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モノノケヤドリ  作者: 白雪ひめ
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モノノケヤドリ 中

 ポーン、というインターフォンの音で目が覚めた。

 扉を開けると、桃色のパーカーを羽織った天が立っていた。

「夜分遅くにすみません」

「いや、大丈夫」

 俺が首を振ると、天は安心したように表情を緩ませた。

 そして、タッパーを差し出して来る。

「あの、良かったら。唐揚げです。作り過ぎてしまったので」

 俺達はよく料理の交換をする。基地では一人暮らしなので自活が大変だ。地下にある食堂やコンビニでも済ませられるが、温かいご飯が一番美味い。

「ありがとう。ちょっと待って」

 おかずを分けようと思ったが、物怪の悪戯のせいか、タッパーが見当たらなかった。

 俺は戻ってきて言う。

「ごめん、おかず分けようと思ったんだけど、タッパーが無くてさ」

 天はしゅんとする。

「そうなんですね」

「ああ、もらってばっかで悪いな」

「気にしないで下さい。でも‥‥ツバサのご飯すごく美味しいから、食べたかったです」

 小首を傾げ、天は上目で俺を見つめる。

 お昼はよく一緒に食べたりするのだが、現在の時刻は二十一時だ。

「えーっと」

 天は15歳。俺は22歳。

 俺にとって天は仲間であり、守りたい妹のような存在だ。

 だからやましい事は無いのだが…

「ツバサ、だめですか?」

 星のようにキラキラした瞳で見つめられ、俺は折れた。

「食べたら帰れよ」

 天は嬉しそうに笑った。

「はい!」

 座布団を敷いて、俺はたずねる。

「夕飯は食ったの?」

「まだです」

「お前、はじめから押し入る予定だったな」

「ち、違いますよ」

 ローテーブルに料理を並べ、一緒にご飯を食べる。

「唐揚げ、すごく美味しいよ」

 言うと、天はパッと笑った。

「良かったです。ツバサのご飯も美味しいです」

 俺はオフの天が好きだった。

 長い綺麗な黒髪は、耳の下で一つに結んでいる。花柄のシュシュが女の子っぽい。桃色のパーカーの下は白いロングワンピースで、とても清楚な感じがする。

「天は私服がオシャレだね」

「あ、ありがとうございます」

 天は照れ臭そうに頬を赤くする。

「ツバサもかっこいいです」

「え、俺ただのTシャツだけど」

「黒が‥よく似合っています」

「そう?ありがとう」

 ご飯を食べ終えて、食器を片付けながら俺は言った。

「天を見てると妹を思い出すよ。六つ離れているから、天くらいに成長していると思うんだ」

「そうなんですね‥‥あ、手伝います」

 二人で食器を洗いながら、天はたずねてくる。

「お名前は何て言うんですか?」

「名前?」

「えっと、妹さんの名前が分かれば、ツバサの本当の名前も分かるかなって思って。兄弟って、似ていたりするので」

 物怪宿りは本当の名前を明かせば変化できなくなる、と言われている。

「あ、ごめんなさい、今のは忘れて下さい」

「今、自分の名前を思い出したよ。別人に思えるのが不思議だね」

 俺は安心させるように笑って言った。

「俺も天の本当の名前を知りたいよ。物怪を倒し切ったら、教えて欲しい」

「‥そんな日は、来るでしょうか」

「きっと来るさ」

 俺が答えた時、ジリリリ、とアラートが鳴った。

 部屋だけでなく、建物全体が唸りを上げるように警報器が鳴り響く。

 俺は天と共に即座に部屋を出た。

 基地の北側には緊急出動専用の階段があり、兵士が一斉に駆け下りる。更衣室で動きやすい出動服に着替えると、扉の外は飛行場に繋がっていて、複数のヘリコプターがある。搭乗割は決まっておらず、空いた機体に乗り込んだ順に出発する。出来るだけ早く現地に向かう為だ。

 ヘルメットとベルトを着用していると、ハクが乗り込んで来た。準備の出来た機体から次々に発進し、俺の乗った機体も離陸する。ヘルメットのサンバイザーを下ろすと、視界に四分割された映像が映し出される。

 左上は物怪の出現地点のマップ。左下はその地点を実際に見下ろしているドローンの映像、右上と右下は他の方向から見たドローンの映像だ。まだ何も映っていない。

 ハクが管狐のテレパシーを利用し、全員に通信をする。

『現時点で確認された情報を共有する』 

 左上にあった日本地図が拡大され、赤く囲まれた範囲が点滅する。

『観測地点は茨城県北端の山岳地帯。見ての通り、まだ物怪の出現は確認できないが、冥府の波長を探知した。そして問題は、「追放者の村が近い」という事だ』

「村の規模は?」

『届いている情報だけなら数百人程の小さい村だ。村の防衛に関しては、主に兵士に任せる。物怪を近づけさせないのが最善だが、状況を見て避難を促すことも視野に入れておく。物怪宿りは物怪を倒すことに全力を注ぐ』

 天が言う。

「物怪宿りが護衛をした方が良いのでは?」

『発生するのは、強力な敵だと思われる。極端に波長が短い』

「強力な敵?」

『おそらく敵はランクA、た…』

 その時、ハクは胸を押さえ、苦しそうに身体を丸めた後、喀血した。

「ハク!」

 ハクは意識を失う。俺は自身のヘルメットとベルトを外し、向かい側に座るハクの首筋に手を当て、頸動脈から拍動を探る。胸を見る。上下している。脈も息もある。

 だがハクの膝に乗っていた管狐が消えていた。

 無線のイヤーモニターを通し、次々と報告が上がった。

「管狐が消えました!」

 混乱や不安の声が上がる中、冬木の声が割り入った。

「全員落ち着け。管狐の情報が使えなくても、この通り、無線で連絡は取ることが出来る。ハクの言った通り、兵士は村へ行き、人を集めて護衛しろ。状況を見て臨機応変に避難させること。物怪宿りは反応箇所で散開し、索敵を行う。物怪の出現を確認した場合は速やかに戦闘を開始し、周囲の人間が積極的に援護に行け」

「了解」

「物怪宿りは敵を倒すことに全力を注ぐ。それが村を守ることに繋がる。守備に意識を囚われるな」

 俺もイヤーモニターのスイッチを入れて報告する。

「ハクは意識を失っているが、呼吸も心拍も落ち着いている。現場に着いたら医官に引き渡す」

 冬木が言う。

「全員落ち着いて行動しろ。ハクの代わりに俺が指揮を執る。分からない事があれば積極的に連絡をしろ」

 冬木の落ち着き払った声音が、全員を冷静にさせた。

 俺たちは変化し、ヘリコプターから飛び降りた。

 俺は羽ばたいて上空から様子を見る。ドローンでは観測していなかったが、骸骨や餓鬼の群れが急に出現し、山の傾斜を利用して雪崩れるように押し寄せて来る。

 天が巨大な棍棒を薙ぎ払う。大きく敵の体勢が崩れたところに、俺や他の物怪宿り達が攻撃を叩き込む。

 俺は一度上昇し、索敵範囲を広げつつ、奇襲を狙って敵の後方へ回り込んだ時だった。

 地雷を踏んだかのように、物怪宿り達が吹き飛んだ。

 黒い血が噴火したマグマのように弾け飛ぶ。

 即座に天が飛び込んだ。ギィン、と金属同士のぶつかる音が聞こえ、刹那、弾かれた正体が月光に照らされて明るみになる。

 白目を剥いた二つの人面、四本の腕。その全てに鋭利な大太刀が握られている。二人の人間が横に連結しているように見えた。

 天だけでは捌き切れないだろう、と判断し、俺は天の横に急降下、身体を起こして鉤爪を引き上げ、左からの二段切りを蹴り上げて弾く。反対側、右からの斬撃は、天が棍棒でしっかりとガードし、驚異的な速度で膝蹴りを喰らわせる。人型の物怪は天のカウンターを避けられず、顎にクリーンヒットした衝撃で、大きくのけ反った。獅子のたてがみのような長髪を振り乱し、連結した二体の物怪は牙を剥いて唸る。長髪から覗く、物怪の顔面が微かに痙攣しているのを見て、俺は嫌な予感を覚えた。

 天は大きな隙を逃さず、上段から思い切り棍棒を振り下ろそうとするが、俺は天の胴を抱いて上空へ避難した。連結していた物怪は、天の振り下ろす棍棒の軌道上にあった中央から裂けるように分裂し、二人になった。

 長い赤髪と青い髪の物怪に分かれる。分裂した物怪は、光速で八本の大太刀を天の居た場所に突き刺した。

 天は言う。

「すみません、攻めすぎました」

「いや、情報が引き出せたのはでかい」

「でも…何の物怪でしょう。人型で分裂して二人になるなんて…そんな物怪いましたっけ」

 俺はハクの言いかけた言葉を思い出した。

― 敵はランクA、た

「ハクが言おうとしたのは、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)かもしれない」

「今の物怪が、ですか?」

「いや」

 俺は天に直接答えず、イヤーモニターで全体に連絡をする。

『滝夜叉姫には二人の手下がいたと言われている。夜叉丸やしゃまる蜘蛛丸くもまるだ』

「ツバサ!」

 空中に複数の影が現れ、切り掛かってくる。全て実体ではない。幻影が混ざっている。

 俺は翼を震わせ、全方向に羽根を飛ばし、反響音から敵の方向を把握した。

 上空と地上。挟まれた。

 その時、パン、と乾いた銃声が響いた。目の前で白い冷気が爆発する。周囲で極細の輝く白線が交差し、絡まり、影にぶつかって火花のように炸裂する。空中の影は後退し、体勢を整えるためか、一度遠くへ退散した。

