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モノノケヤドリ  作者: 白雪ひめ
1/3

モノノケヤドリ 上

 2200年。

 午前ニ時。山中。

 辺りは暗く何も見えない。霧が濃く、降り注いだ月光が乱反射して白銀に輝いていた。

 苔むした地面の上に、小さな白狐が現れる。

 白狐は静かに赤い瞳を俺に向けた。目が合うと、テレパシーで脳内に少年の声が響いて来る。

『120秒後に攻撃を仕掛ける。物怪宿りは全員変化し、戦闘配置についてくれ』

 俺は呟く。

以津真天(いつまで)

 全身から黒い血液が噴き上がった。人間の細胞が変質し、身体が黒い羽で覆われる。両腕は巨大な翼に、足には鋭利な三本のかぎ爪が生える。白い鳥の面が俺の顔に被さった。

 俺は両腕の翼を扇ぎ、木々の間を抜け、星々の輝く夜空へ高く飛び立つ。

 以津真天は鳥の物怪であるため、飛翔が得意だ。腕を広げるだけで、風に乗ることが出来る。夜風が涼しい。人間では知覚できない、微かな風の流れが感じられる。

 俺は向かい風に乗って、上下にホバリングした。

 眼下には山があり、なだらかな勾配の坂を魑魅魍魎が闊歩している。敵は一万。髑髏の群れ、首切れ馬、青白い怪火が木の下で見え隠れする。

 俺は背を反らし、わざと向かい風に煽られて、身体を翻した。

 逆さの視界に映るのは、赤い月と、遥か遠くに見える光の結界で覆われた都市「東京」


【22世紀、人間は「東京」にしか住んでおらず、そこが「日本」だった】

 ここで物怪を食い止めなければ、物怪は人間の居住区である東京へと侵入し、人を殺してしまう。

 国を守るのが、物怪宿りの役目である。


 肩に重みがあって見ると、いつの間にか小さな白狐が乗っている。

 白狐の名は『管狐』

 管狐は75匹存在し、情報を伝達する役割を果たす。管狐が一匹いるだけで、半径一キロメートルほどの情報を収集、共有でき、戦闘状態では常に会話は全体に伝達される。

 管狐は前屈みになって、俺の顔を覗き込む。

 現実の視界に重なるように、頭の中でもう一つの景色が見えた。

 様々な機械が設置されている無機質的な部屋に、白い上衣に赤い袴を着た少年が立っている。

 少年の名前は「ハク」

 ハクは凛と背筋を伸ばし、手を掲げた。

 それが合図となり、爆撃機は結界の刻印が入った対物怪専用の爆弾を落とす。

 追い風が始まった瞬間、俺は翼を畳み、ふっと急降下した。木々の間を縫い、地面擦れ擦れの低空飛行から凄まじいスピードで物怪の集団に迫る。

 爆弾が山に着弾し、各地で激しい爆発が生じる。

 視界が業火で覆いつくされる。空気が震える。地面にはね帰った熱風が鳥面をなぶる。俺は灼熱の嵐の中を突き進み、物怪の集団に突っ込んだ。以津翼天の黒い羽は、一本一本が刃と同じ切れ味を持つ。物怪達は足を切断されて、為すすべなく地面に転がった。

 俺は急上昇し、翻って、急降下。集団の中に突っ込んで、敵の輪をかき乱す。敵は飛翔する俺に向かって、火の槍や毒矢を飛ばしてくる。耳を澄ませ、空気の切る音を頼りに、身体を反転させてギリギリで攻撃を躱す。以津翼天の足の大きなかぎ爪を利用し、回転と同時に蹴りで投擲の攻撃を弾く。

 その時、上空から赤髪の少女が降ってきた。

 俺は急上昇して、即座に飛び退く。

 般若の面を被った少女は落下しながら巨大な棍棒を振り下ろし、大地を叩きつけた。ドガ、という鈍い音の後、抉れるように地面が大きく陥没した。山の傾斜が破壊され、土砂崩れが起きて物怪の集団を呑み込む。

 少女は棍棒を振り回し、土砂ごと物怪を殴打し続ける。

 少女の名前は「天」

「酒呑童子」を宿している。

 天は紅蓮の長髪を振り乱し、全身で棍棒を打ち振るう。破壊の衝動に突き動かされているかの如く、天は自身の背丈の三倍はある棍棒を振り回し続けた。身体の方が棍棒に操られているようにも見える。

 地雷が起爆するかのように、地面が吹き飛んでいく。

 その時、ピーと高いアラートが聞こえた。

 管狐を介したテレパシーでハクの声が脳内に響く。

『気を付けろ。物怪の観測地点とツバサ達の現在地が重なっている。その場に、既に物怪が居るはずだ』

 天の攻撃が止む。

 俺は翼を畳んで着陸し、臨戦態勢の天と背中を合わせて奇襲に備えた。

 静寂が落ちる。

 木々が倒れて凹凸した地面だけが、かろうじて見える。土煙は晴れない。霧も混ざり合い、ほとんど何も見えないような状態だ。

 俺は内心で首をひねった。

以津翼天(いつまで)」は鳥の物怪だ。暗闇はもちろん、数キロ先の目標も見える驚異的な視力を持っている。霧や土煙くらいで視界が遮られるのは変だ。

 視えないのはおかしい。

 違う。

 視えている。

 これは霧じゃない。

 物怪だ。

 気づいた時、煙が濃くなった。

 俺が息を吸った瞬間、頭がくらりとして意識がぼやけ、俺はふらついた。

 更に、意思に反して変化へんげが解ける。

 俺は以津真天に変化した状態から、人間に戻った。

― 煙には変化解除の効果がある

 それを天に伝えようと、振り返ろうとした時、視界が斜めに傾いだ。俺は状況を理解できぬまま、バランスを崩して倒れる。咄嗟に伸ばした右腕が肘の途中から吹き飛んだ。黒い血飛沫が上がる。

 自身の血を浴びながら、俺は顔を上げて周囲を見る。

 もう一体いる。

 左右に移動しながら、大きな影が木々の間を縫うように駆け回る。それが俺に襲い掛かる直前、天が割り込み、カウンターで棍棒を振るった。

 骨が砕ける音と同時に、黒い血飛沫が上がる。視界を覆うほど巨大な影が弾かれ、その正体は月光の元に露になった。

 巨大な眼。黄土色にギラギラと光り、瞳孔が心臓のように、細められ厚くなるのを繰り返す。

 顔の全体は、天の棍棒による打撃で半壊しているのでハッキリと分からない。骨が陥没し、肉が見えて、そこから黒い血が横溢している。だが、その深い打撲痕も時間を巻き戻すかのように、みるみる内に修復していく。

 俺も再び変化をして、以津真天の姿に変わる。  

 千切れた腕と翼は連動している。翼が半分しか無いが、傷跡から血が沸騰するようにぼこぼこと泡が立ち、翼が生えていく。膝から下も同様に修復した。

 ハクが言う。

『特定した。名前は「猫又」ランクはC』

 俺は立ち上がる。数秒で完全に傷は修復し、再び以津真天の姿に変化する。

 猫又は俺に噛み付こうと、木影から飛び出してくる。

 俺は両翼を羽ばたかせ、後退しながら素早く後転する。振り上げた右脚のかぎ爪で、猫又の左前脚から繰り出される爪の斬撃を弾き飛ばした。

 反転しながら、俺は猫又の様子を観察する。

 修復した顔面は、猫には程遠かった。細長いマズル、反り返った牙が生え、猪を混ぜたような奇怪な見た目をしている。

 天が飛び出して棍棒を振り下ろし、猫又の右前脚を叩き潰す。同時に俺は猫又の懐に入り込み、両翼を揃えて猫又の左脚を根本から切断した。猫又は両前脚を一度に失い、前傾して倒れる。天はすかさず猫又に突進して棍棒を突き出す。高速の連撃。下から上、上から下へ、力強く棍棒を打ち振るう。

 猫又の体は天の殴打によって、肉から骨が突き出して生物とは思えない無残な形状になるが、前足は既に修復して立ち上がっている。猫又は強靭な四足を踏み込んで後ろへ飛ぶ。天は追いかけて下から棍棒を振り上げて脚の破壊を狙うが、猫又はわざと身を乗り出して胴体で受け止め、足の破壊を防ぎながら逃走した。知能が高い。

 俺は猫又を追いながら言う。

「ハク、前足を切っても後ろ足の脚力が強くて移動能力は奪えない。右側の脚を切って踏ん張った左脚を狙って横転させる」

『了解だ。既に結界と地雷の準備は出来ている。管狐の神通力で周囲に幻覚の木を見せて、身を隠しやすい方へ猫又を誘導する。今の会話は天には伝えた。ツバサは十秒後に攻撃してくれ。天が追い打ちを掛ける。すぐに上空へ避難するように』

「了解」

 追い風に乗りスピードを付けて急降下、低空飛行で助走をつけながら翼を広げ、流れるように猫又の右前足と後ろ足を切りつけ、切断した。

 右側に横転するのを防ぐために左脚に踏ん張ったところを、天が左側から突進して猫又を押し込む。

 次の瞬間、地面に巨大な結界が浮き上がった。青い炎が燃えさかり、猫又の肉体を包み込む。四足が溶解し、猫又は崩れるように地面に潰れる。上空から結界弾が降り注ぎ、凄まじい爆発が連鎖的に繰り返される。

