37.壊れた水車①
翌朝。
小鳥の囀りと共に目覚める──
などという優雅な展開は、今日に限って訪れなかった。
耳元に響き渡るのは、怒声。
具体的には、明け方にようやく戻ってきたクロエとロザリーによるものである。
「……留守中に、随分と盛大な“進捗”があったようですわね、旦那様?」
「状況説明、誰かお願いできますか!? この死屍累々状態は何!?」
そこは、後宮御殿の奥でもひときわ私的な空間――ユーリの専用部屋『夢想花の間』。
その名の通り、昨夜は甘美な夢と欲望が咲き乱れた花園と化していた。
床には、昨日の会議(という名の甘美な嵐)を終えたセリーヌたちが、戦場の遺跡のようにぐったりと横たわっていた。全員、満足げな寝顔で。
当然ながら、クロエとロザリーの怒りの理由は明白である。
そして、おそらくこの修羅場の未来を察していたのだろうエリゼは、純粋無垢なエレナを連れて、御殿入り口すぐにある“春風の間”に自主避難していたという。
恐ろしく冷静かつ有能な采配だった。
「では、旦那様。何がどうしてこうなったのか、順を追ってご説明いただけますか?」
クロエが怒気を孕んだ笑みを浮かべながら腕を組む。
その隣でロザリーも同調するように眉を吊り上げた。
ユーリはとっさに毛布を引き上げたが、もう遅い。昨夜の“会議結果”は視覚的にすべて証拠として残っていた。
「い、いや違うんだ。これは、その……突発的な、合意のもとの、えっと……会議だから!」
「はいはい、言い訳は出発しながら聞いてあげますので」
バサッと布団をめくり上げたクロエが、有無を言わせず詰め寄ってくる。
「村の状況は急を要します。今すぐ支度を整えて、現場で直接、住民から話を聞いていただきますわ、旦那様」
「うぐっ……正論が重い……!」
完全に論破されたユーリがうめきながら立ち上がると、部屋の隅からコクヨウが冷ややかに囁いた。
「主様……惚けてないで服を着るニャ。もう朝だニャ」
結局、ユーリはクロエとロザリーに腕を引かれるように御殿を出ることとなった。
リリアーナも、まだ後宮内で役職が決まっていないこともあり、同行を申し出た。
実務経験を積みたいという真面目な理由である……たぶん。
一方、昨日「旦那様と久しぶりのデートですね♡」と頬を染めていたセリーヌはというと――
「仕事を放り出して、どこへ行くおつもりですか、女領主様?」
執務室の扉を開けた瞬間、宰相の低くて冷たい声が響いた。
「わ、私は……ちょっと外の空気を……視察を……」
「はいはい、ではこちらの“税収報告未提出村リスト”と、“未決済支出一覧”をご確認のうえ、空気を吸ってください」
容赦ない書類の山が目の前に積み上がり、セリーヌは肩を落としてその場に座り込んだ。
「……デート、したかったなぁ……」
しょんぼりとつぶやく彼女の隣では、コクヨウが香箱座りをしながらぽつり。
「代わりに吾輩が一緒にいるニャ。頑張らないと次のご褒美がなくなるかもしれないニャ」
「うぅ……にゃんこにまで叱られたぁ……」
一方その頃。
ユーリ一行は馬車ではなく、徒歩で村へと向かっていた。
道中の様子を観察するためだ。
先頭を歩くのは、実務の鬼ことクロエ。
すでに視察ルートも、問題点の候補も脳内で整理済み。
その隣でロザリーが、村人たちに不安を与えないよう笑顔で歩きつつも、何やら手帳に素早く書き込んでいる。
完全に現場主義の現代秘書。
クロエの背を追いながら、リリアーナは控えめな足取りでその後に続いていた。
けれど、その姿勢はどこまでも凛としており、背筋をすっと伸ばしたまま、周囲の様子を静かに見渡している。
かつて辺境女伯として領地を治めていた経験が、その所作の端々に自然と滲み出ていた。
時折、視線を向けた先の村人たちにやさしく微笑むと、子供たちが安心したようにそっと近づいてくる。
その背中を見ながら歩くユーリはというと――
(なんで俺、こんな真面目な視察で貴族の服じゃなくて執事服着てるんだろう……)
襟元をいじりながら、どこかズレたところで悩んでいた。
そんなユーリの嘆きに、すぐ後ろから冷静な声がかぶさる。
「ご安心くださいませ、旦那様。ネームプレートには“汎用型執事A”と明記しておきましたわ」
振り返ると、クロエが手帳を片手に歩きながら、ぴたりと口元だけで微笑む。
「……あえて個人名は伏せましたの。領民に過度な期待や誤解を与えませんように」
「名前、消えてるじゃん!? 人格も消えてるよね、それ!!?」
全力でツッコミを入れるユーリの声にも、クロエは書類を手にしたまま、淡々と答える。
「立場上はセリーヌ様の旦那様、実務上は私の直属の上司……そして今日は、リリアーナ様の随行執事ということでお願いします」
「……なるほど。じゃあ今日は、“裏方の本気”ってやつを見せてやりますかね」
口ではぼやきつつも、ユーリの顔にはどこか楽しげな色が浮かんでいた。
ふと横に目をやると、リリアーナの横顔が静かに微笑んでいる。
“女伯”ではなく、“ただのリリアーナ”として村に立つその姿は、自然で、優しくて――
そんな彼女に仕える執事というポジションも、悪くはないと思えるのだった。
◇ ◇ ◇
村の入り口に差し掛かると、クロエの歩調がわずかに速まった。