 俺は翼を畳んで着陸する。

 冬木の雪弾だ。

 全身を白く染めた白髪の冬木が、氷のハンドガンを片手で回して言った。

「速いな」

 着地した天も上空の闇に目を凝らして言う。

「幻影には立体感が無いので、近くで見れば見破ることが出来ますが、今の一瞬では見分けがつきませんでした」

 俺は満月を確認して言った。

「地上で戦おう。天、周囲を平地にしてくれ。立体じゃないなら、地面に映る影で見極め易いはずだ」

「了解です」

「二人とも北から攻撃してくれ。俺が南、後ろから攻める。相手を踏ん張らせて、俺が足を狙う。転倒したところで攻撃を叩き込む。一体ずつ倒す」

 冬木は眉を顰める。

「そう上手くいくものか?」

 俺は鳥面を向けて答える。

「俺の作戦で失敗した事が一度でもあるか?」

冬木は返事をせず、氷のハンドガンを振って銃を装填した。

 天は大きく棍棒を薙ぎ、木々を根本から吹き飛ばすように倒す。巻き起こった土煙に紛れ、俺は大回りをして南側に待機する。

 俺の移動と同時に、天は動いている。

 酒呑童子の眼は、既に敵をマークしていた。一切の迷いもなく、天は赤髪の夜叉丸へ突貫し、棍棒で突きを放つ。夜叉丸は天の高速の突きを避けることが出来ず、二本の大太刀を交差して受け止める。

 冬木が雪弾を打ち込み、更に追い討ちをかけると、夜叉丸は勢いを相殺できず、地面に踏ん張った。

 俺は死角から飛び出し、夜叉丸の膝裏を両翼で薙ぎ払う。夜叉丸の膝関節が破壊され、敵はバランスを崩し、無防備に上体を反らした。

 天は振り上げた棍棒を、渾身の力で叩き込む。夜叉丸は激しく地面に打ち付けられる。激しい土煙と同時にドン、という音が遅れて響く。

 そのコンマ数秒前、複数の影が地面を滑るように迫っていた。

 目の前で微かに光の帯が明滅する。刃に反射する月光だ。俺は長さと角度から、中上段の薙ぎ払いだと判断し、深くしゃがみ込みこむ。

 頭のすぐ上を刃が通過した。地面を強く蹴り上げ、蜘蛛丸の腹に頭突きを喰らわせる。

 冬木がアシストで雪弾を連射し、吹き飛ぶ蜘蛛丸の全身を凍結させる。蜘蛛丸が閉じ込められた氷の岩が地面に転がった。天が棍棒を大上段から振り下ろし、凍った蜘蛛丸を頭から叩き潰す。

 夜叉丸と蜘蛛丸は蒸発するように煙を立てて、消滅した。

 同時に、ピーと、イヤーモニターが鳴って連絡が入った。

『航空隊です。低級の物怪の討伐は完了しました』

 冬木は問う。

「滝夜叉姫は発見できたか?」

『いえ』

 俺は違和感を覚えた。

 敵が弱い。

「全員、些細なことで良い、何か周囲に異変はなかったか?」

 天が顔を上げ、言う。

「白い光線を見ました。冬木の雪弾ではなかったと思います。もっと山の端の方です」

 兵士が言う。

『そういえば、着陸時、山の外縁に、白い線が引いてありました。道路整備が行われているのかと思ったのですが、こんな暗さじゃ白線は見えないはずです。光だったのかもしれません』

「…外縁」

 夜叉丸蜘蛛丸は滝夜叉姫の手下。そして、滝夜叉姫は、自分から物理的な攻撃はしない。

 主な攻撃は、妖術だ。あらゆる物怪を妖術で生み出したと言われている。

 俺はハッと息を呑み、叫んだ。

「全員山から離れろ!」

 煌々と光る満月が、何かに遮られた。

 一瞬で周囲が暗くなる。

 俺は背を反らし、顔を上げた。

 巨大な頭蓋骨が視界全てを覆いつくしていた。想像を絶する大きさた。頭蓋骨はゆっくりと覆い被さるように倒れて来る。逃げ場がない。

 天が棍棒を掲げ、がしゃどくろの顔面をガードする。酒呑童子の力で、顔を押し返す。だが、追い打ちを掛けるように、がしゃどくろの開いた右手が俺達に降ってきた。天は片手で棍棒を握ったまま、右手を放し、拳を突き上げ、それを受け止める。

 天が呻く。

 俺と冬木も両手で支えるが、以津真天も雪女もパワーを得意とする物怪ではない為、まったく力になれない。

 がしゃどくろが右へ揺らぐ。次は左手で圧し潰してくる気だろう。

 頭蓋骨の範囲は横幅だけでも百メートル以上ある。走って範囲から逃げるには、天の突っ張りが必要だが、それだと天が潰れてしまう。

 俺はがしゃどくろの顔面を観察し、言った。

「髑髏の口から向こうへ出る」

 冬木が訝し気に俺を見返す。

「口だと?」

「中は空洞だ。口を潜り、頸椎の間から外へ出る。天!一度全力で弾いてくれ!」

 天は唸り声を上げながら、ぐっと棍棒を両手で押し上げ、がしゃどくろの顔面を跳ね上げる。がしゃどくろの頭は重く、僅かに頭が上がるだけだが、その瞬間、口が半開きになった。 

 冬木が雪弾を発射し、がしゃどくろの顎を凍らせる。

 俺達は地面を蹴り、がしゃどくろの開いた口の間へ飛び込んだ。無事頸椎の間を抜け、骨の上へ乗ると、ヘリコプターから極太の金属製のロープが飛んできた。大きなフックが先端に繋がっている。

 俺はすぐに理解し、それを脊椎の一本に引っ掛ける。するとフックの金具は先端が弧を描くように伸び、骨を一周してから、カチリという音がしてロックされた。

 同時に、肩に重みがあり、見ると管狐がいた。

『ハクだ。状況は把握した。がしゃどくろが向いている先は追放者の集落がある。これ以上先へ行かせてはならない。全員でロープを引いて引きとめる』

「ハク、大丈夫か」

『僕のことで気を取られるな。兵士には村人の避難を促している。ほぼ全員、ヘリコプターに乗せたが、「男性が一人」安否確認が取れていない。全員注意してくれ』

「了解」

 ヘリコプターからロープの端が放られ、天が受け取る。

『がしゃどくろは山を覆うように出現しているが、後ろから見ると、脊椎の半分しか召喚されていない。力比べになる。物怪宿りは全員、行動の制御、ロープの引きに助力して欲しい』

 全員の声が揃った。

「了解」

 俺はハクから投げられる金属のフックを複数の骨に素早く装着し、下で待機している物怪宿りたちに先端を投げて渡す。

 がしゃどくろは体が大きいせいで重量があるのか、動きが遅い。冬木が雪弾を撃ち込み、がしゃどくろの関節を凍らせて時間を稼ぐ。肩と肘が凍結したことで、腕の動きが制御される。

 天が棍棒で、がしゃどくろの肩を殴打する。右腕が破壊された、と思いきや、直ぐに修復が始まり、骨が伸びていく。

 それを見たハクが更に指示を出す。

『ダメージではがしゃどくろの修復を凌駕するのは困難な為、結界の力を利用する。天、結界を作るための楔を地中深くに打ち込んで欲しい、がしゃどくろの腰付近に来てくれ』 

「了解」

 冬木の雪弾は威力が凄まじいが、弾は消費した分装填するためにクールタイムが必要になる。

 俺は言った。

「俺が囮になるから、みんなは準備をしてくれ」

『分かった。準備が出来たら全員でロープを引く。僕がカウントする』

 俺は高く羽ばたき、がしゃどくろの後頭部から逆さのまま、勢いよくがしゃどくろの眼前に飛び出した。翼を大きく広げる。

 がしゃどくろは顎を突き出し、俺を噛み殺そうとしたが、俺は向かい風に煽られて、攻撃をふわりと躱した。風を利用しながら、くるくると回る紙のようにギリギリの間隔で回避する。

 ハクが言う。

『3、2、1、go』

 物怪宿り達が協力し、強くロープを引っ張った。

 がしゃどくろは堪えきれず、一気に後ろへ引っ張られ、背を打ち付けるように、大きく転倒する。無防備に伸びた腕の肘関節を天が叩き割り、後方でロープを引いていた物怪宿りたちがタイミングを合わせ、肋骨、頭蓋骨を集中攻撃する。

