66.ミュゼリアナの涙 ③
(急がないと……)
思考に焦りが滲み、気づけば呼吸も荒くなっていた。
冷たい夜気が頬を刺す。宴席の熱気が嘘のように遠ざかり、庭はしんと静まり返っている。
そのとき――
「……シュトラウス卿」
低い声が、暗がりから響いた。
足が反射的に止まる。
視線を向ければ、月明かりに照らされた男の影がそこにあった。
――アルベルト・フォン・レオニダス。
(父上……!? どうしてここに……)
冷水を浴びせられたように、全身から力が抜ける。
同時に、かつて胸に刻まれた恐怖が蘇り、背筋がこわばった。
彼は一切の感情を見せず、短く言葉を吐き出す。
「……ついて来い」
理由も告げず、踵を返す。
その背は相変わらず大きく、拒絶と威圧を帯びていた。
(ついて行くべきなのか……? けれど、ミュゼを――)
葛藤が胸を締めつける。
だが、勘当された身であっても「父に背を向ける」という行為は、どうしても足を縫いつけた。
迷う間もなく、アルベルトは歩き出す。
庭石を踏む靴音が冷たく響き、夜の静寂に刻み込まれていった。
――ユーリは深く息を吸い込み、その背を追った。
アルベルトは何も言わず、王宮の外れへと歩みを進める。
やがて辿り着いたのは、人気のない車寄。
そこには一台の黒塗りの馬車が、すでに待機していた。
御者台に控える男は無言で一礼し、合図を受けるや扉を開ける。
胸の奥がざわつく。
けれど、背を向けることはできない。
促されるままに馬車へ乗り込むと、扉が静かに閉ざされ、車輪がゆっくりと動き出した。
窓の外には王宮の灯が遠ざかり、代わりに夜の闇が深まっていく。
やがて馬車は城下を抜け、石畳の響きを残してレオニダス家の屋敷へと向かった。
かつて自分が育った家――今は「勘当された身」として立ち入ることのないはずの場所。
(……父上はいったい、何を考えているんだ)
重苦しい沈黙のまま、馬車はやがて屋敷の門をくぐった。
石畳を進み、中庭の縁でゆるやかに止まる。
御者が無言で扉を開けると、アルベルトは先に降り立ち、振り返りもせず歩き出す。
ユーリも後を追って外へ出ると、夜露に濡れた芝と月光に照らされた石畳が広がっていた。
中庭の中央――そこにはすでに、稽古用の剣が二振り、並べ置かれていた。
アルベルトは迷いなくそのうち一振りを手に取ると、残る一本をユーリへ投げ与える。
「……構えろ」
稽古剣を受け止めた瞬間、掌にずしりと重みがのしかかった。
潰された刃は切れ味を失っているはずなのに、ただ握っただけで息が詰まる。
「父上……なぜ、今こんな……」
思わず問いかける。
けれどアルベルトは答えず、ただ無言で剣を構える。
その姿はかつて幼き日に幾度も見上げた、圧倒的な「壁」そのものだった。
「僕には……ミュゼを――」
「黙れ」
低く鋭い声が夜気を裂く。
次の瞬間、アルベルトの踏み込みが地を震わせた。
潰れた刃と刃がぶつかり合い、甲高い衝撃音が中庭に響く。
腕が痺れるほどの重い一撃――容赦など一切なかった。
「王に名を授かれば、実力も得られるとでも思ったか」
畳みかける斬撃。
稽古用とはいえ、振り下ろされるたびに骨が軋む。
「“ペンドラゴン”を名乗る? 笑わせるな。
竜を討ったという噂も、虚言でないと――誰が証明した?」
胸に突き刺さるような言葉に、足が竦みそうになる。
だが、それ以上に妹の瞳が脳裏に浮かんだ。
寂しげに揺れるミュゼリアナの瞳。
(僕が……守らなくちゃいけないんだ)
食いしばり、踏みとどまる。
父の剣を弾き返し、必死に間合いを取った。
「……僕は、もうレオニダス家の息子じゃありません。
セリアの女男爵夫として――仲間と領民、そして妹を守るために戦います!」
声が夜空に響いた刹那、アルベルトの目がわずかに細められる。
感情か、それとも冷笑か――読み取れない。
アルベルトの剣が振り抜かれた瞬間――
凍てつく風が轟き、中庭一面を白銀に染め上げた。
「っ――!」
石畳が瞬時に凍結し、鋭い氷槍が幾本も地を突き破る。
氷帝の異名を持つ魔術。
威力も精度も桁違いだった。
(……これが、父上の本気……! まともに受けたらヤバいな……)
迫る氷槍。
ユーリは反射的にギフトを起動した。
【あとがき】
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