61.再会 ⑤
空気を裂くような低い声が、静けさを打ち砕く。
「……やはり、こんなところにいたのか」
ミュゼリアナの肩がびくりと震える。
さっきまで満ちていた温もりが、一瞬で冷たい水に沈んだ。
ゆっくりと顔を向けると、そこには鋭い眼差しをした青年――ケビン・フォン・レオニダスが立っていた。
陽光を背にしたせいか、表情は影に沈み、視線だけが鋭く突き刺さる。
「……ケビン……兄さま」
立ち上がりかけた足が、すぐに竦んでしまう。
「こんなところで……ずいぶんと楽しそうじゃないか、ミュゼリアナ」
吐き捨てるような声音が、胸をきゅうと締めつける。
ケビンはちらりとユーリを一瞥し、その瞳にあからさまな嫌悪を宿す。
その視線が、まるで「その人から離れろ」と言っているようで――思わず唇を噛んだ。
「兄さま……あの、私は――」
「黙れ」
低く放たれた一言が、足元から冷気となって這い上がってくる。
わずかに震えた指先を、膝の上で必死に組み合わせた。
ケビンは再びユーリを見やり、口元に嘲りを浮かべた。
「伯爵令嬢が、他家の男と二人きり――父上は何と仰るかな」
値踏みするような視線が、頭の先からつま先までを無遠慮になぞっていく。
その冷たさに、背筋が自然とこわばった。
「お前はもうヴァレンシュタイン卿との婚約が決まっている身だろう」
冷ややかに告げ、鼻先で小さく笑う。
その音が、心の奥に小さな棘を突き刺す。
(……いや)
頭ではわかっている。
家のための婚約、政略に過ぎない縁談――
それでも、こうしてお兄さまの前で突きつけられると、逃げ場を失ったように息苦しい。
(……お願い……お兄さまの前で……言わないで……)
必死に声を押し殺す。
視線を落とせば、指先が小さく震えている。
短い沈黙が落ちる。
やがて、低い声が静かに響いた。
「……ミュゼは嫌がっているように見えるけど――婚約の件は、本人も望んでるの?」
ゆっくりと顔を上げる。
ユーリの瞳は、先ほどまでの柔らかさを潜ませたまま、鋭い光を帯びてケビンを射抜いていた。
ケビンの眉がわずかに動く。
「当たり前だ、レオニダス家のためなんだからな。それに、なぜ無関係のお前に咎められる必要がある」
鼻で笑うように言い放ち、さらに言葉を重ねる。
「父上の決めたことだ。馬も投機も全部失敗、帳簿は真っ赤。
生き残る道はひとつ――お前を差し出すことだ」
(……やめて……)
ミュゼリアナの心が小さく悲鳴をあげる。
だがケビンは構わず、冷たく突き放すように続けた。
「ミュゼリアナ。お前で家の信用を繕う。それ以外に手はない」
「結婚というのは持参金があって成り立つものだろう。それが無い縁組なんて、ミュゼの立場を地に落とすだけじゃないか」
今までに聞いたこともないような冷たいユーリの声。
「だから担保だと言っている。持参金は――ミュゼリアナが自分で稼ぐに決まっているじゃないか」
吐き捨てるようなケビンの言葉に、ミュゼリアナの指先がぴくりと震えた。
伯爵令嬢が、自ら働いて婚資を作る――そんなことは、この世界の貴族社会では考えられない。
それは、名誉を剥ぎ取り、格を引きずり落とす宣告に等しい。
(……そんな……私に、そんなこと……)
喉が震え、声にならなかった。
そのとき――場の空気が張り詰める。
ユーリが口を開いた。
「……そんな馬鹿な話があるか」
ユーリの声音は低く、しかし怒気がはっきりと滲んでいた。
「持参金を本人に稼がせる? ――それは“家”のためじゃない。
お前たちがミュゼ一人に全てを押しつけているだけじゃないか」
ケビンの口元に、冷笑めいたものが浮かぶ。
「名誉で腹は膨れない。レオニダス家が生き残るには、それしか道がない」
(……名誉より、生き残り……)
(でも……お兄さまは、私の名誉を守ろうとしてくれている……)
胸の奥で、ふたつの言葉がぶつかり合い、痛みと熱を残して混ざり合う。
「家の赤字を、彼女の人生で埋めるな」
ケビンはわずかに口角を吊り上げた。
「ヴァレンシュタイン卿は“アムール・パヴィヨン”の出資者だ。――そこで働けば稼げる」
(……“アムール・パヴィヨン”……)
その意味を悟った瞬間、ミュゼリアナの喉がひりつく。
あそこは、夜ごと煌びやかな笑い声と香の匂いが漂う場所――貴族の令嬢が足を踏み入れるべきところではない。
名誉を地に落とすどころか、泥の中に叩き込む話だ。
【あとがき】
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