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序章【第6章:雷鳴石の試練】

雷鳴石の谷――

その名に違わず、谷全体が唸りを上げていた。

幾筋もの稲妻が空を裂き、その轟音が岩の山肌を内側から震わせる。それは自然現象というより、まるで巨大な獣の断末魔の叫びのようだった。

その中心、黒い岩に囲まれた大地の深い裂け目に、ルゥとエリアスは立っていた。


冷たい風が二人の外套を激しくはためかせ、空気が焦げたような、微かなオゾンと硫黄の匂いを運んでくる。

焔の里で感じる温かい火の気配とは全く違う、荒々しい“生の気配”。それは、この谷そのものが巨大な生命体として生きているかのようだった。

足元の岩も、絶えず走る電流の影響で、微かに振動している。


ルゥは胸元のペンダントを握りしめた。

ペンダントに宿る炎の光が、周囲の雷光に呼応するように激しい明滅を繰り返す。

彼女の心臓も、その光に合わせて高鳴っていた。


「……ここが、雷の心臓ね」


彼女の声は雷鳴にかき消されそうになるほどかすれたが、その瞳には恐れよりも、遥かに強い揺るぎない決意が宿っていた。

この谷の試練を乗り越えなければ、エリアスの剣も、彼女自身の火の秘密も解き明かせない。


エリアスは剣を抜いた。

修復されたばかりの剣は、谷を覆う緊張した空気に一瞬張り詰め、刃が光を反射するたびに、青白い稲妻が吸い寄せられるようにその刀身を走った。


「どんな試練が来ても、俺が君を守る。安心して、ルゥ」


彼の声は、雷鳴の中でもはっきりと聞こえるほど力強かった。


「もう……あの時みたいにはしない」


その言葉に、ルゥの胸が小さく鳴った。

彼が言う“あの時”――それは、彼が守りたかったものを、剣を砕かれ、守り切れなかった過去の光景だろう。

その悲しみが、エリアスの瞳の奥に、今も影を落としていることをルゥは知っていた。


けれど今、彼の剣は再び燃えている。

その炎は、ルゥの炎とは異なる、静かで強い決意の炎だった。


次の瞬間、大地が唸りを上げて鳴った。

その轟音は、岩の底から湧き上がってくるようだった。耳をつんざくほどの轟音とともに、空から落ちた一筋の雷が地面を貫いた。

光が爆ぜ、周囲の岩が砕け、砂が舞い上がり、視界を遮る。


その爆心地の中心に、雷光を纏う巨影がゆっくりと立ち上がった。それは人でも獣でもない、純粋な雷の意志が形を持った存在。

目も口もないはずなのに、その姿から伝わるのは、有無を言わせぬ圧倒的な“意志”と、試練を課す者としての威厳だった。

雷の精霊は、彼らをじっと見据えている。


『――問おう、火の継承者よ。おまえの火は、誰のために灯る?何のために、その力を望むのだ?』


その声は、物理的な音ではなく、直接ルゥの心の中に響いた。まるで、彼女の最も深い場所に隠された問いを、無理やり引きずり出すかのように。

ルゥは息を呑む。胸の奥が締め付けられるように痛い。それは、彼女自身がまだ答えを見つけられていない、最も根源的な問いだった。


彼女は答えようとした。


「私の火は……私の火はっ……」


けれど言葉が続かなかった。

答えは喉の奥に引っかかり、外に出てこない。

彼女の火はまだ揺らぎ、その真の“意味”と“答え”を探している最中だった。


精霊は、ルゥの沈黙を許さなかった。

不合格を意味するかのように、その巨体が大きく咆哮し、谷を揺るがした。稲妻が弾け、風が刃のように舞い、二人に襲いかかる。


エリアスは咄嗟にルゥの前に出て、剣を高く掲げ、雷撃を受け止めた。


「ぐっ……!」


凄まじい雷光が刃を伝い、彼の体を貫く。

彼の体が激しく痙攣し、苦痛に顔を歪めながらも、エリアスは足を踏みとどまった。

その瞬間、彼の瞳に過去の光景が閃く――剣が砕け、守れなかった誰かの笑顔が、再び目の前を過った。

それは、彼にとって最も避けたかった、深い後悔の記憶だった。


(また……俺は……!また、守れないのか!)


