縁絶ゆ
入院のリハビリです。卒論書いたんでそっちも公開するのとロボリスタ完結までと、EoFも二百話まで用意出来ました。
スマホの通知音が鳴る前に、体が動くようになったのは、いつからだったか。
思い出せないことが、いちばん怖かった。“いつから”が消えているのは、始まりがなくなったということだ。始まりがないなら、終わりも来ない。
それでもミオは、いま自分が“動けている”ことを、どこかで記録していた。震えが来る前に手が伸びる。逃げたいのに、壊れたくないから先に片づける。それは恐怖の証拠で、同時に、生き延びるための小さな工夫でもあった。
ミオは画面を伏せて、テーブルの上に置いた。テーブルの木目が、薄い照明を吸っていた。照明の影がテーブルの端で途切れて、部屋の隅が黒く沈む。冷蔵庫の音が一定なのに、耳はそれを“足音”に聞き換えてしまう。静けさが、味方じゃなく監視みたいに張り付く。部屋は静かで、冷蔵庫の低い駆動音だけが続いている。静かさは頼りないのに、音が一定だと呼吸の速度も揃えやすかった。
伏せても、震えは伝わる。震えは、音より先に来る。音が鳴る前に怯える体は、もう自分の命令を聞かない。ミオはそれを“慣れ”と呼びたくなかった。呼んだ瞬間、負けが確定する気がした。
ポケットの中で震えるより、机の上で震えた方がまだましだ。震えた回数を数えなくて済むからだ。数え始めたら、終わる。回数は、増えた分だけ“現実”になる。現実が増えるほど、逃げ道が減る。
数えない、と決めたのはミオだ。それだけで、ほんの一瞬だけ、世界の主導権が戻ってくる気がした。大きな勝ちじゃない。けれど、ゼロでもなかった。
画面を返すと、文字が増えていた。画面の光が指先に反射して、皮膚の色が一瞬だけ白く見える。ガラス越しの光は軽い。軽いのに、目だけは疲れていく。ミオはまばたきを一回だけ増やした。画面の光が瞳の奥に残って、暗いところでも文字の形が浮く。指紋の跡が汚れみたいに見えて、拭いても消えない気がする。ガラスは冷たく、冷たさが手に移る。増えたのは文字じゃない。“この世界の自分”に触ってくる指の数だ。指が増えるほど、皮膚が薄くなる気がした。
『まだ生きてる?』
『被害者ぶるの上手いね』
『顔出ししろよw』
『次どこ行くの?』
視線が刺さる。刺さるのに、刺した人が見えない。見えない相手に怯える自分が、いちばんみっともない。
息を吸って、吐く。吐いたら、喉の奥が乾く。乾くのは喉だけじゃない。考えが乾いて、言葉が乾いて、助けを呼ぶ声まで乾く。乾いた声は届かない。届かないのを、ミオはもう知っている。
息は、まだ自分のものだと思えた。画面は奪えない。けれど、吸って吐く速度だけは、こちらが決められる。ミオはそれを,祈りじゃなく作業として繰り返した。
喉の乾きだけが現実で、画面の言葉は現実じゃない、そう思おうとする癖はもう残っていなかった。現実だ。画面の言葉は、現実を動かす。それなら、画面の言葉は刃物だ。刃物なのに、誰も逮捕されない。刃物より安全なはずの場所で、いちばん安全が減っていく。
分かっている。分かっているからこそ怖い。でも、分かっている自分を失っていないことが、ほんの少しだけ救いだった。意味もなく笑ってしまうより、まだましだと思えた。
最初は小さかった。投稿に「うざい」とつく程度だった。誰かの軽口。あるいは冗談。ミオは、そういうものだと思っていた。自分が何か書けば、誰かが何か書く。それくらい。最初に見逃したのは、自分の方だ。見逃したから育った。育ったから戻らない。“最初”を思い出せないのは、罪を数えられないのと同じだった。
その頃のミオは、ちゃんと眠れていた。ちゃんと働いて、ちゃんと笑えた。いま思えば、それを当たり前にできていた自分は、少しだけ立派だった。
でも、ある日から変わった。
誰かが、ミオの言葉を切り取った。切り取られた瞬間から、ミオの言葉はミオのものじゃなくなった。説明しても、説明はまた切り取られる。言葉を出すほど負けるゲームだと、体が先に理解してしまう。意味を入れ替えた。引用の形で、別の文脈に貼り付けた。
『こいつ、自分のミスを他人のせいにしてる』
『謝罪もせずに被害者ヅラ』
『こういう女いるよな』
そこから、数が増えた。
数が増えたのに、誰も同じ顔をしていない。アカウント名が違う。アイコンが違う。言葉だけが似ている。似ているのは言葉じゃない。“叩く理由”が、どこでも同じ形で増殖する。理由が同じなら、次の標的も誰でもいい。似ている言葉が、別々の口から飛んでくる。
