第6話 支援期間の終わり、それぞれの道
宿舎の廊下は夕暮れの薄明かりに包まれていた。海斗は練習杖を握りしめ、窓際に立っていた。今日も朝から魔法語の学習、昼から魔法の練習を続けていた。
「【|光あれ。刃となって、舞え《ルーメン・ブレイダン》】」
海斗の手のひらに小さな光の刃が生まれた。刃はくるくると海斗の周りを回り、じりじりと空気中のチリを焦がす熱を発している。
三週間前と比べると格段に安定し、出力も上がっている。魔法語の学習が進んだ事で、このようにやや応用的な魔法が使えるようになってきていた。
維持していると、二分ほどで光は消え、彼はため息をついた。
「まだまだだ……これじゃこの前みたいな連中と戦闘になったら勝てないかもしれない」
廊下の向こうから翠の姿が見えた。彼女も練習から戻る途中らしく、制服と白衣の上から簡素な外套を羽織っている。約一か月の練習で互いに少しずつ上達してきたが、まだ満足できるレベルではなかった。
「どうだった?」
海斗の問いに、翠は小さく肩をすくめた。
「発音誘導装置のおかげで『風あれ』系魔法の制御がだいぶ良くなったわ。でも、魔力の持続時間がまだ短いの」
「俺も同じだ。魔力を増やすには、やはり実践あるのみか……魔法語の学習も進めたいし、時間がいくらあっても足りないな」
二人が宿舎の食堂に向かうと、すでに夕食の配給が始まっていた。いつものように質素な食事だが、転移から一か月近くが経ち、生徒たちの多くはこの環境に順応していた。
食堂に入ると、生徒会長の七瀬玲奈が数人の生徒たちと真剣な表情で話し合っていた。
「おい、分かってるか?」
隣に座った佐伯が小声で話しかけてきた。
「何をだ?」
「明日で俺たちの支援期間が終わるって話だよ。明後日から週二銀貨の宿代を払わないと、ここにいられなくなるらしい」
海斗は動きを止めた。
「それで会長たちが対策会議をしてるんだ。『生存協議会』で集団就職活動をしているらしい」
翠が心配そうに佐伯を見た。
「あなたは大丈夫なの?」
「俺は運よく肉体労働の仕事を見つけたから、なんとか日に一銀貨くらいは稼げるようになった。でもそれでも食費とかを考えるとギリギリの生活だな……魔法語も全然覚えられてないし」
佐伯が言うように、ほとんどの生徒たちは安定した収入源を確保できていない。海斗も賭博場で細々と稼いでいたが、あの環境ではリスクを考えると大きく儲けることはできなかった。
食堂の隅では、辰巳の一団が他の生徒たちと距離を置いて座っていた。彼らは何やら小声で話し合い、時折高笑いを上げている。どうやら彼らだけは、収入の心配をしていないらしい。
「辰巳のやつら、おかしいよな」と佐伯。
「どういう意味だ?」
「夜になると集団で出かけて、朝方に帰ってくる。それに服とか持ち物も良くなってるし、なんか得体の知れない商売始めたんじゃないかと噂になってる」
海斗は辰巳の方をちらりと見た。確かに彼らの着ている服は、最近新調した異世界のもののようだ。しかも質がいい。
「あいつらの集団、最初は五、六人だったのに今じゃ二十人近くいるらしい」
佐伯の情報に、海斗は考え込んだ。この異世界での生き残り方は人それぞれだが、辰巳たちの急速な「発展」には何か裏があるのかもしれない。
食事を終えた後、海斗と翠は宿舎の屋上に上がった。日が沈み、景色の少なくない部分を占めるアクラニスの塔は夜の闇の中で無数の光を放っていた。
「どうする? 明日で支援期間が終わるなら、宿代を払うか、それとも別の場所を探すか……」
海斗は星空を見上げながら言った。
「今の私たちの貯金で、あと何日くらい持つ?」と翠。
「今あるのは十二銀貨くらいだから、宿代だけで考えれば六週間だ。食事も朝夜二食はついてるとはいえ、その他雑費を考えるともうちょっと厳しいな」
「そう……」
