63.不浄なるもの ①
「私がこんなに淋しい思いをしているのに、今日はルクレティアと床を伴にされるのですね……」
窓の外に溶けゆく黄昏の光を眺めながら、セリーヌはわざと間を置いて囁いた。
魔導通話具越しの声音には、からかうような甘さが滲んでいる。
その唇には、ほとんど見えないほどの微笑が浮かんでいた。
「えっ!? いや、ちょっと待って、そうだけど違うから……!」
すぐに慌てふためいたユーリの声が返ってくる。
――あぁ、やっぱり。
胸の奥に小さなすっきりが広がって、思わず頬が緩む。
本気で動揺している。だからこそ、余計に愛おしい。
(そうだけど違うって……)
(ふふ……旦那様ったら、なんて可愛らしい反応をなさるのかしら)
(ほんの少し試しただけで、こんなに慌ててくださるなんて……まるで子供のよう)
胸の奥がくすぐったく、同時に誇らしさにも似た温かさがじんわりと満ちていく。
愛されている――その確信が、たまらなく甘美。
「ふふ……冗談ですわ」
くすりと笑い、わざと軽く受け流す。
けれど心の奥では、冗談では済まされぬほどの嫉妬と独占欲が、静かに息づいていた。
「それでは、今宵はお休みなさいませ、旦那様」
魔導通話具の向こうで、ひと呼吸おいてから返事。
「うん……おやすみ、あまり無理せずにね、セリア」
その声音に、やわらかな充足感で満たされていく。
セリーヌはそっと通話具を置き、目を閉じてその余韻を味わった。
――愛しい人の声と共に眠れる幸せ。
それだけで十分なはずなのに。
「……お母様、先ほどは大層驚いていたようですが、何かあったのですか?」
背後から遠慮がちな声が聞こえ、セリーヌはゆるやかに振り返る。
その視線の先、テーブルにはリーゼロッテが心配そうに腰かけており、隣にはリリアーナも静かに控えていた。
「イシュリアス辺境伯領で――密入国者として、ハクオウ皇国の姫が捕らえられたそうよ」
その言葉に、二人は同時に小さく息を呑んだ。
リーゼロッテは瞳を大きく見開き、胸元にそっと手を当てる。
「……っ、ハクオウ皇国の姫……ですか……?」
隣のリリアーナもまた、驚きを隠せずにいたが、必死に冷静さを保とうとするように眉を寄せた。
「姫というのは……帝のご息女でございますか?」
「えぇ。狐の獣人と言っていたから、そうでしょうね」
セリーヌが頷くと、リーゼロッテの肩がかすかに震えた。
「……やはり、帝のお血筋を……」
「確か今は、軍部が政権を握っているのですよね」
リリアーナが問いかける。
「三十年ほど前までは、酷い内戦が続いていたようですわ。狸族の頭目が帝の名で乱世を平定した……そして初代将軍は、皇室から嫁を迎え入れたはずよ」
セリーヌは淡々と答えつつ、胸の奥で思案を巡らせた。
――密入国。
皇国の姫をして、国境を越えねばならぬ理由とは。
ただの旅ではない。
そこには必ず、火種がある。
「……つまり、密入国をしなければならないほどの“何か”が、皇国で起きているということですね」
リリアーナの言葉が、室内に重く落ちた。
「王太后陛下のご思惑で、フィーちゃんは皇国の姫君付きの侍女を仰せつかったそうですわ。
絹の下着については、ひとまずお目こぼしを頂けたようですけれど……その代わりに“地方産業振興顧問”なる役職を拝命し、王都に縛り付けられることになったとか」
貴妃であった頃のエリザベートを思い返し――セリーヌは、あの往生際の悪さに小さくため息を落とす。
(フィーちゃんも苦労したでしょうね……。戻ってきたら存分に労ってさしあげましょうかしら)
「お母様も悪いひとですね。王太后陛下は、お母様が把握していることを、ご存じないのでしょうし」
リーゼロッテはわずかに肩をすくめ、いたずらっぽく笑う。
その仕草に、セリーヌも口元をやわらげた。
「そうですね、まさか遠隔で通話できる魔導具があるなんて……思いもなさらないでしょうから」
リリアーナが机上の魔導通話具へと視線を落とす。
今後の貿易を思えば――できれば皇国の皇室とは良い関係を築いておきたいもの。
(姫君を救えば、礼と借りは自然とこちらへ。ついでに、王太后陛下への一手にもなりますわね。……それに何より、旦那様の見せ場ですもの)
「ふふ……ぜひとも、旦那様には姫を救い出していただきたいものですわ。――とはいえ、あちらは旦那様にお任せして、こちらの懸案は私たちで手早く片づけてしまいましょう」
【あとがき】
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