ミオは眠れなくなった。眠れない夜は、明日が来ないのに朝が来る。朝が来ると、また失敗する。失敗すると、また“正しい叩き”にされる。眠れないことが、すでに罪の証拠みたいに扱われる。眠れないから、昼間にぼんやりする。ぼんやりして、仕事でミスをする。ミスをするから、また画面で叩かれる。それでもミオは、アラームをセットした。寝る前に水を一口飲んで、カーテンを閉めて、次の日の服を畳んだ。誰も見ていない場所で、“明日をやる準備”だけは手放さなかった。
悪循環、と言えるほど整っていない。整っていないのに、確実に悪くなる。理屈がないのに、結果だけが積み上がる。説明のない刑罰を、毎日受け取っている気分だった。ただ、転げ落ちていくだけだ。
職場では、誰も何も言わなかった。
言えないのだと思う。ミオ自身が話せなくなっていた。話してしまったら、それも切り取られて流れる気がした。流れたら、また増える。増えるのは嫌だ。嫌だと思うから黙る。黙ると、助けが減る。助けが減るのは分かっているのに、口が開かない。開けた瞬間、口の中に“外の言葉”が流れ込む気がした。流れ込んだら最後、自分の声が消える。
ミオは、助けが欲しいと思っている自分を、まだ恥じていなかった。恥じてしまったら、本当に終わる気がした。だから心の奥でだけ、助けて、と言い続けた。
帰り道、駅の改札を抜けた時、改札の電子音が規則的に鳴って、通る人の足音が重なった。床のタイルは磨かれていて、天井の蛍光灯が細く伸びて映る。人の流れは速いのに、一定のルールで動いているように見えた。改札の電子音が鋭く跳ねて、天井の反響で二回鳴るみたいに聞こえた。床のタイルが光って滑りそうで、足が無意識に慎重になる。人の匂いが混ざって、息を吸うほど落ち着かない。背中に視線を感じた。振り返ったら、スマホを構えた男がいた。若い。制服ではない。笑っている。笑いながら画面を見ている。ミオの方を見ていない。ミオを撮っているくせに、ミオを見ていない。見られているのに、存在していない。存在していないのに、攻撃だけは当たる。ミオはその理不尽さを、怒りに変えられない。怖さにしか変えられない。
ミオは足を止めた。
「……やめて」
言えた、と思った。震えていても、嫌だと言えた。小さくても境界線を引けたことが、少しだけ体を温めた。
声が思ったより低かった。
男は肩をすくめて、何も言わずに去った。人の流れが一瞬だけ割れて、すぐ元に戻る。戻る速さが、最初から何も無かったみたいで腹が立つ。駅の照明は明るいのに、影だけが濃い。何も言わないのは、勝っているからだ。勝っている側は説明しない。説明しないまま、次の刃物を投げていける。去り際に、指が動いた。送ったのだろう。何を送ったのか、確かめたくなくて、ミオは走った。外気は冷たくて、吐く息が白くなる。白い息は、戻っていく方向が見える。ミオは息の線だけを追って、足のリズムを整えた。
家に着く頃には、通知が増えていた。アパートの廊下は昼間でも薄暗く、蛍光灯が一つだけチカつく。壁の塗装がところどころ剥げて、湿気の匂いが残っている。鍵穴に指を入れる瞬間が、いちばん背中が無防備になる。
『今駅にいた?』
『顔、思ったより普通w』
『逃げてて草』
『隠れると燃えるぞ』
燃える。燃えるのは、火じゃない。生活の輪郭だ。仕事の信用だ。息の仕方だ。燃えた跡は黒く残るのに、火をつけた手は残らない。
燃える、という言葉は、物が燃える時よりも軽く扱われている。軽いから、何でも燃える。軽いから、誰でも燃やせる。
ミオは鍵を二回かけた。ドアチェーンもかけた。金属の音が二回、短く鳴った。音が鳴るたびに、玄関の空気が少しだけ“区切られる”感じがした。部屋の匂いがドアの内側に溜まって、外より薄く暖かい。金属が擦れる音が、部屋の中に長く残る。音が残る間、外側に自分の位置が漏れている気がする。玄関の隙間風が、床を舐めるみたいに入ってくる。鍵は“安心”じゃなく“確認”になっていた。安心できないから、確認する。確認しても安心できないから、また確認する。確認が増えるほど、世界が狭くなる。これで完全じゃないと分かっていても、手順を踏むと心が少し落ち着いた。“守れること”が少ない世界で、手順は守れる。ミオはそれにしがみついた。
それでも落ち着かない。カーテンを閉める。閉めたまま、少し隙間が気になって直す。直したら、今度は閉めたことが気になって開けてしまう。外を見たいのではない。外が見えているかどうかが気になる。見えているかどうかじゃない。見られる理由が、どこかに増えていないかが怖い。理由が増えると、正義が増える。正義が増えると、逃げ場が消える。見えていたら、見られる。