雷の衝撃が意識を奪いかけた瞬間、温かな光が背中を包んだ。それは、ルゥの炎が持つ、純粋な温もりだった。


「負けないで!エリアス、諦めないで!」


ルゥの声が雷鳴を貫いた。

彼女の叫びは、雷の轟音に負けないほどの力を持っていた。炎が迸り、彼の体を包み込む。

それは熱ではなく、傷を癒し、意識を繋ぎ止める温もりだった。その温かさが、エリアスに力を取り戻させた。


ルゥのペンダントが、今までにないほど眩い紅蓮の光を放つ。その炎が、まるで大輪の花のように咲き誇り、精霊の放つ雷の光と交わった。


「火は……壊すためじゃない!

私の火は、誰かを傷つけるためにあるんじゃない!」


ルゥは精霊に向かって叫んだ。

その声は、もはや恐怖に怯える少女の声ではなかった。


「誰かを照らして、導くためのものなの……!

温めて、癒して、そして、守るためのものよ!」


彼女の魂から溢れ出したその答えに、炎が白く変わった。それは、彼女がまだ知らぬ、真実の記憶の焔。

谷の奥に眠る古い記憶が、光の断片として彼女の脳裏に怒涛のように流れ込む。


――幼い自分を抱く、優しくも力強い手。

――どこかで聞いた、懐かしい“火の唄”。その唄は、揺らぐ炎を鎮める子守唄だった。

――そして、誰かと交わした、“火を受け継ぐ約束”の言葉。


その光景に、ルゥの目に涙が滲む。

それは、喜びでも悲しみでもない、失われた自分の一部を取り戻したことによる、魂の解放の涙だった。


「私は……私の火を、エリアスの剣が守りたいと願う誰かの笑顔のために使いたい。それが、私の火の本当の意味なの!」


ルゥがそう宣言した瞬間、精霊が動きを止める。

谷全体を覆っていた雷鳴が一瞬だけ消え、深い静寂が訪れた。精霊の無機質な姿は、彼女の答えを噛み締めているかのようだった。


だが次の瞬間、雷の獣は再び吠えた。

その声には、怒りではなく、試練を完遂させる意志が込められていた。


「ならば、証を示せ!言葉ではなく、その炎と剣の力で、我を打ち破って見せよ!」


地を揺らす轟音とともに、無数の雷撃が四方八方へ走る。ルゥは炎の壁を展開し、エリアスがその隙を突いて、雷撃をくぐり抜け、精霊へと突進した。

剣と炎が交差する。雷と火がぶつかり合い、空が割れ、谷が眩い光に包まれる。


エリアスが精霊の目前に到達した瞬間、ルゥが最後の力を振り絞った。


(エリアス、今だ!私の火を、あなたの剣に!)


ルゥの白く輝く炎が、彼の剣に宿る。

剣は、雷を纏い、そして炎を宿した、光の刃へと変わった。


「――この刃は、二度と折れない!守るために存在する!」


エリアスの叫びとともに、剣が雷を切り裂き、精霊の核へと正確に突き刺さる。


轟音の中、雷の精霊が光の粒となって崩れ落ちていく。その光の散華は、まるで夜空に打ち上げられた花火のように美しく、そして切なかった。


遠くで、誰かの声が微かに、しかしはっきりと響いた。それは、精霊の最後の言葉、あるいは、ルゥの取り戻した記憶の残滓かもしれない。


――“語り部の都へ向かえ。焔の記憶が、次の道を示す”