 俺も旋回し、上空から急降下する。両翼を揃え、全身を使って切り掛かる。

 ハクが指示する。

『全員半径100メートル以上散開、3秒後、結界を作動する、全員退避!』

 俺は上空へ羽ばたき、距離を取る。

 光が明滅し、落雷のような激しい轟が地を揺らした。結界の破魔の力で、がしゃどくろの骨は崩れてザッと灰になる。

 全員がほっと息をついた。

 大量の灰は蒸発するように、あっという間に消えていく。

 だが、その時、舞い上がった灰が集合して、小さな頭蓋骨になった。

 拳にも満たない程の大きさだ。

 誰も気がついていない。

 同時にパシュッという音がして、光が瞬いた。

 フラッシュ。

 後方。

 コンマ数秒の間隙に起きた状況を、俺は瞬時に把握した。

 村で見つからなかったという男だ。フラッシュはカメラ。

 俺は即座に振り返り、走った。

 小さい頭蓋骨が、俺の横を滑るように移動する。

 俺は木陰で棒立ちになっている男を突き飛ばした。

 それが限界だった。

 頭蓋骨は地面を跳ね、俺の頭部に喰らい付いた。ボガリ、と頭蓋骨が割れる音と共に血飛沫が跳ね返る。吐き気を催す鈍痛が襲い、俺は倒れた。

 以津真天は修復が早くない。ようやく視界が回復した時には、カメラをぶら下げた男の頭部に頭蓋骨が喰らい付いた所だった。

 俺の次に状況を理解していたのは、冬木だった。

 冬木は男を救出しようと駆け寄ったが、男は既に喰われた後で、鮮血を撒き散らしながら、地面に転がった。

 それが、がしゃどくろの最期の抵抗のようだった。地面を転がった後、嘲笑うかのように、俺達の方へ顔を向けると、骸骨は灰となって消滅した。

 重い沈黙が、場を支配する。

 頭蓋骨を噛み砕かれた男が助からないのは誰の目にも明らかだった。

 雪が降って来た。

 男の骸の前にいた冬木が、急に頭を抱え、うずくまった。

「冬木!」

 俺は背に手を置く。

 冬木の身体は震えていた。

「大丈夫だ」

 背を摩りながら、男の骸を見る。

 死は珍しくない。仲間の兵士は勿論、追放者を巻き込んでしまう事もある。冬木も死体は見慣れているはずだ。

 一時的なパニックに陥っている可能性が高い。

「大丈夫だ。落ち着いて」

 俺は囁き、冬木の背をさすり続けた。

 ホショクのきっかけが何になるかは分からない。刺激を与えないように、全員が冬木を囲み、様子を見ている不動の状態だった。

 冬木はリュウとは違い、まだ人型を保っている。助かる可能性はある。

 その時、急に冬木の背が冷たくなり、背中に薄く氷が張り始めた。

 俺の心臓も凍りつく。

 ホショクが始まった。

 ハクが駆け寄り、俺の隣にしゃがんで言った。

「今から冬木の意識に介入する」

 ハクは肩から掛けていた大きな直方体の鞄を下ろし、ファスナーを開ける。中から折り畳まれた透明のシートと、ヘルメットを二つ、更に大量の接続機器と六個のモニターのあるアスペクト比の細長いコンピュータを取り出し、ハクは周囲に言った。

「今から手術を行います。全員下がっていて下さい」

 ハクは手早くシートを広げ、冬木を仰向けに横たえると、頭にヘルメットを被せた。そのヘルメットから伸びる管には、もう一つヘルメットが繋がっている。更に数々のケーブルをヘルメットからコンピュータに接続する。

 コンピュータには複雑なパネルのキーボードが設置されている。

 ハクがヘルメットを被ろうとして、俺は遮った。

「俺がやる。モニターもキーボードもあるって事は、ここでの作業も必要なんだろ」

「いや、ツバサを危険に晒す訳にはいかない。僕が行う」

「成功率が高い人間を選んでくれ」

 ハクは俺の顔を見返し、言った。

「分かった」

「俺は何をしたら良い?」

「冬木を見つけ、囚われている意識の中から脱出させるのが目標だ。僕が管狐でツバサを導く。ツバサはヘルメットを被って横になってくれ」

「了解」

 俺はハクからヘルメットを受け取り、被る。ハクの指示通り冬木の隣に横になると、ハクはヘルメットのスイッチを入れた。

 ウィン、という音と同時に、意識が途切れた。



 目を覚ますと、そこは真っ白な、無の空間だった。遠近感も感じられない。放り出されたら、帰れなくなりそうだ。

 視線を移した時、目の前に黒い管狐が居た。ついて来て、というように、管狐は少し歩いてから、しっぽを立ててこちらを振り向く。

 俺は黒い管狐に付いて行った。

 しばらくすると、まるで紙を破ったかのような、ギザギザした細い穴が現れた。

 管狐はその間へ滑り込んでいく。

 俺も続いて、その縦の穴を通った。紙のように、穴の周囲は柔らかかった。その先に続くのは、今までの白い空間とは違う、リアルな地面だった。現実のようだ。

 驚いて顔を上げると、平屋の日本家屋があった。近くには水車と田んぼがある。家の裏には山があって、自然豊かな場所だった。

「…ここが、冬木の意識か?」

 管狐は居なくなっていた。

 俺はハクを呼んだ。

「ハク、おい、ハク!」

返事がない。機械のトラブルというよりも、ハクの体調に原因がありそうだ。回復すると信じて、今出来る事をするしかない。

 俺は冬木を探す為、周囲を観察し始めた。

 土のにおいや、陽光に反射する田んぼの水もリアルだ。だが所々、白くなっている箇所もある。それを見ると、この風景がはりぼての様にも感じられる。

 日本家屋の表札には「東郷」とある。

 周囲の家は白く破れていて、この家だけ特別なのが分かる。冬木が住んでいた家だろうか。

 日本家屋の横には、大きな蔵があり、俺は気になって、木の隙間からそっと覗くと、少女の声がした。

「誰!?」

 声の方を見ると、三つ編みのお下げ髪をした、セーラー服の少女がいた。

 妹に似ていた。

 俺が思わず無言で見返すと、少女は拳を握り、ファイトポーズを取って言う。

「ふ、不審者ですか」

 田舎風の少し太い眉をきゅっと顰める。とても可愛らしい。

 俺は苦笑して言う。

「勝手に入ってすみません。俺人探しをしているんですけど、この村に冬木っていう名前の人はいますか?」

「冬木?」

 少女は首を傾げる。

 それから、はっと目を大きくして言った。

「もしかして兄のことでしょうか。春樹って言うんです、有名なお医者さんですよ。他の村からも兄をたずねてくる人は多いです」


 ー 春樹


 物怪宿りは物怪の特徴や名前からネームを取る。実際の名前を使う決まりは無いが、いざ、違う名前を自分がつける、となった時、とても困るのだ。だから必然的に、自分の元の名前を材料にしている人は多い。

 冬木は春樹から取っているに違いなかった。

「そうそう!春樹さんに会いたいんだけど、その病院にいる?」

「はい」

「この近く?」

「はい、近いです。案内しましょうか?」

「いいの?」

「はい、学校もちょうど終わった所ですし」

 都外では、女性の通う学校は勉学ではなく、家事裁縫などを習うかつての高等女学校の体形を取っている。

「じゃあお願いします」

 少女に案内されながら、田舎のあぜ道を歩く。

 少女は胸を張り、少し自慢げに言う。

「兄は沢山村を回って、遠くの街にも行って実際にお医者様の元でも働いた経験があります。まだ若いですが、優秀なお医者さんなんですよ」

「そうなんだ」

 少女はちらりと俺を見て、問う。

「あの…随分遠くから来られたようですが、場所を聞いても良いですか?」

 少女の視線が俺の服に向いている。

 自身の服を見て納得する。戦闘服を着たままだった。

 俺は考え、問う。

「ごめん、逆に質問になっちゃうけど、ここってどこの村?」

「え、知らないのに来られたんですか?」

「うん、行き当たりばったりでね。詳しい名前が知りたいな」

「里山街です」

 俺は都外の地図を思い返す。

 自分も実験を受ける十八歳まではずっと都外で暮らしていた。大体の場所は把握しているが、里山街といえば、随分田舎の方だ。

 この服装なら、正直に出生の村の名前を言えば、逆に訝しくなってしまいそうだ。

「俺は土の宮から来た」

「え!」

 少女は目を輝かせる。

 土の宮は都外では一番の街だ。政府からの食物や物資の配給や、情報を交付したりする場所で人口が集中していても良いという特例が出来ていた。自然と店や道楽の場所が出来ていて、人々の交流も多い。

「行ってみたいなぁ。私、村の外に出た事ないんです。兄はお医者さんになるために、遠くまで修行に出ていて、よく土の宮のお土産を買ってきてくれるんです。お兄ちゃんは凄く優しくて…あ、兄は」

 恥ずかしかったのか、少女は口を閉ざす。

 俺は苦笑して言った。

「気を遣わないでいいよ。俺の名前は…隼人はやと。よろしくね」

「私は春香と言います。あれが病院です」

 白い木で建てられた、小さな診療所だった。

 春香は看護師に声をかけ、診察室へ行く。

「お兄ちゃん、今良いですか?お客様がお兄ちゃんにお話があるそうです」

「良いよ、どうぞ」

 春香と部屋に入り、その男はくるりとこちらに椅子を回し、俺と向き合う。

 別人だった。

 髪は今よりも短く整えられており、痩せぎすではなく、平均的な体型をしている。顔色も良くて健康そうだ。冷たい雰囲気も一切ない。

 春樹は人の良さそうな笑みを浮かべ、俺に話し掛けた。 

「今日はどうされました?」

「国軍の者です。土の宮から来ました」

 咄嗟に考えた言い訳だった。

 春樹は俺の服装を見、顔を見る。

 そして春香に言った。

「春香、案内ありがとう。この人と二人で話がしたい」

「はい」

 春香は俺に一礼して出て行った。

 俺は春樹を見て、考える。

 管狐はいないし、ハクの指示もなく、どう冬木を救えば良いのか分からない。だが取り敢えず今出来ること、冬木の過去を知ろうと俺は方針を固める。

 春樹は口を開く。

「春香と接触してきたのは、何か考えがあっての事ですか?」

「いえ、本当に道端で会っただけです。私は国軍の端くれで、あなたの噂を聞いただけですから」

 俺は自身の人物像を作り上げ、身を乗り出して言った。

「現在行われている、政府の実験を知っていますか?」

 春樹は目を細めた。

「今までずっと迫害されてきた追放者が、新たに軍が開発した兵器で戦えば、東京での社会権が得られるという、アレのことですか?」

「そうです。その話を春樹さんに詳しくお伝えようと思いまして」

 春樹はボールペンを回し、言う。

「きな臭い話ですね。都外は生活の質を下げられて、教育を受けていない人間が増えている。想像力が足りず、政府の甘言に騙されて実験のマウスになっているという話を関係者から聞きました。政府の提示する成功率も具体的な検証結果も出されていないので、判断しようがありません。先に言っておきますが、僕はもちろん、僕の周りの人々も、絶対に実験には参加しませんよ」

 そして、春樹はちらりと俺を見、言う。

「あなたは、嘘をついていますね。軍の紋章は同じですが、そんな制服見たことがありません。正直に話して下さい」

 騙すのは無理だ。

 諦めて俺は言った。

「俺は未来からやって来ました。過去のあなたに、興味があったんです」

 春樹は目を丸くする。

 俺は思い切って言う。

「未来のあなたは、今のあなたとは正反対の、神経質な男です。政府に復讐するために、やつらを殺すと俺に宣言しました。だから今、俺は過去のあなたを見て驚いています」

 頭のおかしい人間として追い出されるのを覚悟したが、予想外に春樹は穏やかな笑みを返して言った。

「そうですか、そんな自分は想像できないな。でも、もしもそれが本当なら、彼は演じているんでしょうね」

「演じる?」

「ただの強がりじゃないですか?僕はもともとこんな性格ですから。それともあなたには、本当の自分を見られたくないのかもしれません」

 春樹は笑って言った。

「未来の僕に伝えておいて下さい。無理はするなってね」


 病院を出ると、頭の中に声が響いた。

『すまない、まだ本調子じゃないんだ』

「ハク!」

『端的に指示をする』

「わかった」

『冬木は春樹とは別人だ。冬木はツバサと同じように不純物としてこの世界に放り込まれているはずだ』

「どうやって会えば良い?どこに冬木はいるんだ」

『一週間後、この村は物怪に襲撃を受ける。その区間に閉じ込められている可能性が高い。冬木を探し、囚われている場所から脱出させる。時間を進めるが、準備は良いか?』

「ちょっと待て、脱出ってどうやるんだ」

『過去のトラウマに区切りをつけさせる。奪われている意識を取り返すんだ」

 空間が歪み、気づけば俺は冬木の家の前に戻されていた。

奇妙だったのは、家屋の周囲に軍人がずらりと並んで立っていたことだ。

 俺は急いで近づき、軍人の間から顔を覗かせて息を呑んだ。

 蔵の前には五人の軍人と、腕を後ろに拘束されている冬木と、冬木の家族がいた。

 軍人はライターを開き、蔵の壁を焼いて火をつける。

 春香が叫ぶ。

「ダメ!大事な本が!」

 春香は軍人に押さえつけられ、地面に膝を着く。

 軍人はニヤリと笑う。

 隣にいた警察が、手錠を出して言う。

「都外第34法、知識の保有に抵触する。今からお前を現行犯で逮捕する」

 春樹は拘束されたまま、冷静に言う。

「政府には届け出を出して許可を貰っています。警視監から認可は降りています。この知識は第三者に広めるものではなく、情報の保護、となっています。法律に抵触するような事は一切しておりません」

 軍人は首を傾げる。

「知らんな」

 更に、消火の為に水を用意していた村人たちのバケツを蹴飛ばし、村人たちも拘束をする。

「彼等は関係がないだろう!」

「本の事を知っていたのに、言わなかったんだ、同罪だ。安心しろ、今刑務所はいっぱいだ。代わりに実験場に連行する」

 余りの悪行に俺が絶句した時、ハクの声が割り入った。

『ツバサ、これは冬木の意識だ。君が介入したところで何も変わりはしない。今は冬木を見つけることを念頭に置いてくれ』

「分かってる」

 春樹は軍人に取り押さえられ、軍専用のカーゴトラックの荷台に乗せられていった。

 春樹は必死に言う。

「春香、父さんと母さんを頼むよ」

「やだ!お兄ちゃん!」

 春香は抵抗するが、軍人も一切手を抜く事なく、うつ伏せになる形で無理やり地面に押さえつけられていた。

 俺は考え、春樹の後を追う事にした。

 トラックの荷台の中には、冬木の他にも複数人がいた。

 扉が閉ざされる前に、俺は荷台へ乗り込もうとし、軍人に阻まれた。

「おい、貴様は何だ」

 俺は機敏に敬礼し、言った。

「実験場から派遣された兵士です。今回、東郷春樹を監視する任務があり、同行するようにと上官からの指示がありました」

 軍人達は俺の服装を見て、曖昧に頷き、道を開けた。

「そうか」

 実験場にはほとんどの人間が立ち入ることが出来ない。おかしいと指摘する以前に、都外の治安を維持する彼等はその実情を知らないのだ。

 扉が閉ざされ、中が暗くなる。カーゴトラックが発進する。

 俺は春樹の横に座り、言った。

「俺は密告していません」

 春樹は俯いて答える。

「分かっている、調査が入ったのは一昨日だし、君は軍人らしくなかったから」

 春樹は続けて言った。

「僕は都外を変えたかったんだ。その為に教育を広めようとしたが、ダメだったな。色々な方面から手を回そうと思って医師にもなったが、追放者である烙印は、何を持ってしても消えないようだ……多くの人を巻き込んでしまった。家族だけじゃない。村の人も…俺は…」

 その時、低くサイレンが唸りを上げた。

 物怪の襲撃を知らせる警報だ。俺の村にもあった。

 プツプツ、と拡声器が鳴り、アナウンスが入った。

「物怪の襲撃まで、残り10分」

 同時に、カーゴトラックが凄まじい衝撃を受け、横転した。僅かに開いた扉の隙間から、ゴウ、という音と共に、熱風が入って来る。荷台の天井が融解し、みるみる内に熱で溶けていった。火は直ぐに荷台全体へ燃え移り、春樹は移動して錠前を溶かそうと、腕ごと炎に炙り出す。

 俺は腰に下げていた結界の刻印された短刀を取り出し、春樹の手錠を切る。ゴトリと音を立てて、手錠が外れる。

 春樹は目を見開く。

 俺は言う。

「行きましょう」

 春樹は頷いた。

 俺と春樹は熱で空いた穴を利用し、荷台から外に出て絶句した。

山がもうもうと煙を上げながら、激しく燃えていた。

マッチの火が一瞬でここまでの火事には為り得ない。

 物怪の仕業だ。

 手前の道路には大きな深い溝が出来ていた。大砲を打ち込んだように地面が削れている。それは道路を横切り、田んぼの間を突き進みながら、春香の家の方へ向かっている。

 春樹は顔を青ざめた。

「これは物怪の足跡か?」

「火の物怪は多くないです。中でも、この大きな車輪が通ったような跡から考えると…おそらく『輪入道』。見ると魂を抜かれてしまう、ランクBの強力な物怪です。今すぐ戻らないと」

 俺たちは来た道を戻った。

 田んぼのあぜ道で、人が倒れている。駆け寄って確認するが、全員魂を抜かれたのかぐったりして意識を失っている。さらに、車輪に轢かれ、肉体が蒸発した死体もある。

 俺と春樹は家に辿り着いたが、冬木の家族や村の人間は燃え盛る炎の中で焼け死んでいた。肉が溶けてほとんど骨の状態だ。

「お兄ちゃん!」

「春香!」

 田んぼの中に、春香は泥まみれの状態で倒れていた。右脚が潰れているが、肉が焼けているお陰で止血されている。命に関わる傷ではない。

 俺は辺りを見回す。軍人だけがいないのは不自然だ。車で逃げたに違いない。

 その時、遠くで悲鳴が上がった。

 見ると、骸骨や鬼火など、低級の物怪が発生し始めていた。

 春樹は言う。

「火事もある。どの道ここには居られない。避難をしなければ」

 おーい、こっちだ!と遠くで声が聞こえる。

見ると、田んぼのあぜ道を超えた数本先の道に、攻撃を受けていない、無事なトラクターがあった。

 春樹は春香を背負い、俺たちはトラクターの荷台に乗り込む。

 善良な男の呼び声は、予想以上に多くの人間の耳に届いていた。

 荷台に手負いの人間が詰めかけ、次々に乗車していく。トラックが大破したのか、軍人たちも村人を押しのけ、乗り込んでくる。

 その時俺は、この世界の法則に気が付いた。混雑しているにも関わらず、俺は人に触れている感触が一切ない。

 村人を助けようと腕を掴もうとしても、透明人間になったかのように、すり抜けた。

 その時、ハクの声が頭に響いた。

『ツバサ、荷台の隅を見てくれ』

 見ると、蹲っている冬木を見つけた。軍服を着ている。眼鏡を掛け、痩せ細って蒼白な顔をしているのは間違いなく現在の、冬木だった。

「冬木!」

 声を掛けたが、全員のすすり泣きや安否を確認する声、混乱して喚く声にかき消されて届かない。

 冬木に手を伸ばしたが、物理的な何かの障壁があり、それ以上近づけなかった。

「ハク!触れられない」

 ハクの返事は無い。

 車が発進する。

 初めは調子よく走っていた。

 だが次の瞬間、目の前の景色が燃え上がった。周囲にも急に火の手が上がり、遠くの方から、炎の塊が迫ってきた。

「…輪入道だ」

 村人は叫ぶ。

「追ってくるぞ。まずい。もっと速くしろ!」

 輪入道はあっという間に迫る。

 パニックで押し合いへし合いになり、その時、一人の人間が落下した。

 悲鳴が上がる。

 輪入道は気が付き、一度、停止した。くるりと表に顔を向けてから、落下した人間を頭から丸呑みにした。

 そして再び、輪入道は走り出し、こちらへ急接近してくる。

 更なる押し合いが始まり、一人が落下する度に時間稼ぎとなった。

 春樹は必至で春香を守るが、全員が生き残りたい欲望で混乱し、更に春香は足が無いため踏ん張る力が無い。

 春香が少しずつ外側へ押し出される。

 繋がれた手。

「お兄ちゃん!」

 その時、銃声が連続で響いた。

 春香の手が離れる。

 多くの人間が、地面に落下して転がる。

 最後にトラックから落ちた春香が、頭からパクリと輪入道に喰われた。

 白い灰が爆ぜた。

 一瞬の出来事だった。

 軍人が持つ銃の煙の臭いが鼻をついた。

 春樹は、近くにいた人間を全員突き飛ばし、服を掴んで放り投げた。軍人の首を引っ張って蹴り落とす。軍人の発砲を受けるが、春樹は全身から血を流しながら、転がった銃を手に取ると、軍人に発砲した。死体を蹴飛ばし、落下させる。

その時、「冬木」が立ち上がり、腰から銃を抜き出した。

「ダメだ!」

 俺は冬木を取り押さえようとするが、謎の障壁に阻まれて、跳ね飛ばされた。

 冬木は春樹に向かって銃口を向ける。 

 パン、と乾いた音がして、銃弾は外れた。

 冬木は全身を震わせ、瞳孔を見開いて、膝から崩れ落ちる春樹を見ていた。

「冬木!」

 俺は体当たりして、謎の障壁を壊そうとする。

 冬木は自身の口内に銃を入れた。

 俺は荷台の上でギリギリまで後退し、助走をつけて頭から障壁に突っ込んだ。

 パリン、という音と共に透明な障壁が破壊され、俺は冬木にもつれて転がる。そのまま本気の力で冬木の顔面を殴りつけた。衝撃で冬木の手から銃が吹き飛び、冬木は平衡感覚を失って荷台に倒れる。

 冬木は絶望的な表情を浮かべ、俺を見上げた。

 俺は言った。

「生きて戦う責任がある。死ぬことは許されない。それはお前自身のことだったんだな」

 冬木は一筋涙を流し、顔を背けた。

 俺は冬木の肩を掴み、言う。

「俺は死ぬまで戦うつもりだ。お前はどうなんだ?逃げるのか?」

 トラックのエンジン音と風景だけが、動いていた。

 冬木はゆっくりとこちらを見る。

 俺も冬木を見返した。

 眼鏡は割れ、白髪の混じった髪は激しく乱れている。

そこにあるのは、憔悴し切り、自暴自棄になって生きる男の姿だった。

「殴って悪かった。一緒に戦おう。死ぬまで」

 俺がそう言うと、冬木は眼鏡を外し、ゆっくりと両手で顔を覆った。

 周囲が白くなり、何も見えなくなった。



 目覚めると、白い天井が飛び込んできた。

ぬるい室温、消毒の匂い。堅いベッド。

 病院だ。

様々なことを一気に思い出した。

 俺は冬木の意識に介入した後、目を覚まさずにここまで運ばれたのか。

「…そうだ、冬木は」

 横にもう一つベッドがあり、冬木が眠っていた。

 点滴は打っているが、大きな外傷も無さそうだ。

 俺が安堵した時、病室の扉が開いた。

 やって来たのは軍服を着た天だった。

 意識を取り戻した俺を見て、目を見開き、全身を震わせる。持っていた鞄を取り落とし、俺に駆け寄った。

「ツバサ!」

「天、来てくれたのか」

「心配しました」

 天は布団の上から、ぎゅっと俺に抱き着いてくる。

 俺は天の頭に手を置いた。

「ごめん、心配かけたな」

 天は顔を上げ、俺にたずねる。

「身体は大丈夫ですか?どこか痛いところとか、変なところはありますか?」

「大丈夫だよ。冬木は…目を覚ましていないのか?」

 天は目を伏せた。

「はい」

「そうか」

「あの…装置を使った後、何があったんですか」

 天は不安そうな表情で、俺を見つめた。

「みんな、心配しています。どうやって冬木をホショクから助けたんですか?」

 俺は考え、言った。

「覚えていないんだ」

「え?」

「何が起きたか思い出せない」

「そんな…他のことは覚えていますか?がしゃどくろと戦ったことは?」

「それは覚えてる」

「そうですか。そうだ、まずみんなに連絡をしないと」

 その時、消灯の時間でアナウンスが入った。

 この病院は、基地内部に併設された国立の総合病院で、一般病棟の患者もいる。

 俺は言った。

「まだ少し眠いんだ」

「人を呼ばない方が良いですか」

「消灯しているしね」

 天は視線を彷徨わせて、言う。

「…明日、またお話したいです」

「ああ。待ってるよ」

「明日は朝早く会議があるので、その後、ここに来ます。たぶん、お昼くらいです」

 俺はたずねる。

「会議?臨時か」

「はい。その…ハクの装置のことで」

「なるほどな」

 ホショクから救助できる装置など、前代未聞、世紀の大発明、となる訳もなく、何故今まで黙っていたのか、と問い詰めたのは誰しも思う事だろう。特に物怪宿りは。

「俺も行こうかな」

「ダメです、休息をとって下さい。記憶を取り戻せるかもしれないし、そうじゃなくてもツバサはいつも無茶ばかりしているんですから」

「分かったよ」

 俺が苦笑すると、天はきゅっと俺に抱き着いて言った。

「怖かったです。ずっと目を覚まさないんじゃないかって、ハクも何も言わないし、私も分からないし」

 俺は天の背をぽんぽんと叩いた。

「俺は簡単には死なないよ。でも、不安にさせて悪かった」

「…うん」

 面会の時間になり、天は帰って行った。

 電気が消え、俺は再び目を閉じる。

 冬木が言った。

「どうして言わなかった?」

「自分のためだよ」

「…意味が分からん」

「俺も言えない過去があるんだ。お前よりも、もっと酷い」

 冬木は薄く目を開け、言う。

「それは相当だな」

「ああ。到底一度の人生じゃ償えない罪だよ」

「そうか」

「ああ」

 冬木は小さくため息をついた後、言った。

「お前のお陰で、大切な事を思い出せた。ありがとう」

 俺は窓の外に映る三日月を見上げた。


 気づけば、随分眠ってしまったようだった。

冬木は眠っている。今日は本当に寝ているようだ。疲れているのだろう。

 カーテンの隙間から朝日が漏れている。

 管狐が窓辺に佇んでいた。ゆっくりとこちらを見る。首輪の赤いリングがきらりと光った。

 管狐のリングは結界内部でも、管狐が存在出来るようにしている。

 ゆらゆらと尻尾を揺らめかし、何かを思案しているように見えた。

「管狐、どうした?」

 声を掛けると、管狐はひょんと俺のベッドに飛び乗り、ゆっくりと歩いてきた。管狐は赤い瞳で俺を見、俺も見返す。

テレパシーに意識が飲み込まれる。

見えてきた景色は、もう一匹の管狐の視点だった。

 基地の議場だ。議場は弧を描くように丸く座席があり、兵士や物怪宿り、研究者たちが座っていた。中央にマイクを置いた台があり、ハクが立っていた。

 ハクは何かを喋っている。

 尋問のような感じで、みんなの質問に、ハクが返答している。

 兵士の一人が立ち上がって言った。

「ホショクを制御できる装置があると、俺たちは一切説明されていませんでした。情報の開示がされていない。これは防衛軍法、第9条に背きます」

 他の兵士も立ち上がり、主張をする。

「俺たちはただの一兵卒に過ぎないが、情報が秘密にされているのは重大な問題だ。過去にホショクが起き、それに巻き込まれて死人も多く出ている。物怪宿りについて、ホショクについて、俺達は知る権利がある!」

