第14話:霧の背に潜む
王都の早朝。
霧が薄く街を包み込んでいる。
馬車の車輪が転がる音とともに、アステリア・フォースター とタカシ・シラカワ は、学園の「監視塔」へと向かっていた。
今日は「竜種暴走事件」の調査・再発防止の一環として、学園敷地内に設置されていた霧の立ちこめる庭園――旧・飛翔演習区跡地に赴く。
「令嬢、今日はあの霧がいつもと違うと、学園警備隊から報告あります」
「どういう意味かしら?」
タカシが馬車の窓から外を覗くと、庭園を囲む欄干のあたりに薄く、揺らめく影が見えた。
「……複数人の気配、且つ、魔力波が異質です」
霧が深まり、視界が悪くなる中、アステリアは手慣れた動作で魔鏡を取り出した。
「幻視結界・薄霧輪……この霧の中でも真実を映せる術式。準備はいいわ」
タカシは剣を軽く抜き、警戒態勢を整える。
庭園に足を踏み入れると、冷えた湿気とともに、零れ落ちる魔力の残滓がちらつく。
アステリアが一歩、また一歩と進むたび、足裏に金属の金具が引っかかる。
彼女が欄干を跨いだとき、声がした。
「踏み込みなさい。影はあなたの後ろに」
アステリアが振り返ると、そこには――
霧の中に浮かぶ、羽根のようなものが二枚。
それは一体の若い竜種だ。翼はまだ若く、体格も成体に及ばないが、瞳の奥には、深い意志と痛みが宿っていた。
「……どうして、あなたがここに?」
アステリアの声は震えていた。竜種が低く唸る。
その唸りに続いて、タカシが静かに詠唱を始める。
「封翼結界・零……羽ばたきを封じ、魔力波を探査」
だが、竜種は動かない。むしろ、こちらをじっと見つめている。
そのとき、霧がざわめく。
複数の影が、霧の中から現れる。数にして五。全てが人間だ。
マントを翻し、フードから赤い眼光がのぞく。
「目印、確認。転生者および竜種の確保開始」
仮面の声が冷たく響いた。
アステリアは守るべき竜種と対峙したまま、タカシの方をちらりと見る。
「待て、タカシ。この子を保護しなきゃ……でも、今は私が先に行く」
「令嬢…?」
「お願い、少しでも時間を稼いで」
タカシは頷き、短く「了解」と返す。それだけで十分だ。
アステリアは静かに詠唱を始めた。
「魂契印・月輪――私の契約を、貴方の痛みに捧げる」
足元に、月の模様を描いた輪が浮かぶ。
同時に竜種の体が震え、翅の先から光る羽毛が舞った。
一方タカシは、剣を構え、仮面たちに対峙する。
「護衛騎士ごときが、英雄令嬢の影になるつもりか?」
タカシの剣が仮面のマントを裂き、血の霧が舞う。
その隙に、アステリアの魔法が竜種を包んだ。
「大丈夫、怖くない。私がついてる」
月輪の魔力が、竜種の体に静かに浸透していく。
「確保失敗、対象脱離」
と、霧の中の仮面たちが退却を始めた。
タカシが一人追おうとするが、アステリアが手を上げた。
「今は追わない。まずはこの子を助けて」
竜種が、小さく鳴いた。
それはまるで、「ありがとう」と言っているようだった。
アステリアが微笑んだ。
「ほら、覚えてる? あなたと私、契約したじゃない。そして――誓ったわね」
タカシがその場に立ち尽くす。
「……ああ」
王都の港の裏手に並ぶ倉庫。
禁制品流通を請け負う棟の一角に、設けられた密室。
運搬車両が待機している。
そこで、静かに執り行われようとしている。
それは「竜種の輸出の儀式」である。
国家間の「共同管理」の名のもとに、竜種を「商品」として運ぶ手続きだった。
護衛騎士たちが警備を固め、更に魔導師が魔法陣を床に刻む。
アステリアは、その場に立ち会う王国側の代表である。
傍らには当然の如く、タカシが控えていた。
「王国としては、今回は試験輸送です。竜翼装甲プログラムに基づく移送実験。失敗は許されません」
王国魔法研究所の技術監督官が、淡々と説明を始める。
アステリアの表情は硬い。
「これが共同管理という名の、輸出許可の前段階ですか?」
監督官は一瞬言葉を詰め、うなずいた。
「はい。王国議会の承認を得た上で、転生者および竜種の意志を尊重する条項を付けました。但し条項を守れるかどうかは…」
言葉はそこで止まった。
その時、倉庫の扉が激しく揺れる。扉の外では、低い唸り声とともに、木箱の中で何かが暴動を起こしていた。
「竜種、覚醒か!?」
騒然となる場内。護衛騎士が剣を抜き、魔導師が魔力結界を張る。
木箱の蓋が割れ、蒼く光る瞳と巨大な翼が姿を現す。
“ハーフ・ドラゴン”の体躯を持つその個体が、怒りを爆発させた。
「――やめなさい!」
アステリアが大声を出す。
魔法陣が床に光を放ち、彼女の声に反応するように空気が震えた。
「私は、あなたをモノとして、扱わせはしない」
竜種の瞳が揺れ、そして静かに羽ばたいた。
護衛騎士たちが一斉に構えるが、竜種はその隙をついて空へ跳び、「月虹協定」の旗が翻る夜空を背景に消えていった。
残されたのは、爆発した輸送装置、散乱する木片、そして議会に提出されるべき「輸出許可案」のドラフト版だった。
アステリアは剣を納め、タカシの肩に手を置く。
「……この儀式、失敗だった」
「無事で、良かった」
夜、王宮の書斎では、議会資料が高く積まれていた。
アステリアは一枚の書類を手に取り、墨の染みた文字を読み上げた。
「竜翼装甲プログラムⅡ:竜種移送・軍用転用前提 拡大輸出条項案」
彼女は深く息を吐き、机を叩いた。
「この条項は、王国の理念を根底から変えるもの。わたくしは、これをこのまま承認させるわけにはいきません」
タカシは静かにうなずいた。
「令嬢、これからの戦いは議場と戦場、両方になる」
アステリアは視線を遠くに向けた。
「ええ。私たちの守るべきもの――生命と意”が、国家の論理に飲み込まれてはいけない」
月光が窓から差し込む。
夜の王国には、冷たい風が吹いていた。
その風に誓う声は熱い。
「私は、たとえ一人でも、この道を行くの」
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