悪魔と呼ばれていた
朝の光が、部屋に差し込んでいた。
柔らかい色だ。
石壁に反射して、静かに広がっている。
軽くノックの音がして、
返事を待たずに扉が開いた。
「よく眠れた?」
リオラが顔を覗かせ、
そのまま、部屋に入ってくる。
「昨日はごめんね」
「あのあと、手続きも面倒だったでしょ?」
悪びれた様子はあるが、
深刻さはない。
いつもの調子だ。
レグルスは、答えずに窓の外を見ていた。
王都の朝。
通りを行く人の気配。
城壁の向こうから聞こえる、遠い音。
「……エクリシア、だったな」
ぽつりと、言う。
リオラが振り返る。
「うん?」
「この国は、どういう国なんだ」
視線は外に向けたまま。
誰にともなく、確認するような声音だった。
リオラは少し考える。
「どういうって?」
首を傾げてから、曖昧に笑った。
「うーん……今は、王国かな」
あっさりとした答え。
それから、思い出したように続ける。
「名前の由来なら、神様の名前だよ」
「エクリシウス、って」
その名が、空気に落ちる。
レグルスは何も言わない。
しばらくの沈黙。
それを破ったのは、レグルスだった。
「……リオラ」
「いや、アウローラ、だったか」
リオラが肩をすくめる。
「リオラでいいわよ」
「その方が呼びやすいでしょ?」
軽く言ってから、続ける。
「一応、王族なんだけど」
「この国、二つの王家があってね」
少しだけ言葉を選ぶ。
「外国の人だと」
「ちょっと変に感じるかも」
レグルスは、それ以上踏み込まない。
代わりに、リオラが話を切り替えた。
「詳しいことはね」
「王立の歴史博物館に行った方が早いかも」
指先で、軽く空を示す。
「外国から来て」
「遺跡見てたくらいだもんね」
にっと笑って、
「ちょうどいいし、案内するよ」
決定事項のように言った。
レグルスは、短く頷いた。
「……ああ」
それだけで、十分だった。
城へ向かう道は、王都の中心から緩やかに上っていた。
正面に見えるのは、
ひときわ高くそびえる石造りの塔――
街のどこからでも視界に入る、王都の象徴。
「あれがね」
リオラが指差す。
「聖地」
「神エクリシウスがいたってされてる場所」
その言い方は、
祈るようでも、畏れるようでもない。
ただ、事実を示しているだけだった。
聖地の周囲には、
それよりも低い建物が、いくつも並んでいる。
城だった。
二つの王家が、それぞれに居を構える城。
高さも造りも異なるが、
どれも、聖地を囲むように配置されていた。
「私たちが住んでる城は、あっち」
「もう一つの王家は、反対側ね」
軽く説明してから、歩みを進める。
「歴史博物館はね」
「聖地に直接入るわけじゃなくて」
回廊へと続く建物群を示す。
「その周りにある建物を使ってるの」
「昔は、防衛用だった場所らしいよ」
聖地へ至るための通路。
だが、今は、
立ち止まり、歴史を見るための場所。
リオラは、扉の前で立ち止まり、
振り返った。
「じゃ、行こ」
そう言って、先に中へ入っていった。
分厚い石壁が続き、天井は高い。
声を出せば、反響するだろう構造だ。
リオラに案内され、
レグルスは城の内部へと足を踏み入れた。
中央塔と呼ばれる場所へ向かうわけではない。
その手前。
外郭と内城をつなぐ建物群の一角が、
王立歴史博物館として利用されていた。
回廊の途中に設けられた扉をくぐると、
空気がわずかに変わる。
壁沿いに並ぶ展示。
武具。
石板。
古い写本の複製。
だが、
どれもこの場所に馴染んでいるとは言い難かった。
——ここは、
言葉にならないまま、
思考が止まる。
リオラが、何気ない調子で言った。
「この辺りがね」
「王立の歴史博物館なの」
「もともと城の中だった場所を、そのまま使ってるんだって」
特別な意味は込めていない。
ただの説明だ。
職員らしき人物が近づいてきて、
軽く頭を下げる。
「ご案内いたします」
促され、奥へ進む。
やがて、
大きな窓の前で足が止まった。
窓の向こうに、
ひときわ高くそびえる塔が見える。
街の中心。
人の流れが、無意識に避けている場所。
石造りの主塔は、
周囲の建物と比べて、
明らかに古かった。
職員が、淡々と説明する。
「あちらが、中央塔です」
「神エクリシウスが住んでいたとされる場所ですね」
一拍。
「そして――」
「殺された場所でもあります」
その言葉が、
静かに落ちる。
——魔王城。
——魔王エクシリウス。
——俺たちは、ここで戦った。
声には出さない。
表情も変えない。
ただ、
そう認識した。
職員の説明は続く。
「神話によれば」
「堕英雄アンタレスは、神の力を得るために裏切り」
「まず、三英雄をこの地に集め」
「神の城で殺したとされています」
壁に掲げられた図。
象徴的に描かれた人物たち。
「その後」
「護衛を失った神を討ち」
「力を奪った」
「力を誇示するため」
「太陽の国を、一夜にして消滅させた――と」
淡々と。
感情を挟まず。
展示は、
物語を事実として並べている。
次の展示室へ進む。
古い書物が、
ガラスケースの中に収められていた。
「こちらは」
「完全には解読されていない文書です」
職員が言う。
「一部、文字が潰れていて」
「解釈が分かれているんですが……」
レグルスは、
その文字を読んでいた。
裁判。
罪状。
刑罰。
仲間を見殺しにした罪。
アウレリア王国を防衛しなかった罪。
——懲役、千年。
欠けた文字。
歪んだ行。
それでも、意味は分かる。
職員の声が重なる。
「現在では」
「月の国において」
「悪魔――」
「堕英雄アンタレスが」
「千年間の封印にかけられた記録だと」
「解釈されています」
ガラス越しに、
書物は静かにそこにあった。
俺は、悪魔と呼ばれていた。