 爆炎の中に天が飛び込み、棍棒を振るって猫又の再生力を上回る破壊を繰り返す。

 攻撃が止んだその場所には、何も残ってはいなかった。

 残りは一体。

 俺は上空から、爆発の衝撃によって、煙が強制的に散開しているのを見た。

 煙の物怪は一種類しかいない為、特定がしやすい。

 名は「煙ヶ羅」ランクC

 俺は言う。

「煙ヶ羅は爆風の衝撃で吹き飛ばされている。風に抗えないようだ。つまり風が有効かもしれない。リュウ、風を吹かせて結界に誘導することは可能か?」

 リュウは物怪宿りの一人である。

 返事がない。

「リュウ?」

 奇妙な間を開け、リュウは応えた。

『了解だ』

 ハクが言う。

『物理的な攻撃が不可能な為、煙ヶ羅の捕獲を討伐完了と見做す。結界の場所まで風を吹かせる。リュウ、今から指示する場所へ煙ヶ羅を流してくれ』

 上空に、巨大な目が現れ、渦を巻くように風が吹き始める。

 煙ヶ羅は風に押され、結界の上に重なった。

 その瞬間、結界が作動し、色とりどりの光線が放出された。それらは熱した金属のように折れ曲がり、煙ヶ羅を取り囲む。まばゆい光が放たれる中、俺は地面に降り立ち、結界の中を確認する。煙が揺蕩っていた。

 煙ヶ羅が捕獲されている。

 結界を作った兵士たちは、ほっとした表情をする。

 俺も短く息を吐いて、報告した。

「煙ヶ羅の捕獲を確認した」

『作戦成功だ。猫又の消滅も確認できた。猫又の討伐、煙ヶ羅の捕獲を完了する。これにて戦闘を終了し、全員東京へ帰還する』

 その時、遠くで叫び声がした。ブシャァ、と何かが噴出する音がすぐ後ろで聞こえる。振り返ると、朝焼けの空に、禍々しい色をした黒い液体が噴出していた。みるみる内に液体は溢れ出て、木々を覆うと、森は飴細工のようにあっという間に溶けて消えていく。

 近くにいた物怪宿りや兵士が、顔を青ざめさせて逃げ出した。

 ホショクだ。

 ホショクが発生した。

 物怪宿りには、物怪の力と引き換えに、重い代償がある。

『ホショク』とは、宿す物怪に肉体を喰われ、宿主が死ぬ現象だ。さらに、死んだあと物怪は復活する。

 俺は羽ばたき、液体が噴出している場所へ向かう。上空から様子を見ると、黒い沼の中に、巨大なヘビが横たわっているかのようだった。

 人の面影は無い。

 ハクが言う。

『リュウのホショクだ。救出の確率は一割未満。救助は諦め、結界での封印を行う。物怪ヤドリは一目連の周囲に待機。機動隊のみ、封印結界の作成に取り掛かる』

一目連(いちもくれん)」は龍の物怪である。

 この中に、リュウは巻き込まれている。

 俺は先程の戦闘を思い出した。

 俺がリュウに風を吹かすように指示を出した。あの時、リュウの返事が遅かった。自分の身体の異変を感じていたのかもしれない。

 俺が殺したも同然だった。

 俺は身体を回転させながら上空から急降下し、一目連の胴体に突っ込んだ。追い出そうとする触手や液体を弾き、頭突きで顔面を喰い込ませる。中は大量の目玉がびっしりと敷き詰められていて、一斉に俺を見た。

 リュウの姿を探すと、目玉に埋もれるようにして、ひしゃげた腕が見える。

 手を伸ばそうとした瞬間、業火に炙られたような強烈な痛みが俺の全身を貫いた。以津真天に変化しているにも関わらず、直接皮膚に触手が這う感覚がする。触れられた場所から肉体が腐食していくような妄想が、ハエの羽音のような不快な音と共に意識を侵食してくる。

 俺は喘ぎながら、全身を使ってもがいた。

 リュウの腕が眼に呑まれて行く。

「リュウ!」

 リュウとの思い出が頭をよぎった。ずっと一緒に戦ってきた仲間だ。

 俺は必至で目玉に囲まれた空間に身体を出し、クチバシでリュウの腕をついばみ、引っ張り上げる。

 リュウが顔を出すが、顔の半分が白骨化した状態だった。それでも、無事な方の目が細められ、笑ったのが分かった。

 気づけば俺は、目玉の空間に閉じ込められていた。自分の足も、リュウと同じように吸い込まれ、あっという間に腰の位置まで身体が沈む。

 帰れない。

 俺が藻掻き始めた時、パン、と乾いた音が響いた。

 触手が縮み、敷き詰められている大量の眼球も目を閉じる。

 リュウの頭部が破裂していた。

 俺は腕を引っ張られ、一目連の体外へ抜け出した。

 白髪に眼鏡をかけた男は、そのまま俺を放り投げる。

「雪女」宿す物怪宿り、「冬木」だ。

「退け」

 俺は地面を転がり、四つん這いで顔を上げた。

 一目連の触手は収まり、完全な元の姿へと復活を遂げていく。同時に、地面が輝き、複雑な結界が発動した。召喚された鎖が、一斉に一目連に巻き付く。幾重にも絡み合い、一目連は鎖に覆われ、動きを制限される。砲弾が連鎖して放たれ、物怪宿りも全員で攻撃を打ち込む。超強力な連撃の末、一目連は息絶えた。蒸発するように、死体は直ぐに消える。