翠は真剣に考えている。
「魔法の練習ばかりに集中して、お金のことがおろそかになってたわね」
「まあ、俺たちの目標はアストラル・アカデミアだからな。その入学試験の手がかりすらまだ手に入れられていないが……」
二人はしばらく沈黙した後、リンクスに会って相談しようということになった。彼なら情報を持っている可能性は高い。
*****
翌朝、海斗と翠はいつもの茶屋でリンクスと待ち合わせた。
店内に入ると、リンクスはすでに席についていた。彼の前には地図のようなものが広げられている。
「よく来たな」
リンクスは二人を見るなり、にやりと笑った。彼とは最初の出会いから二週間経ち、互いの信頼関係も少しずつ深まっていた。
「リンクス、重要な相談がある」
海斗が切り出すと、リンクスは手で制した。
「お前たちの支援期間の終了のことだろ? 察しはついてる」
リンクスは周囲を確認してから、声を落とした。
「実はお前たちに提案がある。俺の住んでる宿に移らないか?」
「えっ?」
翠が驚いた声を出す。
「宿舎の支援期間が終わるなら、新しい住居に引っ越してもいい頃合いだ。俺の場所なら宿代も安いし、何より安全だ」
リンクスは地図の一点を指さした。ファーストリングの東側、やや郊外に近い場所だった。
「あそこには転移者用の安宿があるんだ。普通の宿よりは安いが、宿舎ほど快適じゃない。それでもいいなら、紹介してやる」
海斗と翠は顔を見合わせた。確かに住居の問題は最優先事項だった。
「ありがとう。ぜひお願いしたい」
リンクスは満足げに頷いた。
「これで打ち合わせや練習も一緒にやりやすくなるだろう。もう一つ、お前たちに情報がある。アストラル・アカデミアの入学試験だが、半年後に30層の学園キャンパスで、本年度の入学試験が開催されるそうだ」
「半年後?」
「ああ。魔法語試験に加え、一般教養の試験と、実技試験があるらしい。それと入学金が4金貨必要だ」
特にその額を聞いて、海斗はため息をついた。現在の貯金の二十倍以上の金額。日本円の感覚でいうと、400万円程度とも言えるだろう。日本の私立学校なんかより全然高額だ。
「そんなに……それに一般教養もいるのね」
「安心しろ。入学までまだ時間はある。お金については、試験前に開催される特別試験に合格すれば、特別奨学金制度を受けられる可能性もあるそうだ。こちらは正直俺たちでは厳しいだろうが……」
リンクスは地図を畳みながら続けた。
「俺も魔法の勉強は続けている。同じ宿で一緒に練習すれば、互いに刺激になるだろう」
海斗と翠にとって、リンクスの提案は救いの手のように思えた。
「本当にありがたい」
海斗が礼を言うと、リンクスは照れたように笑った。
「礼はいい。短い付き合いだが、お前たちは友人だと思ってる。それに、普通は三週間程度じゃ基礎魔法すら扱えないんだ。才能ある友人と教え合える俺も利益を得ている」
翠が不思議そうに首を傾げた。
「私たちは才能がある部類なわけ?」
「ああ。他の宿舎の転移者の話を聞くと、大半はまだ魔法語の初歩すらおぼつかないらしい。お前たちはすでに五属性魔法の初歩を扱えるんだろう? 基礎文法や基礎単語もだいぶ身についてきているようだ」
確かに言われてみれば、宿舎内でも魔法を使いこなせている生徒は少数派だった。玲奈のような優秀な生徒でさえ、まだ「【光あれ】」を安定して使うのに苦労している。
「考えてみれば、ずいぶん順調に進んでいるわよね」
「ぶっちゃけ、俺のおかげだな」
「生意気ね。どちらかというとリンクスのおかげでしょうに」
「……どうあれ、才能は大事にしろよ。この世界では、魔法の才能が生死を分ける」
リンクスの言葉は重々しかった。
「ああ……」
海斗は黙って、すっかり慣れた味になってしまった静心草茶を啜った。