夜、インターホンが鳴った。音が鳴った瞬間、胃が落ちた。落ちた胃の重さが、体を動かなくする。動けない自分を見られるのが、さらに怖い。インターホンが鳴った瞬間、胃が落ちた。落ちた胃の重さが、体を動かなくする。動けない自分を見られるのが、さらに怖い。
宅配でもない時間だ。ミオは動けなくなった。もう一度鳴る。鳴ると同時にスマホが震える。
『開けろ』
『いるの分かってる』
『逃げんなよ』
ミオは息を止めたまま、インターホンのモニターを見る。見るのは勇気じゃない。見ないと、もっと想像が膨らむからだ。想像はいつも現実より残酷で、残酷な方が当たる気がする。見るのが怖いのに、見た。逃げるだけではなく、状況を確かめようとした。それは恐怖の反射じゃなく、まだ残っている判断だった。
そこには誰も映っていなかった。映っていないなら、どこにでもいる。どこにでもいるなら、逃げられない。逃げられないと分かった瞬間、体の中で何かが折れた。カメラの角度の外に立っているのかもしれない。映らないことが、余計に怖い。怖いのに、体が固まる。
三回目は鳴らなかった。
代わりに、ドアノブが軽く回された。“試された”と思った。鍵があるかどうかじゃない。ミオが震えるかどうかを試している。試される側は、いつも負ける。
鍵がかかっている。回っても開かない。
でも「回された」ことだけが、体に残る。残ると、もう眠れない。
翌日、ミオは警察署に行った。昼の空は薄く曇っていて、建物の影が柔らかい。庁舎の自動ドアは重たく開き、床のワックスが光っていた。受付の時計が、秒針の音を立てずに進んでいる。庁舎の白い壁が眩しくて、目が痛い。待合の椅子は硬く、座った瞬間に背中が冷える。掲示板の標語が整っているほど、現実が雑に放置されている感じがする。
生活安全課、と書かれた窓口。生活、という言葉が刺さった。安全、という言葉は空っぽに見えた。空っぽの看板ほど、期待させて裏切る。
担当になった警察官は、丁寧に話を聞いた。淡々としていた。淡々としているのが悪いわけじゃない。淡々としていないと、仕事にならないのだろう。その淡々が、ミオにはありがたかった。同情の顔をされると崩れる。怒られると壊れる。仕事の声色で扱われることで、ミオは“まだ社会の中にいる”と思えた。
「SNS上の誹謗中傷ですね。まずは証拠を保全してください。スクリーンショット、URL、アカウント名。脅迫に該当しそうな内容があれば……」
証拠を集める作業は、殴られ直す作業だった。見返すたびに、同じ言葉が皮膚に戻ってくる。でも集めないと、殴られたことにならない。
ミオは頷いた。頷くしかなかった。
証拠はある。ありすぎる。ありすぎるのに、足りない。足りないと言われる未来が見える。“足りない”の一言で、全部が無かったことになる気がした。ありすぎるのに、やることが提示された。“全部は無理”でも、“少しはできる”に変わる。ミオはその差を、命綱みたいに握った。
毎分増える。増える証拠を全部集めるのは無理だ。でも「無理だ」と言うと、守られない気がする。守られないのが怖いのではない。守られないことを自分が受け入れたと認定されるのが怖い。
「家に来た可能性がある件については、巡回を増やすように話をしておきます。ただ、誰がやったか特定できないと……」
特定。特定できない。その言葉は、守れないの言い換えに聞こえた。言い換えられた瞬間、ミオの中で“頼る”という選択肢が腐っていく。
ミオはその言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷えた。
特定できない。今までのすべてが、特定できない形でやってきた。
警察官は続けた。
「身に危険が迫っていると感じたら、すぐ110番してください。あと、相手に反応しないのが一番です。返信したり、煽り返したりすると……」
反応しないと、相手が何をするか分からない。反応すると、相手が何をするか分かってしまう。分かってしまう方が怖いのに、分からない方がもっと怖い。
ミオは口を開けなかった。
反応しない。そんなことができるならここに来ていない。反応しないと、何が起きるか分からない。反応すると、燃える。燃えるのに、反応してしまう。
帰り道、ミオはコンビニに寄った。店のドアが開くたびに、温い空気と甘い揚げ物の匂いが流れる。棚の端に季節商品のポップが揺れて、レジの袋詰めの音が小さく続く。“買う・払う・出る”が、誰にでも同じ手順で回っていた。店内のBGMが軽くて、軽さが不気味に耳に残る。レジ横の鏡面に自分の横顔が映って、すぐ視線を外したくなる。ガラス窓の外が暗く、外の暗さが店内まで染みてくる。
