった。