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第4話 異世界の賭博場、リンクスとの出会い

 転移から二週間が過ぎた。

 宿舎の一室で、海斗と翠は向かい合って座り、練習杖を手に持っていた。二人とも疲れた表情だが、目には決意の色が宿っている。


「さあ、もう一度やってみよう」


 海斗の声に応じて、翠は深呼吸をした。彼女は練習杖を持つ手に力を入れ、集中力を高める。


「【光あれ(ルーメン)】」


 翠の杖の先端から弱々しい光が生まれた。小さな光の玉は部屋の中をふわりと漂い、約三十秒ほど持続した後、かすかに瞬いて消えた。


「三十二秒……昨日より三秒伸びたわ。魔力量も増えている気がする」


 翠は小さく微笑んだ。最初の成功から数日、二人は毎日何時間も魔法の練習に打ち込んでいた。魔法語の基礎文字の習得と光魔法の持続時間延長が当面の目標だった。魔法語を覚えるだけではなく、魔力量も増やさないと、実用的な魔法は難しい事が分かってきたからだ。


「最初から考えると、翠もずいぶん上達したな。俺も負けてられない」


 海斗は杖を構え、目を閉じて集中する。彼は魔法語の響きを感じながら、心の中で光が生まれる感覚を思い描いた。


「【光あれ(ルーメン)】」


 杖の先から生まれた光球は翠のものより少し大きく、明るさも強い。それはゆっくりと部屋の中を漂った。


「いい感じじゃない」


「ただ明るいだけじゃなくて、もっと自在に動かせるようになりたいんだ」


 海斗は光球に意識を向けた。すると光球はわずかにではあるが、彼の意図した方向に動いた。ただそれも長くは続かず、約四十秒後に消えてしまった。


「四十一秒。海斗のほうが持続時間も長いわね」


「おまえは理屈で考えすぎなんだよ。もっと感覚に任せてみるべきだ」


「そう言われても、科学的に考えるのが私の性分なの」


 翠は少し口をとがらせた。彼女は魔法の原理を論理的に把握しようと努め、教本に書かれた文法構造や発音規則を細かく分析していた。一方の海斗は、直感を頼りに、感覚的なアプローチで魔法を捉えていた。


「この魔法語って、本当に面白いわね」


 翠は教本を手に取り、魔法語のアルファベットが書かれたページを開いた。


「単なる記号ではなく、一つ一つが意味を持つ。『(フレイム)』という単語一つとっても、『フ』は始まり、『レ』は熱、『イ』は広がり、『ム』は変化を意味する。それが組み合わさることで『燃え広がる炎』という意味が生まれる」


「そのあたりの詳細は、正直お手上げ状態だな」


「だからこそ、正確な発音と文法が重要なのよ。一字違えば、まったく別の魔法になってしまうかもしれない」


 翠は教本の文字を指でなぞりながら説明を続けた。


 しかし、一方の海斗は窓の外を見ていた。


「翠。理論も大事だけど、実践も必要だと思うんだ。外に出て、もっとこの世界のことを知らないと」


「どういうこと?」


 怪訝な顔をする翠に、海斗はにやりと笑った。


「実は昨日、あの賭博場で面白いものを見つけたんだ」


「……また賭博場に行ったの? 遊んでないでしょうね?」


 翠は眉をひそめたが、海斗は気にせず続けた。


「お前からもらったセンサー装置を使って周囲の電磁波を測定してみたら、賭博場の中で変な波形を検出したんだ。もしかしたら、ゲームに使われてる魔法の痕跡を検出してるのかもしれない」


 海斗はポケットからセンサー装置を取り出した。小さな画面には複雑な波形が記録されている。


「……確かに通常の電磁波とは違う波形ね。これは魔法と電磁波に何らかの関係がある事を示唆してる……? でも、だからって賭博場に行くなんて……」


「センサーの調査はいるだろ。センサーを活用して、魔法と賭博の関係を探れれば大儲けできるかもしれない。やっぱさ、少しはお金も必要だろう? このままじゃあとしばらくしたら宿代も払えなくなる」


 翠は渋々と頷いた。確かに生活のためにはお金が必要だ。ここ最近は、他の生徒たちも様々な方法で稼ぎ始めていた。肉体労働で働く者、地元の店で見習いとして雇われる者、中には魔導師と使い魔契約を結んだ者もいるらしい。しかし、まだ言葉の壁があるため、選択肢は限られていた。


「わかったわ。でも、危険なことはしないでよ」


「約束はできないな」


 海斗は立ち上がり、窓からファーストリングの街並みを見渡した。聳え立つアクラニスの塔は、雲を突き抜けて天に伸びている。あの頂点に行けば、故郷に帰る方法があるのかもしれない。


 *****


 午後、二人は街へと出かけた。すでに二週間この世界で過ごしたため、街の基本的な地理は把握していた。中央広場から東に向かい、やや入り組んだ路地を進むと、先日見つけた賭博場がある。


 道中、彼らは様々な種族が行き交う様子を観察した。獣人、エルフのような尖った耳を持つ種族、青や緑の肌を持つ者まで。さらに、魔法を日常的に使う様子も目にした。店先で商品を浮かせる店主、杖で路面を清掃する清掃員、小さな炎で料理を温める行商人。


「この世界では魔法が本当に生活に溶け込んでるわよね」


 翠は冷静に周囲を観察しながら言った。彼女は魔法と科学の関係について考察を巡らせているようだった。


「魔法は興味深いか?」


「だって面白いじゃない! 物理法則が私たちの世界と似ているこの場所で、どうして魔法が成立するのか。それは第五の力なのか、あるいは素粒子レベルでの未知の相互作用なのか……」


 彼女の科学的思考はとどまることを知らないようだった。


 賭博場に近づくと、海斗は足を止め、周囲を確認した。二人はまだ日本の制服を着ている。一般的には目立つ格好ではあるものの、転移者たちが元々いるこの街では、ちょっと珍しい恰好くらいで済んでいる。


「ここだな」


 海斗が立ち止まったのは、薄暗い入り口の建物の前だった。「ブラッディ・ダイス」と呼ばれるその賭博場は、煙草や酒、汗の匂いが混ざった独特の空気が漂っていた。


「本当に入るの?」


「ああ。でも心配するな。まずは様子見だ」


 建物の中に入ると、十数個のテーブルが並び、それぞれで異なるゲームが行われていた。カード、サイコロ、ルーレット、さらには見たこともない複雑な盤面のゲームまで。客の多くは人間に似た種族だったが、獣人や小柄な種族も混じっていた。


 海斗は奥のカードゲームの様子を注意深く観察した。ここのカードは透明な素材で作られており、時折淡い光を放つ。プレイヤーがカードを置くと、テーブルの上に魔法の紋様が浮かび上がる仕組みのようだ。


