66.ミュゼリアナの涙 ④
――《インチキ商人》。
視界に淡い光が走り、迫る氷の槍を識別する。
(消えろ!!)
事象を解析し、お金を支払いその現象を無へと返す。
次の瞬間、触れる前にその存在は音もなく氷の槍が”消滅”した。
氷の轟音は途切れ、代わりに静寂が訪れる。
足元の石畳は無傷のまま。
「……なに……?」
アルベルトの瞳が、初めて大きく揺れた。
驚愕――氷帝と呼ばれた男の表情に、そんな色が浮かぶのをユーリは生まれて初めて見た。
稽古剣を握り直し、肩で息をしながらユーリは言い放つ。
「僕には魔術の才はありません。けれど――
“取引”できないものなんて、この世にはありません」
父の氷すら、ただの“モノ”として無効化してみせた。
アルベルトの胸中に、ほんの一瞬だが、動揺が走る。
「ドラゴンを屠ったという力の一端を見せてみろ」
アルベルトの低い声が夜気を震わせた。
次の瞬間、彼の周囲に白い靄が渦巻き――世界そのものが凍りつく。
「――《コキュートス》」
中庭が一瞬で極寒の地獄へと変貌した。
石畳は白銀に覆われ、空気は凍りつき、吐息すら結晶となって落ちる。
凍りついた風が嵐となり、稽古場をまるごと閉ざそうと迫った。
(……これが、父上の奥義……! 受ければ一瞬で氷漬けだ!)
ユーリは息を詰め、ギフトと神格を同時に起動した。
「――風神よ!」
彼の周囲に突風が巻き起こり、氷嵐を押し返す。
冷気は唸りをあげて押し寄せるが、風の壁がその牙を削ぎ、吹き散らしていく。
足元を凍らせようと伸びた氷槍も、烈風に叩き折られて砕け散った。
「なに……風を操るだと……!」
アルベルトの眉がわずかに動く。
その刹那――
「今度は、こっちです!」
ユーリの姿が、雷鳴とともにかき消えた。
次の瞬間、轟く稲光が中庭を走り抜け、アルベルトの背後に影が現れる。
稽古剣の切っ先が、彼の背に寸分違わぬ距離で突きつけられていた。
雷神の加護を纏った瞬間移動。
まるで雷撃そのものの速さ。
「――っ!」
氷帝と呼ばれた男が、初めて大きく目を見開いた。
その瞳に宿ったのは驚愕――そして、受け入れ難い現実への戸惑い。
「……お前は、魔術を操れぬのではなかったのか?」
低く唸るような声。その奥にはかすかな揺らぎがあった。
ユーリは肩で息をしながら、稽古剣を握り直し、真っ直ぐに言葉を返す。
「……はい。僕に魔術の才はありません。
けれど――星霊様の力をお借りすることはできるんです」
その言葉と同時に、淡い光が背後でふわりと揺らめいた。
風を纏う巨人と、雷を宿す武神――二柱の幻影が一瞬だけ姿を現す。
ただの魔術ではない。
その光景は、確かに“人間の域を越えた存在”を思わせる迫力を持っていた。
「なっ……!? 魔術ではなく、星霊と同化するだと……!」
ユーリは、そんな反応を前にしても肩をすくめ、照れくさそうに頬を掻く。
「ええと……まあ、ちょっとインチキっぽい方法なんですけどね」
その気負わない一言が、逆に異様さを際立たせる。
控えめに卑下しておきながら、実際は誰も真似できない領域に踏み込んでいる。
アルベルトは深く息を吐き、剣を静かに下ろした。
「……私の負けだ。魔術師の域を超えているな」
その声には、嫉妬も屈辱もない。
ただ“追放した息子”を、一人の男として認めざるを得ない――父としての誇りすら滲んでいた。
張り詰めていた空気がふっと緩んだ、その時だった。
「――お兄さまっ!」
屋敷の奥から、必死の声が夜気を切り裂いた。
小さな靴音が石畳を打ち、ミュゼリアナが中庭へ飛び出してくる。
白いナイトガウンの裾を翻し、涙に潤んだ瞳でまっすぐ駆けてくるその姿。
ユーリの胸の奥が一気に熱を帯びる。
「ミュゼ……!」
呼んだその名が震えたのは、喜びか、それとも――抑えきれない想いのせいか。
抱き返した瞬間、胸の奥に込み上げる熱で声が震えた。
「……二時間。離れには人を近づけぬ」
驚いたように顔を上げるミュゼに、父は低く、しかし明瞭に告げる。
【あとがき】
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