千年の痕跡
森に覆われた遺跡を前にして、リオラは足を止めた。
「この辺り、もう少し見ていきたいんだけど」
振り返って、レグルスを見る。
「女の子ひとりだと、さすがに危ないでしょ?」
「ちょっと付き合ってよ」
軽い口調だった。
断られるとは、あまり思っていないらしい。
レグルスは少し考え、
それから短く答えた。
「ああ。わかった」
それだけで、リオラは満足そうに頷く。
「ありがと。じゃ、こっち」
彼女は迷いなく、崩れた石畳の上を進み始めた。
遺跡の中は、静かだった。
かつて道だった場所は土に埋もれ、草木が割れ目から伸びている。
倒れた壁。
半ば崩れた柱。
それでも、形は残っていた。
「ここね、千年くらい前に栄えてた“月の王国”があった場所なんだって」
歩きながら、リオラが言う。
教えてあげる、というより、
知っていることをそのまま口にしている調子だった。
「裁きの国だったとか、制度がしっかりしてたとか」
「まあ、詳しいことは文献ごとにバラバラだけど」
足を止め、ひときわ大きな柱を見上げる。
「それにしても、すごく大きい柱だよね」
「これ、千年前だよ?」
「どうやって作ったんだろ」
独り言のようで、
でも、レグルスの存在を前提にした声だった。
彼は柱を見上げる。
削り出された石。
無駄のない形。
均等な間隔。
「……」
何も言わない。
リオラは、柱の根元にしゃがみ込み、
指で石の表面をなぞる。
「装飾もほとんどないし」
「実用重視って感じ」
立ち上がり、また歩き出す。
「それでさ」
「こういう遺跡、好きなんだよね」
理由を聞かれたわけでもないのに、
自然と続ける。
「本で読むより、残ってるものの方が信用できるし」
「人が生きてた痕跡って、ちゃんと残るじゃん」
倒れた壁の向こうを覗き込みながら、
「……どうして滅んだんだろ」
「戦争?」
「それとも、別の理由?」
答えを求めているわけではなかった。
問いが浮かんで、
そのまま零れただけだ。
レグルスは、少し遅れて歩きながら、
周囲を見渡す。
森。
風。
崩れた石。
「さあ」
短く、そう答える。
リオラは気にした様子もなく、
「だよねー」
と、軽く笑った。
さらに奥へ、
二人は歩いていった。
遺跡の奥へ進むにつれ、空気が少し変わった。
開けた空間。
壁に沿って、半円状に並ぶ石の段。
中央には、低い台座のようなものが残っている。
リオラは、周囲を見回した。
「……なんだろ、ここ」
「広いけど、居住区って感じじゃないよね」
床には、均等に刻まれた溝。
人の動線を意識した配置。
「何か、集まって使う場所?」
「会議室とか?」
レグルスは、何も言わなかった。
視線だけが、中央の台座に向いている。
そこに立ち、
罪状を読み上げられた。
声の反響。
沈黙。
ーー千年。
退廷の宣告。
思考が、わずかに揺れる。
「……」
リオラは気づかず、柱の配置を眺めている。
「でも、装飾もないし」
「やっぱり、実務用の施設かな」
それ以上は踏み込まず、二人はさらに奥へ進んだ。
しばらく歩いた先で、リオラが足を止める。
「……え?」
崩れた壁の向こうに、
下へと続く階段が見えていた。
石造り。
幅は狭く、真っ直ぐ下に伸びている。
「何これ」
「地下に続いてる」
少し身を乗り出し、覗き込む。
「こういうの、放っておけないよね」
「ちょっと行ってみましょ」
返事を待たず、荷袋から小さな魔石灯を取り出す。
淡い光が、階段を照らした。
レグルスは、一瞬だけ立ち止まり、
それから、後に続いた。
階段は長かった。
湿った空気。
ひんやりとした石の感触。
やがて、通路の先に扉が現れる。
石の扉。
だが、完全には閉じられていない。
リオラが慎重に近づき、中を照らす。
「……部屋?」
「小さいね」
中には、何もない。
床。
壁。
そして、中央に残された鎖。
壁に埋め込まれた金具。
朽ちたまま、静かに残っている。
リオラは、目を輝かせる。
「これ、もしかして」
「神話に出てくるやつかも」
鎖を指差しながら、ぶつぶつと呟く。
「悪魔を封じた、とか」
「英雄を閉じ込めた、とか」
「そういう話、いくつかあったよね」
灯りが、鎖の影を壁に落とす。
レグルスは、部屋の中に足を踏み入れなかった。
入口から、ただ見ている。
千年。
ここにいた。
「……暗いし、危ないね」
リオラが、少し声を落とす。
「ちゃんと調べるなら、準備してからの方がいいし」
返事を待たず、踵を返す。
階段を上る足音が、響く。
レグルスは、最後にもう一度だけ、
開いた扉の向こうを見た。
それから、何も言わずに背を向ける。
階段を上り、
地上の光が差し込む。
彼は、
千年を過ごした独房を、
静かに後にした。