 冬木は戻って来て俺の胸倉を掴み上げた。

「非常に愚かな行動だった」

 俺はただ冬木を見返した。

 脳裏に、破裂したリュウの頭部がこびりついていた。

 冬木は顔を近づけ、押し殺した声で言う。

「返事もなしか、分からないか、お前のせいで結界がすぐに発動できなかった。結界が発動できなければ、一目連は完全に復活していた。一目連はランクAの物怪だ。苦戦を強いられ、多大な被害が出ていただろう。それこそ物怪宿りが死ぬかもしれない。お前の考え無しの行動でな」

 冬木は俺の胸を突き、俺はよろめいて尻餅をついた。

「人類にとって、お前はリュウよりも重要な戦力だ。無謀な真似はするな。お前には戦う責任がある。こんな場所で野垂れ死ぬのは許されない。許さない。絶対に」

 俺はいっぱく置き、問う。

「…誰に、許されないっていうんだ」

 冬木は答えない。

 俺は言う。

「確かに無謀だった。でも俺は出来るだけ人を助けたいと思っている。お前だって、お前の勝手な考えがあるんだろう。それは俺には関係ない……勝手な行動をして全体に迷惑をかけたのは謝罪する」

 冬木は冷めた目で俺を見た後、踵を返して去って行った。

 結界の跡では、ハクを率いた研究者たちが様々な調査を行っていた。

 俺は近づき、黙祷する。

 終えると、ハクがやって来て、沈痛な面持ちで言った。

「僕の力が無かったせいだ。大切な仲間を死なせてしまってすまなかった」

「いや、ハクが謝るものじゃないだろう。俺の方こそ、勝手な行動をした。すまない」

 ハクは首を振る。

「ツバサは悪くない。冬木も間違っていない。悪いのは僕だ。それだけ分かっていて欲しい」

「何を言ってるんだ、ハクは全力を尽くしてくれているだろう」

 ハクは視線を落としてから、顔を上げて言った。

「次回、救助できる確率を上げると約束する」

 ハクはそう言い残し、研究者たちの間に戻って行った。

 次回のホショク。

 それは俺かもしれない。

 ホショクは珍しい出来事じゃない。

 物怪宿りは現在総勢30人いるが、5年前は100人いた。

 俺が立っていると、研究員が「すみません」と言って来た。

「半径50メートル内で今から実験を行いますので…」

「そうか。ごめん」

 ここに居ても俺は何も出来ない。邪魔になるだけだ。

 俺は山を下り、ヘリポートになっている場所へ向かった。既に多くの兵士が集まり、帰り支度をしていた。俺を見ると、兵士は敬礼をしてくる。

 俺も敬礼を返す。

 物怪宿りは貴重な戦力として讃えられており、兵士の中でも大将と同じほどの扱いを受ける。

ヘリコプターに乗り込むと、先に天がいた。

 酒呑童子を宿している時は赤髪で、身体つきもがっしりしているが、変化を解いた天は華奢だ。艶やかな長い黒髪をそっと手櫛で整える姿は、可愛らしい少女そのものだ。

 天は目を伏せて言う。

「リュウさん、残念でした」

「ああ」

 誰かの死には慣れていく。俺も天も、次の戦いに向けて体力を回復しなければならない。仮眠をとろうと、目を閉じて座席に凭れた。

 ヘリコプターが離陸する。自動運転で東京にある基地へと飛び始める。



 俺が何故、物怪宿りになり、戦うようになったのか説明するには、現在の状況に至るまでの過去を把握する必要がある。

 物怪が現れるようになったのは、ちょうど今から100年前のことだ。

 物怪は突然人々の前に現れ、殺戮をはじめた。銃や爆弾はどの物怪にも効かず、人間達は逃げるしかなかった。夜は交代でみはりを立て、どこへ行くにも全員で移動した。物怪は交通機関や発電所を襲ったために、人類は数世紀前の生活レベルに戻ってしまった。

 半年が経過した時、ある研究結果が報告された。

「物怪の現れやすい土地、現れにくい土地があります、物怪が現れにくいのは、東京です。国民の皆さんは東京へ避難して下さい」

 当時の首相はそう言った。

 それは人々の混乱を招いた。

 当然、身を守る術のない人々は、「物怪が現れにくい」と提唱された「東京」へ押し寄せた。だが、資源や面積の関係上、一億人が600平方キロメートル内で生活することは不可能である。

 結果、全体の10%、一千万人が追い出された。

 彼等は「追放者」と呼ばれ、物怪の出現が少ない都市内部に住むことは許されなかった。物怪は未知なる生物で、人々は戦々恐々としていた。東京に住む人間も自身を守ろうとするあまり、追放者を不当に扱った。

 追放者は東京の外の危険な地域で過ごすしか無かった。東京へ入ることが出来ず、多くの人間が死んだ。電気も通っておらず、食料の配給もない。追放者は物怪以外の理由でも死んだ。

