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第1章【第8話:真名の塔と、まだ届かない名前】

塔の奥へつながる通路が開いた瞬間、

それまで肌に貼りついていた“沈黙の重さ”が、すっと剝がれ落ちた。


かわりに生まれたのは、

まだことばにならない“歌の芽”のような微弱な震え。

音とも風とも違う、

空気そのものがふるえるような感触だった。


ルゥは胸の前に触れた。

焔はゆっくりと呼吸をするように明滅を繰り返し、

塔が閾を開いた瞬間からずっと、

彼女の心臓と歩調を合わせるように脈を刻んでいる。


「……行こう」


エリアスが低く言い、

ティアが頷く。

三人は足を踏み入れた。


外の世界の砂音も、

砂原の風が運ぶ乾いた唸りも、ここにはなかった。


代わりに漂うのは、

調律前の楽器の弦をそっと指で触れたときのような、

期待にも似た静かな緊張。


通路の壁には無数の紋様が刻まれ、

ルゥたちが通るたびに淡い光を帯び、

まるで塔自身が「ここにいるのは誰か」と確かめているように揺らめいた。


「この塔は、訪れた者の物語を読むの」


前を歩くティアが言った。


「物語……?」


ルゥが問い返すと、ティアは滑らかに続けた。


「過去の声も、まだ名前のつかない願いも。

塔は全部読み取る。声を刻んだり、切り取ったりするんじゃなくて……編むの。

編んで、“塔自身の物語”に重ねていくの」


エリアスは周囲を見渡した。

壁の光が、呼吸するように明滅している。


「まるで生きてるみたいだな……」


ルゥの焔がふっと揺れた。

彼女は胸元を押さえ、心の中で呟く。


(……読まれてる。私の焔も、私の道も)


ティアが言った。


「この先に“幻視回廊”があるわ。

塔はそこで、訪れた者が“どんな物語を越えてきたか”を確かめる」


「確かめるって……試練ってこと?」


「いいえ。

幻視回廊が映すのは“乗り越えた記憶”だけ。

まだ傷の形をしたままの記憶には触れない。

塔は、押しつけるような真似はしないわ」


ルゥは胸の奥が少し痛むのを感じた。

乗り越えた記憶。

それは焔の里で過ごした日々であり、

雷鳴石の谷で聞いた問いであり、

砂原でティアと出会った夜の歌でもある。


(……本当に乗り越えられているのかな)


そんな不安がよぎったとき――

突然、視界が白く開けた。


空間は霧でも雲でもなく、

光だけで満ちていた。

優しく、冷たく、触れれば溶けそうな薄い光。


光の粒が風のない空間を漂い、

ひとつひとつが小さく心臓のように脈動している。


「ここが……幻視回廊」


ティアは深く息を吸い、

指先をそっと光の粒に触れた。


すると粒は静かに揺れ、

風紋のように形を変え、

一瞬――砂に沈む都の映像を映し出した。


歌が途絶え、風が凍りつく瞬間。


ティアは眉を寄せたが、

やがてふっと目を閉じる。


「……怖くないの?」


ルゥが小さく尋ねると、ティアは微笑した。


「この記憶は、もう私の中で形が変わっている。

 痛みだけじゃなく、“続きに出会えた”記憶にもなったから」


ルゥの前にも光が落ちてきた。


触れると――

ガランの鍛冶場。

幼い日の自分。

焔との最初の対話。

祭りの夜、焔が暴れようとした瞬間。

雷鳴石の谷で聞いた声。

砂原でティアが嵐を止めた歌。


すべてが淡い光で再生され、

触れるとあたたかく、

風に溶けるように消える。


(……これは、私が越えてきた道)


胸の焔がふっと強く灯る。


エリアスの前にも光が集まる。

折れた剣を抱え、膝をつき泣いていた少年の姿。

その剣をもう一度握ると誓った日の記憶。


エリアスは淡く笑った。


「……あの日があるから、俺は今ここにいる」


光はしばらく漂った後、

まるで三人を導くように一斉に弾けた。


白い風が道を描く。


その先に、重厚な紋が刻まれた巨大な石門が現れた。


門を越えると、世界の密度が変わった。


空気は重くも軽くもない。

ただ“濃い”。


音はないのに、どこかで声が響いている気がする。


塔の中心には一本の巨大な“光の柱”が立ち、

声の粒が木漏れ日のようにその周囲を漂っていた。


「……ここが“真名の塔”」


ティアは震える声で言った。


「名になる前の声……“最初の息”が眠っている場所」


エリアスは光に手を伸ばし、息を呑んだ。


「触れた気がしないのに……温度がある……」


「声の温度よ。

誰かが生まれる前に持つ“まだ世界に触れていない声”。それがここに流れている」


ルゥは耳を澄ませた。


すると、

とても遠く、

けれど確かに――

焔が燃える音に似た“囁き”が聞こえた。


(……私の焔も、ここに届いている……?)


