表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

第1章【第10話:炎の根が示す道】

そして――ルゥの焔は、初めて自分の足元を知った。


けれど、それは「終わり」ではなかった。

知った瞬間から、炎は次の問いを灯し始める。


根の間の空気は、わずかに軽くなっていた。

火霊の影は揺らぎながらも輪郭を保ち、根の炉の炎はさっきまでの荒さを失って、深い呼吸のようにゆっくり明滅している。岩壁に刻まれた紋も、脈を打つたびに淡く光り、まるで炉が“落ち着け”と谷全体に告げているようだった。


ガランは頭を下げたまま、しばらく動かなかった。

煤と鉄の匂いの中で、彼の肩だけが小さく上下している。


ルゥは、胸の前で手を握った。

熱いのに痛くない。

怖くないのに震える。

自分の中にある焔が、今までとは違う場所。

もっと根の深いところで、静かに生きているのが分かる。


エリアスが一歩、前へ出かけて、止まった。

剣に触れていた指をそっと離し、言葉を選ぶように眉を寄せる。


「……ルゥ。大丈夫か」


ルゥは頷いた。

頷けたことに、少しだけ驚いた。


「うん。……大丈夫。まだ、整理できてないけど」


ティアは何も言わず、ただルゥの背中に風を寄せた。

冷たい風ではない。熱を奪うための風ではなく、燃え過ぎないように整えるための風。

彼女の風はいつも、言葉より先に“支える”ことをする。


火霊の影が、ゆっくりと揺れた。

胸の光がひときわ強くなり、根の炉の炎もそれに呼応する。炎の中に、音が混じった。燃える音ではない。石に触れる雨粒のような、かすかな合図。


――……知ったなら……進め……


声はやはり耳ではなく、胸へ入ってくる。

ルゥは息を吸い、吐き、焔を落ち着かせるように胸元を押さえた。


「進め……って……どこへ?」


火霊の影は答えず、炉の奥へ指を向けた。

そこは石の暗がりで、普段ならただの炉の底に見える場所だった。だが今は違った。炎が明滅するたび、暗がりの奥に“何か”が見える。形ではなく、道筋のようなもの。細い光の筋が、炉の奥から岩壁の下へ伸びている。


ティアが息を呑む。


「……通路?」


ガランが顔を上げた。

驚きと、苦さと、諦めに似た色が入り混じった目で、炉の奥を見つめる。


「……あるはずがない。根の炉の奥は、石で塞いで……」


言い切る前に、根の炉が一度だけ深く脈打った。

ごう、と鳴ったわけではない。谷の底で心臓が打ったような、低い震え。岩壁がかすかに鳴り、積もった煤がさらりと落ちる。


そして、炎の明滅がゆっくりと変わった。

炎の色が、ほんのわずかに“淡い蒼”を混ぜる。


ティアの瞳が揺れる。


「……都の色……」


ルゥの胸元のペンダントも同時に淡く光り、

赤と橙と蒼が混じり合った。

それは塔の中で見た光と同じ混ざり方だった。


エリアスが身構える。だが、剣は抜かない。

抜けば切れる気がした。切ってはいけない気がした。ここにあるのは敵ではなく、“答えに続くもの”だと、肌が理解していた。


ガランは低い声で言った。


「……封じたのは、炎が外へ漏れないためだ。

だが……炎が自分から道を開けるなら、もう止められん」


ルゥは喉の奥が熱くなるのを感じた。

里に戻れと言われた意味が、今、別の形で浮かび上がってくる。


(戻って終わりじゃない。戻って“根”を確かめて……それから、また進めってこと)


