表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/37

第4章【第3話:触れてはいけない声】

一度は死に絶えたかに見えた風が、いつの間にか戻っていた。


だが、その風の流れはどこか不自然で、肌をなでる感触がひどく落ち着かない。


吹き荒れるわけでもなく、凪ぐわけでもない。


一定の強さを保ちながらも、そのリズムは微かに、そして粘り強く変化し続けている。

まるで、目に見えない何者かの呼吸や、歩調に"合わせている"かのような、作為的な動きだった。


ティアがいきなり足を止め、銀色の杖を砂に突き立てた。


「……変ね」


「何が?」


ルゥが振り返る。


その胸の焔は、周囲の異様さに当てられたのか、先ほどからチリチリと火花を散らしている。


ティアは薄く目を開き、空中に指を這わせて、風の奔流を感じ取った。


「風の法則が狂っているわ。

自然な気圧の差で動いているんじゃない。

まるで……私たちではない"何か"の動きに追随して、世界が鳴動しているみたい。」


その言葉に、エリアスが即座に反応した。


腰の剣の柄に手を添え、鋭い視線で周囲の砂丘を見渡す。


「俺たち以外に、先客でもいるってことか?

あるいは、またあの砂の化け物か」


「いる、というよりは……」


ティアは適切な表現を探すように視線を彷徨わせた。


「この領域で"動いているもの"の密度が増しているのよ。それも、かつてないほど明確な意志を持って」


その直後だった。


砂の向こう、半ば崩れかけた石造りの通路の奥で、

ひとつの人影が、ゆらりと歩いた。


ルゥの焔が、一際強く灯る。


「……また出た。影の残骸!」


だが、セリスは小さく息を呑み、自身の目を疑うように凝視した。


「違う……」


これまで見てきたものとは、決定的に違っていた。


その輪郭は陽炎のように揺れてはいない。


砂の粒子が無理やり固まったような不透明さもなく、そこにいるのは紛れもない「人間」の姿だった。


そして、何よりも耳を打ったのは"音"だ。


砂を踏み締める、確かな足音。


コツ。

コツ。


硬い石の床と砂が擦れ合う、乾いた、重みのある音が静寂を切り裂く。


人影は一度止まり、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「……そこに、誰かいるのか?」


低く、落ち着いた声が届いた。


エリアスの指が、反射的に剣の鍔を弾く。


「……おい。今、はっきりと喋ったよな。

空耳じゃないよな?」


ティアの操る風の防壁が、困惑にわずかばかり乱れた。


「ええ……聞こえたわ。

ただの反響じゃない、明確な指向性を持った声」


セリスの喉が、引きつるように震える。


(……これ、前までのとは違う。ただの『映像』じゃない)


"見る"だけではなく、今や"聞こえる"段階にまで再現度が跳ね上がっている。


そして、最大の違いは――。


「おい、返事はないのか? 迷い込んだのか?」


向こうが、明確にこちらを認識し、対話を求めていることだった。


ルゥの胸の焔が、不安を煽るように大きく揺らめく。


「……私たちが見えてるの? 過去の幻影のはずなのに?」


セリスは吸い寄せられるように、エリアスの制止を振り切って一歩前へ出た。


「待て、セリス! まだ正体が……」


だが、彼女の声はすでに男へと投げられていた。


「あなた……こちらの声が、聞こえているの?」


一瞬の、刺すような沈黙。


そして、男は事も無げに応じた。


「……ああ。はっきりと聞こえている。

変な格好をしているな」


空気が、一気に張り詰めた。


エリアスの顔が戦慄に強張る。


「……嘘だろ。時を越えて会話してるっていうのか」


ティアが声を落として呟く。


「物理的な接触だけじゃない。

意識の領域までもが完全に"繋がっている"……」


ルゥは自分の胸を押さえた。焔が熱い。


(……完成に、限りなく近いんだ)


その理解が、冷たい汗となって背筋を伝い落ちる。


向こう側の人物が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


顔の細部が見える距離にまで近づいた時、セリスははっと息を止めた。


それは、まだ若い男だった。


日に焼けた肌に、埃っぽい石工の服。

手には使い込まれたノミと金槌。


そして――。


(……あの人だ)


かつて塔の幻影の中で見た、あの孤独な背中。


男は、真っ直ぐにセリスの瞳を見ていた。


その瞳には、彼女の姿がはっきりと映り込んでいる。


「……見ない顔だな。この区画はまだ整理が終わっていないはずだが。旅人か?」


視線が逸れない。

完全に、一個の人間としてセリスを認識している。


「……あなたは、この街の人……なの?」


男は、不思議そうに少しだけ首を傾げた。


「当たり前だろ。ここに住まずに、誰がこの塔を積み上げるっていうんだ」


あまりにも自然な受け答え。


だが、だからこそ寒気がした。


ティアが背後から小さく囁く。


「……時間の位相が噛み合っていない。

彼は『今』を生きているつもりなのよ」


男は話を続ける。


「ここはまだ建設中だ。資材も多いし危ない。

関係者じゃないなら、あまり奥には入るな。

完成すれば、最高の景色を見せてやれるんだがな」


その言葉に、セリスの胸が激しく鳴った。


(……本物だ。生きている。まだ、希望の中にいるんだ)