 物怪宿りも立ち上がり、ハクに向かって怒りをぶつけた。

「今まではずっと治せないと言われてきたんだ、俺たちの不安がお前に分かるか?ずっと‥‥毎日毎日死ぬかもしれないって思って恐怖の毎日だ。どうして教えてくれなかったんだ!どうして今まで装置を使わなかったんだ!俺達の仲間は死ななかったんじゃないか…」

語尾が震えていた。一度口を閉ざし、言葉を切る。

 物怪宿りの胸中の告白に、全員が感情を呼び起こされたようだった。口々に、強い口調でハクを問い詰めた。

「…すみません、でした」

 ハクは頭を下げた。

 物怪宿りは押し殺した声で言う。

「俺達が聞きたいのは謝罪じゃない。言葉だ!ツバサも冬木も三日間目を覚まさない。装置が危険なものだという事を、説明する義務があった!」

 続々と非難の声が上がる。

 ハクは視線を落とした。

 俺は立ち上がる。病衣の上にコートを羽織り、病室を抜けて、基地へと走った。病院は基地内部に併設されているため、近くにある。

 基地の議場へ向かい、二枚扉を開け放つ。

 俺が現れると、議場が静まった。

 俺は声を張って言う。

「この通り俺は健康だ。それに、ハクが居なければ冬木も救えなかった。ハクは不眠不休で装置を開発していた。ハクを責めるのは間違っている」

 その時、議場の奥にあった、赤い天幕がゆっくりと上った。

 百目鬼は、玉座のような真鍮の椅子に腰かけ、白髪の混じった黒髪を掻き揚げる。肌と同じ、ブルネットの眼で、議場を睥睨する。

 騒がしかった議場が、水を打ったように静かになる。

 百目鬼が、ゆっくりと言った。

「一つずつ、事実を明らかにしよう。まず、なぜ装置の存在を公開しなかったのか」

 ハクは途切れ途切れに言う。

「正式な装置の申請許可が軍の上層部、政府の研究機関から下りていなかったからです。本来なら認可されるまで待ち、それから開発機器を公開する予定でしたが、冬木がホショクの危険に陥り、それらを無視して装置を利用しました」

「研究者もこの装置の存在は知らなかったと言っていたが、それはどういう事だ」

「共同研究ではなく、私個人の研究開発です。先ほども言ったように、正式に許可が下りてから説明しようと思っていました。逆に訊きますが、なぜ私が装置を秘密にしようとしていると、考えるのですか?開発して使わないメリットがありません」

 百目鬼はふっと笑い、頬杖をついて言った。

「疑っているからだ。お前は本当に我々の味方なのか、と」

 ハクはビクリと身体を竦ませた。

 百目鬼は追い打ちを掛けるように、容赦なく言葉を叩きつけた。

「私個人としては、何故言わなかったのか、よりも、何故、滝夜叉姫が発生するのか知っていたという点を問いたい。物怪の種類は目視できない限り、特定できないはずだ。まだ公表していない技術があるのではないか?」

 百目鬼の的確な指摘に、ハクは黙りこんだ。

 沈黙を肯定と受け取り、兵士や物怪宿り、研究者も立ち上がって言った。

「どうして滝夜叉姫と分かったんだ、説明しろ!」

「がしゃどくろの発生だって、分かっていたんじゃないのか?何故言わなかったんだ!」

「今まで死んでいった物怪宿りも、助けられたんじゃないのか?それとも、わざと見殺しにしたのか」

 ハクはたじろぎ、後ずさる。

 ハクには言えない事があるのは事実のようだ。だが、このままハクを追い込んでも良い事が無い。ハクが処分され、戦闘から外されれば、大幅に戦闘力が下がる。それだけは避けなければならない。

 俺はダン、と壇上の机に左手をつき、言った。

「バカバカしい。ハクがどれだけ粉骨砕身して研究開発に取り組んでいるのか、お前達は知らないだけだ。疑うことなら誰だって出来る」

 その時、ハクが前に出て口を開いた。

「僕は‥‥た‥‥が‥」

 ハクは口をパクパクとさせた後、喉を押さえ、身体を痙攣させた。身体を折り曲げた後、大量に吐血して議場の床を真っ赤に染めた。

 全員が息を呑む。

 血に慣れているとはいえ、不意打ちすぎる。

 俺は意識を失い倒れ込むハクを支えた。脈と呼吸を確認するが、安定している。

 病気?消化器官か?

 その場にいた医官によって診察が行われ、ハクは病院に運ばれていった。

 ざわつく会議室で、天が立ち上がって言った。

「ハクは滝夜叉姫の説明をする前、気を失いました。今も、ちゃんと理由を説明しようとしてあんな事になった。まるで、何かに口止めされているように思えませんか」

「バカバカしい」

 物怪宿りや兵士はせせら笑う。

 天は声を大きくして、訴えた。

「身体に異常もないのに、おかしいです。ハクは武器や新しい開発機器に対して、丁寧に説明してくれます。けれど、この装置に関しては、全く情報を漏らそうとしない」

 天は両手を広げ、主張する。

「ハクは言っていないのではなく、言えないのかもしれません」

 百目鬼が問う。

「証拠は?」

「…ハッキリしたものはないですが…」

「ハクが居ない以上、今、我々が出来ることをする。前回のがしゃどくろの戦いについて、情報を共有する。装置の事は今話を進めても混乱するだけだろう。ツバサと冬木、ハクにはまた別の機会に話を聞くことにする。全員、配布した資料に目を通してくれ」

 臨時の会議は幕を閉じた。


 俺は天の隣に移動し、議場の椅子にもたれて言った。

「吐血って、気管支とか胃だよな?どうして何も異変が無いんだろう。流石に炎症とかは見つかると思うんだけど」

 天はぽつりと言う。

「治っている、とか」

「え?」

「だって、それしか考えられなくないですか?」

「変化して治癒したって事?でもハクの意識は無かったよ」

 天は頷く。そして、言う。

「つまり、変化しなくても治る。元から物怪の血、物怪の治癒能力を持っている、とか」

 考えてもみなかった発想に、俺は驚く。

「まさか」

 天はやけに冷静に、確信しているような口調で言った。

「ハクの管狐はランクAですが、遠隔の能力だけなら酒呑童子と並ぶほどの力があります。それに、ハクは普段から能力を使っていないのに、管狐を操ることが出来ます。基礎の能力値が高すぎると思いませんか?」

「でも、変化してる」

「例えば、もともと物怪の性質が50%の半分物怪だったとして、それが80に引き上がるとか。物怪宿りも普段は5%の性質が変化すると80%になるじゃないですか。ハクが物怪という説はありえなくないと思うんです」

 天の仮説に、俺は圧倒された。

 だが、辻褄が合う。

 一度興味が湧いて調べたが、ハクの生い立ちはまるで故人のように味気無く、規制されているレベルで情報が少ない。

「でも、どうやって?物怪と人間のハーフなんてあり得ないだろ。物怪には生殖能力はないし」

「それは…分かりませんが」

「どうして天はそんな事思いついたんだ?そんな事まるで考えなかったよ」

 天は首を振る。

「すみません、本当に何となくなんです」

「いや、謝る事じゃないよ。良い発想で興味深いって思っただけ。ハクが意識を取り戻したら、きいてみよう」

「はい」

 天と分かれ、部屋に戻って病衣から軍服に着替える。急に出てきてしまったから、一応病院へ戻らなければならない。シャワーを浴びた後、イヤーモニターに連絡が入っている事に気が付いた。録音を再生すると、冬木の声だった。


 ノックすると、どうぞ、と返事があった。

 冬木は身体を起こし、既にドアの方を向いて俺を待っていた。

「もう起き上がって大丈夫なのか」

「ああ。心配をかけた。検査も終わった。退院できる」

「良かった」

 冬木は春樹の面影を残す微かな笑みを返した後、いつもの無表情に戻して言った。

「何があった」

 俺は会議場での出来事を話す。ついでに、ハクの正体について、天と考えた事を付け足すと、冬木は視線を落とし、考え込んだ後、言った。

「吐血という症状に関しては置いておいて、それだけの炎症が起きているのに、疾患や怪我がないのは確かにおかしいな」

「ああ」

「ハクが物怪と人間のハーフだという仮説はとても興味深い。物怪に生殖能力は無いから、あるとすれば、クローンだろう。となれば、現実味を帯びた話になる。地下の実験場では、主に細胞生物学の研究をしている。形態学、遺伝学、生理学、生化学、これらを含むが、この前言った通り、物怪が細胞を分裂させ、成長する、またコア細胞が物怪を形作っているという研究も、そこから発露したものだからな」

「ハーフとクローンの違いって何だ?」

「ザックリ言えば、ハーフは有性生殖で、クローンは無性生殖、交尾をせず、親と全く同じ遺伝子の子供を生み出したものだ。複製(コピー)って事だよ」

「じゃあ物怪か人間かどちらかにしかなれないって事か?でもそれなら、人間と物怪の性質は持てない」

「物怪の細胞には、遺伝子が存在しない。元々クローンは未受精卵から核を取り除き、親の体細胞の核を代わりに入れて生み出す。人間の未受精卵を使い、物怪のコア細胞を入れて作る事が出来るかもしれない。そうすれば、物怪の遺伝子を持った、人間の細胞を作り出せるかもしれない。俺は門外漢だから、詳しくは分からないがな」