「面白いな……」


 海斗はポケットのセンサー装置を密かに操作した。すると、装置は小刻みに振動し始めた。確かに魔法のエネルギーを検出しているようだ。


「あのテーブルのカードゲームは『シャドウ・スペル』というゲームね」


 突然背後から声がした。振り返ると、一人の少女が立っていた。地元の服装を着た彼女は、海斗たちよりも若く見えたが、その目は鋭く、経験を感じさせる。


「あなたたち、転移者よね?」


 少女の言葉は、共通語や魔法語ではなく、流暢な日本語で話しているように聞こえた。


「あなたも日本人?」と翠が驚いて尋ねた。


「違うわ。でも言語魔法を習得してるから、あなたたちの言葉を理解できるの。私はミラ。この街で情報屋をしてる」


 ミラと名乗った少女は、海斗のポケットから覗くセンサー装置に視線を向けた。


「面白い道具ね。でも、ここでそんなものを使ってると目をつけられるわよ」


「情報屋?」


 海斗は慎重に尋ねた。彼女が友好的なのか敵対的なのか判断がつかない。


「そう。情報を集めて、必要な人に売る仕事よ。あなたたち転移者のことも調べてるの」


 ミラはテーブルの一つを指差した。


「あのゲームはカードに込められた魔法文字を組み合わせて呪文を完成させるの。強い呪文を作れた方が有利になるわ」


「なるほど……」


 海斗は興味深そうに観察を続けた。ミラはさらに言葉を続けた。


「もし初心者が稼ぎたいなら、あっちのサイコロゲームがおすすめよ。『ルーン・ダイス』っていうの。ルールは単純だから、初心者でも参加できる」


 海斗はミラが指し示したテーブルを見た。六面のサイコロに魔法の文字が刻まれており、プレイヤーたちがそれを振っている。


「あのテーブルなら転移者も何人か参加してるわ。あなたたちと同じく、一攫千金を狙ってるんでしょうね」


 確かにそのテーブルには、明らかに地元の住人とは異なる服装の若者が数人いた。おそらく他の転移者だろう。


「参加料はいくら?」


「一回につき5銅貨。小さいけど、勝てば最大10倍になるわ」


 海斗はポケットを確認した。過去数日間で、宿舎の周りの雑用を手伝って貰った15銅貨がある。


「ミラ、もっと詳しくルールを教えてくれないか?」


「情報には対価が必要よ」


 彼女は小さく微笑んだ。


「……まあいいわ。初回サービスということで教えてあげる。『ルーン・ダイス』は三つのサイコロを振って、出た目の組み合わせで勝敗が決まるの。各面には魔法のルーン文字が刻まれていて、特定の組み合わせになると配当が変わるわ」


 ミラは指を折りながら続けた。


「三つとも同じルーンなら10倍、特定の三つの組み合わせなら5倍、二つが同じなら2倍、それ以外は負け。単純でしょ?」


「確率的には……」


 海斗は頭の中で計算し始めた。サイコロの目が六種類あるとして、三つとも同じ目が出る確率は1/36。特定の3つの組み合わせは、一つにつきやはり1/36。二つ同じ目になる確率はそれよりずっと高いがやや複雑な計算がいる。海斗は計算を終え、期待値は計算し終えた。


「でも、サイコロにも少し魔法が込められてるから、単純な確率だけじゃないわよ」


 ミラはそう付け加えた。


「へぇ。翠、少し挑戦してみてもいいか?」


 海斗が尋ねると、翠は不安そうな表情を浮かべた。


「危険じゃないの?」


「様子見だけさ。少額だし」


 翠は渋々と頷いた。二人はミラに導かれ、サイコロゲームのテーブルに近づいた。


 テーブルを取り囲んでいたのは、地元の住人らしきゴツい体格の男性、獣人の女性、そして明らかに転移者と思しき若い男性二人だった。彼らは海斗たちが近づくと、一瞬警戒の目を向けたが、すぐに再びゲームに集中した。


「新しい客か?」


 ディーラーを務める年配の男性が海斗に声をかけた。


「ああ、少し見学させてもらう」


 海斗はテーブルの様子を観察した。サイコロはクリスタルのような半透明の素材で作られており、内部に魔法の文字が浮かんでいるように見えた。


 転移者らしき青年の一人がサイコロを振った。テーブルに落ちたサイコロは弾み、最終的に三つの異なるルーン文字を表示した。


「はずれだ」


 ディーラーが宣言し、彼の賭け金を回収した。青年は悔しそうに歯を噛んだ。


「次の人」


 ディーラーが海斗の方を見た。


「俺も参加する。5銅貨だな?」


 海斗はポケットから銅貨を取り出し、テーブルに置いた。ディーラーはそれを確認すると、三つのサイコロを彼に渡した。


「転移者か?」


「ああ」


「初めてなら説明しよう。このサイコロは単に振るだけではない。振る前に魔力を少し込めるんだ。集中して、サイコロに意識を向ける。魔力の込め方で出る目が変わる仕組みになってる。だが仕組みは複雑だから、ほとんどランダムみたいなもんだ」


 ディーラーの説明に海斗は驚いた。魔力を込める?  まだ初心者の自分にそんなことができるのだろうか。


「やってみる」


 海斗はサイコロを手に取り、「【光あれ(ルーメン)】」を唱える時のように意識を集中した。集中する最中、彼はセンサー装置を密かに確認した。サイコロから発せられる魔力の波形を読み取ろうとしたのだ。