 そんな中、軍人がやってきて、言った。

「物怪に対抗するための新兵器を作っている。その兵器を使いこなし、物怪と戦う兵士となれば、その家族には、東京での居住権、衣食住の保証をする」

 その兵器が何なのか、については、東京を覆う巨大な壁の地下に存在する、大きな研究所に到着するまで説明されなかった。

 だが、その言葉に釣られて多くの追放者が兵士を志願し、研究所へ連れて来られた。

 そしてそこで行われたのは、恐ろしい人体実験だった。

 物怪の細胞の一部を人間に移植し、人間を物怪化させる。物怪化された人間は外見が変わり、物怪の能力の一部を得ることが出来る。

 適合率が低ければ、人間は死ぬ。移植が成功すれば、物怪宿りになれる。

 そうして志願した兵士の1%が選出され、1万人の犠牲者の中から、100人の物怪宿りが誕生した。

 真相を知った追放者たちは猛抗議したが、政府や軍人、研究に関与していた人間達は責任を一切負わなかった。

 だが、物怪宿りになった人間と家族が幸せな暮らしをしていると聞き、物怪宿りの実験をしようとする追放者は後を絶たなかった。

 俺の家は貧乏で、物怪の襲撃は勿論、食料などにも困っていた。母親は身体が弱く、俺には3つ歳の離れた妹と弟がいた。住処だけでなく、東京内で生活の補助を全て受けられるというのは、追放者にとって夢のような話だった。チャンスを逃したくはなかった。

 だから父親と共に実験を受けた。

 父親は死んだが、俺は適合できた。

 適合が成功する確率について知ったのは東京に棲めるようになってからである。

 そもそも、俺は「確率」という概念を知らなかった。

 東京へ行くまで、ロクに文字が書けなかった。

 説明されても意味が分からなかったのだ。

 一世紀前、人々が東京へ避難した後にも、全国には多くの建物が残り、本や電子機器も残されていたらしい。だが国はそれらを全て取り壊し、焼き払い、追放者の知識を奪って、抵抗させないようにしていた。

 さらに、物怪は人が集まる場所に出現しやすく、大きな街をつくってはいけないという法律を作ったせいで、都市も作られず文明は発達しなかった。

 東京内で人間の技術は発展を続け、都外との格差は広がるばかりだ。

 これらの事実を知っているのは実験で生き残り、東京へ住むようになった現役の物怪宿りだけである。



 東京に着いたのは、ちょうど日が昇り始めた頃だった。

「天、着いたよ」

 声を掛けると、天は目を覚ました。まぶたを擦り、片手で口元を隠してあくびをする。

「すみません、起こしてくれてありがとうございます」

「気にするな」

 上空から見ると、東京は巨大な結界の壁に囲まれているのが分かる。多角形のようになっていて、透明な壁が東京の上空を蓋をするように覆っている。

 都外のものは全てチェックを通さなければ東京内に入れない。ヘリコプターも同じで、壁の手前で着陸してから、プロペラを畳み、四輪が出されて、自動車に変形する。

 一時的に結界の作用が消え、透明な壁は地下に下がる形で開く。その先はトンネルになっていて、様々なチェックが行われる。トンネル内部には赤外線や微弱な放射線が交錯し、短時間で乗車している人間の情報を読み取る。

 チェックを終え、トンネルを抜けると、大都市がある。高層ビルが連なり、リニアモーターが上空を通っている。地面はなく、全てソーラーパネルで、電気自動車が行き交っている。

 日本はこの東京を一つの国として、自活できるように日々進化をしている。

 東京の中心に「軍隊」の基地がある。


 現在の軍隊とは、かつての防衛省と自衛隊が統合したような組織である。

 一世紀前、物怪が発生し始めた当初、物怪に対し効力のない政策ばかりを打ち立てる政治家は、国民から反感を買い、クーデターが起きた。

 首相を含め何人も議員が暗殺された。

 そして軍事が政治に介入し、内閣と同等の権力を持つようになった。

 

 基地の敷地の周囲は有刺鉄線が張っていて、建物の外には航空機や車が留まっている。

 兵士たちは建物の外にある、宿舎に住んでいる。門を入った手前で一度停車し、兵士達が敬礼をして降車していく。俺と天も敬礼を返す。

 基地本部は高層ビルになっている。

 物怪宿りは国家の主要戦力とみなされ、丁重に扱われる。ビル内のマンションに住むことが出来る。

 俺と天が降りると、車は地下の車庫へ帰って行った。基地の玄関口にあるゲートをくぐり、認証システムでチェックを受けたあと、ようやく中に入ることが出来る。

 基地は洒落た造りになっていて、すべてミラーガラスで外が見える。一階とB1階の間には薄く空間があり、花壇になっている。四季に合わせた花が植えられ、今はコスモスの花が咲き乱れていた。

