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第三話 異世界の街、魔法語

 翌朝、海斗は硬いベッドの上で目を覚ました。一瞬、自分の部屋のベッドではないことに違和感を覚えたが、すぐに状況を思い出す。ここは異世界「アクラニス」。昨日、修学旅行の出発時に突如として転移させられた先だ。海斗は深く息を吸い込み、ベッドから立ち上がった。


 窓の外を見ると、まだ朝日が昇り始めたばかりだった。外の世界は見慣れない街並みで、ここが異世界である事を強く実感させられる。


「本当に別の世界なんだな……」


 洗面所にいくべく廊下を歩くと、同じように目を覚ました男子生徒たちが、まだ半分は現実を受け入れられない様子で呆然としていた。中には昨夜から泣き続けている者もいるようだ。泣き声が壁越しに聞こえてくる。


「よう、よく眠れたか?」


 声をかけてきたのは、既に身支度を整えていた不良リーダーの辰巳拓海(たつみたくみ)だった。辰巳はギャンブル研究会にも顔を出す一人なので、海斗とも付き合いがある。


「まあな。おまえこそ、驚くほど平然としてるな」


「なに、家がクソ親父とクソ継母の家庭でな。ここの方がよっぽどマシかもしれねえよ」


 辰巳はニヤリと笑い、その後で真剣な顔になって続けた。


「それより、お前はどうする? あの白衣の元カノと行動するんだってな」


「まあ、当面はな。基礎を固めるのが先決だと思ってる」


「そうか。俺は早くこの宿を出て、自分のシマを作るつもりだ。この世界でも、力のある奴が生き残る。それは変わらねえだろうよ」


 辰巳の目には冷たい決意が宿っていた。彼は一晩で、この世界への適応を決めたようだった。


「お前も気をつけろよ。周りの連中はどんどん割れていくぜ。生徒会長サマはみんなで協力しようなんて言ってるけど、現実はそんな甘くねえ。自分の身は自分で守るんだ」


 辰巳が去った後、洗面所で顔を洗っていると、隣で鏡を見つめる佐伯勇太(さえきゆうた)がいた。体育会系で、普段は元気いっぱいな彼も、今朝は沈んだ表情だった。


「おはよう」


 海斗が声をかけると、佐伯はハッとして顔を上げた。


「ああ、海斗か。おはよう……」


「大丈夫か?」


「ああ……まあな」


 佐伯は鏡に映る自分の顔をじっと見ていた。


「お前さ、帰れると思うか? 故郷に」


 海斗は少し考えてから答えた。


「正直わからない。でも、可能性はあるはずだ」


「そうか……俺、家族に伝えたいことがまだあったんだ。母さんが病気で、俺が高校卒業したら働くって約束してたのに」


 佐伯の言葉に、海斗も胸が痛んだ。皆、それぞれに故郷に残してきた想いがある。


「でもよ、泣いてても始まらねえよな」


 佐伯は顔を洗い、気合いを入れるように頬を叩いた。


「俺は体力には自信がある。この世界でも、それを武器に生きていくさ。海斗も頑張れよ」


 佐伯の力強い言葉に、海斗も元気づけられた気がした。


 食堂では朝食が配られていた。昨夜よりもさらに質素な粥と少量の果物。海斗の隣には隣のクラスの安部という顔見知り程度の男子生徒が座っていた。彼は粥をスプーンでかき混ぜながら、ぼそりと言った。


「これ、動物のエサみたいだよな……」


「まあ、でも腹は膨れる」


「真木は冷静だな。俺なんか、まだ夢だと思いたいくらいだ」


「夢じゃない方が今のところ確率は高い。それに、今は状況を受け入れて、どう生き残るかを考えるべきだと思う」


「そうだよな……」


 安部は諦めたように粥を口に運んだ。


 食事を終えて席を立とうとしたとき、向かいのテーブルから大きな音がした。数人の男子生徒が言い争いを始めていた。


「おい、それ俺の分だぞ!」


「何言ってんだよ、これは最初からこっちのだ!」


 食卓に置かれた果物を奪い合っているようだ。周囲が緊張する中、生徒会長の七瀬玲奈が間に入った。


「やめろ! こんな時に争って何になる? 皆苦しいのは同じだ」


 玲奈の迫力ある声に、男子生徒たちは一瞬たじろぎ、しぶしぶと席に戻った。


 だが、空気の重さは変わらない。


 海斗はそのやり取りを見ながら、状況の深刻さを改めて感じた。わずか一日で、すでに内部分裂の兆候が見え始めている。


 海斗が一人で食事を終えると、翠が白衣姿のままで近づいてきた。


「おはよう。寝れた?」


「ああ、なんとかね。おまえはどうだった?」


「最悪よ。ベッドは硬いし、隣の部屋ではずっと誰かが泣いてたし……でも、今は状況を嘆いてる場合じゃないわ」


 翠の目は疲れていたが、意志の強さは変わっていなかった。そういって食堂の入り口を見る翠。そこには白兎の使い魔、ビツが現れていた。大きな箱をぷかぷかと浮かせながら。


「おほほほ! お約束通り、今日は皆様に魔法語の基礎教材をお配りしますわよ! これこそが、この世界で生きていくための第一歩となりますの!」


 ビツが箱を開けると、中から青い表紙の冊子が取り出された。そこには不思議な幾何学模様と、謎めいた文字が描かれている。


「これが『アルカナ・グロッサ初級教本』でございますわ! 魔法語の基礎から学べる素晴らしい教材ですの!」


 生徒一人一人に配られた冊子を手に取ると、海斗は表紙をめくった。中には奇妙な文字と図形、そして魔法語のアルファベットとされる文字が並んでいた。どれも複雑な形をしており、日本語やアルファベットのような単純さはない。


「まず最初に覚えていただきたいのは、魔法語は単なる『コミュニケーションの道具』ではないということですわ」


 ビツの説明が続く。


「魔法語『アルカナ・グロッサ』は、話す際の発音や抑揚はもちろん、話しながら心の中で描くイメージによって魔力や意味が宿る特殊な言語なのですの。正しい発音と正しいイメージがあって初めて、魔法として成立するのですわ」


 生徒たちの間に不安の波が走る。単なる外国語の習得以上に難しそうだ。


「例えば、こちらの最初のページ。基本中の基本、光を生み出す魔法【光あれ(ルーメン)】」


 ビツが冊子の最初のページを指さすと、そこには複雑な文字と、光を表すような図形が描かれていた。


「【光あれ(ルーメン)】と発音するだけでは、魔法は発動しませんわ。まず、アルカナ・グロッサの発音法で『ル・ウ・メ・エ・ン』と、一音一音を正確に、そして流れるように発音し、同時に心の中で『光が生まれ、広がる』様子をイメージするのですの」


 ビツはデモンストレーションとして、前足を上げ、【光あれ(ルーメン)】と発音した。すると、その前足の先から小さな光の玉が生まれ、ふわりと宙に浮かんだ。生徒たちからは歓声と拍手が上がる。


「すげえ……」


「本物の魔法だ……」


「言語と魔法が一体化している?  音の振動が何らかのエネルギーを発生させる仕組みなのかしら」


 翠は科学少女らしく、すでに分析を始めていた。


「皆様には、この初級教本と共に、最も初歩的な魔道具『練習杖』も配布いたしますわ」


 今度は別の箱から、短い木の棒が取り出された。それぞれの先端には小さな赤い宝石のようなものが埋め込まれて、本体にはなにやら黒いインクで紋様が刻まれている。


「これは魔法の発動を助ける道具でございますの。魔力をほとんど持たない初心者でも、この練習杖を使えば、少しずつ魔法を練習できますわ」


 練習杖を手に取った海斗は、その軽さと木肌の温かみを感じた。普通の木の棒にしか見えないが、先端の赤い宝石が微かに脈動しているように見える。


「魔力って、増えるんですか?」


 生徒の一人がそんな質問をビツに投げかける。


「使えば使うほど増える傾向にあるとされておりますわ。また強力な魔物を討伐したり、その肉を喰らったりする事でも増えると言われておりますの!」


「魔物の肉……旨いのかな?  お腹すいてきた」


「いま食べたばかりだろ」


 そんな私語が食堂でテーブルに座る生徒たちの中から聞こえてくる。


「皆様は、一ヶ月以内にこの教本の内容を習得し、少なくとも【光あれ(ルーメン)】程度の基礎魔法を使えるようになることを目指してくださいませ。それができれば、この世界で生きる第一歩は踏み出せたと言えますわ」


 その言葉に、海斗は決意を固めた。一ヶ月。その間に、この世界で生きていくための基盤を作らなければならない。


 ビツの説明が終わった後、生徒たちは思い思いに教本を開いて見始めた。部屋の隅では、生徒会長の玲奈が数人の生徒と話し合っていた。彼女は昨日から「麻葉生存協議会」という組織を立ち上げ、共同で情報収集や生活支援をしようと呼びかけていた。今朝の口論を見ても、そうした団結が必要なのは明らかだった。


 海斗は玲奈の取り組みを遠くから見ながら、彼女の力強さに感心していた。この混乱の中で頭を冷静に保ち、リーダーシップを発揮している。しかし同時に、辰巳や琉亜のような独自の道を行く者もいる。みんなが一つにまとまることは難しいだろう。


 *****


 教本の配布が終わった後、海斗は翠と共に自分たちのスペースに戻った。二人で教本を開き、内容を確認する。


「これ、かなり難しそうね……」


 確かに、魔法語のアルファベットは複雑な形をしており、一つ一つを覚えるだけでも大変そうだった。発音記号も馴染みのないものが多く、日本語の「あ行」「か行」とは全く異なる体系を持っているようだ。


「字を覚えるだけじゃなくて、発音と同時にイメージも必要ってのが慣れないな」


 翠は教本の最初のページを丁寧にめくりながら、文法構造を見ていく。


「これは興味深いわ。魔法語は単なる意思疎通の道具ではなく、世界に直接働きかける手段なのね。言葉と実在が直結している……哲学的にも面白い概念だわ」


「おまえらしいな」


 海斗は笑った。


「いきなり理論から入るんだな」


「だって、理論を理解しないと実践できないでしょう?」


「逆かもしれないぜ。この世界では、感覚が先で、理論は後付けかもしれない」


 翠が何か言い返そうとしたとき、かぐやの姿が見えた。彼女は青い冊子を手に持ち、何やら興奮した様子で外へと走っていく。


「かぐや、どこ行くんだ?」


 海斗が声をかけたが、彼女は「ちょっと調査に行ってくるよぉっ!」と返事をするだけで去っていった。


「あの子、昨夜も遅くまで起きてたみたいね。図書室で見つけた本に熱中してるみたい」


 翠の言葉通り、かぐやは昨夜、図書室で勝手に教本を見つけて、徹夜に近い勢いで魔法語の基礎単語と基礎文法を熱心に覚えようとしていたようだ。彼女の手書きのノートが彼女のいた食堂のテーブルに置かれており、そこには基礎単語や発音記号が整然と書き出され、文法の図解までされていた。置き去りにしてあるのは、もう覚えたからいらないという事かもしれない。


「こんな短時間であれだけ……すごいな」


「あの強烈なエネルギーはどこからくるのかしらね」


 翠がノートを手に取ると、そこには魔法語の基礎文字が美しく書かれていた。オカルト研究会という変人の集まりの長とはいえ、かぐやの学習能力と集中力は並外れていたようだ。


「かぐやって、勉強の成績はそんなに良くなかったはずだけどね……」


「でも、好きなことには異常な集中力を発揮するタイプだよな。オカルト研究会の活動とか、異常なほど知識あるし」


「そうね。今回も魔法という『オカルト』に本気で取り組んでるのね」


 琉亜の姿も見当たらなかった。昨日の話通り、彼女は独自の行動を始めたようだ。


「そういえば、琉亜は?」


「さあ……朝から姿を見ていないわ。彼女も何か別の方法で道を切り開こうとしているんでしょうね」


 翠の声には少し寂しさが混じっていた。昨夜は四人で話し合ったのに、早くも半分がいなくなっている。


「さて、俺たちも始めるか。まずは仕事を探そう」


「ええ、でもその前に、まずは街を探索しないと。この世界のことをもっと知らないといけないわ」


 二人は魔法語の教本と練習杖を持って、宿舎を出た。


 *****


 ファーストリングの街は、朝から活気に満ちていた。多種多様な種族が行き交い、市場では様々な商品が売買されている。人間のような姿をした種族もいれば、獣人、小人、はたまた背の高い青肌の種族まで、実に様々だ。


 海斗と翠は、まず中央広場に向かった。そこでは朝市が開かれており、新鮮な野菜や果物、肉、魚が並べられている。見慣れない形の野菜や、この世界特有の果物も多い。緑色の水玉模様が入った卵や、紫色の肉、六角形の果実など、地球では見たこともない食材が並んでいた。


「これ、どんな味がするのかしら……」


 翠は紫色の果実を興味深そうに見つめた。


「お金もないし、買えないけどな」


 海斗は冷静に、市場の品々とそこに書かれた数字を観察している。どうやらあの【銅】という文字についた数字が値段を表すようだ。


 街を歩きながら、二人は言語の壁を痛感した。看板の文字は読めず、周囲の会話も全く理解できない。時折、向けられる視線には警戒や軽蔑の色が見える。「転移者」であることが見た目で分かるのか、それとも単に異質な存在として浮いているだけなのか。


「ねえ、海斗。私たちだけ浮いてるわよね。服装が違うから分かりやすいんだわ」


 確かに、日本の制服を着た二人は、異彩を放っているようだった。周囲の住人たちは中世ヨーロッパや中東を思わせる衣装を身につけている。中には他の転移者らしき者もいたので、完全に浮いているわけではなかったが……


「いずれは現地の服も必要になりそうだな」


 彼らが市場の一角を通り過ぎたとき、突然人通りが途絶えた。静かになったと思った矢先、轟音と共に地面が揺れた。


「なっ……何!?」


 翠が海斗の腕をつかむ。


 前方の路地から、巨大な生き物が現れた。象ほどの大きさで、太い六本の足を持ち、背中には貨物が積まれている。


「荷物運搬用の魔獣か……」


 周囲の住民たちは当然のように道を譲り、その巨獣が通り過ぎるのを待っていた。翠の顔は青ざめていたが、海斗は興味津々で見ていた。


「この世界のルールをもっと知らないと……」


 市場を通り過ぎると、海斗は開かれたドアの向こうに、人々が集まっている場所を見つけた。中をのぞくと、それはカードやサイコロを使った賭博場だった。テーブルの周りに集まった様々な種族が、興奮した様子で賭けに興じている。


「ここか……」


 と海斗は思わず足を止める。


「まさか、こんなところで……」


 翠は呆れたように言ったが、海斗の目は既に店内の様子を分析していた。


 カードゲームのルールは分からないが、海斗は直感的に勝敗のパターンを見抜こうとする。カードの動きは地球のトランプとは違うようだ。透明感のある素材で作られたカードは、時折光を放ち、テーブルの上で自ら動くこともある。魔法の要素が入っているようだ。


 サイコロ賭博も見られた。こちらは比較的理解しやすい。いくつかのサイコロを振って、その組み合わせで勝敗が決まるようだ。ただし、サイコロの目は地球のものとは違い、謎の文字や記号が刻まれている。


 店の片隅のテーブルに座っていた銀髪の少年と目が合った。シルバーグレーの髪を後ろで束ねた、鋭い目つきの精悍な少年だ。彼は海斗と目が合うと、すぐにゲームに視線を戻した。


「あいつ、なんか印象に残るな」


 海斗はつぶやいた。


「どいつ?」


「あの銀髪の……」


 振り返ると、少年の姿は人混みに紛れてもう見えなくなった。


「いや、なんでもない」


 賭博場を後にした二人は、さらに街を探索したが、仕事を見つけるのは容易ではなかった。言葉が通じないため、求人らしき内容も理解できず、店主たちも彼らを見ると冷たく軽蔑の眼差しを送るだけだ。


 広場の一角では、数人の若者が石畳を掃除していた。彼らの服装は質素で、疲れた表情をしていた。翠が彼らを指さして言った。


「あの人たち、私たちと同じ転移者かもしれないわ。もう仕事を見つけたのね」


 確かに、彼らの格好は異世界の住人とも異なり、どこか「よそ者」の雰囲気があった。しかし、日本人かどうかは分からない。「星降りの民」は世界中から来るのかもしれない。


 別の通りでは、大きな屋敷の前で、制服のような衣装を着た若い男女が並んでいた。豪華な馬車が到着すると、中から出てきた魔導師風の男性が彼らを一人ずつ見ていく。


「あれは……」


「ビツが言ってた、使い魔選考ってやつじゃないか」


 昨日聞いたビツの説明によれば、「使い魔契約」は魔導師が有望な若者を従えるシステムで、魔法を教える代わりに忠誠や労働などを提供させるという関係だった。生き残るための一つの手段ではあるようだが、その内実はよく分からない。


「わたしたちの中にも、ああいう風に、魔導師の使い魔になる子も出てくるのかな」


「さてな。いよいよ苦しくなってくれば、生き残るためにはなんでもするかもな」


 さて、二人は一通り街を歩いて、一つの結論に至っていた。


「これは、厳しいな……」


「やっぱり、まずは言語を覚えないと何もできないわね」


 宿舎に戻る道すがら、二人は同じ事を考えていた。


 一ヶ月で魔法語の基礎を習得し、コミュニケーションの壁を突破する。それが最優先だ。


 *****


 その夜から、海斗と翠は魔法語の学習に集中し始めた。教本を広げ、アルファベットを一つ一つ書き写し、発音を練習する。


「『アルケア』は『ア』、『ルシドゥル』は『ル』……」


 翠は科学者らしく、体系立てて学ぼうとする。一方、海斗はまず「ルーメン」という言葉全体の発音とイメージを掴もうとしていた。


「『ル・ウ・メ・エ・ン』……光が生まれる……光が広がる……」


 海斗は練習杖を手に、何度も言葉を繰り返す。しかし、何も起こらない。


「そうじゃないわよ。まずは文字と発音をしっかり覚えないと」と翠は忠告するが、海斗は違和感を覚えていた。


「……これはギャンブルに似てるかもしれない」


「は? 何言ってるの?」


「ギャンブルってさ、確率だけじゃなくて、感覚も大事なんだ。相手の心理、場の雰囲気、自分の直感…そういうものを総合的に捉える能力が必要なんだ」


 海斗の言葉に、翠は首を傾げた。


「魔法と賭け事が何の関係あるというの?」


「直感だよ。ギャンブルで勝つには、頭で計算するだけじゃなくて、流れを感じる感覚が必要なんだ。この魔法も同じじゃないかな。ただ正確に発音するだけじゃなくて、何か特別な感覚が必要なんだと思う」


 海斗は練習杖を再び手に取り、目を閉じた。


「この世界は地球じゃない。魔法は、単なる言語習得じゃなくて、感覚で行うものかもしれない。感覚を研ぎ澄ませ、イメージするんだ」


 彼は深く息を吸い込み、魔法語の音の響きと、光が生まれる感覚に集中した。


「【光あれ(ルーメン)】」


 その瞬間、練習杖の先端が微かに光った。ほんの一瞬、かすかな明かりが灯り、すぐに消えた。しかし、確かに光は生まれた。


「できた……」


 海斗は驚きの表情で杖を見つめた。


「すごい……」


 翠も目を丸くして見ていた。


「どうやったの?」


「言葉だけじゃなくて、感覚なんだ。魔法語を発音しながら、心の中で光が生まれるイメージ、光の感覚を強く持つ。そうすると、何か体の中で反応が起きる感じがする」


 海斗は再び試してみた。「ルーメン」。今度は少し長く光が続いた。杖の先から柔らかな光が広がり、部屋の一角を明るく照らした。


「すごい……これが本物の魔法……」


 海斗自身も驚きを隠せなかった。自分の意志で光を生み出すという経験は、これまでの人生で味わったことのない不思議な感覚だった。それは単に目に見える現象だけでなく、体の内側から何かが溢れ出るような、言葉では言い表せない感覚を伴っていた。


 海斗の説明に、翠は少し考え込んだ後、自分の練習杖を手に取った。


「感覚……イメージ……」


 翠も何度も試みたが、成功しない。翠は論理的思考が強すぎて、感覚に頼ることが難しいようだった。


「もっとリラックスして。考えるんじゃない。光が生まれると『信じる』んだ」


 海斗のアドバイスを聞き、翠は深呼吸をした。彼女は目を閉じ、全身の緊張を解いていった。


「『信じる』……【光あれ(ルーメン)】」


 彼女の杖からも、かすかな光が生まれた。一瞬だけだったが、確かに成功だった。


「できた!」


 翠は喜びのあまり思わず飛び上がり、海斗に抱きついた。


「海斗、できたわ!」


 その瞬間、二人の体が密着し、互いの温もりを感じた。翠はハッとして体を離し、頬を赤らめた。


「ご、ごめんなさい……つい昔の感覚で……」


 海斗はにやりと笑った。


「久々の感触だったけど、気持ちよかったな」


「もう! ふざけないで!」


 翠は海斗の腕を叩いた。


「真面目に練習するわよ!」


 しかし、その表情には嬉しさも混じっているように見えた。


 翠は再び集中し、「【光あれ(ルーメン)】」と唱えた。今度は少し長く光が続いた。徐々にコツを掴みつつあるようだった。


「やっぱり、論理だけじゃダメなのね。感情や感覚も大切なのかも」


「そうだな。この世界の魔法は、頭だけじゃなくて、心や体全体で感じるものかもしれない」


 そんな会話をしながら、二人は何度も何度も練習を重ねた。最初は一瞬しか続かなかった光が、徐々に数秒、そして十数秒と長く続くようになっていく。


「わぁ、見て!」


 翠が放った光は、杖の先から小さな球となって浮かび上がり、部屋の中を漂い始めた。


「動かせるの?」


「うん、なんとなく……意識を向けるとね……」


 翠が集中すると、光の球は彼女の意志に従って動き始めた。しかし、すぐに消えてしまう。


「まだ維持するのが難しいわね」


「でも、すごい進歩だ」


 二人は夜遅くまで練習を続けた。何度も失敗しながらも、少しずつコツを掴んでいく。魔法の光はまだ安定せず、長時間は持続しないが、確実に進歩していることが感じられた。


「この調子で頑張れば、一ヶ月以内に基礎はマスターできそうだな」


「ええ。それから仕事を見つけて、少しずつこの世界に適応していきましょう」


「魔法が使えるようになれば、できることも増えるしな」


 翠は少し考え込んでから言った。


「……私たち、この先どうするつもり?」


「まずは言葉と魔法の基礎を身につけて、仕事を見つける。それから…可能なら魔法学園を目指すかな。ビツが言ってた『アストラル・アカデミア』だ」


「そうね。魔導師になれば、上層の知識や力も手に入るかもしれない」


「それに……」


 海斗は塔の方向を見た。


「いつか塔の頂上へ行けば、故郷に帰る方法も見つかるかもしれない」


「そう、それが最終的な目標ね」


 二人は明日からの計画を立てながら、休息に入った。


 この夜、海斗は不思議な夢を見た。自分が塔を登っていく夢。階段を上がるごとに景色が変わり、不思議な力が身体に満ちていく感覚。まるで自分が別人に変わっていくような……


 目が覚めたとき、彼は自分がこの世界に来た理由を考えていた。


 それは単なる偶然なのか、それとも何か意味があるのか――


 そして、塔の頂点に待っているものは何なのか――


 いずれにせよ、それを知るためには、一歩ずつ前に進んでいくしかない。


 明日からは、さらに魔法の練習に励もう。そして少しずつでも、この世界の秘密に近づいていくのだ……

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