轟音が静まり、谷を覆っていた黒雲が、まるで巨大な緞帳が巻き上げられるように、ゆっくりと裂けていく。

その隙間から、眩いばかりの光が差し込み、荒々しい岩壁を温かい金色に染め上げた。

谷の深部にまで届いた陽光は、彼らの試練の終わりを告げているかのようだった。


ルゥとエリアスは、肩で激しく息をしながら、大地にしっかりと立っていた。

雷の精霊は完全に姿を消し、谷にはただ、吹き抜ける風の音だけが残る。

それは、数時間前まで彼らを包んでいた、狂乱のような雷鳴とは比べ物にならないほどの、穏やかな静けさだった。


地面には、試練の証——精霊の核であった青白い光を放つ雷鳴石の欠片が、静かに転がっていた。

それは、彼らの勝利を証明する、かけがえのない宝物だった。


ルゥは、震える手でそれを両手でそっと包み込む。

彼女の掌から、温かい火が柔らかく灯り、雷鳴石が静かに脈打った。

炎と雷、本来は相容れないはずの二つの鼓動が、彼女の手の中で、まるで古き友人のように、ひとつに重なっていく。


「……終わった、のかな」


ルゥの声は、疲労でかすれてはいたが、その口元には、安堵と達成感に満ちた微笑みが浮かんでいた。

彼女の瞳には、先ほど見た記憶の断片と、精霊に答えられたことの確信が宿っていた。


エリアスは深く息を吐き出し、うなずくと、青空が顔を出し始めた空を見上げた。

雷雲は谷の遥か遠くへと遠ざかり、そこには澄み切った青空が広がっている。


「終わったよ。勝ったんだ、ルゥ。けど……俺たちも限界だな」


「うん……もう、足が動かないわ……」


二人は顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。

その笑い声は、谷の静寂を破る、心からの解放の音だった。

彼らはその場に腰を下ろした。

岩に囲まれた場所の風は冷たかったが、その冷たさは、彼らの火照った体に、かえって心地よかった。

谷の中に漂っていた極度の緊張が、ようやく溶けていくのを感じた。


しばらく無言のまま、二人は差し込む光と、澄み切った空を見上げた。その光は、彼らを優しく包み込む。

その光の中で、ルゥの胸元のペンダントが、雷鳴石の力を吸収したかのように、これまでよりもさらに強く、優しく輝いていた。


「……ねぇ、エリアス」


ルゥは静かに言った。


「ん?」


エリアスは、ルゥの顔を見下ろした。


「一度、里に戻ろうか。長老に、この谷で起こったこと、精霊の言葉、そして私のペンダントが示した『語り部の都』のことを報告しなきゃだし……みんな、私たちが帰らないから、きっと心配してる」


エリアスは迷わず同意した。


「そうだな。ルゥの体力も限界だし、この石も里の鍛冶場でちゃんと保管すべきだ。それに……ガランに“雷のこと”も話しておきたい」


ガランとは、エリアスが剣を壊した時に傍にいた、里の若き鍛冶師だ。エリアスは、彼との間に残るわだかまりを、この試練を乗り越えた今、乗り越えたいと考えていた。


エリアスはゆっくりと立ち上がり、ルゥに手を差し出した。彼の掌は温かく、力強かった。


彼女はその手を取り、ゆっくりと立ち上がる。足に力が入らないが、エリアスの手がしっかりと支えてくれた。


谷の出口へと向かう道は、来た時とは違って見えた。一歩一歩が重くはあったが、彼らの心は希望に満ちていた。風が優しく背中を押し、遠くに焔の里の山影が、彼らを待っているかのように霞んでいる。


「帰ろう」


エリアスは、未来への決意を込めた声で言った。


「うん……帰ろう」


ルゥも力強く応じた。

彼女の手の中にあった雷鳴石の光は、ペンダントの中に吸い込まれていく。その光は、まるで“次の旅”を静かに約束するように揺らめいていた。

――焔の里へ。再び。

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