 天が床下を見て言う。

「綺麗ですね」

「そうだな」

 俺たちは短く視線をかわす。

 天は艶やかな黒髪を耳にかけて言う。

「ちょっとコンビニに寄ってから帰ります」

 コンビニエンスストアはB1階にある。

 基地内では不自由なく生活ができるようになっている。

「そうか、お疲れ様」

 天が小さく頭を下げる。

「お疲れ様でした」

 天と分かれ、俺はエレベーターで自分の部屋の階まで上がる。顔認証、ドアノブの指紋認証で自動的に鍵が開く。

 部屋に入って、俺は顔をしかめた。

 物が散乱していた。キッチンのドアは開かれ、フライパンやボールが床に転がっている。ローテーブルに突き刺さっている包丁を抜き、俺は誰も居ない部屋に言い放った。

「おい、悪戯したやつ、出てこい」

 防衛軍の基地内では、捕らえられた無害な物怪が飼われている。自由な環境下での、人間とのコミュニケーション、物怪の思考などを探る実験の一つらしい。

 俺は冷蔵庫を開けて2ℓのペットボトルを飲んでから、浴槽へ向かった。制服を脱ぎ捨て、俺は鏡に映る自身の身体を観察する。

 大丈夫。猫又に切られたが、手足はあるし、傷跡も無い。問題はない。確認して、湯舟に浸かった瞬間、浴槽が真っ赤に染まった。

 俺は硬直し、ゆっくりと手を見る。肌色の、自分の手の皺が刻まれたソレは、間違いなく自分のもの……果たして、そう言い切れるだろうか。

 リュウの最期がフラッシュバックし、俺は自身の胸を掴んだ。深呼吸し、騒ぎ立てる心臓を落ち着かせる。身体に何が起きているのか。分からないのが恐ろしい。

 その時、目の前にふっと何かが降りて来て、視界が黒くなった。

 黒い…それがきょろりと動く。

 目だと気付き、吃驚して俺は浴槽に沈むと、天井から逆さに垂れ下がった女児が声を上げてケタケタ嗤った。

天井下(てんじょうくだり)」だ。

 俺のリアクションに満足したのか、天井下りは消えた。

 部屋に戻ると、今度は白い笠を被り、法衣を着た男が部屋の隅で蹲っていた。身体が透けていて、今にも消えてしまいそうだ。

「おい、大丈夫か」

 俺は声を掛けるが、「日和坊(ひよりぼう)」は微動だにしない。

「日和坊」は天気の良い日にしか現れる事が出来ない。ここ最近は、ずっと曇りで微妙な天候が続いていた。窓の外を見ると、雨が降ってきていた。

 俯いて膝を抱える姿を見ていると、可哀想になってきてしまう。

 俺はそばにあったティッシュを数枚くしゃくしゃに丸め、輪ゴムを持ってきて、てるてる坊主を作った。

 窓を開けて、ベランダの物干し竿に吊るした。

「てるてる坊主」は「日和坊」が由来なのだという。

 部屋に戻ると、日和坊は消えていた。


―    ―    ―    


 ハクの研究室には、ハクともう一人、銀縁の眼鏡をかけた長身の男、冬木が立っていた。

 ハクは冬木に言う。

「移植された物怪の細胞は分裂、増殖し、人間の細胞を喰っていくのは免れない事だ。どう足掻いても、今の技術じゃ歯止めが効かない」

 ハクは扇形の台に埋め込まれた液晶のキーボードをタップする。

 赤い文字列がざっと表示された。


Tubasa 89% itumade

Ten 76% syutenndouji

Huyuki 70% yukionnna

Haku 80% kudagitune

Ryu 66% itimokurenn

Doumeki 55% wanyuudou


「これは1か月前の侵食率だ。この調子で行けば、ツバサは今月中に90%になるだろう。だがリュウは63%。見ての通り、侵食率とホショクに明確な相関関係は見られないんだ」

 冬木は淡々と問う。

「人間ごとにホショクに至る飽和点が異なるかもしれない」

「それはその通りだ。今日はその話だ」

 ハクは言う。

「物怪宿りが必ず物怪に喰われるか、という問いは、人は必ず死ぬのか?という問いと似たようなものだ。最終的な形ではイェスと言わざる負えない。だがそれをどのくらい維持できるか、それが寿命というものだ。当然歳をとれば、死ぬ確率は高くなる。今話しているのは、どう自分達を長生きさせるか、という事だ」

 ハクはデスクの上をタップする。

 スクリーンに、大量の名前が表示された。

「過去に喰われた人間と、物怪宿りになった年数だ。初心者が圧倒的に喰われている。そして三年を過ぎ、再び喰われる数が増加する」

「つまり?」

「戦闘の物怪のランクの高さ、犠牲者の数と比例する。つまり恐怖心や、何らかの負の感情がトリガーになっている可能性が高い。初心者は戦闘に慣れていない。熟練者は長年一緒だった仲間が死ぬ時だ。だから負の感情を消し去る事、もしくは、感情自体を失うことがリスクを減らす条件だろう」

「負の感情か。難しいな。心を持つ限り、喜怒哀楽は基本的な機能を果たし続ける」

「その通りだ」

「俺達は物怪のように空っぽな心を持ち、人間を止めることでしか、ホショクを防げないという事か。皮肉な話だな」

 ハクは答えられないのか、口を閉ざす。

 冬木は研究室を出た。


 冬木は廊下の途中にある、談話室の横に設置された喫煙ルームに入る。胸ポケットから煙草を取り出す。吸おうとしたが、指の先から煙草が凍り付いた。

 冬木は顔を顰め、煙草を握り潰す。

 研究所と政府の陰謀を晴らし、黒幕を殺すまではホショクされる訳にはいかない。

 絶対に。

 冬木は腕時計を見、喫煙ルームを出る。

 同時に、研究者とすれ違う。

持っていたマイクロチップを交換した。1か月分の防犯カメラの映像と、伏せられた物怪に関する実験のデータだ。インターネットを介した送付ではAIの閲覧で引っかかる。情報の複製自体も、本体とは別のものを利用していて、それらの設置を協力している研究者には、見過ごして貰っている。