買うものは決まっていない。家に直帰したくなかった。家が安全じゃないなら、どこが家なんだ。帰りたくないのに帰るしかないのは、檻みたいだった。檻に入る前に少しだけ外気を吸いたかった。直帰しない、という選択をしたのはミオだ。逃げではなく、息を整えるための迂回。自分を守るための遠回りだと、言い換えられた。家に帰ると、昨日のドアノブが頭に戻ってくる。
レジに並ぶ間、後ろで誰かが笑った。
笑い声が自分に向けられている気がして、ミオは振り返りそうになった。振り返ると負ける気がして、振り返らなかった。
負け、勝ち。そんな言葉で生活が測られるのが嫌なのに、体がそういうふうに動く。
外に出ると、店の外灯が白く地面を照らし、虫が少しだけ集まっていた。アスファルトに細いひびが走って、そこに砂が溜まっている。夜の町は雑で、雑さが逆に“いつも通り”に見えた。コンビニの壁に落書きがあった。
ミオの名前。ミオのアカウント名。ミオの顔の雑な似顔絵。
その下に、短い言葉が並んでいた。
『消えろ』
『死ね』
『嘘つき』
ペンの跡が乾いていて、最近書かれたのが分かる。風が吹くと、壁の近くの臭いが一段濃くなる。灯りが当たる角度だけ、文字が妙に立体に見える。文字が、壁じゃなく皮膚に書かれた気がした。剥がせない。洗えない。誰にも見せられない。見せられないから、助けも呼べない。
ミオは視界が一瞬狭くなるのを感じた。片手で壁に触れて、倒れないようにした。触れたコンクリートの冷たさが、現実の境界線になった。まだ立てる、と思えたのは、それだけだったけれど。
血が引いたのか、熱が上がったのか分からない。
周りを見ると、誰も見ていない。誰も見ていないから、落書きはそこにある。“見ていない”は、許しているのと似ていた。許していないと叫びたいのに、叫んだらまた燃える。燃える前に黙る癖が、喉に居座った。見ていないから消えない。
スマホが震えた。
『落書き見た?w』
『近所で有名人じゃん』
『警察行った? 無駄だよ』
ミオは走って帰った。
鍵をかける。チェーンをかける。息が荒い。
荒い息の合間に、ミオはスマホの検索窓を開いた。
「誹謗中傷 警察 守ってくれない」
入力して、検索して、出てくるのは一般論ばかりだった。一般論は、誰の痛みにも責任を持たない。責任を持たない言葉が、いちばん多い。多いものほど正しく見えて、正しいものほど冷たい。
相談窓口。記録。自己責任。証拠。
文字は正しい。正しいのに、ミオの生活は救われない。それでもミオは、探した。誰かの言葉を待つだけじゃなく、自分で手を伸ばした。その動きは、諦めとは逆方向だった。
その夜、ベランダに小石が当たる音がした。遠くの車の音が、波みたいに寄せては引く。ベランダの手すりは冷たく、触れないままでも冷たさが見える。風が止むと、街全体が一拍だけ静かになる。暗闇が濃くて、距離感が壊れる。遠い音が近く聞こえて、近い音がどこから来たか分からない。風が止むたびに、世界が息を潜めて“次”を待っているみたいになる。当たる音のたびに、心臓が一拍遅れる。遅れた拍の分だけ、体が置いていかれる。置いていかれた体に、怖さだけが追いついてくる。
二回。三回。回。
ミオはカーテンの隙間から外を見た。暗くて、誰も見えない。見えないのに、そこにいる気配だけがある。気配だけが、体にまとわりつく。
スマホが震える。
『見てるよ』
『カーテンの隙間』
見られている、ではなく“数えられている”と思った。隙間の幅、動いた秒数、息の乱れ。人間としてじゃなく、獲物として記録されている。
『顔真っ白w』
ミオはスマホを投げそうになった。投げなかった。壊したくなる衝動より、残したい理性が勝った。連絡ができるというだけで、世界はほんの少しだけ“手続き”になる。手続きにできるうちは、まだ終わっていないと思えた。
投げたら壊れる。壊れたら連絡が取れない。連絡が取れないと、警察にかけられない。警察にかけられないと、守られない。
守られないと、死ぬ。
死ぬ、という結論にだけは行きたくない。行きたくないのに、体がそこへ向かう。
翌週、ミオの職場に手紙が届いた。
封筒に、ミオの本名が書いてあった。住所も書いてあった。
中身は紙切れ一枚。
『本当の顔、みんなに見せてやる』
職場の空気が変わった。空気が変わった瞬間、ミオは“自分のせい”を探し始めた。探すと見つかる。見つかると信じ込む。信じ込むほど、誰も止めてくれない。
誰も露骨に避けない。でも距離が増えた。話しかけられなくなる。ミオが近づくと、会話が切れる。
それだけで、ミオはもう仕事ができなくなる。
