第2話 見られる一日
あの、信じられない展開から一日が経った朝――。
俺は全速力で階段を駆け上っている。
昨年度は一度も朝のショートホームルームに遅刻をしたことがないというのに、あと30秒でチャイムが鳴ってしまうという状況。
何としても遅れるわけにはいかない。
なんて言ったって、四組の担任は高校内有数の煩さを誇るアイツなのだぞ。
三階に到着し、廊下をできるだけ早く走る。
その途中、見知った奴が見えた。
「ガヤじゃん、おはよー」
せっかく挨拶をしてくれたが、しっかり返事することはできず、「よっ」とだけしか返せなかった。
素っ気ないかもしれないが許してくれ、と心の中で謝る。
ちなみに、ガヤとは俺のあだ名だ。
割《《ヶ谷》》の後ろ二文字を取って《《ガヤ》》らしい。
俺はリアクション芸人か何かか――?
残り3秒――。
俺は教室の後ろ側の扉を開けた。
俺以外はすでに自席に座っているらしく、みんなが何事かとこちらを見てきている。
そして何人かは今から説教が始まるのか、と面倒くさそうな顔を浮かべているが、大丈夫。
なぜなら俺の名前は割ヶ谷――つまり、名簿の一番最後――要するに、扉から最も近い席の人なのだ。
キーンコーンカーンコーン。
「ギリギリの人もいたが、朝の諸連絡を始めるぞ」
安心した途端、さっきまでの疲れが一気に溢れ出してきた。
まだまだ夏本番でないと言えども、最寄り駅から10分弱も全力で走れば暑くて汗が出る。
しっとりした肌着に嫌悪感を抱きながら額を拭う。
ちょっと悪目立ちしてしまっただろうか――。
そう思い周囲を見渡すが、誰もが先生の方を向いていて、杞憂だったと安心する。
誰もがと言ったけれど、正しくは唯一まだ俺を見ている人がいた。
掛田さんだ――。
チラッと見た感じでは、少し微笑んだ表情をしている気がした。
なにがそんなに嬉しいのか。
俺が怒られかけたんだぞ……。
しかし、目を合わせるのはアレだし逸らそうとするのだが、余計に意識してしまって仕方がない。
この遅刻だって、元はと言えば掛田さんが原因かもしれない。
いつもは日を跨ぐ頃には良い睡魔に襲われるはずなのに、昨日だけは無性に覚醒してしまい、あまり眠れなかったのだ。
きっとおそらく、教室での掛田さんの言葉が頭をグルグル回っていたのだろう。
忘れようと決心したんだがな……。
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午前の授業中、斜め左前の掛田さんからの視線を時々感じた。
いや、今までも見られていたのかも知れないが、そうだとしても今日から余計に気になり始めた。
その視線が自分に対する好意、というより好きから来るものだと思うと、嬉しさを感じるのも確かで……。
しかし、やっぱり素直には喜べない。
男は単細胞だから好きと言われれば好きになる――なんて、そんな単純な生物ではないのだ。
「うぃーっす、晴路っ!」
そう陽気に言って、頭を悩ませていた俺の肩を叩いたのは、一年生の頃からの俺の友人――足立将である。
いかにもモテモテ系イケメン陽キャな容姿とそれに見合う性格を兼ね備えた、ハイブリッドヒューマン。
そんな彼とは、入学初日に教室へ一番、二番に来たことがきっかけで仲良くなった。
二年生になってクラスが分かれてしまった今でも、たまにこうして一緒に昼食をとってくれる。
ほんとに、俺が惚れちゃいそうなくらいだ。
「よお、将。今日も良い髪型してるな」
「そうか? ありがとよ」
顔を褒めるのは癪で、適当に髪を褒めたのだが、どこをとっても良い男だったと失念していた。
「晴路は今日も弁当だよな。はやく食べようぜ」
この高校には学食がある。
だから、そこに行くわけではないと確認をしたのだろう。
俺たちは机を二つくっ付けて、向かい合わせに座った。
将は手に持っていたパンを、俺は鞄から弁当を取り出してそれを食べ始める。
「昼飯それだけって少なくないか?」
陸上部に入っているのにも関わらず、菓子パン三つしかない将に対して、俺は思った疑問を投げつけた。
「まぁ、運動部の全員が大食いってものじゃないからな」
「何か食べるか?」
「えっまじっ? いいん?」
俺が弁当箱を見せると、目を輝かせて身体をのめり出してくる。
そんなにお腹が空いているのだろうか――。
「お前の手作りだろ。ほんとに美味いんだよなぁ」
「そうか? ありがと」
大声でそんなことを言うわけで、教室中から注目を浴びてしまう。
ただでさえ将はイケメンだから女子にチラチラ見られるというのに、どうしたものか。
見られているのは将だけで、俺なんかないものだと思われているのは分かっているのだが、何だかソワソワしてしまう。
しかし、一人だけ俺の方を見つめている女子がいるらしい。
掛田さんだ――。
朝の一件もそうだし、もちろんこの一件でも、掛田さんが俺のことを想っているのが本当なんだと実感させられる。
俺のどこが良いのか――とか、聞きたいことは山々ある。
目の前に俺よりも断然イケメンなヤツがいるから尚更。
だが、聞くなんて到底できない。
「どれ食っていいん?」
「好きにしろ」
「じゃあ唐揚げ貰うぞ」
「ああ」
掛田さんに見られているということに意識が持っていかれて、将の言葉が上手く頭に入ってこない。
……あ、やべ。
視線を動かそうとしたら、掛田さんと目が合ってしまった。
すると掛田さんは、擬音にすればプイっという感じで目を逸らした。
そんなことしなくてもバレてるけど……。
不意にそんな彼女が可愛いと思ったのは、誰だってそうなるから仕方がない。
いや、こう思ってしまうのは、掛田さんの気持ちを知ってしまった俺だからなのか。
頭の中での自己問答が繰り広げられる。
「晴路、もう一個貰っていいか?」
「あぁ」
考えても無駄だ。
結論が出ない。
だから俺は諦めて、食事を再開しようと弁当と向き合う。
「唐揚げが無くなってる……」
せっかく頑張って作った逸品が二つとも消えていて、思わず声を漏らした。
「俺はちゃんとお前に食べていいか聞いたぞ? ボーっとしてたから適当に返事したんじゃ」
将が手に付いた油を拭きながら言う。
言われてみればそんなことを聞かれて、何となく「うん」と返した気がする。
俺は掛田さんのことを考えすぎなのかもしれない――。
そう思った。




