第1話 転生したようだ
「───ね?───ぁ───」
俺の目の前で、見知らぬ女性がこちらに向けて喋りかけている。
長い銀色の髪と、海のように深い青色の瞳だ。顔はとても整っていて、街ですれ違えば10人中10人が見惚れるくらいには美しい。
そんな彼女が俺のことを覗き込むように見ている。どういう状況だ?
「──────ク───ら?」
よく聞き取れない。たしか俺は、事故で…もしかして、ここは病院だろうか?この人はナースとかで俺の様子を見に来た…とか?
そう考えれば納得がいく。
……だが困った。声が出せないのだ。後遺症かは不明だが、口も開かないし体も動かない。意思疎通ができないのはとても不便だ。
どうすれば…?そう思っていると、目の前の美しい女性は俺に手を伸ばし…抱き上げるように持ち上げた。
美しい顔がとても近くなる。
(え?力強くない?)
だがそんなことより俺は彼女の筋力に驚きである。
見たところはとても細い腕だ。とても60kgはある俺を軽々と持ち上げれるとは思わない。
「───♪───♪」
そんな意味不明な状況に困惑していると、彼女は歌を歌い出す。
言葉は全くと言っていいほど聞き取れない俺だがそのメロディはしっかりと耳に入ってくる。ゆっくりと優しい…子守唄と言うやつだろうか?
美しい声だ。ナースでなくともその道で稼げるだろう。だが、そんなものを聞かされたところで成人男性の俺が眠る…わ…け…
そんなことを考えていた俺だったが、意思に反するようにゆっくりと意識を手放したのだった。
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あれから、数日が経過した。
どうやら俺は、転生したようである。
え?何を言ってるんだって?俺だって正直よく理解していないさ。ただ、気がつくと俺の体は、とても小さな赤子になっていたのだ。
ただ、そんなことはどうでも良かった。この赤ちゃん生活は、天国のような毎日であったからである。
起きて乳を飲んで、母親と少し戯れて、ゆっくりとぐっすりと眠る。
ただそれだけであった。普通なら暇だと感じる者もいるのだろうが…俺にとっては天国であったのだ。
働かなくてもいいというのはなんとも素晴らしいことであった。寝て起きてご飯を食べてまた寝る…その繰り返しは、俺の擦り切れてボロボロになった心を癒やしてくれる。
更に、この生活にはもう一つの癒やしが存在する。
部屋の隅で何か編み物をしている美しい女性の方を見る。
銀色の髪と青い瞳の彼女の名前はテネル。多分、俺の母親である。
一人でずっとこの生活であれば飽きるかもしれないが、彼女がいると全くの別物である。
彼女の子守唄は俺を安らかな眠りに導いてくれるし、彼女が笑顔になれば俺も自然と笑顔になる。
ご飯のときはまだ恥ずかしいが…赤ちゃんだから仕方ない。うむ。仕方ないのである。
そんなこんなで、俺は新たなる人生を謳歌しているのである。
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生まれてから、数ヶ月が経過した。
最近は、ハイハイができるようになってきた。まだまだ転んだりすぐ疲れて動けなくなるが、それでも動けるというのはとても楽しい。あまり思うように動かない体だが、これからがあると思えばあの頃とは全くの別物である。
「ほら、ヴァニス頑張れ〜!」
「あぅ………う!」
部屋の隅で俺を呼ぶテネルママの元まで、ハイハイで向かい、辿り着くと…
「よく頑張りまちたねぇ〜!!」
俺を抱き締めて、とても褒めてくれる。非常に可愛いですね。
正直この数ヶ月で彼女に完全に魅了されてしまっている自分がいる。この数ヶ月で俺の心をこんなにも溶かすなんて、彼女は一体なんて女神なんだ…
ちなみに、ヴァニスとは俺の名前だ。なかなかにかっこいい名前ではないだろうか?
「奥様、そろそろ…」
「あら…もうこんな時間なの?」
するととある執事服を着たお爺さんがテネルママを呼びに来た。くそう!てめぇ、俺の心の癒やしを何処に連れて行くのだ!
そんなことを心の中で考えながらも、口には出さない。赤ちゃんなのにそんなこと言い出したら悪魔の子ルート確定だしね。
「それじゃ、良い子にしてるのよ?」
「ぁー!」
赤ちゃんらしく、そう彼女の言葉に返事をする。どうやら今日は何か用事があるようだ。
そして、テネルママが部屋から出ていくと、お爺さんと二人きりになる。すると…
「ヴァニス様は本当に可愛いですねぇ〜!」
そんなことを言いながら俺の頬をぷにぷにと触るお爺さん。彼の名前はドクトゥス。この家の使用人である。
そう、使用人…なんとこの家、貴族のような家なのである。テネルママの服装でなんとなくわかっていたが、ここは日本ではないらしい。
いや、まずここは地球ですらないようなのである。
何故?その理由は簡単である。
「うぅー!あー!」
手を使い、壁にかけられたろうそくを指し示す。
すると…
「灯りですか?少々お待ちください、ヴァニス様」
そう言いドクトゥスは蝋燭に近寄り…
「──灯せ」
何の道具も使わずに蝋燭をつけた。ご覧いただけただろうか?なんと、この世界には魔法が存在するのである。
最初に見たときはとても驚きであった。俺の体を洗うというときに、何もない空間に突然水の玉を出したのだ。
とてもかっこいいので、是非とも俺も使ってみたいのだが…
「お…もえ」
こんな感じで、まず灯せと言えないのである。その様子を見たドクトゥスは笑みを浮かべて話す。
「はははっ。ヴァニス様は魔法が使いたいのですね?安心してください。ヴァニス様には相当な才能が眠っているようですからね。いつかは使えるようになりますよ」
俺にそう教えてくれるドクトゥス。本当に才能があるんだよね?信じていいよね?これで使えなかったら泣くよ?泣き叫ぶよ?
心の中でそんなことを言いながら、蝋燭の方に近づき火を眺めながら考える。
この世界には、地球とは違うことが結構ある。
テネルママが本を読み聞かせしてくれたりするのだが、その本にはまるで当然のようにスライムや竜などのファンタジー生物が登場する。
他には冒険者や勇者など、ファンタジー的な職業もあり、獣人やエルフといった異種族も存在するらしい…つまり、完全な異世界ということだ。
……俺にとっては、都合がいいのかもしれないな。
正直、一生社会の歯車として働き続けるあんな人生は送りたくない。
そのため、今までは貴族としてニート生活でも送ろうと思っていた。
でも、新たな人生だ。新しいことに挑戦してみたいし、テネルママに失望されたくないという思いもある。
(…もうちょっとだけ、頑張ってみようかな?)
一度完全に折れてしまった心でも、そう思えたのだった。




