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序章【第3話:焔の音、遠き記憶の残響】

焔の里の鍛冶場は、朝の光が差し込み、熱気と金属の匂いに満ちていた。

パチパチと薪がはぜる音、そして鈍く響く金槌の音が、里の日常を刻むリズムのように響き渡っている。

焔が激しく舞い上がる炉の奥、ルゥは集中した面持ちで鉄の棒を真っ赤に熱していた。


炉から取り出した灼熱の鉄を、素早く金床の上に置く。

チリチリと空気に触れて焦げ付くような匂いが鼻を突き、同時に、熱された鉄が放つ強烈な光が、ルゥの瞳に宿る熱意を映し出す。


打つ、打つ、また打つ──。

金槌を振り下ろすたびに、カン、カンと甲高い音が鍛冶場に響き渡り、火花が勢いよく四方八方に散る。

彼女の動作は重く、しかし淀みなく、正確だった。

頭の中に描いた完成形に近づけていくたびに、ルゥの心は研ぎ澄まされていく。

鍛冶は、彼女にとって単なる作業ではない。

それは、自分自身と向き合い、内なる火の力と対話する、一種の瞑想のような時間だった。


だが、ふと彼女の手が止まった。

仕上げに入ろうとしたその瞬間、鉄がかすかに軋む音、そして何かが違うという違和感がルゥの全身を貫いた。

目の前にある鉄の棒は、彼女が意図した形にはなっている。完璧に見える。

しかし、ルゥには、それが「足りない」と直感的に感じられたのだ。


「これじゃ、足りない……」


独り言が、熱気に満ちた鍛冶場に小さく漏れた。

形は正しい。だが、力ではない“何か”が足りない。

焔を自在に操る彼女だからこそ分かる――“熱”の奥に宿る、魂のようなもの。

まるで、心が打ち込まれていない、そんな感触だった。

彼女の火は、単なる熱源ではない。

生命を吹き込むかのような、特別な性質を持っている。

だからこそ、この「足りなさ」が、ルゥには明確に感じられたのだ。


「ルゥーっ!」


外から駆けてくる、軽い足音が聞こえた。

それに続いて、くぐもった、しかし聞き慣れた声が聞こえてくる。

ルゥは金槌を置いて炉の火を弱めると、鍛冶場の重い木製の扉を開けた。


「ミラ?」


そこに立っていたのは、小柄な少女、ミラだった。

くすんだ金髪を二つに結い、普段着の上に白いエプロンをつけ、腕には大きな布の包みを抱えている。

ミラは、ルゥとは幼い頃からの親友で、いつも明るく、そして里の誰よりもルゥの特別な力を理解し、受け入れてくれる存在だった。


「ねぇ、ルゥ! これ! 昨日お願いしてたランタンのフレーム、もうできた? 急ぎでお願いしてたんだけど……」


ミラは息を弾ませながら、期待に満ちた笑顔を浮かべた。

彼女の瞳は、ルゥの答えを心待ちにしているかのように輝いていた。

ルゥは、そんなミラの純粋な期待に、少しだけ照れたように頷いた。

工房の奥にある棚から、磨き上げられた銀色に光る小さな金属の枠を取り出した。

それは、夜道を照らすランタンの骨組みとなるものだった。


「ほら、これ。軽くて丈夫なものにしたよ。ミラがいつも持ち歩くものだから、なるべく負担にならないようにって思って」