塔の根元には祭壇があり、

風・焔・剣の紋が重なって刻まれていた。


ティアはそこに歩み寄り、息を整え、

胸元で両手を重ねた。


「私がここに来た理由……まずそれを塔に返すわね」


そう言ってティアはそっと歌い始めた。


――風よ、眠らないで

――記憶を連れて還っておいで……


あの夜、砂嵐を鎮めた歌。

声は塔に触れると広がり、

光の粒が彼女の周りに集まり始めた。


だが――


歌は途中で途切れた。


ティアの表情に影が落ちる。


「……ここから先の歌詞が……どうしても思い出せないの」


「思い出せない?」


「ううん……

“歌う資格がない”と言われている気がするの」


塔の光がわずかに明滅した。


その瞬間――

塔の中心から細長い光が現れ、

ルゥの胸元へ向かって伸びた。


エリアスが驚いて声を上げる。


「ルゥ!」


だがルゥは動けなかった。

ペンダントが息づくように熱を持ち、

光が胸に吸い込まれる。


「……あ……」


視界が溶けるように白く反転した。


白い光は静かに、そして容赦なく視界を奪った。

だが恐怖はなかった。

代わりにあったのは、火に包まれているときのような温かさ。胸の奥で、焔がふわりと揺れる感覚だけが確かだった。


やがて光が薄れ、

ルゥは“どこでもない空間”に立っていた。


地面はない。

風だけが存在を主張するように流れ、

光がその輪郭を縫っていく。


(……空……?)


いや、空よりもっと高い場所。

世界そのものがひっくり返ったような、不思議な静寂。


その奥――

巨大な“島”の影が浮かんでいた。


それは大地というより、

ひとつの生き物のようだった。


島の周囲には、

火の筋、風の帯、雷の光が細い糸のようにめぐり、

まるで“島を守る鎖”のように幾重にも巻きついていた。


島の中心には脈打つ光。

焔とも風ともつかない、

まだ名前のついていない光。


ルゥは息を呑んだ。


(……知ってる……)


見たことはない。

けれど、幼いころ夢の中で何度も感じた“熱”が、

今ここにある。



ふいに、風の中から声がした。

男でも女でもない。

若くも老いてもいない。


ただ“真実だけ”を響かせる声。


――焔の記憶は空にも眠る。

 地の底にも、波の下にも。


(……誰?)


――おまえの焔は、まだ“名”に届いていない。


“名”。

その響きに胸がざわめく。


――名とは、力のことではない。

 その焔が“誰のために灯るのか”を思い出したとき、

 焔は初めて名前になる。


雷鳴石の谷で聞いた問いが重なる。


“おまえの焔は、誰のために灯る?”


(私は……まだ答えをちゃんと見つけてない)


まるでその想いに応えるように、声は続けた。


――今はまだ、すべてを見せることはできない。

 おまえの焔は未完成だから。


(未完成……)


胸が痛いような、でも嬉しいような感覚が走る。


――だが、一つだけ教えよう。


空の島の輪郭が濃くなる。

まるでその影が、ルゥの焔へ手を伸ばすようだった。


――焔は一つの場所にだけ宿るわけではない。

 都にも、里にも、空にも、砂にも。

 焔は“記憶をつなぐ力”そのもの。


(つなぐ……)