*****
宿舎に戻ると、すでにビツが到着していた。広々とした食堂には全ての生徒が集められ、白兎の使い魔は正面で静かに告知を始めた。
「おほほほ! 本日をもちまして、皆様への一ヶ月の支援期間が終了いたしますの! 明日からは週に二銀貨の宿代が必要となりますわ!」
会場には緊張が走る。
「お支払いの手続きは今晩から受け付けておりますので、継続してご滞在されたい方は、わたくしめにお申し出くださいませ!」
ビツの説明が終わると、生徒たちは小さなグループに分かれて話し合い始めた。多くは週二銀貨という宿代を工面できるのかという切実な問題に直面していた。
海斗は部屋に戻り、持ち物を整理し始めた。リンクスが紹介してくれる安宿に移るなら、なるべく荷物を少なくしておきたい。
日本から持ってきた修学旅行の荷物、服や小物類などをバッグに詰めながら、彼は窓からアクラニスの塔を見つめた。
「半年後、か……」
入学試験という具体的な目標に向けて、いっそう修行に励むしかない。そして入学金の四金貨も用意しなければならない。あるいは奨学金制度に合格できるくらい優秀になるか……
いずれにせよ、大変な道のりだ。海斗は思わずため息をついてしまう。
夕暮れ時、海斗は翠の部屋を訪ねた。彼女も荷物をまとめていた。
「明日の早朝、リンクスの案内で新しい宿に向かう。今日でここともお別れだな」
翠は無言で頷き、その後ふと顔を上げた。
「ねえ、最近、琉亜やかぐやの話をなにか聞いた?」
海斗は少し考えてから答えた。
「いや、まったく。二人とも宿舎を出て以来、音沙汰なしだ」
「わたし、噂を耳にしたの。琉亜が、まるで魔導師みたいな高級そうなローブを着て、街を歩いていたって」
「琉亜が?」
「琉亜をそれほど知らない子たちの情報だから、見間違えかもしれないけど……」
海斗は眉を寄せた。
「あいつは何をやってるんだ?」
「……かぐやについても、目撃談があったわ。神殿近くで、なんか白い服に着替えて神官と話してたって。神官見習いにでもなったのかしら?」
「かぐやの奴なら何をしても不思議じゃないが、この短期間でそこまで現地に溶け込んでるとはな。流石だ」
二人はしばらく黙り込んだ。かつての仲間たちの道は、自分たちとは大きく分かれつつあるようだ。
「俺たちは俺たちの道を行くしかない」
そう言って海斗は立ち上がった。
「そうね。また明日」
翠も、荷物の準備に戻った。
*****
その夜、海斗は外出して賭博場「ブラッディ・ダイス」に向かった。少しでも稼いでおきたかったからだ。
店内は連日の如く活気に満ちていた。あの日のトラブル以来、彼は目立たないように細々と通い続け、少額の勝負を重ねていた。今日も慎重に「ルーン・ダイス」のテーブルに近づく。
しかし、テーブルに着く前に、見覚えのある姿が目に入った。
辰巳拓海だ。彼は賭博場の奥にある小部屋から出てきたところだった。周りには黒ずくめの男たちが控えている。どうやら店の関係者と何か取引をしていたようだ。
辰巳は店内を見回すと、たまたま海斗と目が合った。お互いに驚いた表情を浮かべたが、辰巳はにやりと笑い、海斗に近づいてきた。
「よう、海斗。意外な場所で会うな」
辰巳の態度は友好的だったが、その目は冷たかった。
「お前こそ、ただの客じゃなさそうだな」
「ああ、商売の一環さ。この店のオーナーとはちょっとした取引があってな」
辰巳は周囲を見回してから、声を落とした。
「実はお前に話があるんだ。明日の朝、宿舎の裏庭で会えないか?」
「何の話だ?」
「お前の『才能』について相談したいんだよ。転移者でこんなに早く魔法を使えるようになった奴は珍しい。それに……」
辰巳はさらに声を落とした。
「実は上層の魔導師が、お前みたいな才能のある転移者に興味を持ってるんだ。いい話があるかもしれないぞ」