 研究者の中にも疑問を抱いている人間は多い。過去には研究者の家族ごと行方不明になっている記録があり、言論統制がされていることが分かる。

 いつの時代も、反骨心のある人間は一定数存在するのだ。

 真相を暴くのは、不可能な事じゃない。

 絶対に自分が、

「殺す」


    ―    ―    ―    


 俺はテレビを見ていた。

 たまたま点けた番組で、百目鬼(どうめき)が会見をしていた。

 百目鬼は防衛軍のトップ、総統と呼ばれる人間だ。首相に肩を並べる程の地位を持っている。

 カメラのシャッター音と同時に、画面横から百目鬼が現れる。軍人の礼服であるトゥーフロックにオーバーコートを羽織った、軍人然とした格好をしている。白髪の混じった黒髪に、日本人にしては掘りの深い顔をしている。肌は浅黒い。

 一見リーダーのような華々しいオーラは感じられないが、見る者を圧倒させるような静かな威厳がある。それは彼の理路整然とした言葉を際立たせ、信じるに値する主導者の器を持っていると、人々に思わせる。

 短く敬礼してから、百目鬼は登壇し、口を開く。

「本日の戦果について申し上げます。11月10日、午前2時27分、防衛軍のレーザー観測により、紀伊国山中にて冥波を感知。午前2時28分に軍人が防衛軍基地を出立。午前2時35分、発生源へ着陸、物怪と交戦を開始し、午前3時5分頃に戦闘が終了しました」

 リュウの出来事は無かった事になっている。実際に全てを終えたのは3時10分だ。

 百目鬼は背筋を伸ばし、低い声で言う。

「出現した物怪は、ランクCの「猫又」とランクCの「煙ヶ羅」。我が国では、ランクC以上の物怪が二体同時に出現する傾向が近年高まっており、先月10月29日にも同時出現が発生いたしました。我が国全土を防衛しながら、物怪を二体倒さねばならない事態は困難であり、今後差し迫る、深刻な課題、と言わざる負えません」

 いっぱく置き、百目鬼は声を大きくして言った。

「ですが、私達はこの二体の内の一体、煙ヶ羅を捕獲することに成功しました。捕獲については、以前より行っておりますが、同時出現時に成功させるのは今回が初めてとなります。更に、捕獲した煙ヶ羅は、極めて高度な能力を持っておりました。これは、今後の研究、ひいては本土防衛、物怪から本土を奪還する足掛かりにもなり得るでしょう」

 おお、と記者たちが声を漏らす。

 このライブを見ている国民のほとんどが、同様のリアクションをしたことだろう。物怪から本土を奪還し、居住区域を広げるというのは人類の夢なのだ。

 だが、百目鬼は言葉を続けず、口を閉ざした。

 沈黙が落ちる。

 カメラのシャッターも止まる。

 静寂が場を支配した。否、周囲一帯を睥睨するように見回す百目鬼は、空間を支配する王そのものだ。

 百目鬼はゆっくりと口を開く。

「我々防衛軍は、物怪の情報収集、分析を進めるとともに、物怪に対し警戒と監視に万全を期し、責任を持って、本土を防衛いたします」

 険しい顔で敬礼し、百目鬼は踵を返した。

 記者も質疑応答を忘れ、言葉を接げずに百目鬼を見送る。百目鬼が去った後、会見の場は一気にざわめいた。全員が興奮したように、顔を突き合わせ、話をしている。すぐに席を立ったところから、ぶら下がり取材を始めるのだろう。

 テレビを消して、俺は布団に寝転がる。

 窓辺に、小さな白狐が座って、こちらを見おろしていた。

 俺は声を掛ける。

「どうした?」

 管狐はひょんひょん、と駆けてきて、胸に飛び込んでくる。

 俺は優しく頭を撫でてやった。ふさふさしている。首元をくすぐるように撫でると、管狐は気持ち良さそうに目を細めた。

 管狐は複数いるが、どれも性格が違う。こいつは随分甘えん坊のようだ。

 管狐と目が合う。

 ハクの声が聞こえた。

『明日、地下の研究所に来て欲しい。いくつか行いたい実験がある』

 地下の研究所。

 これは防衛軍の基地にある研究所ではなく、「物怪宿りの人体実験が行われた」研究所である。

 ハクは心を読んだかのように答えた。

『物怪宿りの実験が行われたのは地下研究所でも北部の方だ。今回来て貰いたいのは正反対の南部の研究所だよ』

「何の実験だ?」

『記録の保管だ。煙ヶ羅の煙で、普段記録係をしてくれる管狐が警戒して中に入れなかったんだ。だから俺達の記憶を実体化させながら記録を作る。摸擬戦闘のプラットフォームは主に物怪も管理しているこっちに設置されているんだ』