火霊の影が、再びルゥを見た。

胸の光が、じっと彼女の中を覗き込むように揺れる。


――……名は……まだ……


――……だが……根を見た焔は……迷わぬ……


言葉が途切れた。

影が薄くなる。炉の炎も、少しずつ落ち着いていく。まるで「ここまで」を伝えるためだけに目覚めたように。


ティアが口を開いた。


「火霊は……道の"入口"を示してる。

ここから先は、火の里の記憶のもっと深い層……

"根の炉が集めた炎の行き先"に繋がってるのかもしれない」


エリアスが眉をひそめる。


「行き先……空、ってことか?」


ルゥの胸の焔が、静かに強くなる。

塔で見た空の島。焔と風と雷が巡っていた場所。

そこへ向かうための"足元"を、今確かめたばかりだ。


ガランは、ゆっくりと立ち上がった。

炉の前で膝をつくようにしていた鍛冶師たちが、入口の方で息を潜めているのが見える。

誰もがこの場に近づけない。

近づくほど、焔が胸を叩くのだ。


「……ルゥ」


ガランが呼ぶ。

いつもの鍛冶師の声より、少しだけ父親の声に近かった。


「お前が決めろ。

ここから先へ入るなら、里はお前を止めない。

だが、里は…お前の帰る場所でもある」


ルゥは、根の炉を見た。

火霊の影は薄れていく。

炉の炎が穏やかなまま、奥へ伸びる光の筋を一度だけ照らした。


ルゥは、息を吸った。

胸の火に合わせて。


「……行きたい」


声は小さいのに、谷に落ちた石のように重く響いた。

自分で言って、自分の中の焔が「そうだ」と頷くのが分かった。


「でも、今すぐじゃない。

里の人たちにも……ちゃんと話したい。

私がどこから来たか分からないままでも、ここは私の里だから」


エリアスが、ほっとしたように息を吐いた。

ティアは小さく頷く。風が「その順番でいい」と言うみたいに、炉の熱を整えた。


ガランは短く笑った。


「……そうだな。お前らしい」


それから、彼は真顔に戻って言った。


「あの夜の話を知っているのは、俺だけじゃない。

"空の光"を見た者の記憶は、里に残っている。

少なくとも言い伝えは、な」


ルゥの胸がまた熱くなる。

真実が、少しずつ輪郭を持って近づいてくる。


その瞬間、入口の方で誰かが慌てた声を上げた。


「ガラン! また、炉が……!」


根の間の外――里の中心の方から、遠い金属音が一つ、二つ。

鍛冶場の炉が暴れた時の音に似ている。だが今度は、もっと“焦り”が混じっている。


ティアが風を読んで顔色を変えた。


「……炎の揺れが、広がってる。

根の炉だけじゃない。里の炉が、全部"同じ方向"を向こうとしてる……!」


エリアスがすぐに言う。


「まずい。里の中心へ戻ろう。

根の間で何かが動いたなら、連鎖してる可能性がある」


ルゥは頷いた。

決意はもう胸の中にある。今は、里を守る番だ。


「行こう。

私の焔で、止められるなら止めたい」


ガランが先頭に立ち、三人は根の間を駆け出した。

背後で、根の炉が一度だけ静かに脈打つ。

まるで「行け」と背を押すように。


ルゥは走りながら、胸の焔に問いかけた。


(……私の焔は、誰のために灯る?)


答えはまだ言葉にならない。

けれど、今の焔は揺れ方が違う。


恐れで揺れていない。

迷いで揺れていない。


守るために――

進むために――

灯る焔になろうとしている。


里の中心へ向かう山道の途中、炎の匂いが一段濃くなった。

金槌の音が、焦げた音に変わっていく。

焔の物語は、里で一度立ち止まったばかりなのに、もう次の試練を連れてくる。


そしてそれは、ルゥにだけ向けられた試練ではなかった。

エリアスの剣に、ティアの風に、そして里の人々の焔に、同じ揺れが忍び寄っていた。


里の中心に近づくにつれ、空気はさらに重くなっていった。

熱が増しているわけではない。

むしろ温度は一定のままなのに、胸の奥に圧がかかる。焔が呼吸を詰め、風が流れを迷い、音だけが先に届く――そんな違和感だった。


鍛冶場の通りに出た瞬間、三人は足を止めた。


炉という炉が、同じ調子で唸っている。

赤い炎が暴れているわけではない。

だが、炎が外へ出たがっている。

鉄を焼くための炎ではなく、意志を持った"声"として、炉の奥から叩いてくる。


鍛冶師たちが距離を取り、互いに声を掛け合っていた。


「温度が合わん!」

「炎を落とせ!」

「落ちない……!」


ガランが怒鳴る。


「全員、炉から離れろ!