――だから戻れ。

 おまえが生まれた場所へ。

 焔の物語は、まだ始まりの一部しか見えていない。


風が大きく渦を巻いた。

光の粒が舞い、視界が波のように揺れる。


――真名を得る前に、

 “おまえ自身の根”を確かめなさい。


その瞬間、光が弾け世界が反転した。


「ルゥ!」


遠くから、水の膜を破るようにエリアスの声が届いた。


気づけばルゥは、

強く支える腕の中にいた。

視界が徐々に戻り、

塔の光が天井へ吸い込まれていくのが見える。


「大丈夫!?」


エリアスの手が震えていた。

その顔には本気の心配がにじみ出ている。


ルゥはゆっくり頷いた。


「……うん。

ちょっと、眩しかっただけ」


ティアがそっと彼女の肩に触れた。


「光の中で……何を見たの?」


ルゥは胸に手を当て、

言葉を探すようにゆっくり語った。


「……“戻れ”って言われた。

焔の根っこ……私がどこから来たのか……

それを確かめてから、また来いって」


ティアの表情が揺れる。


「戻る場所って……焔の里?」


「うん。私の焔の“始まり”を見つけなきゃいけないみたい」


エリアスは一度だけ深く息を吐き、

決意した顔で言った。


「なら、俺も行く。俺の剣も“名”を持ってない。

剣の物語を知るには、君の焔と一緒じゃないと意味がない」


ティアも静かに言う。


「私も行くわ。

語り部の都は、いま息を吹き返し始めたところ。

でも完全に目覚めるためには、焔と風と剣――そのすべての記憶がつながらなきゃいけない。

そのつなぎ目を作るのが、語り部の役目なの」


ルゥの胸の奥が熱くなり、

焔がふわっと明るく揺れた。


(……私、ひとりじゃないんだ)


三人が立つ足元から、かすかな震えが走った。


記憶核のひびには火の筋が流れ、

途切れていた記憶の根のいくつかが

再びつながり直されていく。


塔全体がゆっくり呼吸をしているようだった。


ティアは振り返り、

塔に向かってそっと囁いた。


「……また来るわ。

そのときはもっとたくさんの歌を持ってくるから」


塔の光が柔らかく瞬き、

まるで“わかっている”と頷くように揺れた。


地上へ戻ると、

都はさっきよりも確かに“生きて”いた。


割れた石畳の隙間から淡い光が滲み、

倒壊した家屋の窓には小さな灯が揺らめく。


風は砂を払うように街路を吹き抜け、

新しい模様を刻んでいく。


ティアは胸元に手を当てた。


「……都が息をしてる。

眠りの深さが、少し浅くなった」


ルゥは焔を灯し、街を照らす。


「戻ろう。里へ。焔の始まりを確かめに」


エリアスは肩の剣を握り、少しだけ誇らしげに笑った。


「よし。じゃあ、次の旅の始まりだな」


ティアが風を感じながら続ける。


「今日の風は優しいわ。

“帰り道を守ってあげる”って、そう言ってる」


夕陽の長い影が三人を包む。

語り部の都はまだ未完成なまま眠っている。


だが、確かに心臓は動き始めた。


そして三人の旅もまた、

ここから“焔の原点”へ続いていく。


まだ知らない真実と、

まだ呼ばれていない名前を探すために。


三人は塔の入口へ向かって歩き出した。

だが塔を出る直前、ルゥはふと足を止めた。


背後から、何かに呼ばれた気がしたのだ。


(……今の、声?)


振り返ると、

塔の中心を走る光が微かに揺れている。

風もないのに、焔でもないのに、

光がひとつ息を吸うように形をふくらませた。


ティアが気づき、静かに近寄る。


「塔が……何かを言おうとしている?」


エリアスは警戒して手を剣の柄に置いた。

だが光はとても穏やかで、緊張を生む気配はない。


ルゥが一歩近づくと、

胸のペンダントがわずかに反応した。

橙、蒼、紅が交じり、塔の光へ細い線を伸ばす。


そして……


――カ……エ……レ……


たったそれだけの音。

声とも風ともつかない断片だった。


ティアが息を呑む。


「……“帰れ”って、言ってる?」


エリアスが険しい表情を緩めた。


「追い返してるんじゃない。

“道を間違えるな”って……そんな風に聞こえる」


ルゥは胸に手を置き、そっと呟いた。


「……うん。私、必ず戻ってくる。

もっと強くなって、もっと火を理解して……

あなたたちの歌の続きを、ちゃんと聞きに来る」


塔の光がふっと柔らかく瞬いた。


まるで微笑むように。



塔を出ると、

外の空気が一気に押し寄せた。


砂原の匂い。

崩れかけた建物の影が伸び、

その窓の奥で微かな灯が点滅している。


さっきまではどこか朽ちた匂いしかなかった都だが、

今は空気そのものが“あたたかい”。


(生きてる……)