 装置の画面には、サイコロから発せられる微弱な波形が表示された。その波形はリズミカルに動いており、何らかのパターンがあることを示唆していた。


「なるほど……」


 海斗は光の魔法を練習した時の感覚を思い出し、サイコロに意識を向けた。完全に理解はできないが、このサイコロは振る人の意識や魔力に反応する仕組みのようだ。


 彼は深く息を吸い、サイコロを振った。クリスタルのサイコロがテーブルの上で弾み、回転し、最終的に静止した。


 三つのサイコロのうち、二つが同じルーン文字を表示していた。


「二つ揃い! 2倍だ」


 ディーラーが宣言し、10銅貨を海斗の前に置いた。


「おお、やるじゃない」


 翠が小さく拍手した。


「もう一度」


 海斗は10銅貨のうち5銅貨を賭けた。今度はより集中し、先ほどのセンサー装置の波形を頭に思い描きながら魔力を込め、サイコロを振った。


 再び二つのサイコロが同じルーン文字を表示した。


「また二つ揃い!」


 ディーラーは少し驚いた様子で、10銅貨を追加した。海斗の前には合計15銅貨が並んでいる。


「すごいわね」


 ミラが小さく囁いた。


「偶然かもしれないけど、二回連続はなかなかよ」


 他のプレイヤーたちも海斗に注目し始めた。特に、地元の男性は不機嫌そうな表情を浮かべていた。


「もう一回。今度は倍を賭ける」


 海斗は自信を持って言った。彼は10銅貨を賭け、残りの5銅貨をポケットにしまった。


 今度は更に集中し、センサー装置で感知した波形たちを元に推測した、新たな魔力の込め方を行う。サイコロを振ると、それらは弾み、回転し……


 三つとも同じルーン文字を表示した。


「三つ揃い!  10倍だ!」


 ディーラーの声は驚きに満ちていた。場が一瞬静まり返る。


「100銅貨の勝ちだ」


 ディーラーは銅貨の袋を取り出し、海斗の前に置いた。


「すごい……」


 翠は目を丸くして見ていた。


「海斗、どうやったの?」


「感覚かな。ギャンブルと魔法、案外似てるのかもしれない」


 海斗は勝ち金を受け取った。しかし、彼の勝利に不満を持った男性が立ち上がった。


「おい、転移者! お前、なにか細工してないか?」


 男性の声は怒りに満ちていた。


「細工なんてしてない。堂々と勝負したまでだ」


 海斗はこの2週間で猛勉強した魔法語で、たどたどしくも堂々と答弁する。


「嘘つけ! 三回連続で勝つなんてありえない!」


 男性はテーブルを叩き、海斗に詰め寄った。その瞬間、彼の手から炎が生まれた。


「おい、店内での魔法は禁止だぞ!」


 ディーラーが叫んだが、男性は聞く耳を持たなかった。


「転移者の分際で、俺たちから金を巻き上げるなど許されん! 【炎あれ(フレイム)】!」


 男性の手から炎が海斗に向かって飛んだ。海斗は咄嗟に身を翻し、何とか避けた。しかし、テーブルの一部が燃え始めた。


「逃げるぞ!」


 海斗は翠の手を引いて立ち上がった。店内は一気に混乱し、客たちが四散する中、男性は海斗を追いかけてきた。


「逃がさんぞ!」


 男性の手からさらに炎が放たれる。海斗と翠は店の出口へと走ったが、出口には別の男たちが立ちはだかった。明らかに最初の男の仲間だ。


「くそっ……」


 海斗は周囲を見回した。もう一つの出口は奥にあるが、それを目指すには燃えているテーブルを越えなければならない。


「どうする?」


 翠の声は震えていた。


「その転移者、渡せ!」


 出口の男たちが近づいてきた。


 その時、突然店の窓が割れ、一人の若者が飛び込んできた。銀髪を後ろで束ねた少年だ。海斗は彼を覚えていた。何度か賭博場で見かけていた、銀髪の少年だ。


「こっちだ! 急げ!」


 少年は海斗たちに向かって叫んだ。彼は素早く動き、出口を塞いでいた男たちの一人に強烈な蹴りを入れた。男は冗談みたいな勢いで吹き飛び、壁にめり込んでしまう。


「行くぞ!」


 海斗は翠の手を引き、銀髪の少年の後を追った。少年は見事な身のこなしで敵を翻弄、撃破し、海斗たちのために道を開いた。


 三人は賭博場を飛び出し、路地へと逃げ込んだ。背後からは怒号と足音が追ってくる。


「こっちだ!」


 銀髪の少年は複雑に入り組んだ路地を案内した。彼はこの街の裏道を熟知しているようだった。何度も方向を変え、追手を撒こうとする。


 ようやく足音が遠ざかったところで、少年は立ち止まった。三人は息を切らせながら、狭い路地の隅に身を寄せた。


「助かった。ありがとう」


 海斗は銀髪の少年に礼を言った。


「気にするな。転移者が標的にされるのはよくあることだ」


 少年は冷静に答えた。彼の鋭い目は、常に周囲を警戒している。


「あなたは?」


 翠が尋ねた。


「リンクスだ。この街で情報を集めてる」


 リンクスを名乗った少年は、海斗を見つめた。


「お前、なかなかやるな。あのサイコロゲームで三連勝は珍しいぞ」


「見てたのか」


「ああ。お前が魔力をサイコロに流し込むのを見てた。あのコントロールは熟練者でも難しいはずなんだがな」


 リンクスは感心したように言った。


「俺もまだ魔法語を勉強中だが、お前たちは進みが速いようだな」


「魔法語を学んでるのか?」


 海斗は興味を持った。リンクスは日本語を話すが、明らかに日本人ではない。地元の住人なのか、それとも他の世界からの転移者なのか。


「ああ。アストラル・アカデミアを目指してる。上層に行くには魔法を習得するしかないからな」


「アカデミア……」


 海斗は思わず呟いた。それが魔導師になるための登竜門だというのは、すでにビツから聞いていた。


「お前たちも目指すのか?」


「ああ、そのつもりだ」


「理にかなってる。この塔は弱者に優しくない。強者に従うか、自分が強くなるか、組織を組むかだ。それ以外に生き残る道はない」


 リンクスの言葉は冷たかったが、現実を的確に捉えていた。この一週間で海斗たちも肌で感じていた。


「転移者の中にも、すでに三つの道に分かれ始めてる奴らがいるだろ?」


 リンクスの質問に、海斗は頷いた。七瀬玲奈のように集団で協力する道を選ぶ者、辰巳拓海のように独自の勢力を作ろうとする者、そして一部の生徒たちのように魔導師の使い魔になる道を選ぶ者。