上司に呼ばれて、ミオは会議室で座った。
上司は困った顔をしていた。困っているのは、ミオじゃない。ミオの“面倒さ”に困っている。その違いが分かった瞬間、胸の奥が冷え切った。困った顔は、怒っていないことの証拠ではない。困った顔は、「面倒を避けたい」の証拠になる。
「ミオさん、個人的なトラブルは……」
個人的。
ミオはその言葉に息が止まりかけた。
個人的じゃない。社会に繋がっている。画面が社会を動かしている。
でも、会社にとっては個人的だ。会社の外で起きることは、会社の責任じゃない。責任じゃないから、切れる。
ミオはその日のうちに、職場を辞めた。辞めたのではない。辞めさせられたのでもない。辞めるしかなくなった。それでもミオは、最後に机の上を整えた。自分のせいで誰かがもっと巻き込まれるのが嫌だった。逃げたくて逃げたのではなく、誰かを守りたくて距離を取った。
「辞めた」という形だけが残る。
辞めた翌日、部屋のドアに張り紙が貼られていた。
『ここにいる』
『逃げんな』
ミオは警察に電話した。
警察は来た。紙を剥がした。指紋が出るかもしれないと言った。防犯カメラを確認すると言った。
ミオは「助かった」と思えなかった。助かったと思えないことが、自分の性格が悪くなった証拠みたいで嫌だった。
数日後、警察から連絡があった。
防犯カメラの映像は、角度が悪くて顔が分からなかった。夜で暗かった。手袋をしていた。
特定できない。
また、その言葉が出た。
「引き続き巡回を増やします。何かあればすぐ連絡してください」
ミオは電話を切った後、しばらくスマホを見つめた。
連絡して、来てくれて、でも何も変わらない。
変わらないことを、ミオの生活は毎日証明している。
外に出ると、近所の目が刺さった。
刺さった気がした。実際に刺さっているのかは分からない。
分からないのに刺さる。刺さるのに、刺した人がいない。
刺した人がいないから、怒りの向け先もない。
そのうち、ミオは誰に対しても先に刺すようになった。
コンビニで、後ろの人がちょっと近いと感じるだけで、肩を押し返す。
駅で視線が横切るだけで、睨む。
ドアの前で足を止めただけの人に、「どけ」と言う。
自分でも分かる。嫌な人間だ。
でも、嫌な人間じゃないと生きられない。
優しい人間でいたら、どこまでも削られていく。削られるのが嫌で、先に硬くなる。硬くなれば、刃が滑る。滑れば、少しだけ生き延びる。
ミオは、引っ越しをした。新しい道はまだ覚えていなくて、曲がり角の看板が新鮮だった。郵便受けの番号が揃って並び、廊下の非常灯が一定の明るさで光っている。“知らない場所”の静けさは、怖さと同じくらい、息の入る隙間にも見えた。新しい廊下は音が響いて、靴底の小さな砂まで大きく鳴る。ドアの並びが同じで、間違えたら終わる気がして足が遅くなる。知らない場所なのに、同じ匂いがするのが怖い。逃げた先に、また同じ形の手が届く。場所を変えても、画面がある限り住所は増殖する。増殖するなら、世界そのものが敵だ。
新しい住所は、誰にも言っていない。手続きは最小限にした。郵便の転送をかけた。
これでやっと、少し息が吸えると思った。“息が吸える”を望んでいる時点で、ミオはまだ生きる側にいる。生きたいなんて言葉は使えない。でも、呼吸のしやすさを願うのは、生存のかたちだった。
三日で終わった。
新しい部屋の前に、同じ張り紙があった。
『ここでも会えるね』
ミオは笑った。声が出ない笑いだった。声が出ないのに、笑いの形だけは作れた。形だけでも作れるのは、まだ“自分の表情”を捨てていないからだ。ミオはそれを、弱さじゃなく粘りだと思うことにした。
笑いが出るうちは大丈夫だ、と自分に言い聞かせた。言い聞かせる必要がある時点で、もう大丈夫ではない。
その夜、階段で足音が止まった。
ミオの部屋の前で止まった。
止まって、しばらくして、ドアが叩かれた。
一回。二回。三回。
叩く音が、控えめだった。控えめなのが怖い。控えめなのは、遊んでいるからだ。
ミオは息を止めて、壁に背をつけた。背中が冷たい。冷たいだけで意味はないのに、体が覚えてしまう。冷たい=危険だと。
スマホが震える。
『出てきて』
『話そ』
『警察呼んだら終わるよ?』
終わるのは誰だ。相手が終わるとは思えない。終わるのは自分の生活だ。相手が言う“終わり”は、いつもミオの側にだけ来る。
ミオは110番した。
電話に出たオペレーターは落ち着いていて、ミオに住所を確認した。
