第8話 美しき舎脂様は奪いません
「あーれー! お助けあれ」
舎脂様は、美人のお手本のようだった。
漆黒の長い髪を編み込み、程よい愛らしい頬を包むように横に垂らしているのが美しさを増している。
驚いたのは、くりっとした瞳が、右が金で左が銀だったことだ。
俺の瞳と同じで、運命的なものを感じる。
だから、大王は俺にだけ、自身の魂を潜めたのか。
「舎脂様、そんな所におったんじゃんね? ご無事そうでよかったんじゃん」
「おおお! 愛娘、舎脂よ! 元気か? 元気なのか」
「その声は、お父様……?」
え?
俺の腹から轟くのは、確かに阿修羅大王だが。
「帝釈天に苛められたりしなかったか?」
「お父様、この方の中にお父様がいらっしゃるの?」
「ああ、そうだがの」
「フフフ。素敵な方ね」
え?
頬を染められてどうなさいました。
「いかんよ。俺だけは、いかんじゃんよ」
俺は、胸の前で大きく掌をバタバタと振った。
「それは、お父様だからですか?」
「阿王凱! 舎脂はやらんが!」
「うわああ、すみません! 阿修羅大王お父様!」
無茶苦茶、恥ずかしい。
「お父様は余計だが」
「すみません、すみません」
俺は、相手が体の中にいるので、舎脂様にペコペコと腰を折って謝る。
「腹の中と会話するのって、不思議だな」
「いや、こうして愛娘を取り戻せたのもお主らのお陰だ」
五人が揃って、舎脂様に微笑みをかける。
「稚田は、足手まといでなかったっすか?」
「僕には当たり前だったね」
「ワタクシもお役にたてないですみませんデス」
「オレや、心配したやん。仲間の二人も吊られてしまったやんしな」
舎脂様は、じっと聞き入っていた。
おしとやかな方だと、俺は、いたく感心する。
「バチくんとキャラケンくんは、仕方がなかったじゃん。それでも、五人揃って闘えたことが、帝釈天を斃せたことが、俺は嬉しいじゃんね」
四人の瞳はキラキラとしていた。
「そう思うやん」
「そうっす」
「だね」
「デス」
肝心な話をしなければ。
「このままでは、帝釈天が江戸川のお荷物になってしまうじゃん。最後に、帝釈天題経寺に向かってお祈りをし、再び安らかに祀って貰おうじゃんね」
皆も気持ちは一つの筈だ。
「おう。了解やん」
「分かったっす」
「それがいいな」
「賛成デス」
晴々とした顔が揃っている。
「うん。全員で、心の中で唱えることにしようじゃんね」
長いときが流れた。
江戸川の畔をなぞるように、皆の一つになった気持ちを捧げた。
「さらば! 帝釈天!」
その後で、シッタくんが、酸泉と塩壁を取り除くことに尽力した。
勿論、俺達もそれぞれができることをした。
「なんか、寂しくなったじゃんね」
すっかり太陽も傾いていた。
皆、それぞれに佇み、日の行方を追う。
六つの影が伸びた。
「私を助けていただいて、ありがとうございます」
舎脂様の首を傾げる仕草に、俺はどきっとした。
いけない。
中では、父王が見張っているのに。
額に汗を掻いて来た。
「ややや。当たり前じゃんね」
「そのような……。お父様と四王殿に感謝いたしております」
「今度こそ、阿修羅大王お父様と仲睦まじく暮らしたらいいじゃん」
またもや、頗る恥ずかしい。
「凱! お父様は余計だが」
「ややや。全く他意はないじゃん」
小柄な舎脂様が駆け寄って来る。
「お父様!」
「や――」
舎脂様が俺の胸に飛び込んで来た。
あの帝釈天の中にいたとは思えない、甘い香りに負けそうになる。
初めは恥ずかしさのあまり、俺の口元を手で覆っていた。
だが、この美しい髪を抱きたくて仕方がない。
「まさか、俺を父王と思ってのことじゃんね」
「それ以上、仰らないで……」
どうにも誤魔化せない。
愛らしい女性に対する自身の気持ち、本当は生きていて欲しかった父への気持ちが、織り交ざる。
「泣いていらっしゃるのですか?」
雛を抱くようにそっと舎脂様を包んだ。
「毅い男は、泣かないと相場が決まって……」
そこまで言いかけたときだ。
胸にあった父や母への闇が消えた。
「この音は――」
トゥルンルンルン……。
シャララララン、ツァルルル……。
「――阿修羅琴よ、父王に伝えて欲しいじゃん」
二人を包む音の中、俺は、太陽へ向かって叫んだ。
「もしも、舎脂様に俺を想うお気持ちがあるのなら、少しだけ、少しだけでいい! お願いじゃん……」
舎脂様が小さな手で、俺の胸を叩いた。
「痛くないじゃんよ」
「分かっております」
琴の調べは、そのまま佳境に入る。
シャララララン、ツァルルル……。
すると、皆が様々に声を絞り出し始めた。
俺にも予感と言うものがある。
「オレや、考え直そうや」
「残念ではすまないっす。友情を感じるっすよ」
ラゴくんとバチくんから、背中が凍える心が伝わった。
「羅睺が、オレの体の中から話し掛けて来るやん」
「そろそろ、美久羅素思ともお別れだな」
ラゴくんから、すうっと抜けて行くのが見える。
別れはときとして、形となるのだと実感した。
「婆稚も、稚田の体の中で蠢いているっす」
「稚田篤幸、よくがんばった。そろそろ潮時だ」
バチくんの肉体が少しずつしぼんで行く。
まるで、失恋したみたいに俺は感じた。
そして、キャラケンくんとシッタくんからも憂いを感じた。
「佉羅騫駄が僕と話をしたいらしいね」
「馬酔木咲華、思ったよりもがんばった。別れても、別世界から見ている」
遠い空をキャラケンくんが見つめている。
寂しそうだった。
「毘摩質多羅がワタクシのブレインの中で語り始めましたデス」
「阿修羅としての闘いが終わった。摩耶香の脳内に無理に巣くってしまったが、それも時間の問題だ」
シッタくんの瞳がチカチカとしている。
泣いているのだろうと思った。
「行くなや! 羅睺!」
「婆稚! いつまでも友達っす!」
「置いて行かないで! 佉羅騫駄!」
「ワタクシに心を与えてくれた毘摩質多羅! 尊敬申し上げますデス!」
くそ。
俺も胸が苦しくなる。
「こうして、帝釈天ももう悪いことはしないんじゃん。舎脂様も返してくれたし。それでも、四王は行ってしまうのじゃんね?」
「折あらば」
「再び会えよう」
「我らは皆同じ思いだ」
「いつの日か『灼熱の腕釧』を用いて、『天地鎧』を果たすのだ――!」
「……ただし、この世が危ういときに限る」
俺は、あまり強いヒーローにはなれなかった。
けれども、四人の仲間がいてくれて、あの恐ろし気な帝釈天をも斃せた。
これもチームワークと助け合う力だと思う。
トゥルンルンルン……。
シャララララン、ツァルルル……。
「阿修羅琴の音が、胸に心地よいじゃん」
琴の音に訊く。
「阿修羅大王よ、俺達もお別れ? それはないじゃんね」
阿修羅琴がなびく頃。
凱は、耳を澄ましていた。
それは、超聴覚と関係なく、俺の耳に優しく甘い香りさえ残してくれた。
◇◇◇