「転移者は標的にされやすいからな。今日のようなことはまだまだある」


 リンクスはそう言って、周囲を見回した。


「そろそろ安全な場所に移動しよう。ここはまだ危険だ」


 三人は再び路地を歩き始めた。リンクスは先頭に立ち、複雑な路地を巧みに案内する。


「リンクス、あなたはこの街のことをよく知ってるのね」


 翠が尋ねた。


「ああ。情報が命だからな。特に転移者に関する情報は価値がある」


「なぜだ?」


 海斗は鋭く質問した。


「転移者には特別な魔力の波動があるからさ。それを研究してる魔導師や組織がいる。お前たちは気づいてないだろうが、常に誰かに観察されてるんだぜ」


 リンクスの言葉に、海斗と翠は顔を見合わせた。確かに街中で時折感じる視線があった。その正体は、そういうことかもしれない。


「ここだ」


 リンクスが立ち止まったのは、小さな茶屋の前だった。目立たない入口だが、中から漂う香りは心地よかった。


「ここなら安全だ。店主は転移者に優しい」


 三人が店内に入ると、薄暗い照明の下、数人の客が静かに会話していた。ほとんどが地元の住人に見えたが、奥のテーブルには別の転移者らしき若者たちも座っていた。


 リンクスは隅のテーブルへと二人を案内した。


「少し話そう」


 席に着くと、店主が温かい飲み物を運んできた。緑色の液体だったが、口に含むと、ほのかに甘く、心が落ち着く味がした。


「こいつは『静心(せいしん)(そう)茶』だ。魔力の流れを整えてくれる」


 リンクスは自分の杯を一口飲んだ。


「お前たち、名前は?」


「俺は真木海斗で、彼女が久我翠だ」


「そうか。どうやら周りの転移者よりも適応力があるようだな」


 リンクスは二人を観察するように見た。


「特にお前、海斗。あのサイコロゲームでの魔力の扱いは初心者のものじゃない」


「俺はただ感覚でやっただけだ」


「感覚か……」


 リンクスは考え込むように言った。


「なぁ、俺とお前らで協力しないか?」


 唐突な提案に、海斗は驚いた。


「協力?」


「ああ。情報と技術を出し合って、上層を目指す。俺は情報収集が得意だし、お前たちは魔法の才能がある。互いに助け合って教え合えば、生存率は上がる」


 リンクスの目は真剣だった。


「なぜ俺たちに協力を? 初対面だろ?」


「直感だ。お前らなら信用できる」


 海斗は翠と目を合わせた。彼女も少し考えた後、小さく頷いた。


「わかった。協力しよう」


 海斗はリンクスに手を差し出した。リンクスはそれを握り返した。


「よし、取引成立だ」


 リンクスはにやりと笑った。


「まずは魔法語の習得を続けろ。俺も学んでる。そして、金も必要だ。今日の賭けで稼いだ金は大事に使え。ずっとあんなことしてると、流石に元締めに殺されるからな」


「ああ」


「それと、この街には俺みたいな情報屋が他にもいる。中には転移者を売り飛ばす奴もいるから気をつけろ」


 リンクスは静かな声で忠告した。


「あと一ヶ月もすれば、お前らの仲間たちの多くは三つの道のどれかを選ぶことになる。そのとき、どこに立つかが重要だ」


 海斗はリンクスの言葉を噛みしめながら、茶を飲んだ。


 二週間で、この世界の現実はますます明確になってきた。生き残るためには力が必要であり、その力を得るためには魔法を習得し、上層を目指さなければならない。