昨夜のうちに状況を確認していた彼女の表情は、いつも以上に険しい。
ロザリーは無言でそれに並び、ユーリとリリアーナは後から続いた。
ふと、ユーリの耳に違和感が走る。
(なんだ? 前に来た時と違う気がするんだけど……)
けれど、違和感の正体が分からない。
「……水車の音が、しない?」
立ち止まったリリアーナが、空を見上げながら呟く。
その言葉に、ユーリも耳を澄ませる。
いつもなら、村の中央を流れる川のそばで、水を受けた羽根が重くゆっくりと回り、木軸がきしむ音が遠くに響いてくるはずだった。
だが、今朝の村には、その日常の風景が欠けている。
不穏な沈黙を破ったのは、クロエ。
少し眉をひそめながら、淡々と報告を口にする。
「ええ。今朝、現地を確認してきました。
水車は完全に停止しており、回転羽根も破損しています」
続けて、ロザリーが横から声を添えた。
いつもの明るさは控えめで、どこか慎重な響きがある。
「詳細は……実際に見ていただいた方が早いかと」
クロエが静かに頷くと、一行は言葉を交わすことなく、足早に水車小屋へと向かって歩き出した。
そして、その場に辿り着いた瞬間――一行の足が、揃って止まった。
沈黙する水車小屋。
羽根は止まり、軸は傾き、建物の片側が軽く歪んでいる。
地面には、無数の木片や破片が放射状に広がり、あたりには淡く焦げたような匂いが漂っていた。
リリアーナが、水車の羽根の残骸を見つめながら、小さく呟いた。
「……水車の羽根が、砕けている……?」
クロエは無言のまま断面に手を当て、その傷を確かめる。
表面は滑らかでも均一でもなく、斜めに裂けた傷が不規則に重なっていた。
「魔獣の爪痕にしては、切断面が不自然ですわ。……けれど、まるごと叩き折られたようにも見えますの」
ロザリーが横から木片を拾い上げ、軽く振りながら首をひねる。
「もし剣なら、これだけの厚みを一太刀で割るのは無理ですわね。支柱まで砕けてますし、それも複数本、一気に」
クロエは視線を周囲に巡らせながら、淡々と続ける。
「それに――獣が相手なら、爪痕や体毛、足跡のひとつやふたつは残っていてもいいはずです。
ここは水辺。地面も柔らかく、足跡が残りやすい地形ですのに……」
「魔術は……?」
リリアーナが少し考え込んだように言う。
「炎術や雷術なら、これくらいの破壊力はあります。でも、焦げ跡が少ないんです。魔力の残滓も感じられません」
クロエも頷いた。
「仮に雷撃だったなら、木部は裂けても、もっと焦土化しているはず。
石の基礎も黒くなる。……ですが、ここは裂けているだけ」
沈黙。
どの選択肢にも、“最後の一押し”がない。
可能性は並ぶのに、確証が出ない。
その中で、ユーリはひとり、小屋の傍らにしゃがみ込み、破片を手に取った。
泥にまみれた木片の裏側には、黒ずんだ粉がこびりついていた。
そっと指を這わせる。手袋越しに伝わる、そのざらつき。
そして、裂けた線をなぞるように視線を走らせ――
破片がある一点を中心に、外向きに飛び散っていることに気づく。
ユーリは鼻を近づけた。
空気に紛れて漂う、わずかに焦げたような、乾いた鉱物の匂い。
(……火薬? まだそんなに大陸には流通してないはずなんだけど……まさか……ね)
ユーリは、まだ言葉にしなかった。
だが、頭の中では既に、“事故”という仮面が剥がれ始めていた。
そこへ、息を切らした村長が駆け寄ってきた。
小柄ながらも威厳ある老人は、真っ直ぐクロエの前に立つ。
「クロエ様、リリアーナ様……ご足労、痛み入ります。状況は……ご覧の通りで」
村長が恐縮したように頭を下げる。
クロエは軽く頷き、手帳を片手に冷静に問いかけた。
「現状は把握しています。ですが――村としての具体的な被害と、その影響をお聞かせください」
村長は深く息を吐き、眉間に皺を寄せながら答える。
「……まず、製粉作業が完全に停止しております。麦が挽けないため、パン屋の稼働も止まり、粉の備蓄も各家庭で異なりますが――多くても三日と持ちません。
さらに油屋も同様です。菜種や亜麻仁が絞れなければ、保存食の準備が進まず……このままでは冬を越せるかどうか……」
その説明に、リリアーナが静かに頷きながら、水車小屋へ視線を移す。
「……繊維や皮革の加工も、滞っているのではないでしょうか。
樹皮が砕けなければ、なめし液が作れませんし……その影響は、装備の供給にも及ぶはずです。
革靴や鎧が不足すれば、自営の警備や狩猟活動にも、きっと支障が出てしまいますわ」
「はい……」
村長は顔を曇らせながら、重く続けた。
「給水設備も停止しています。貯水槽の水位は日に日に下がっており、このままでは今週中に底を突く恐れが……。
家畜槽はすでに干上がり、公衆浴場も閉鎖しました。今は井戸水に頼るしかありませんが、あれでは……疫病の心配もございます」
クロエはすぐさま手帳に走り書きをし、最後にぴたりと筆を止めると、静かに結論を口にした。
「……持って三日。と見て間違いありませんわね」
その言葉が沈黙を落とす中――
ギシ、と木の破片を踏む音とともに、無骨な人影が水車の残骸に近づいてきた。
「おお、親方……!」
【あとがき】
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