ミオは住所を言いながら、声が震えるのを止めようとした。止められない。震えても、言い直さなかった。早口になりそうな息を抑えて、番地を一つずつ置いた。伝わるように話そうとする誠実さだけは、手放さなかった。
「今、誰かがいます。ドア叩いてます」
「分かりました。パトカーを向かわせます。安全な場所で待ってください」
安全な場所。
ミオは自分の部屋の中で、いちばん安全な場所を探した。
探した瞬間に、笑いそうになった。笑いは逃避じゃない。言葉が空回りしていると分かる程度には、ミオの頭はまだ回っていた。壊れ切っていない、その手触りだけが残った。
どこも安全じゃない。安全という言葉は、こういう時に空回りする。
叩く音が止まった。
しばらくして、足音が遠ざかった。
それで終わりではない。終わりになる要素がない。
パトカーは来た。
警察官は周囲を確認した。
犯人は見つからない。見つからないのは、いないからじゃない。“いるのに捕まえられない”が積み重なるだけだ。捕まえられない現実が、次の犯行の許可証になる。
また、特定できない。
その後も、ミオの生活は削られていった。
郵便受けに、知らない封筒。中身はミオの昔の写真。学生時代の顔。
どこから入手したのか分からない。分からないまま、そこにある。
玄関の前に、割れた卵。
誰かが投げた。
臭いが残る。臭いは現実だ。現実は消えない。
帰宅途中、後ろから肩を掴まれたことがあった。
掴んだ手はすぐ離れた。
「ミオちゃん?」と軽い声がして、笑い声が走っていった。
掴まれた肩だけが、いつまでも熱い。熱いのに、掴んだ人の顔が分からない。分からないから、警察に説明できない。
ミオは警察に通うようになった。
通うほど、言葉が減った。説明ができなくなる。説明すると、自分が壊れていることが露呈する気がした。壊れていると見なされると、守られなくなる気がした。
守られないのが怖いのではない。守られないことを、自分が納得してしまうのが怖い。
警察官は毎回、同じことを言った。
同じことを言うしかないのだろう。制度がそういう形で作られている。
「被害届は出せます」
「証拠があれば動けます」
「今すぐの危険があれば緊急性が高い」
「複数アカウント、匿名の場合は時間がかかります」
時間がかかる。
その時間の間に、ミオの生活は壊れる。壊れた生活は、時間が解決しない。
時間は、壊れた生活を「壊れたまま当たり前」にするだけだ。
ある日、ミオは階段で押された。体より先に心が転んだ。転ぶと、周囲の目が“待っていた”ように見える。待っていた目は、助ける目じゃない。
背中が壁に当たって、息が詰まった。
押した相手は走って逃げた。
ミオは立ち上がる前に、まずスマホを確認した。
息より先に、画面が必要になっている。自分が嫌だった。嫌だと思えるのは、まだ線が引けている証拠だ。“これはおかしい”と判断できる自分が残っている。ミオはその判断だけを、最後の護身具みたいに抱えた。
その夜、画面には動画が上がっていた。現実が、いつも後追いで画面になる。画面になった瞬間、現実は“ネタ”に変わる。ネタになった痛みは、もう誰にも返せない。
階段で押されてよろけるミオ。呻くミオ。
その上に文字が踊っていた。
『さすがに草』
『よろけ方かわいいw』
『まだ生きてるの?』
ミオは吐いた。吐いても、画面は消えない。吐いても、呼吸は戻ってきた。体は勝手に続いてしまう。その“続いてしまう”が、いまはありがたかった。
吐いたら、またコメントが増える。
『吐いてて草』
『メンタル弱すぎ』
『被害者ぶるな』
ミオはスマホを床に叩きつけた。叩きつけた瞬間、我に返った。壊れたら詰む。
慌てて拾い上げる。画面は割れていなかった。
割れていないことに安堵している自分が、いちばん気持ち悪かった。
その翌日、ミオは病院へ行った。待合の空気は乾いていて、消毒の匂いが薄く残っている。掲示板の注意書きが整列して、椅子の足が床に小さく擦れる。ここでは痛みが、言葉より先に“手続き”として扱われる。背中の痛みが引かない。
医者はレントゲンを撮って、骨に異常はないと言った。異常がないなら、嘘になる。嘘じゃないのに、説明できないなら嘘になる。嘘にされた瞬間、痛みまで自分の責任になる。
異常はない。
異常がないのに痛い。本当は、異常があってほしかった。名前が付けば、説明できる。説明できれば、信じてもらえるかもしれない。その期待がまだ残っていること自体が、ミオの“諦めていない部分”だった。
痛いのに、異常がないと、誰も守ってくれない。