 冬木は区切って言った。

「ツバサ、しばらくハクを見張っておけ。もしもハクが何らかの制約を受けていて、それに抗ったとして、制約を設けている人間が放っておくと思うか?」

「直々に説教しに来る可能性は高いって事か」

「そういう事だ」

 そう言って冬木は銃を貸してくれた。

「訓練しているのに何故持たない?」

「重いから嫌なんだ。管理も得意じゃない」

「注射器は携帯しているか?」

「ああ、持ってる。成分とか効果、分かったのか?」

「酸化させないよう、直接実験はしていないが、コア自体に凄まじいエネルギーを観測している。これはランクSSSの物怪だろう」

「SSS!?」

 現時点で最高ランクの酒呑童子と同格の物怪だ。

「つまり、これを打ったとて、適応できる人間は一億人に一人の確率、不可能だ。やはり使い道は難しいな。お前の注射器を見ても良いか?」

「ああ」

 俺は白い注射器の入った細長い小箱を出し、冬木に差し出す。

 冬木は受け取り、箱を開けて注射器を調べ出す。

 俺は問う。

「冬木は、何を狙ってこの注射器を盗んだんだ?」

「自分のためだ。自分のホショクまで時間がないと、俺は分かっていた。俺は秘密裏に研究者と行っている実験が幾つかあるが、【物怪宿りが更に上位のコアを取りこめば、ホショクを免れる】という仮説が立てられたんだ。【ランクAの物怪のコア細胞は、ランクEの物怪のコア細胞を喰う】ことが出来る。同時に、【コア細胞が喰われると、他の物怪の細胞は力を失い、人の細胞に戻る】つまり、【侵食がリセット】されるんだ」

 俺は息を呑む。

「凄い発見じゃないか」

「だが、知っての通り、【ランクの高い物怪は適応値の高い人間しか宿すことが出来ない】これは侵食率とは関係がない、各々が元から持っている才能の数値だ。俺が宿すことの出来る最高ランクは雪女のBだから、それ以上のランクの物怪は宿せない」

「でも、ランクAくらいなら可能かもしれない」

「【ランクBのコア細胞はランクSのコア細胞でも喰うことが出来なかった】つまり、ランクSS以上、より強い物怪の細胞で上書きするしか無いんだ」

「そうか、それで上位の物怪のコア細胞を」

「ああ。適応できないのは分かっていた事だが、諦められなかった」

「でも、大きな発見だ。SSSを宿すことが出来たら、助かる」

「それでも、最終的な解決にはならないけどな。延命できるだけだ」

 冬木はパタンと箱を閉じ、注射器を俺に返した。


    ―    ―    ―


 ハクはまだ目を覚まさないとツバサから連絡があった。

 暇なので、天は洗濯物を干した後、夕飯のスープ作りに取り掛かった。

 野菜を刻んでいると、軽く指を切ってしまった。

 だが、みるみる内に傷口が塞がる。

 変化はしていない。

 天は首を振る。自分は研究所で生まれ育ったのだ。

 だが、もしかしたら自分は‥‥信じたく無いが、物怪の血が混ざっているのかもしれない。

 ツバサに発想を褒められたが、あれは自分自身の疑念に過ぎなかった。

 自分が物怪なのかもしれないと思う理由は修復能力とは別にもう一つある。

 夢だ。

 おそらく、物怪の記憶。

 自分は知らない土地、知らない人たちと生活をしている。自分はまるで変装をするかのように、若い女や、子供に変わり、記憶が無いと嘘をついて、人の生活に紛れ込み、一緒に暮らす。

 自分は元々すごく悪い奴で悪い事ばかり企むけれど、村のみんなは優しくて、自分は改心していく。女や子供だけでなく、老人や男、様々な人間になって、自分はのんびりとした楽しい日々を過ごすのだ。

 そしてもう一つ、違う夢を見る。

 これは、自分を見ているもう一人の自分の夢だ。

 そんな心変わりした自分に、嫌悪を抱いている。

 自分ともう一人の自分は元々仲間だったのだと思う。もう一人の自分は人を殺したり、悪いことばかりする人間だったから、改心をしたことで、仲間が裏切ったと感じているのだ。

 そして、悪い人間と接触し、悪いことを企む。

 そこからは覚えていない。

 これがもしも物怪の記憶だったとしたら…自分が宿している、酒呑童子の記憶だろうか。

 だとすると、もう一人の自分は誰だ?

 酒呑童子の仲間?

 でも、酒呑童子以外の物怪なんて自分は宿していない。それとも、自分は悪い物怪のハーフとかで、だから前世の記憶があるのだろうか。

「‥やめよう」

 考えれば考えるほど、不安になってくる。

 天は刻んだ野菜を豪快に鍋に放り込んだ。


    ―    ―    ―


 俺は冬木と話した後、冬木の指示通り、病室でハクを監視していた。

 ハクは静かに寝息を立てていて、眠っている。案の定、医師からも異常は無いと言われた。

 俺が一つあくびをした時、窓辺に差していた日差しが急に途絶えた。

 扉がノックされる。

「はい」

 俺が返事をすると、そっと顔を出したのは、天だった。

 ぱっと笑って言う。

「あ、ツバサも居たんですね、ハクが心配で様子を見に来ました」

「そうか」

 俺は迷いなく腰から銃を抜いて、天の額に発砲した。

 だが、水面に水滴を落としたように、空間に波紋が生まれ、弾丸はひしゃげて跳ね返り、床に転がった。

 俺は銃を構えて言う。

「足のガーターリングが逆だ。あと、天はあまり他人に興味がない」

 天の偽物は俯き、表情を隠す。腰から短刀を抜き、俺に切り掛かって来た。俺は素早く発砲し、刀身を撃つ。その衝撃で、天の手から短刀が弾かれ、床に転がった。構わず天は両手を伸ばして飛び掛かって来る。天の能力も真似ているのか、とても素早い。

 俺は右拳を躱し、左足を天の足に引っ掛けて釣り上げるように持ち上げる。大内返しに天は勢いよく引っかかり、ふわりと無防備に上体を晒して、地面に叩きつけられる。

 俺はしっかりと偽物の天の腕と足を押さえ、問う。

「お前は何者だ」

 天はくすりと小さく笑み、冬木へと姿を変えた。

 少女の身体から成人の男性へ変身すると急に力が強くなり、その差異に付いて行けずに、俺はバランスを崩す。床に押し付けられる形で取り押さえられた。

 冬木に変身したかと思いきや、背中に柔らかい双丘が、押し付けられる。

 息が詰まる程の良い香りが全身を包み込んだ。同時に謎の衝動が身体の奥底から湧き上がって来る。気持ちが掻き乱され、意識が遠のくが、目を閉じ、気持ちを落ち着かせると、不思議な感覚は消えていった。

 俺は天の袖と襟を掴み、身体を前に屈めて肩越しに放り投げる。

 偽物の天は床に身体を打ち付け、ゴホゴホと咳き込む。

 俺は離れ、銃を仕舞い、短刀を取り出す。

「お前は物怪か?なぜ結界が作用しない?」

 街中では当然、結界は張られている。物怪宿りも街の中では変化が出来ない。

 天は立ち上がり、小首を傾げて言った。

「まろは強いからの」

 鈴を鳴らしたような、可愛らしい声だった。それが不気味さを増長させている。

 天の偽物はにっこり笑い、腰に手を当てて言う。

「結界なんか痛くも痒くもないぞ」

「…物怪なのは認めたな。何故天の格好をしている」

「まろはまろ。天の方が偽物じゃ」

「天が偽物?」

「先ほど話していたではないか。ハクがクローンだと」

 聞いていたのか。

 ゆらりと二本指を立て、天の偽物は言う。

「お主の知り得るクローンは二体、失敗作がハク、成功したのが天。じゃから天はまろの完全なコピーじゃ。この失敗成功を表すのは、物怪宿りの器を示している。人間の言う…えーっと【適応値】かの?じゃから天は酒呑童子を宿すことが出来る。これが証拠じゃ」

「…お前は何者だ」

「まろは、昔、中国で姫をしていた。それから日本で上皇様に愛でられた。そして、今もなお、人類史で語り継がれる破滅を象徴する女じゃ」

玉藻前(たまものまえ)

 酒呑童子に並ぶSSSだ。

「お前は、何を企んでいる?」

 玉藻前は肩を竦め、唇を尖らせて言う。

「ハクは失敗じゃ。だが、人間とは本当に愉快ものじゃな。見下すことでしか自身の価値を見出せぬ者ばかり。そういう意味じゃ、ハクは必要な人間じゃった」

「どういう意味だ」

「そのままの意味じゃ。それでハクは見逃されたが、人間に味方をし過ぎた。これ以上の情報を漏らせば、まろの計画にも少しばかり弊害がある。じゃから、秘密の一部を知ったお主とハクには死んでもらう」