「リンクス、アカデミアに入るにはどうすればいいんだ?」


「まず魔法語試験に合格する必要がある。それから入学試験だ。どちらも簡単じゃない」


「どれくらいの期間が必要だと思う?」


「普通は早くても半年から一年。出来ない奴は、何年やっても受からない。だが、お前らなら早いかもしれないな」


 リンクスは海斗の質問に答えながら、窓の外を見た。日が傾き始めている。


「そろそろ宿舎に戻った方がいいだろう。日が暮れると危険な連中が増える」


 三人は茶屋を出て、宿舎への道を歩き始めた。


「明日の15時に、またさっきの茶屋で会おう。一緒に魔法の練習をしてほしい」


 リンクスはそう言って、路地の角で別れた。


 宿舎に戻る道すがら、海斗は今日の出来事を振り返っていた。賭博場での勝利、トラブル、そしてリンクスとの出会い。すべてが彼らの生存戦略に新たな道を開くきっかけになるかもしれない。


「海斗、リンクスは信用していいの?」


 翠が不安そうに尋ねた。


「直感的には悪い奴じゃないと思う。それに、今は味方を増やしておくべきだろう。異世界人の味方なんて、簡単に得られるもんじゃない」


「そうね……」


 翠は少し考え込んでいた。


「あの賭博場では、どうやって勝ったの?」


「センサー装置の波形を見て、サイコロの魔力の流れを読み取ったんだ。完全には理解できなかったけど、パターンがあった。あとは自分の魔力の込め方とそのパターンの関係を理解するだけだ」


「そんなことができるなんて……」


 翠は驚いた様子だった。


「お前のセンサー装置のおかげだよ。科学と魔法、意外と相性いいのかもしれないな」


 海斗はそう言って笑った。


 海斗と翠は、帰り道、今日の出来事を整理した。一通り終えたところで、明日の方針の話になる。


「……明日からは、もっと積極的に魔法を学ばないとね」


「ああ。それと、リンクスから得られる情報も活用しよう」


 海斗はポケットから勝ち取った銅貨を取り出した。100銅貨。まだ少額だが、生活のための貴重な資金になる。


「宿代には足りないが、食事くらいは何回かできるな」


「……ね、海斗。私たち、本当に魔法学園を目指せるかな?」


 翠の声には不安が混じっていた。


「ああ、必ず。そして塔の頂上へ行って、故郷に帰る方法を見つける」


 海斗は塔の方向を見つめた。「【光あれ(ルーメン)】」を唱え、練習杖から小さな光を生み出す。その光は以前よりも明るく、長く持続した。


 少しずつだが、確実に前進している。


 明日は魔法の練習、リンクスとの情報交換、そして新たな生存戦略の構築。やるべきことは山積みだが、今日の出会いで一筋の光が見えた気がした。


 リンクス。彼との出会いは、この異世界での生き残りの鍵になるかもしれない。


 海斗は深く息を吸い、決意を新たにした。


「異世界に来て、やっとあなたの頼れる所が見れるってのは皮肉な物ね」


「お前にも期待してるぞ、小さな科学者さん」


 二人は連れ立って、宿舎に帰った。その距離は、異世界に来たばかりの時より、いくらか近くなっていた。

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