帰り道、ミオは公園の前を通った。砂場の縁が削れて丸くなっていて、ブランコが風でわずかに揺れた。木の葉が擦れる音は小さく、地面の影が時間でゆっくり伸びる。誰も見ていない動きが、いくつも勝手に続いている。公園の灯りは端まで届かず、影が溜まる場所がはっきり分かる。砂場の足跡が乾いて残っていて、誰かがいた証拠だけがある。笑い声が遠ざかっても、残響だけがしつこく残る。子どもが走っている。親が笑っている。うらやましい、と思った。そう思えるのは、まだ自分も“ああなりたかった”側にいるからだ。怒りだけの人間になり切れていないのが、少しだけ救いだった。
ミオはその光景を見て、苛立った。苛立ちは、嫉妬より先に来る。“普通”がそこにあるだけで、殴られた気がする。普通が眩しいほど、ミオは暗い場所に押し戻される。
苛立つ自分が嫌で、もっと苛立った。
ベンチの下に、小さなキーホルダーが落ちていた。
小学生が付けるような、安っぽいキャラクター。
ミオは拾った。拾う必要はない。拾ったら面倒が増える。でも拾った。落としたのが誰か、分からない。それでも、泣いて探す顔だけは想像できた。想像できる自分が残っているのが、ミオは少し怖くて、少し嬉しかった。
拾って、公園の入口の掲示板のところに置いた。落とし物、と紙に書くことすらしなかった。書いたら自分がそこにいた証拠が増える。証拠が増えると、また燃える。それでも“戻す”はやめなかった。完璧な親切は無理でも、できる形に削って残した。ミオはその削り方を、初めて自分の手で選んだ。
その動きを、少し離れた場所から男が見ていた。
男は、目立たなかった。
夜に溶ける服。どこにでもいそうな体格。
でも、ミオの目はその男を避けなかった。避ける余裕がもうない。目を逸らすと、また自分が小さくなる気がした。小さくなったら、戻れない。だからミオは、怖さの中でも背骨だけは折らないように立っていた。避けると負けになる。負けになると叩かれる。叩かれるのが嫌で、避けない。
男の視線は、ミオの顔に留まらない。顔を見ないのは、罪悪感を持たないためだ。罪悪感がないから、手が早い。早い手は、止める前に終わらせる。
顔ではなく、動きに留まる。
拾う。置く。戻る。
そういう動き。
ミオは苛立って近づいた。
「なに見てんの」
男は答えない。
答えないのに、そこにいる。そこにいるというだけで、ミオの神経が擦れる。
ミオは笑った。笑いの形だけ作る。
「私のファン? それとも、あっち側?」
男は答えない。
答えないまま、距離だけが詰まる。
近い。近いと、体が先に危険を拾う。拾った危険が、ミオの口を荒くする。
「近づくなよ」
男は止まらない。
止まらない動きが、妙に早い。
早いという感覚は、ミオがよく知っている。コメントが増える速さ。動画が拡散する速さ。
止められない速さ。
ミオは思わず口走った。
「……苦しまないで死ねるなら、もう……」
口が勝手に最悪の言葉を探した。言葉にすると、世界がそれを“許可”として扱う気がした。許可を出してしまった恐怖が、喉の奥に貼り付いた。
言った瞬間、ミオは自分で自分を殴りたくなった。本当は、死にたいんじゃない。静かに眠りたいだけだ。眠って、起きても怖くない朝が欲しいだけだ。
自分が「そういう言葉」を口にしたことで、また材料が増えた気がしたからだ。
材料が増えると燃える。燃えるのが嫌だ。嫌だから黙る。黙ると、また孤立する。
男は、その言葉に反応しなかった。
反応しないことが、いちばん気持ち悪い。
反応がないから、彼の中で何かが決まっている気がする。決まっているなら、ミオの言葉はもう届かない。
男の目が、ミオの手に落ちた。
ミオの指先が、小さく震えている。
震えを隠すように握りしめると、爪が掌に食い込んだ。痛い。痛いのに、痛みは現実の証拠になる。現実の証拠が欲しい自分が、また嫌だった。
ミオは吐き捨てた。
「どうせ私が死ねば静かになるんでしょ。警察も守れないし。みんなそれで終わる。楽だもんね」
男は答えない。
答えないまま、さらに近づいた。
近づき方が荒い。さっきより荒い。
荒くなる理由が分からない。分からないのに、荒いことだけは分かる。
ミオは一歩下がった。
足元に何かが当たる。さっき拾ったキーホルダーだった。風で転がってきたのかもしれない。
ミオは反射で、それを拾い上げて元の位置に戻した。
戻した瞬間、男の動きがさらに早くなった。
何が気に障ったのか、ミオには分からない。
分からないのに、確信だけが浮かぶ。
この男は、ミオが「そういうこと」をするのが嫌いだ。
ミオが優しいかどうかではない。優しさが残っていることが嫌いだ。
残っているものを見るのが嫌いで、見ないために早くする。
男の手が、ミオの視界に入った。