海斗は警戒心を抱いた。リンクスも言っていたが、上層の人間が転移者に興味を持つというのは、必ずしも良い話とは限らない。
「考えておく」
海斗はそっけなく答え、軽く頷いただけでその場を離れた。もはや賭けをする気分ではなくなっていた。
宿舎に戻る道すがら、海斗は考え込んでいた。辰巳の活動は何をしているのか。そして「上層の魔導師」とは何者なのか。
――場合によっては、俺たち自身が「被害者」になるような事態もありうる。
海斗は最悪のケースを想像し、そのような推測まで行った。流石にそこまでは行かないと思いたいが……
宿舎に到着すると、食堂ではすでに多くの生徒たちが荷物をまとめていた。明日から宿代が発生するため、支払えない生徒たちは別の場所を探さなければならない。玲奈の「生存協議会」は集団で働ける商会を見つけたらしく、そこで貰った前金で宿代を支払っていた。
「真木、お前はどうするんだ?」
玲奈が海斗に声をかけてきた。彼女は相変わらず凛とした態度で、今や麻葉学園の生徒たちのリーダー的存在だった。
「俺は友人の紹介で東側の安宿に移る予定だ」
「そうか。無理はするなよ。何かあったら、私たちの職場を斡旋してもいい」
彼女の言葉は、凛々しい強さの中に配慮と優しさが込められていた。
「ああ、ありがと。会長たちも気をつけて」
海斗が部屋に戻ると、窓の外で何かが光るのが見えた。一瞬の出来事だったが、星のような青い光が宿舎の周辺を飛び交った気がした。しかし、よく見ると何もない。
「疲れてるのかな……」
彼は頭を振り、就寝の準備を始めた。明日は新たな生活の始まりだ。
*****
翌朝、海斗は早めに起きて最後の準備をした。辰巳との約束は意図的に破ることにした。何か裏があるような気がしたからだ。後で問い詰められたら、適当に誤魔化そう。
荷物を全てバッグに詰め、海斗は翠の部屋に向かった。彼女もすでに準備を終え、待っていた。
「行こうか」
二人は宿舎を出て、リンクスとの約束の場所へと向かった。中央広場の東側、小さな噴水の前で待っているはずだ。
宿舎を出る時、何人かの生徒たちとすれ違った。中にはもう二銀貨を支払い、滞在継続を決めた者もいれば、支払えず追い出された者もいるだろう。そして、辰巳の一団は姿を見せない。噂では、すでに彼らだけの拠点があるらしかった。
広場に着くと、リンクスはまだ来ていなかった。二人は噴水の縁に腰掛け、待つことにした。
しばらくすると、広場の反対側から見覚えのある姿が現れた。
「あれは……」
翠が指さす先には、かぐやの姿があった。彼女は以前の制服姿ではなく、白を基調とした神殿風の衣装を身につけていた。その後ろには二人の神官らしき人物が控えている。
「かぐや!」
海斗が声をかけると、かぐやは振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「わぁっ! 真木きゅん! 翠ちん! 久しぶりだねぇっ!」
かぐやは小走りに近づいてきた。彼女の胸元には小さな水晶のペンダントが揺れ、淡く青い光を放っていた。
「元気だったぁ!? 実はわたしねぇ、いろいろあって、神殿で『聖女候補見習い』になったんだぁ! あ、これみんなには内緒ね?」
かぐやは相変わらずの明るい調子で話した。その話は、一言で言うと長かった。