風除けを閉じろ、酸素を絞れ!」


だが、炉の炎は応じない。

空気を断っても、炎は弱まらない。

むしろ、芯が濃くなっていく。


ルゥは、中央の大炉に目を奪われた。

そこだけ、炎の色が違っている。

橙に淡い蒼が混じり、時折、名付けようのない白が瞬く。


(……根の炉と、同じ……)


ティアが低く言った。


「里の炉が、“根の方向”を向いてる。

炎が、自分の始まりを探してるのよ」


エリアスが歯を食いしばる。


「探して……どうなる?」


ティアは即答できなかった。

風が、答えをためらっている。


その瞬間、大炉の縁に刻まれた紋が一斉に光った。

炎が跳ね、空気が震え、鍛冶場全体に共鳴が走る。


「ルゥ!」


ガランが叫ぶ。

だが、ルゥはすでに一歩踏み出していた。


炎が、彼女を呼んでいる。

恐れではない。焦りでもない。

「ここに来い」という、静かな要請。


ルゥは炉の前に立ち、胸元に手を当てた。

炎は、確かにそこにある。だが今は、外へ出ようとしない。里の炎と同じ方向を向いて、揺れている。


「……聞こえる」


誰に言うでもなく、ルゥは呟いた。


「炎が……迷ってる」


エリアスが隣に立つ。


「どうすればいい」


ルゥは息を整えた。

根の間で感じた、あの落ち着き。

炎は押さえつけるものではない。

命じるものでもない。

向き合い、問いを返すものだ。


「……答えを、渡す」


ルゥは炉に手を伸ばさなかった。

代わりに、自分の胸に触れた。


「ここにある炎は、里のもの。

でも……始まりは、もっと遠い。

だから、帰りたくなったんだよね」


炉の炎が、一度、大きく揺れた。


ティアが息を呑む。


「……通じてる」


ルゥは続ける。


「でも、今は戻らない。

ここは、あなたたちが灯り続けてきた場所だから」


炎の揺れが、少しずつ変わる。

外へ向かっていた力が、内側へ折り返される。


ルゥは、胸の焔をそっと解いた。

大きくはしない。里を焼かない。

ただ、炉の炎と同じ高さで、同じ呼吸で灯す。


二つの炎が、同調する。


エリアスが、思わず声を落とした。


「……同じ……」


炎の色が揃っていく。

橙は橙に、蒼は蒼に。

白い瞬きは消え、炉は本来の姿へ戻り始めた。


ガランが、ゆっくりと拳を下ろす。


「……収まってきた」


鍛冶師たちの間に、安堵の息が広がる。

誰かが、炉に向かって深く頭を下げた。


だが、完全には終わっていなかった。


ティアが、はっと顔を上げる。


「……待って。

炎は収まってるけど……"呼びかけ"が、まだ残ってる」


ルゥも感じていた。

里の炎は落ち着いた。だが、その奥――もっと遠くで、同じ揺れが続いている。


(……空……)