触れた、と思う前に、息が途切れた。息が切れた瞬間、ミオの中で言い訳だけが回った。助けを呼べなかった理由、逃げられなかった理由、誰も信じなかった理由。理由が増えていくほど、救いが遠のく。
痛みはなかった。ミオは一瞬だけ、冷蔵庫の水のことを思い出した。明日飲もうとしていた、ただそれだけの水。その“明日”が頭に浮かぶことが、最後の最後まで生の側だった。
救いを感じる暇がない。
世界の音が、段階を踏まずに遠のいた。
ミオは倒れたのではなく、崩れた。
崩れ方に、意味がなかった。
公園の入口の灯りが滲む。
滲みが涙ではないことが分かる。涙なら、まだ「感じている」からだ。
感じる前に、途切れた。
誰かが「え?」と言った。
誰かがスマホを向けた。
誰かが駆け寄りかけて、足を止めた。
止めて、周囲を見回した。
周囲に危険がないと判断したのか、誰かが近づいた。
「大丈夫ですか」
大丈夫という言葉が遅い。
遅い言葉は、現実を変えない。
救急車が呼ばれた。
呼ばれるまでの間に、画面の中では別の言葉が増えた。
増える速度は、いつもと同じだった。
『あ、あの人じゃね?』
『草』
『死んだ?』
『警察案件w』
『自業自得』
誰かが動画を上げた。
タイトルに、ミオの名前が入った。
ミオはもうそれを見ない。見ないのではない。見られない。
警察が来た。
現場の写真を撮った。
事情を聞いた。
目撃者は曖昧に答えた。曖昧なのは、見ていなかったからじゃない。“巻き込まれたくない”が先に立つ。巻き込まれたくない人が増えるほど、犯人は安全になる。
「よく分からない」「突然倒れた」「男がいた気がする」
特定できない、という言葉が、また生まれる。
男は、もうそこにいなかった。
人混みの外側を歩いて、角を曲がった。
角を曲がった先で、男は一瞬だけ立ち止まりそうになった。
立ち止まらない。立ち止まると、見てしまう。見てしまうと、余計なものが増える。
増えるのが嫌で、歩いた。
家に帰る途中、男はスマホを見た。
ミオの名前が並んでいる。
並んでいる名前の横に、笑いが並んでいる。
笑いの横に、正義が並んでいる。
正義の横に、また別の名前が並び始めている。
『次はこいつw』
『こいつも同類』
『晒しとく』
男の胸の奥が軽くならない。
軽くならないまま、足だけが進む。
善人を殺しても、気分は満たされない。
満たされないのに、終わる。終わると、次が来る。
次が来ると、また善人がいる。
善人がいると、また“見てしまう”。
見てしまうのが嫌で、また早くなる。
翌朝、ミオの部屋の電気はつけっぱなしだった。
冷蔵庫の中の飲み物は冷えたまま。
テーブルの角の薬箱は、蓋が閉まったまま。
閉まっていることに気づく人はいない。
気づいても、誰も直さない。直す理由がない。
昼には、別の炎上が始まった。
ミオの件は「昨日のネタ」になった。昨日に押し込められるのは、死者の側だけだ。生き残った側の痛みは、今日も続いているのに。続いているものほど、誰にも見えない。
昨日のネタは、今日のネタに負ける。
負けると、消える。消えるのに、ミオは消えない。ミオの名前は検索欄に残り続ける。残り続けるけれど、誰も責任を持たない。
ニュースが一瞬だけ流れた。
「SNS上の誹謗中傷が社会問題に」
それを見て、チャンネルを変えられなかった人もいた。何もできないのに、胸のどこかが痛む人もいた。その痛みが消えない限り、世界は全部は終わっていない。
言葉は正しい。正しい言葉は、何も変えない。
男はまた街にいる。
同じような画面を見て、同じような文字を見て、同じように苛立つ。
苛立ちの向け先がない。
向け先がないから、手応えがない。
手応えがないから、満たされない。
そしてまた、次の善人が見える。
画面の外側で、ほんの小さな親切が反射する。
落とし物を拾う。譲る。謝る。誰も見ていないところで。その親切は、誰にも褒められない。だからこそ混ざり物が少なくて、まぶしい。まぶしいものが残っていることが、男にとっては耐え難かった。
それを見た瞬間、男の足が早くなる。
早くなる理由を、男は口にしない。
口にしたら、意味が生まれる。
意味が生まれると、残る。残るものがあるのは邪魔だ。
残らないまま、次へ行く。
次の名前が、また画面に並ぶ。
並ぶ名前の横に、笑いが並ぶ。
笑いの横に、正義が並ぶ。
誰も止めない。
止められる仕組みがない。
止められないまま、次が来る。
止まらないのは、走っているからじゃない。止まれないのは、自分の中の空洞が追いついてくるからだ。空洞から逃げるために、また誰かを選ぶ。
男の足は止まらない。




