第13話:月虹の裏
王都〈ルミア〉、朝靄が城壁を包む頃。
「月虹協定」の署名から間もない王宮では、緊張感の残る空気が漂っていた。
だが、華やかな表舞台の裏で――動き始めていたのは、誰にも気づかれぬ裏側だった。
一つは 王宮での密談。
宰相 エルリック が重厚な扉の奥でひそやかに話をしている。
「協定を結んだとはいえ、帝国の本意は我が王国の竜種と転生者を“資源”と見ることに変わりはない」
近くの幕の陰から、貴族たちが興味深げに耳を傾ける。
第一王子 アドラッド が苛立ちを隠せず王宮内をさまよっている。「なんだ、あの令嬢が、協定の前に立っているとは」
彼の独り言に、侍従が神妙な顔でうなずく。
王子の鬱積した嫉妬と疎外感──それが今、王宮内のもう一つの歯車だ。
二つ目は 使節団の影だ。
帝国使節団を率いる シェリル=イシャール が自室で書類を見つめる。
「――協定文から情報公開の条項を削除する案、提出します」
隣に控えた参謀が低く言う。
「その案、王女殿下の意志に反します」
シェリルは微笑んだ。
「これはゲームです、参謀。私たちが盤上において駒を動かしている。だが、表向きの駒に見える者こそ、本当の鍵を握っていないかしら?」
彼女の視線は、窓外に揺れる竜の群れを追っていた。
さらには学園内の動揺が生じている。
王立学園――日常の講義が始まる前、教室でひそひそと噂が広がる。
「ねえ、知ってる? 侯爵令嬢アステリアが転生者だってさ」
護衛騎士 タカシ は、窓越しに学園の中庭を見つめ、歯を食いしばった。
転生者のラベリング――それは学園だけでなく、社会的にも危険な火種となりうる。
そして王宮地下、竜種保護区。竜種代表が王国議会に向けて声明を出す。
「我らハーフ・ドラゴン/フル・ドラゴンは、協定の資源ではなく、意志を持ちうる存在である。転生者と同様に」
その発言に、議会の貴族たちはざわめいた。
議長が槌を叩く。
「この声明をどう思うか、王国として即時に対応せよ」
アステリアが立ち上がったる。
「私が今、この場にいるのは対話のためです。支配や抑圧ではなく」
夜。王都の裏通り、シルエットが一人。
彼は王子アドラッドの影の下、密かに通信魔法陣を起動していた。
「了解。竜種一体、次の輸送便へ」
暗い声が返る。
「何をしているんだ!?」
背後からタカシの剣先が差し込まれる。
「…護衛騎士か。だが君には遅かったな」
仮面の男は嘲笑い、闇へと消える。
タカシの手が震えた。
協定の裏面では、王国内部の浸食が始まっていた。
王国議会の大広間。厚いカーテンを背に、貴族たちが重々しく議席に集っていた。
議員の槌が一度打たれ、議会が開会する。
「ただ今より、協定〈月虹協定に基づく第一回共同委員会を開始します」
との声に、緊張のときが流れる。
一方、議場の階段脇に控えるのは、令嬢 アステリア・フォースターと護衛騎士 タカシ・シラカワ。
アステリアは淡い表情のまま、資料を閲覧していた。
「……この『共同委員会』の名のもとに、王国はどれほどの代償を支払うのかしら」
タカシがサイドで耳を傾けながら言葉を返す。
「令嬢、王国としては大きな出発だ。だがその分、リスクもある」
議場の掲示板に照明が映し出された。
スクリーンには、次のような条文が映っている。
条項VII A:転生者および竜種の“交換・移転”に関する試験運用
帝国と王国は、共同研究体制下において、該当個体の所有権・管理権・移動権を協議の上で行使する。
議員席からどよめきが起きる。
「所有権…管理権…移動権…これって資源として扱う条項では?」
という声が飛ぶ。
アステリアは立ち上がる。
「私はこの協定を守るためにここにいます。ですが――この条文では、『転生者』と『竜種』を人や生き物としてではなく、物として交換する可能性を残している」
彼女の声は澄んでいたが、重い。
議長が槌を落とす。
「侯爵令嬢、あなたの意見として、具体的な修正案はありますか?」
アステリアは資料を整理し、ゆっくりと答える。
「はい。条項VII Aの語句を修正し、『生きとし生ける存在としての尊厳を有し、国または個人の意思による移転・管理の決定がなされなければならない』と定めるべきです」
その提案に対し、王子 アドラッド・リフローダが立ち上がる。
「令嬢、それでは国家間の交渉に支障をきたす。これ以上の遅延は王国の立場を弱めるぞ」
王子の言葉に、アステリアが静かに応答する。
「国家の立場とは、強さではなく、正義と信頼で成り立つものです。わたくしは、王国が信頼を失う瞬間を見たくはありません」
広間に重い沈黙が落ちた。緊張がその場を包む。
翌日、王都の外縁で、小型の竜種が輸送されるという現場が報告される。
黒い護送車。遮蔽魔法。人の気配が消える移動。
だが、その輸送車に張られた封印が破られ、竜種が突然暴走する。
警備隊が駆けつける頃には、竜種は宙を舞い、曇天に向かって轟く火焔を吐いていた。
報道陣が螺旋状に集まり、称賛と恐怖の交錯を目撃する中、アステリアとタカシは王宮の窓からその様を見ていた。
タカシが低く言う。
「令嬢、あれが共同管理の実態かもしれません」
アステリアの瞳に決意が光る。
「……私、この王国を――ただ守るだけではなく、変えます」
月光が竜種の炎を照らし、赤い霞となって王都を覆った。
その代償の重さを、二人は深く胸に刻んでいた――。
Q:なんか政治的な話?
A:そういうご時世なので