「こっちの世界は面白いねーっ! 色々な儀式とか魔法に、それぞれ独自の理があって、いくら学んでも学ぶことが尽きないというかっ! この前なんて、神殿の光柱定位儀式っていうのに参加したんだけど、これがまさに地球のカバラにおけるセフィロトの体系そのものなんだよねっ! 神殿の高位聖女が『アウル・アストラル』っていう魔法陣を描いて、十個の光の柱を同時に立ち上げるんだけど、これが塔の構造と完全に対応してるの! 下から順番に『マルクト』『イェソド』『ホド』って地球のカバラと同じ十階層で、それが塔の各層と共鳴してるんだってっ! 最初は偶然かと思ったけど、神殿の古文書を読み解いてみたら、創設者のアクラニスが『境界を超えし者』って記述があって、彼も異世界からの転移者だった可能性が高いんだっ! だからこそ塔の構造はカバラの生命の樹を模して作られていて、各階層は人間の意識の発達段階と対応してるの! 第一層は物質世界の『マルクト』で、上に行くほど高次の意識に近づいていく感じだと思うんだよねっ! 面白いよねーっ!」
かぐやは、早口で二次元作品について語るオタクのように、謎のオカルト知識を熱く語ってくる。相変わらずだなぁ、と海斗は思わず笑ってしまう。
「それでね、儀式の中で私が『アイン・ソフ・オール』っていう魔法語を唱えたら、突然魔法陣が七色に輝いて、神殿の長老たちがびっくりしちゃってっ! 普通は何年も修行しないと起こらない現象なんだって! これってユングが言う集合的無意識への接続が起きたんだと思うんだよね! 地球の東洋思想でいうクンダリニーの覚醒みたいなもので、チャクラでいう第三の目が開いた状態なんだってっ! 神殿では『境界視』って呼ばれてるけど、これがあると次元の狭間が見えるようになるらしいんだっ! 最近は『月輪観』っていう瞑想法も教わって、これが日本の密教とそっくりなの! 月をイメージしながら意識を集中させると、魔力の流れが可視化できるようになって、これが『高等儀式魔法』の第一歩なんだってっ! でもそれには『七つの封印』を解かなきゃいけなくて、それぞれがヘルメス主義の「エメラルド・タブレット」の七原理に対応してるの! 「上のものは下のものと同じ」っていう対応原理が、塔の構造そのものなんだよ!」
「あーそうか」
いつにも増してかぐやの話は長く、いつにも増して意味不明だ。話せる相手がいなくて寂しかったのか、と海斗は思う。
「あっ、そうそう! 神殿の秘蔵書庫で「アカシック・レコード」につながりそうな魔法書も見つけたんだ! これを解読できれば、塔の全ての秘密が分かるかもしれないの! でも文字が七十二層に重なってて、一つの層を読むのに一つの「神名」を理解しないといけないらしくて……これってソロモン魔術の七十二柱の精霊とそっくりなんだよねっ! 全部が繋がってるんだよ、わかる? わたしの脳みそがバーストしそうなくらい興奮するんだよねっ! この世界の秘密が分かったら、いったいどうなっちゃうんだろうってっ! だから今は必死で修行してるんだ! 神殿の儀式で使う『スターシード・パターン』っていう結界術も、ドルーイド教の石の配置や、ナスカの地上絵、インドのヤントラと深く一致するんだよねっ! 宇宙の神秘は繋がってるんだよっ! すごすぎるぅーっ!!!」
彼女の言葉は相変わらず異常な熱が入っていたが、何か以前とは違う雰囲気も感じられた。より自信に満ちていて、まるで何か本当に真理の一端を掴んでいるかのような、そんな萌芽を感じる。
「まあ、お前が楽しそうで何よりだよ……」
そこでかぐやは、自分の話が海斗と翠を置いてけぼりにしている事にようやく気付いたようだった。
「……二人はどうしてるの? 魔法の練習?」
「まあ、少しずつだけどな」と海斗。
かぐやはふと真剣な表情になり、二人をじっと見つめた。
「二人とも、気をつけてね。この街、最近ちょっと危なくなってきてるんだ。特に転移者を狙う連中がいるみたい」
「何か知ってるの?」と翠。
かぐやは周囲を警戒し、声を落とした。
「詳しくは言えないけど……『黒翼会』っていう魔導師の派閥が、転移者に興味を持ってるみたい。特に魔法の才能がある人たちをね」
その言葉に、海斗は辰巳との会話を思い出した。辰巳のいう「上層の人間」とは、この黒翼会のことなのではないか……?
