60.大王太后陛下ヴィクトリアとの密会 ①
案内された応接室の扉が、静かに開かれる。
――甘やかな紅茶の香りと、ほんのりとバターの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
空気に満ちる香りの中、ユーリはふと目を見張った。
(どこを見ても一級品。御殿より豪華じゃないか? さすが最高級娼館――)
そんな思いを抱えながら室内を見渡すと、視線がある一点で止まった。
一人用のソファに、中年の紳士がひとり、じっと腰掛けている。
(ああ、面談したいって言ってたの……ガストンさんか、王都に来てたんだ)
サント=エルモ商会の会頭、ガストン・ディオレアーノ。
いつもは舞台役者のような所作と、涼しげな笑顔を絶やさぬ洒落者。
だが、今日に限っては――明らかに様子が変である。
額には大量の玉の汗。
ハンカチで額の汗をぬぐいながら、紅茶のカップに手を伸ばしては、指先が震え、触れる寸前でまた引っ込める――
その一連の動作を、何度も繰り返していた。
(……どれだけ狼狽してるんですか、ガストンさん)
伏し目がちだったまなざしは、まるで捨てられた子犬のように濡れていて、
しょんぼりと下がった眉と相まって、どこか哀れささえ漂わせている。
何度も顔を合わせているのだから、今さら緊張するはずもないだろうに――
そう思いながら見つめていると、ふいにガストンの顔がゆっくりと上がった。
その瞳がユーリと合った瞬間、
はっとしたように、目を見開く。
寂しげだった目元が、一転してキラキラと輝き出す。
まるで、砂漠でオアシスを見つけた旅人のような、“救い”を求める眼差しへと変わっていく。
(えっ……なんでそんな目で見るの!?)
隣に立つルクレティアは、扇をそっと閉じながら、優雅に部屋の中へと足を進め、ひらりと一礼した。
「大王太后陛下。お待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんわ」
(はい!? 大王太后陛下!?)
そのひと言に、ユーリとオフィーリアの肩が同時にぴくりと跳ねた。
顔を見合わせる間もなく、二人は反射的に背筋を伸ばし、
室内で「それらしき人物」を見つけた瞬間――
ものすごい勢いで臣下の礼を取る。
(なんで大王太后陛下が、こんなところにいるんだよ!?)
そっと視線を上げたユーリの目に映ったのは――
ゆったりと腰掛け、紅茶を楽しむ老婦人。
ふんわりと結い上げられた銀髪。
年齢を感じさせない、艶やかな肌。
そして何より――まるで空気そのものを支配するかのような、圧倒的な“格”。
(そりゃ……ガストンさんもカップ持てないわけだ)
そんなユーリの困惑をよそに――
紅茶を一口含んだ老婦人が、ふわりと微笑んだ。
「まあまあ、そんなに畏まらなくていいのよ。
今日は“大王太后”ではなく、ひとりの“出資者”として来ているだけですもの」
にこやかにそう言ったその人こそ――
オルタニア王国の“影の実力者”にして、
王太后の上に立つ存在――大王太后・ヴィクトリア・フォン・オルタニアその人だった。
(……そっちの方が、怖いんですけど!?)
(やばい……なんか、前世のサラリーマン時代の“上層部案件”を思い出してきた……胃が……!)
その隣で、オフィーリアがぽつりと小さく呟く。
「……どうして、こんなところに」
その疑問に、老婦人――ヴィクトリア大王太后陛下は、紅茶のカップをそっと置いてから答えた。
「アイナに連れてきてもらったのよ」
――その瞬間、部屋の端で控えていたアイナが、すっと顎を上げた。
表情はいつも通りの柔和な微笑のまま。
けれどその瞳には、かすかな誇らしさと――自負にも似た光が宿っていた。
(……「私、使えるメイドですので」って顔ですね、完全に)
ユーリが心の中でつぶやく横で、ヴィクトリア大王太后陛下は紅茶の香りを楽しむようにふわりと目を細めた。
「イシュリアス辺境領でね?
誰かがリリアーナ嬢をお姫様抱っこして連れ去った……なんて噂話を耳にして、ちょっと興味が湧いたの」
まるでおとぎ話を語る少女のように、ヴィクトリア大王太后陛下はくすくすと笑いながら続ける。
「だからアイナに、“少しだけ真似してみたい”ってお願いしたのよ。
――ええ、ほんの軽い気持ちでね」
そう言いながら、その時のことを思い出したのか――
目元に、驚きと喜びがふんわりとにじむ。
【あとがき】
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