第129話:思惑
第百二十九話
昼休みの屋上。以前来た時はなかったはずのサンドバックが置かれていたので誰かが使っているのかと思いつつ、使用されていない給水タンクの上に昇る。
「うーん、一向に生える気配が無いなぁ……」
腕が二本うねうねと動いているだけでそれ以上の進展はない。根元から描かれてしまい本当に封印されたようである。
別に背中から六本の腕が生えるだけが彼のセールスポイントではない。一応、何かを凍らせたりすることだって出来る。出来るのだが……やはり腕の方が使い勝手がよく、いわば氷の方はサブウェポンにとどまってしまう。
別に何かと闘うわけでもないのでどうでもいいことだろう。しかし、日常生活で猫の手も借りたいときにはやはり六本の腕が役に立つのだ。
「あんた、やっぱり此処にいたのね」
「あ…」
給水タンクの下にいたのは理沙。腰に手を当てて不満そうな顔をしていた。
「私も上げなさいよ」
「……わかったよ」
常人が昇って来られるわけもないだろう。有楽斎は腕を伸ばして理沙を掴むと隣にゆっくりと下ろした。
「意外と優しく扱えるのね」
「………卵を掴んできれいに割ることもできますし、ゆで卵をきれいに剥くことも可能です。さらにさらに、誰かさんが本を全部散らかした時でも十冊以上の本を軽く掴み、一気に収納することも可能。そして、天井の汚れもきれいにふき取るほどの伸縮性も持っておりますっ……奥様、おひとついかがでしょう」
「私奥様じゃないわよっ」
有楽斎の脛に蹴りを入れた。
「いたたた……まぁ、ともかく便利だったんだけどね。まさかあっけなく封印されるとは思わなかったよ」
「ということはその絵描きってやつの力は本当だったって言うことね」
「そうだねぇ……理沙はその人の事知らないのかな」
「残念ながら知らないわね。あんた、会って腕をやられたんだから知っているんでしょ」
昨日も部活で会いましたとは言えなかった。
「いや、暗くてよく見えなくてあっという間にやられたから退散したんだよ」
「ふーん……まぁ、雪の家を壊した罰があたったのよ」
「………そうかもね」
事実そうだからしょうがない。
「それより吉瀬、あんた身体の調子はどうなのよ」
「え」
「腕が無くなったんだからどこか悪いところでもあるんじゃないの」
「……うーん、どうだろう」
これといって特に問題はない。腕が封印されるなんて事はこれまで一度もなかったために今後どうなるのかよくわからない。
「あんた、自分の体のくせに何も知らないの」
「いや、そう言われてもねぇ……わからないものはわからないよ」
「そう、何かあったら言いなさいよ」
「うん、ありがとう」
理沙に体調が悪いと言っても問題が解決するとは到底思えない。まともに絆創膏も貼れそうにないし、包帯をお願いしたらミイラ男にされそうだ。
「そういえば吉瀬がこの前言っていた『協力して欲しい事』って何よ」
「あ、あー……あれね」
「雪の家を襲ったって事はまたあんたを脅迫している相手に会ったってことでしょ」
「うん、まぁ…」
「何を探しているのか聞いたでしょうし、金目的でもないみたいだから……で、探しているものは何よ」
知らないよ、とは言えないので教えておくことにした。
「手のひらに乗るサイズのスイッチなんだって」
「へぇ、スイッチ……ただのスイッチじゃないのよね」
理沙の目は泳いでいたりする。有楽斎は気が付いていなかった。
気が付けなかったのも当然で、有楽斎の頭の中では色々と考えている途中だったからだ。世界を変えるスイッチですと言えない、言ったら確実に馬鹿にされる……というより、信用性を失うに違いない、そんな考えが横行していたので理沙の動揺を確認する暇なんてなかった。
「詳しくは教えてもらってないし、どれだけ危険性があるのかも知らないんだ」
「なるほど、相手も詳しい情報をあんたに教えていないのね。それはそうよね、大切なものだったら吉瀬が奪って押しそうだもん」
いい具合に信じ込んでくれているようなので有楽斎は頷いておいた。もちろん、保険をかけておく事を忘れはしない。理沙の方も有楽斎がどれほどの情報を知っているのか一応知っておきたかったりする。
「何でも、世界を変えるとか……なんとか」
「世界を変えるって……なんでそんなスイッチが雪の家に……」
「いや、その話が本当かどうかはわからないよ」
そこで理沙は何かに思い当たった顔をしてみた。
「どうかしたの」
「……そういえば子供の頃あの家を探検していてスイッチを見つけたような気がしたわ」
「えっ」
「どこに会ったのか覚えてないけど……そうね、あんたが私の条件を呑んでくれるなら詳しく聞いてきてあげるわよ」
「条件……って何」
「私の部屋を掃除してもらうわ」
簡単でしょっと理沙が言う。確かに、簡単な条件だ。
「……わかったよ」
「交渉成立ね」
最初っからこうやって頼めばよかったのかもしれない。有楽斎はそう思って給水塔の上に寝そべるのであった。