嫌な想像に、海斗は頭を振った。
「かぐやさまっ! そろそろ参りますよ!」
かぐやの付き人が声をかけてきた。彼女は慌てて小さな袋を取り出し、海斗に手渡した。
「もし危ないことがあったら、これを使って! 魔力を込めて青い光が出たら、わたしに場所が届くから!」
そう言って、かぐやは駆け足で付き人たちの元へ戻っていった。
「またね~! 神殿に遊びに来てね!」
海斗は袋を開け、中に入っていた小さな水晶を取り出した。かぐやの首飾りと同じような青い輝きを放つ水晶だった。
「妙なものをもらったな……」
翠が水晶を興味深そうに観察していると、リンクスがようやく姿を現した。
「悪い、少し遅れた」
リンクスは二人に近づくと、周囲を警戒するように見回した。
「急いで行こう。この辺りにはあまり長居したくない」
リンクスに導かれ、三人はファーストリングの東区画へと向かった。途中、人通りの少ない路地を通ったり、わざと遠回りをしたりと、リンクスはまるで誰かに追跡されることを警戒しているようだった。
「気になることでもあるのか?」と海斗。
「ああ。ちょっとな」
「?」
リンクスの言葉は珍しくはっきりとしなかった。
やがて三人は、小さな路地の奥にある古い三階建ての建物に到着した。「白鷺の宿」という看板が掲げられていたが、建物自体はかなり古く、一部が朽ちかけていた。
「ここだ」
リンクスは扉を開け、二人を中に招き入れた。内部は外観よりはましだったが、それでも宿舎と比べれば快適さに欠けていた。廊下は薄暗く、床は軋み、壁には細かなひび割れが走っている。
「確かに豪華とは言えないが、屋根はあるし、食事も出る。何より重要なのは、ここの主人が転移者に同情的で、かつ元冒険者で強い事だ」
リンクスの案内で、海斗と翠はそれぞれ二階の小さな部屋を与えられた。一週間の宿代は一銀貨と決まり、二人は先に二週間分を支払った。
「宿の主人のトービンは信頼できる男だ。彼は冒険者時代、世界各地を回ってきた経験があるから、転移者の苦労も理解してくれる」
部屋に荷物を置いた後、三人は宿の小さな共用スペースに集まった。そこには地図や古い書物が並ぶ本棚があり、小さなテーブルといくつかの椅子が置かれていた。
「ここをベースに、これからの対策を考えよう」
リンクスは地図を広げ、説明を始めた。
「まずは当面の生活費と魔法の練習を両立させることが重要だ。俺にはいくつか稼ぎ方があるが、お前たちにも合った仕事を探す必要がある」
「何かアイデアはあるか?」
「そうだな……これなんかどうだ?」
リンクスは一枚の紙を取り出した。
「明日午前から処理しようと思ってた仕事なんだが……一緒に行くか?」
そこにはこうあった。
『グリーンウルフの討伐による牙と毛皮の収集。1体1銀貨、5体まで』
それはいわゆる、冒険者の仕事だった――