ルゥは、手にしたランタンのフレームをミナに見せた。そのフレームは、一般的な鉄製品よりもはるかに細く、優美な曲線を描いていた。


「わぁっ……! すごい、綺麗! ルゥ、これ、手で磨いたの? こんなにツルツルになるなんて……」


ミラは目を大きく見開いて驚嘆の声を上げた。

彼女の指先が、ランタンフレームの滑らかな表面をそっと撫でる。

その感触に、ミラは顔には感動の色が広がった。


「うん。ほら、ランタンに炎を入れるなら、枠が熱を通しすぎないように、あと、光が綺麗に広がるようにって思って、何度も研磨したんだ」


ルゥは、照れくさそうに説明した。彼女の作品には、常に使う者への細やかな配慮が込められている。


ミラは、ルゥの手をぎゅっと握った。その手のひらから伝わる温かさは、ルゥの心を安堵させた。


「ありがとう、ルゥ。やっぱり、あんたの作るものが一番好き。あんたの火は、他の鍛冶師の火とは違う。あんたの作ったものには、いつも温かい気持ちがこもってるんだから」


その言葉に、ルゥの胸の奥がじんわりと温かくなった。それは、彼女の特別な焔では決して得られない、やわらかく、しかし確かな光だった。

ミラの言葉は、ルゥの心に燻る孤独感を、ほんの少しだけ和らげてくれた。


ふと、遠くで澄んだ鐘の音が鳴った。

昼を告げる合図だ。

里の鍛冶の師匠であるガラルの店からも、弟子たちの活気ある話し声と、金槌の音が聞こえてくる。

里全体が、昼の賑わいへと移行していく時間だ。


「……今日は、昼から市が開かれるって長老が言ってた」


ミラが唐突に言った。

彼女の瞳は、里の活気に満ちた広場へと向けられていた。


「うん、知ってる。私も見に行こうと思ってたんだ。何か面白いものがないかなって」


ルゥは、ミラの言葉に頷いた。

鍛冶の作業を終え、炉の火を完全に落とし、煤で汚れた革の前掛けを外した。

彼女の心は、ミラとの会話と、これから始まる里の賑わいで、少しだけ浮き立っていた。


村の広場へ向かう途中、ルゥとミラは、道の脇に座り込んでいる老人の姿を見つけた。

彼は、石板に何かを彫り込んでいた。

その手つきは、老いを感じさせないほど繊細で、彼の周りには、すでにいくつもの彫りかけの石板が置かれている。


ルゥは、好奇心に駆られて老人の近くに寄った。

石板に彫られているのは、複雑で、しかしどこか見覚えのある紋様だった。

それは、風の流れを象徴するような、螺旋状の意匠がいくつも連なっている。


「ねぇ、あれって記憶の民の印じゃない? 昔、おばあちゃんから聞いたことあるような気がする」


ミラが小声でルゥに囁きながら、指差した。

彼女の祖母は、里に古くから伝わる物語を語り継ぐ、数少ない語り部の一人だった。


ミラの声に気づいたのか、老人は顔を上げて微笑んだ。

彼の顔には、深く刻まれた皺が、長い人生の年輪のように見えた。


「おお、よく分かったね、嬢ちゃん。これは、まさに風の精霊を祀る“昔の語り部たち”の記録なんじゃよ。彼らは、風に乗って遠い地の記憶を運び、それを石板に刻んで後世に伝えたとされている」