ルゥは胸の焔が自然に大きくなるのを感じた。


ティアは瓦礫に手を触れた。

ひび割れた石の中を、柔らかい風の糸が通り抜けていく。


「……風が通るようになった。

塔が目覚めはじめた証拠よ」


エリアスは周囲を歩き、

街の奥に見える倒れた尖塔を指差した。


「見ろよ。

あの塔、さっきより……立ってないか?」


確かに。

倒れかけていた塔がわずかに角度を変え、

崩落寸前だった石が、

ぎりぎりの均衡で保たれている。


ティアが小さく笑う。


「都が応えてくれてる。

まだ眠っているけれど……ちゃんと息をしてる」


ルゥは風に髪を揺らしながら言った。


「この街にも……焔が残ってる」


エリアスは目を細める。


「焔と風と……記憶か。全部つながってるんだな」



三人が街路を進むと、

足元の砂がするすると動き、

まるで“道が描き直される”ように形を変えた。


ティアが驚いたように言う。


「……街が案内してる?

こんな反応、今まで見たことない……」


ルゥの焔がそれに応えるように揺れる。


(私たちの旅を……見ている)


道が示す先は、砂原の入口に続く大階段。

途中で崩れた部分も、

風が石片を押しのけ、最低限歩ける形に整えていく。


エリアスが感嘆したように言う。


「すげぇ……この都、ほんとに生き返るんじゃないか」


ティアの目が潤んでいた。

それは希望と、少しだけ哀しみが混じった光。


(この子……この街を本当に愛してるんだ)


ルゥはそっとティアの手を取る。


「……いつか、きっと完全に戻るよ。

そのために、戻ってくる。

私の焔も、きっと役に立つから」


ティアは唇を震わせた。


「……ありがとう」


外門は半分砂に埋もれ、

アーチの左側は倒壊して失われていた。


だが門の上部――

かつて語り部たちが歌の紋を刻んだ梁は、

淡く光を帯びていた。


ティアはその光に触れ、

そっと囁く。


「……ただいま。そして……また来るね」


風が返事をするように吹き抜けた。


ルゥの焔がゆらりと灯り、

エリアスの剣がかすかな音をたてた。


三人の気配を確かに受け取ったのか、

門の紋様が一度だけやわらかく輝いた。


(まるで……見送ってくれてる)


ルゥは胸に温かさを抱えながら、

砂原へ続く坂道へ足を踏み入れた。


そして、

砂原に出る直前、ルゥはふと振り返った。


そのとき――

塔の最上部に細い光が瞬いた。


ほんの一瞬。でも確かに見えた。


ティアも気づいた。


「あれ……塔の光?」


エリアスは目を凝らす。


「呼んでないか?

いや“理解した”って言ってるようにも感じる」


ルゥは胸に手を置き、そっと目を閉じた。


(大丈夫。戻るから)


焔がわずかに応えた。



都の影を背に、

三人は砂原を渡る風と向き合った。


夕陽が砂丘を金色に染め、

砂の粒が音を立てて流れていく。


ティアは空を仰ぎながら言った。


「焔の里までの道……長いけれど、風が味方してくれるわ」


エリアスがルゥを見る。


「おまえの焔が見せたもの……

 空の島って、本当にあると思うか?」


ルゥは胸の焔をそっと撫でた。


「……うん。あれは幻じゃなかった。あの声も。

焔は“まだ先の物語”を見せてくれたんだと思う」


エリアスは満足そうに頷いた。


「なら、この旅はまだ始まったばかりだな」


ティアも微笑む。


「真名の塔は、三人が揃って初めて動いた。

焔と、風と、剣。どれが欠けても、きっと道は開かれなかった」


ルゥは思わず笑った。


「だから一緒に行こう。焔の里へ。

焔の始まりを見つけて……またここに戻るために」


三人は砂原の入り口に立ち、

夕陽を背に歩き出した。


捨てられた街ではなく、

いま息を吹き返しつつある“語り部の都”が

背中をそっと押してくれるような気がした。


砂原に足を踏み出すと、都の冷えた空気とは違う、

乾いた熱が頬を撫でた。


だがその熱は不思議と苦しくなかった。

焔を持つルゥには馴染み深く、

風を読むティアには心地よく、

剣を背負うエリアスには旅の実感を与えていた。


砂の粒が風に流れ、

まるで三人の進む道を作るように形を変えていく。


ティアが風の気配を読みながら言った。


「この風……追い風よ。

都が、背中を押してくれているみたい」


エリアスは笑った。


「たしかに実感あるな。砂の重さがいつもより軽い」


ルゥの焔も応えるように明るく揺れた。


「……ありがとう、都」


振り返ると、

遠くの砂煙の向こう、語り部の塔の上部が

細く柔らかい光を放っていた。

まだ目覚めたばかりの弱い光だ。

けれど、その輝きには確かな意志が宿っていた。


(また……来るからね)


