61.再会 ⑥
「……お前、本気で言っているのか?」
その瞳は鋭く光り、言葉を叩きつける。
「ヴァレンシュタイン卿には正妻も側室もいるんだぞ。そこに、レオニダス家の令嬢を“商売道具”として差し出すつもりか」
ケビンは鼻先で笑い、肩をすくめる。
「正妻や側室の一人二人増えたところで、あの方の懐は痛まん。それに、顔と家柄があれば、客も付く」
(……お兄さま……止めて……)
心の中で叫ぶのに、声は出ない。
冷たい現実と、守ろうとしてくれる温もりの狭間で、胸が締めつけられる。
「本当にそんなことを父上が許したのか?」
ユーリの低い声が、東屋の空気をさらに冷やす。
ケビンは視線を逸らさず、あっさりと答えた。
「許すも何も、父上自らが提案した話だ。――家を存続させるためなら、娘の一人や二人、どう使おうが構わん」
(……お父様が……)
足元から力が抜ける感覚が広がっていく。
信じたくない。けれど、ケビンの目には一片の揺らぎもない。
「家の存続のために娘を物として差し出すなんて……最低だな」
ユーリの吐き捨てるような一言が、胸の奥にじんと響く。
その声は冷たくても、確かに自分を庇ってくれている――そう思うだけで、涙がこぼれそうになった。
「ミュゼは、俺が知っている誰よりも尊い“人間”だ。――踏みにじらせはしない」
「女に選択の余地などない。――ましてや、勘当された人間に口を挟む資格はない」
その言葉が刃のように突き刺さり、ミュゼリアナは思わず息を止めた。
「……資格があるかどうかは関係ない」
「では、イシュリアス辺境女伯のように、また連れ去るとでもいうのか? その場合は、誘拐として訴えてやるがな」
ケビンの言葉にユーリの顔が歪む。
――あのときとは違う。
イシュリアス辺境伯家は、ギデオン卿自身がリリアーナを追い出すことを望んでいた。
だが、ミュゼリアナは――レオニダス家にとっては、希少なグリフォンの子よりも価値がある。
だからこそ、鎖のように縛られているのだ。
(……お兄さま……)
――奥歯を噛みしめる音が、今にも聞こえてきそうだった。
「今ここにいるのはミュゼ本人だ。――本人の口から聞くまでは、誰も勝手に決められない」
その声は、確かに自分を守ろうとしてくれている。
けれど――
(……なぜ……駄目と言ってくださらないの……)
(あのとき、イシュリアス辺境女伯を攫ったみたいに……私も……)
唇の奥まで出かかった願いを、飲み込む。
ケビンの口元に、うっすらと冷笑が浮かんだ。
「ふん、そこまで言うなら聞いてやろう。――ミュゼリアナ、お前はどうしたい?」
名前を呼ばれた瞬間、背筋が強張る。視線を上げられず、唇がわずかに震えた。
「……私は……」
喉がひりつく。声を出すだけで、胸の奥まで裂けてしまいそうだ。
(……お兄さまと一緒にいたい……
婚約なんて、望んだことはない……)
でも、ケビンの視線が、父の名が、足首に重りのように絡みつく。
抗えば、すべてを失う。
――そうわかっている。
「……お父様と……家の決めたことに……逆らうことはできません」
口からこぼれたのは、凍りついたような言葉。
けれど、その瞬間だけは、どうしても視線を逸らせず――
ほんの一瞬、ユーリを見た。
(……助けて……)
唇では言えないその願いを、瞳に宿して。
ケビンの口元に、ゆるく勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
「そういうことだ。――聞いただろう、部外者」
ミュゼリアナは、そっと視線を横へやった。
ユーリはほんの一瞬だけ、こちらを見た。
その瞳に宿っていた温もりが――気のせいかもしれないのに――わずかに翳ったように見えて、胸がきゅうと痛む。
(……あ……私が……言えなかったから……)
悔しさと情けなさが、静かに胸の奥に沈んでいく。
それでも目を逸らせず、ただその横顔を見つめていた。
やがて、ユーリは何事もなかったかのように表情を整え――
ほんの一瞬だけ、何かを言いかけて、飲み込むように目を伏せた。
「……そうか、ミュゼが納得してるなら……」
「話は終わりだな」
ケビンが立ち上がり、手早くミュゼリアナの腕を取る。
その仕草は、まるで戦利品を引きずっていくかのように迷いがない。
抵抗すれば、お兄さまの立場を悪くする――そうわかっているのに、体は思わず動いた。
引かれる勢いに逆らって、もう片方の手が、無意識のうちにユーリへと伸びかける。
その瞬間、向かいに座っていたユーリもまた、迷いを含んだ動作で手を差し伸べてきた。
指先がかすかに震えているのが見えた――それでも、確かに自分へと伸びてくる。
互いの指先が、ほんのわずかに空を切る。
(……お願い……)
触れ合う寸前で、ケビンの腕が強く引き寄せ――二人の距離は引き裂かれる。
(……お願い……もう一度……呼んで……)
けれど、その願いが声になる前に、ケビンの歩みは東屋を後にしていた。
【あとがき】
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