老人の言葉に、ルゥの中に、なぜか説明のできない懐かしさが走った。

その模様に、確かに見覚えがある気がしたのだ。

彼女の脳裏には、焔に包まれた夢の中の光景がフラッシュバックする。

あの時、誰かが、この紋様が刻まれた何かを手にしていたような……。それは、一体誰だったのだろうか。

そして、あの夢とこの紋様が、どのように繋がっているのだろうか。


──ザァッ。


その時、唐突に強い風が吹いた。

里の広場に舞い上がっていた砂が、一瞬で視界を覆い隠す。ルゥの赤髪がふわりと踊り、彼女は目を細めて風の向こうを見やった。


風が収まった先、遠くの広場の入り口に、一人の少年が立っていた。


「……誰?」


ミラがルゥの隣で、小声で呟いた。その声には、少しばかりの戸惑いが混じっていた。


少年は、里ではあまり見かけない、ボロボロのマントを羽織っていた。

そのマントは、長旅の過酷さを物語るかのように、あちこちが擦り切れ、色褪せている。

片手には、大切そうに布に包まれた何かを抱えている。彼は目を伏せ、ゆっくりと、しかし確かな足取りで里の広場へと歩いてくる。

その足元には、はっきりと見て取れるほどにひび割れた剣の柄が、土埃の中で微かに光っていた。


ルゥは、吸い寄せられるように、少年へと歩を進めた。彼女の心の奥が、ざわつくのを感じた。

なぜだろう──初めて見るはずなのに、どこか知っている気がした。

彼の姿から、言いようのない既視感と、そして微かな悲しみが伝わってくるようだった。


「あなた……旅人?」


ルゥは、ためらいがちに少年へと声をかけた。

彼女の声は、風に流されないように、少しだけ大きめに発せられた。

ルゥの声に、少年はゆっくりと顔を上げた。

青空の下、彼の瞳は深い琥珀色に輝いていた。

その瞳は、何かを求めているかのように、ルゥの瞳をまっすぐに見つめ返した。


「……あぁ。俺はエリアス。旅の者だ」


少年の声は、少し掠れていたが、はっきりとした口調だった。彼の目は、ルゥの手に自然と向けられる。

ルゥは、自分が鍛冶師であることを見抜かれているかのような錯覚を覚えた。


「俺は、剣を……直せる鍛冶師を探してるんだ。この里に、腕の立つ鍛冶師がいると聞いて、ここまで来た」


エリアスはそう言いながら、抱えていた布の包みをわずかに緩めた。

そのとき、彼の腕からずれ落ちかけた布の隙間に、黒く焼け焦げた刃が微かに見えた。

それは、かつて何かを──誰かを──守るために、幾度となく振るわれた剣だったのだろう。

刃には、激しい戦いの跡が生々しく刻まれている。

ルゥの胸に、その剣が纏う、言いようのない物語が伝わってくるようだった。


ルゥは小さく息を呑んだ。

胸の奥で、彼女の特別な焔が揺れるのを感じた。

ただの鍛冶屋の娘としてではなく、“火を宿す者”として、その刃が、彼女に何かを訴えかけてくるようだった。それは、まるで剣自身の魂が、ルゥの火に助けを求めているかのようだった。


「……私が、見てみるよ。その剣」


ルゥは、自分の声が、自分でも驚くほど落ち着いていることに気づいた。

彼女は、この剣が、自分の火と何らかの関係があるのではないかと直感したのだ。

エリアスの琥珀色の瞳が、わずかに揺れた。

その瞳には、諦めと、そして微かな希望が混じっていた。


「ほんとか? こんなにひどい状態なのに……」


エリアスの声は、微かに震えていた。


「うん。ただ、これは……普通の鉄じゃないね。変わった気を感じる。まるで、生きてるみたいに……」


ルゥは、恐れることなく剣の破片に指を添えた。

すると、彼女の指先に、かすかに熱が伝わってくる。

それは、炉の熱とは異なる、生命のような温かさだった。まるで、鉄の芯が呼吸しているかのように、微かに鼓動しているようだった。


「ありがとう、助かる……。本当に、助かる」


そう言いながら、少年は少しだけ笑った。

その笑みは、どこか寂しげで、これまでの苦難を物語っているようだった。

それでいて、ルゥの差し伸べた手に、一筋の希望を見出したかのような、清らかな光を秘めていた。


広場では、昼の市が本格的に始まり、里の隅々まで賑わいが広がっていく。

商人の呼び声、人々の笑い声、子供たちの駆け回る足音。しかし、ルゥとエリアスの間に流れる空気は、他の賑わいとは異なる、静かな、しかし確かな何かを纏っていた。

それは、二人の間に芽生えた、新たな絆の予感だった。


──運命が、動き出した。

この出会いが、ルゥの、そしてエリアスの、遠い記憶を呼び覚ます旅の始まりとなるだろう。

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