塔で見た光景が、脳裏をよぎる。

空に浮かぶ島。巡る炎。


エリアスが言った。


「つまり……これは、里だけの問題じゃない」


ガランが、静かに頷く。


「そうだ。

焔の里が揺れたなら、他の場所も無事では済まん。

炎は……繋がっている」


ルゥは、胸の焔を確かめる。

今は、静かだ。だが、向きははっきりしている。


「……里は守れた。

でも、根の呼び声は止まってない」


ティアが、風を集める。


「風も同じ。

遠くで、同じ揺れを感じてる。

まだ、目覚めきっていない"何か"がある」


エリアスは剣を握り直した。


「行くしかないな」


誰も否定しなかった。


ガランは、ルゥを見つめる。


「……次は、里の外だな」


ルゥは、はっきりと頷いた。


「うん。

炎の始まりが、里だけじゃないなら……

全部、見に行く」


胸の焔が、強く、しかし穏やかに灯る。

それはもう、迷子の焔ではなかった。


焔の里は、ひとまず静けさを取り戻した。

だが、焔の物語は、ここで終わらない。


空へ、砂へ、記憶へ――

まだ名を持たない焔は、次の場所を求めていた。


そして三人は、里を出る準備を始める。

次に向かう先は、まだ地図に載らない場所。

焔と風と剣が、同じ揺れを感じる場所だった。



そして三人は、里を出る準備を始める。

次に向かう先は、まだ地図に載らない場所。

焔と風と剣が、同じ揺れを感じる場所だった。


里に夜が降りた。

昼間の騒ぎが嘘のように、焔の里は静けさを取り戻している。

炉の火はすべて落ち着き、鍛冶師たちは交代で見張りに立ち、里の中心には慎重な呼吸だけが残っていた。


ルゥは里の外れ、小さな高台に立つ。

谷を見下ろすと、夜の闇の中に焔の里の灯が点々と浮かんでいる。

その一つ一つが、ここで生きてきた人々の炎だ。


胸の奥で、炎が静かに燃えていた。

揺れてはいない。ただ、向きだけが定まっている。


(……行くんだ)


そう思うと、不思議と寂しさはなかった。

離れることと、捨てることは違う。

今は、それが分かる。


足音が近づく。


「やっぱり、ここにいたか」


エリアスだった。剣を外し、肩にかけている。

その表情は、いつもの軽さより少しだけ真剣だった。


「眠れない?」


ルゥは首を振る。


「炎が、静かすぎて。

考え事するには、ちょうどいい感じ」


エリアスは隣に立ち、同じ景色を見る。


「俺もだ。

剣が……落ち着かない。

抜きたいわけじゃないのに、呼ばれてる感じがする」


ルゥは小さく笑った。


「似てるね。焔と剣」


「似てるのかもな。

どっちも、使い道より先に向きがある」


しばらく、二人は黙っていた。

焔の里の灯が、風に揺れる。


やがて、エリアスがぽつりと言った。


「……怖くないのか?」


「何が?」


「自分がどこから来たか分からないまま、

もっと遠くに行くこと」


ルゥは考え、正直に答えた。


「……少しは。

でも、それ以上に……行かないほうが怖い」


エリアスは頷く。


「俺も、同じだ」


その時、背後で風が音を変えた。

柔らかく、しかしはっきりとした流れ。


「二人とも」


ティアが立っていた。

夜の風をまとい、静かな目をしている。


「風が、道を示し始めてる」


ルゥは振り返る。


「もう?」


「ええ。

急かしてはいないけれど……待ってもいない」


エリアスが息を吐いた。


「らしいな」


三人は焔の里の中央へ戻る。

ガランが、炉の前で待っていた。


ガランは深い皺の刻まれた目でルゥを見る。


「……焔は、落ち着いたか」


「はい」


「それなら、次は外だな」


誰も驚かなかった。

まるで、最初からそうなると知っていたかのように。


長老は、ゆっくりと言葉を継ぐ。


「空の光の話は、里に伝わっておる。

炎が地に留まらぬ日が来るとき、

焔の里は一人の子を送り出す、と」


ルゥの胸が、静かに鳴った。


「……それが、私?」


「名を持たぬ焔が、名を探しに行く。

それだけの話だ」


ガランが無言で頷き、杖を鳴らした。


「行け。

だが、忘れるな。

ここは、お前の戻る場所だ」


ルゥは深く頭を下げる。


「……必ず、戻ります」


その言葉に、焔が応えた。


夜明け前。

焔の里の門が静かに開く。


三人は並んで立ち、振り返った。

焔の里は、もう揺れていない。

だが、眠ってもいない。


焔は、ここで生きている。


ルゥは一歩、外へ踏み出す。


胸の焔が、はっきりと進む方向を示す。

空へ。

記憶へ。

まだ呼ばれていない名前へ。


風が背を押し、

剣が静かに鳴った。


そして三人は、再び歩き出す。


焔の物語は、里を出て――

次の名のない場所へと続いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