しかし、違和感は膨れ上がる。


「……今は、いつ? 何年なの?」


セリスの問いに、男は少しだけ考える仕草を見せた。


だが、その"間"が、あまりにも不自然に長かった。


「……いつ、だと? ……そうだな。……完成の前だ。

それ以外に何がある?」


曖昧すぎる、論理の欠落した答え。


ルゥの焔が、危険を知らせるように不安定に爆ぜた。


「ねえ」


ルゥが、我慢できずに口を開いた。


「あなた、本当は……この街を完成させないって決めた人じゃないの?」


その瞬間。


世界の形が、目に見えて歪んだ。


男の表情が、凍りついたように静止する。


ほんの一瞬。

だが、ビデオのテープが擦り切れるように、時間が"引っかかった"。


ティアが悲鳴のような声を上げる。


「ルゥ、だめよ! 核心に触れないで!」


だが、言葉は放たれた後だった。


男の目が、濁った色を帯びてわずかに揺れる。


「……何の話だ? 完成……させない?

俺は、造っている。ずっと、造り続けて……」


声は変わらない。


だが、音の響きが半拍ずつズレていく。


セリスの背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走った。


(……違う。さっきまでとは、反応が噛み合ってない)


エリアスが剣を抜き放ち、セリスの前に割り込んだ。


「もういい、そこまでだ! 離れろ、セリス!」


男が、さらに一歩近づく。その動きは、先ほどまでの滑らかさを失い、不気味なほどに機械的だった。


「お前たち……どこから来た? ……どこから……いつから……?」


質問の内容が変質していく。


それは知的好奇心ではなく、バグを起こした機構が必死にエラーを修正しようと、情報の隙間を探っているかのようだった。


「……これ、危ないよ。本物じゃない」


ルゥが震えながら呟く。


その瞬間。


男の身体の輪郭が、激しくノイズのように揺れた。


「維持しきれていないわ! 存在の整合性が崩壊してる!」


ティアが風の力を最大まで引き出し、荒れ狂う突風を男との間に叩きつけた。


風が間に割って入り、男の姿を激しく掻き乱す。


「……あ……あ、あ……」


声が崩れる。


言葉としての意味を失った、砂が擦れ合うような摩擦音。


次の瞬間。


男の肉体は、一気に数千、数万の砂の粒へとほどけた。


崩れる。


悲鳴も、衝撃も、跡形もなく。


彼は元の、意思を持たない無秩序な砂塵へと還っていった。


沈黙が戻る。


ただ、冷たい風の音だけが虚空に響いていた。


セリスはその場にへたり込み、自分の手を見つめた。


「……今の。確かに話せたよね。心があったよね……」


エリアスが重い溜息をつき、剣を鞘に納める。


「ああ。だが……砂の城と同じだ。長くは持たなかった」


「持たなかったんじゃないわ」


ティアが首を振り、暗い表情で砂の跡を見つめた。


「私たちが、彼の矛盾を突いてしまった。

この場所のルールに、彼の存在が耐えられなかったのよ」


ルゥの焔が、静かな、冷ややかな色に戻る。


「……完成しきれなかったんだ」


その言葉の重みに、全員が口を閉ざした。


セリスは震える手で楽譜を握りしめる。


「……もし、もっと深く、強く繋がってしまったら」


誰も答えなかった。


だが、全員がその帰結を理解していた。


より完成に近づき、より"本物"に見える存在が現れるだろう。


そして、それに触れてしまったら二度と、こちらの現実へは戻れなくなる。


ティアが前方の闇を見据え、毅然と言い放った。


「進むわよ。ここはもう、安全な観測場所じゃない」


エリアスも頷く。


「ああ。完全に記憶の沼に引きずり込まれる前に、出口を見つけるべきだ」


ルゥも、弱々しく灯る焔を励ますように頷いた。


「うん。でも、まだここは『入り口』な気がする」


「入り口?」


セリスが問い返す。


「さっきの人、まだ『途中』だったから。もっと深い場所……都の心臓部に行けば」


その先を、ルゥは口に出せなかった。


"完全な過去"が、そこには待っている。


セリスは、覚悟を決めたように立ち上がった。


「……行こう。最後まで、見届けなきゃいけない気がするの」


風が、都の奥へと流れる。

今度は、逃れようのない強い意志を持って、彼らを誘う。


4人は歩き出す。


砂の底へ。


記憶の澱の中へ。


~触れてはいけない声~が満ちる、深淵の先へ。


そのとき――。


彼らの背後で、再び、掠れた声がした。


「……待てと言っただろう……」


全員が弾かれたように振り向くが、そこには誰もいない。


だが、耳の奥には確かに残っている。


あの石工の、執念の混じった声が。


「……消えてない。まだそこにいる……」


セリスの呟きに呼応するように、ルゥの焔が鋭く、青白く爆ぜた。


記憶は消え去るのではない。


むしろ、彼らの歩みに合わせて、この場所と"繋がり始めて"いるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