ルゥは胸の中でそっと呟いた。


その夜、砂丘のくぼみで焚き火を起こした。

星が地上に降りてきたような夜空だ。


焚き火の光に三人の影が揺れ、

砂の上に温かい輪を作っていた。


エリアスは剣を磨きながら言った。


「なぁ、ルゥ。

その……空の島の声って、どんなだった?」


焔がぱちり、と跳ねる。

ルゥは焔を見つめながら静かに答えた。


「性別も、歳もわからなかった。

でも……すごく優しくて、怖くて……

何か大事なことを言ってくれてるって分かった」


ティアがそっと首を傾げる。


「大事なこと?」


ルゥは小さく息を吸い、吐きながら言った。


「“戻れ”って。

“焔の根を確かめろ”って。

焔の記憶は、空にも、地にも、波にもあるって」


エリアスは眉を上げる。


「全部ってことか?

焔の源が、ひとつじゃないってことか?」


ルゥは頷いた。


「うん。

焔の里で教わった焔だけじゃなくて……

もっと大きな、世界を渡っていく焔。

その一部を私は持ってるみたい」


ティアは静かに微笑む。


「……だったら、あなたは“焔の語り部”になれるかもしれない」


「え……?」


「語り部はね、声だけを記録するんじゃない。

物語を世界に繋いでいく存在。

都の塔が反応したのは、あなたの火が“物語を編む性質”を持っているからよ」


ルゥは驚きで言葉を失った。


エリアスが笑いながら言う。


「じゃあ俺たちは、焔・風・剣の三人旅ってわけか」


ルゥは照れたように笑い返した。


火が落ち着いた焔をあげる頃、

ティアがふいに真剣な声で話し始めた。


「……私もね、都を救う旅をしてるわけじゃないの」


ルゥとエリアスが顔を向ける。


ティアは膝を抱え、星空を見つめた。


「私、語り部の末裔だって言われてきた。

でも私は何も覚えてないの。

歌の続きも、都が滅んだ瞬間のことも、誰かの顔も……全部“風の音”みたいに散ってしまってる」


ルゥはそっと彼女の手を握った。


「……つらかったね」


ティアは小さく笑う。


「だから、探してるの。“私は何者だったのか”を。

そのためには、火が必要……

あなたの焔が、記憶をつなぐ鍵になる」


エリアスも続ける。


「俺も同じだよ。

剣が折れたあの日……俺は守れなかった。

だから剣を直すため、名前を持つ剣士になるため、

旅をしてる」


そして、ルゥをまっすぐ見つめて言った。


「ルゥ。おまえの焔が導くなら……どこへでも行く。

焔の根でも、空の島でも、語り部の都でも。

俺は二度と迷わない」


ルゥの胸が熱くなる。


(……二人とも、私を信じてくれてる……)


焔がふわりと三人の顔を照らす。

色は違うのに、ひとつの焔に見えた。



夜明けの気配が空を薄く染め始めたころ。

ティアが立ち上がり、風の流れに耳を澄ませた。


「……風が言ってる。

“今日の空は広い。道はまっすぐだ”って」


エリアスも荷物をまとめながら言った。


「焔の里まではまだ遠い。

でも……なんか、大丈夫って気がするんだよな」


ルゥは東の空を見つめた。

光が地平から溶け出す。


胸の火が答えるように揺れる。


「……帰ろう。私の焔が生まれた場所へ。

焔の根を知って、また都へ戻るために」


ティアが微笑む。


「そして、歌の続きを見つけるために」


エリアスが剣を肩に担ぎ、言った。


「行こう。俺たちの旅は、ここから本当の“名前”を探す旅になる」


三人の足跡が、砂原に新しい道を刻む。


風がその背中を押し、

焔が前を照らし、

剣が道を切り開く。


語り部の都の光は遠くなっていく。

けれど、確かに生まれた灯は消えない。


それは――


まだ呼ばれていない

三人それぞれの“真名”を示す

最初の灯火だった。

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