 玉藻前はその場でくるりと回る。

 黒い軍服から一転、美しい十二単衣の衣装へと着替える。

 扇子で口元を隠し、目を細めて笑う。姿だけ見れば、愛らしく美しい、姫君のようだ。

 反射的に俺も変化する。

 結界が張っているはずなのに、変化が出来た。

 その疑問に気を取られる時間は無い。

 玉藻前はクジャクが翼を広げるように、開いた扇子を大きく振りかざした。

 気づけば、俺の視界は反転していた。感覚で理解したのは、足を釣られているという事。頭が重く、世界が反転している。

 玉藻前の扇子から、折り紙を細長く切ったような、金と朱、白色の紐が伸びている。これが俺に巻きつき、身体を釣っているようだ。

 もがいて鉤爪を使い、翼の風切り羽で叩いても、平たい紐は動きもしなかった。

 圧倒的な力量差。

 玉藻前は俺のうなじに鼻を寄せ、深く息を吸って恍惚と言った。

「んー、とても良い香りがするの。勇気と覚悟と無。支配欲は月桂樹、憧憬はバニラのように甘く馨しい。なるほど、お主は美味しく調理された、ゲテモノ料理じゃの」

 玉藻前は俺を覗き込み、変化で顔を覆う白い鳥の面に手を掛けた。

 顎の部分から、玉藻前は俺の面を引っ張る。

「お主の隠した欲望は、まろにはお見通しじゃよ。大丈夫、皆には言わぬ。まろとお主の秘密じゃ」

 玉藻前は、以津真天の白い面をカパリと外す。

 剥き出しになった俺の顔を両手で包み込み、玉藻前は慈悲の笑みを浮かべて言う。

「物怪宿りというのは、嘘つきしかなれぬ。おぬしは選ばれし、天性の嘘つきじゃ」

 俺の胸をつつき、玉藻前は囁く。

「お主もみんなの面を剥がして来たのじゃろう?その歪んだ欲望を満たす為に」

 玉藻前はくくっと喉の奥で笑う。

 奪われた仮面が、ピキリと音を立てて罅割れた。

 その時、ハクの声が世界を割った。

「ツバサ、騙されるな!これは幻覚だ!」

 気づけば、煌びやかな、格天井の畳の部屋に居た。黄金の襖で囲まれた一室には、麝香(じゃこう)の香がむせる程、濃く漂っている。

 玉藻前は優雅な仕草で扇子を開き、舞い踊るように、俺に切り掛かる。俺は翼を引き、外側の風切り羽で扇子の攻撃をガードする。玉藻前は身体を捩りながら、扇子を薙ぐように右に二発、すぐに身体を回転させ、左から一発、再び右、左、俺がバランスを崩した所に、鋭い突きを繰り出す。

 身を屈めて避けるが、先端が肩を擦った。

 以津真天の変化は溶けていない。

 だが、掠った傷から血が溢れて止まらなくなった。傷が治らない。

 これも幻術か?

 玉藻前はぺろりと扇子を舐め上げて言う。

「まろの扇子は、世界一強力な、命を吸い取る殺生石で出来ておる。万物すべてを殺す毒じゃ」

 繰り出される攻撃を弾くが、それ以外に意識が向いていなかった。

 下がった時、何かにぶつかった。

「ツバサ!」

 声が聞こえる。

 ハッとして目を開けると、空が見えた。

 俺はのけ反り、身体の半分が窓に出かかった状態だった。

 俺を突き飛ばそうとする玉藻前を、ハクが必死で押さえていた。

「まろに触れるな!汚い!」

 玉藻前は半狂乱で、ハクを突き飛ばす。

 砲撃を受けたように病院の壁に穴が空いてハクは吹き飛ばされた。

「ハク!」

 床に転がったハクを庇い、俺はハクの前に立つ。

 玉藻前は扇子で口元を隠し、クスクスと嗤って言った。

「こやつは裏切り者だぞ?初めからまろの存在も知っておった。ホショクの装置だって、造られていたが、まろ達を裏切ることに勇気が出なかっただけだ。嘘じゃ、嘘をついたんじゃ。そして、お主の同情を買い、何とかその場を凌ごうと考えておる、老獪で狡猾な人間じゃ」

「それの何が悪い?」

 俺が平然と答えると、玉藻前は目を丸くし、肩頬を釣り上げて嗤った。

「そうじゃった、お主も嘘つきじゃったの」

 玉藻前は扇子を振る。紅白の紙で出来た紐が一斉に迫る。

 俺は目を閉じて、翼を揺らし、羽を飛ばした。散布した羽の衝撃音から、紙が幻覚だと分かる。

 ゆっくりと背後から迫る玉藻前に向かって、俺は翼で切りつけようとしたが、踏みとどまった。こんな簡単に幻覚を打ち破れるはずが無い。

 俺は玉藻前だと認知した、後方の対象を逆に翼で覆うように抱き締めた。

 焼けつくような痛みと共に、黒い血が飛び散る。

 腕の中にいたのは、ハクだった。

「ツバサ!」

 倒れる俺を、ハクが支える。

 玉藻前は言う。

「コピーしたつもりが、臆病で神経質、容姿も不完全な劣性が発露してしもうた」

 俺は怪我の痛みに呻きながら、反論した。

「ハクは何も劣ってなんかいない」

「お主は何も分かっておらぬ」

「俺はずっと見て来た。ハクは命を懸けて戦ってきた、大切な仲間だ。俺は知ってる、ハクはとても優秀で、頼りになるってこと」

「フン、物は言いようじゃの」

 俺は両翼の外側で、玉藻前に切り掛かった。玉藻前は軽々と扇子で受け止める。

 俺は弾かれそうになるのを堪える。

「ハクは格好良いよ、お前の目が節穴だ」

 玉藻前の言葉を遮り、俺は言った。

「見下すことでしか自身の価値を見出せていないのはお前のことだろう?実年齢は誤魔化せないぜ」

 その一言で、玉藻前の形相が変化した。

 扇子を閉じ、開くと、紅白金の紙吹雪が舞った。

 俺はハクを突き飛ばす。

 紙吹雪の一枚一枚が丸まり、無数の筒の銃弾となると、俺の全身を貫いた。虫食いのように骨ごと全身をくり抜かれ、俺は為すすべなく倒れる。

 玉藻前は、黒いピンヒールの先で俺を踏みつけて言った。

「立場をわきまえろ。まろはいつでもお主を殺せる」

 以津真天の変化が解かれて、生身の身体に戻った。

 ハクが駆け寄って俺の前に立つが、玉藻前の一蹴りで吹き飛んだ。

 玉藻前は靴先で俺の身体を表に返すと、ジャケットを開いて内ポケットを爪で割き、隠していた注射器を取り出す。

「これはまろが預かる」

 玉藻前は消えた。

 同時に空間が歪み、何も壊されていない病院に戻った。

 俺はその場に立っていた。全身を確認するが、外傷は一切ない。服も破れていないが、内ポケットに隠していた注射器は無くなっていた。

 その時、ガチャリとドアが開き、物怪宿りたちが雪崩れ込むように入って来た。

「何があった」

 問われ、俺は言葉を躊躇った。ランクSSSの玉藻前が街の中に出現したといえば、混乱するに決まっている。

 みんなは口々に言う。

「さっき、爆発が起きたように病院の建物が壊されたんだ」

 俺は驚いた。ここだけの幻覚では無かったのか。

「…大規模な幻覚か」

「どういう事だ?」

 俺はハクに視線を送る。

 ハクはみんなに向き直り、覚悟を決めた顔で言った。

「議場で再度話をさせて下さい」


 議場へ移動する間、俺は気がかりな事を隣に歩くハクにこぼした。

「どうしよう、注射器が取られた」

 言った後、ハクは関係なかったと気が付いたが、ハクは微かに笑って答えた。

「大丈夫、あれは偽物だ。冬木はツバサに偽物(フェイク)を渡していたんだ」

 俺は呆気に取られる。

「嘘だろ?」

「本当だよ、僕は冬木を監視していた。初めから交換する予定で、あの場所へ向かう前に、冬木は注射器を持っていたよ。僕はそれを見逃して、冬木もそれを知っていた。僕が微妙な立場なのは、冬木は既に理解していたしね。冬木はあそこに侵入するプランを練っていたけれど、鉄鼠が脱走して気に乗じただけだ」

「そうだったのか」

「ツバサ」

 俺はハクを見る。 

 ハクは俺を見上げ、言う。

「僕の呪いは継続している。言えない事をアシストして欲しい」

「分かった。呪いに関して話せる事はあるか?」

「本来、奴の能力は言葉を封じるだけのものだ。だが、僕が言葉を拘束される時、特殊な電磁波が発生する。それを探知する装置があり、衛星から自分の身体を目掛けて放射線を出すプログラムを組んでいる。超高熱の放射線は細胞を貫きDNAを破壊する。レーザーのように直進する核爆弾みたいなものだ。声帯は一瞬で破壊される。「伝える」というプロセスを意識しただけで、脳が焼かれる」

 俺は驚き、言った。

「怖かったろう」

「平気です。この事は聞かれる限り詳しく答えようとは思いません。重要な主張すべき事はもっとあるからです」

 俺はハクの頭にぽんと手を置いた。

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