「分かった。達ってことは、天も?」

『ああ。煙の中での戦いの記録を作りたいから、天も必須だ』

 管狐の赤い瞳をじっと見ると、瞼を擦って高速でタイピングする忙しそうなハクの様子が見えた。

 俺は声を掛けた。

「ハク、ちゃんと休んでいるか?」

『はい。休んでいますよ』

 ハクはこちらを見ずに答える。

 今日のハクの宣言を思い出す。

―次は絶対に救助の確率を上げると約束する

 ハクは若干15歳にして、参謀長官という立場で、他の研究までリーダーを担当している。

 ハクは「冥波で発生する元素反応に対する単波長光」についての論文を発表し、ノーベル物理学賞を受賞。更に物怪に有効な「結界弾」を発明した。それらの功績が評価されて、今の役職に抜擢された神童だ。

 ハクが開発した兵器は数知れず、軍事力が増強し、国を守ることが出来ているのは、ハクのお陰なのは間違いない。能力がある分、プレッシャーは相当なものだろう。

「何かあったら頼っていいからな。無理はするなよ」

 ハクはちらりと視線を寄越し、言う。

『はい。大丈夫です。お気遣いありがとうございます』

「どうしてハクってたまに敬語になるんだ?」

 ハクは椅子をくるりと回転させ、こちらに向く。

『戦闘時や誰かの上に立つ時は、敬語じゃ示しがつかないと思うから、タメ口なんです。生意気だと思っている人も多いみたいですが、そのくらいで良いかと思っています』

「へぇ」

ハクは小さく頭を下げて言った。

『心配してくれてありがとうございます。おやすみなさい』

 テレパシーが途切れ、管狐は俺の腕から飛び出る。

 去ろうとする管狐に、俺は呼び掛けた。

「管狐」

 管狐はなに?というように、ひょいと振り返る。

「君に頼みがあるんだけど」


    ―    ―    ―    


 天はベッドに寝転び、深くため息をついた。

 ハクから指示があり、憂鬱だった。

 地下の研究所とは、自分が酒呑童子の細胞を移植されて、ずっと過ごしていた空間だ。痛いし怖いし、もう二度と行きたくないのに。

 窓の下に管狐が現れた。何かを咥えている。

 管狐はポトリと天の胸に何かを落とす。

 紙?

 丸まっているメモ用紙を開く。


  一緒に行こう。8時にロビーで待ってる


 テープで苺の飴が貼り付けてある。

「ツバサ‥」

 今の自分がいるのはツバサのおかげだ。

 ツバサは自分が物怪宿りとして戦い始めた十歳の頃から、沢山のことを教えてくれた。

 戦闘はもちろん、料理などの家事や、自分自身のメンタルケアについても親身になってアドバイスしてくれた。

「‥‥大好き」

 天はそっと管狐を抱き締めた。


    ―    ―    ―


 八時にロビーで待っていると、天が現れた。

 黒が基調のシンプルな軍服は、楚々とした愛らしさに上品さを加えている。天は手足がすらりとしているので、短いスカートも涼やかに着こなしている。

 基本的にズボンの軍服が礼服で、戦闘時には戦闘服を着るが、外出時は、女性はギャザーの入った黒いスカートも認められていた。

 俺に気づき、天は小走りでやって来る。

「すみません、お待たせしました」

「いや、俺が早すぎただけだよ。おはよう」

 俺が言うと、天は頷いて、ハキハキと返した。

「おはようございます」

 軍用車は自動運転で、時刻と目的地を設定しておけば、基地の入り口に走って来てくれる。小型で座席もある車両だ。

 乗り込んで、研究所に向かう。

 天は言った。

「昨日はありがとうございました。メモを頂いて元気が出ました」

「ああ、気にしないで」

 天は首を振る。

「私は物心ついた時から研究所にいて、実験で人が死んでいくのを見て来ました。それを思い出してしまって、本当に怖かったんです」

 赤信号で車が止まる。横断歩道をランドセルを背負った子供達が走って渡る。

 俺は言う。

「地下研究所は五箇所あるけれど、今日行くのは南の方だから安全な場所らしいよ」

「そうなんですね」

 俺は頷き、気になった言葉をたずねた。

「天は物心ついた時から研究所にいたって言ったけれど、連れてこられたの?」

「たぶんそうだと思いますが、幼すぎて、都外での記憶がありません。両親と離れ離れになっていたのか、顔も覚えていなくて」

「そうだったのか」

「はい。成長して実験を受けるようになって、そこから先の記憶はあります。みんな死んでいく中、私だけ生き残っていました。しばらく仄暗い檻の中で過ごしましたが、私が実験に耐えうる体だと分かってから、私だけが檻から、普通の部屋に移されました。でも一人だったので、ずっと本ばかり読んでいました」

 天は俺を見て、強く言う。

「生き残った私には、戦う責任があるのだと思っています。だから今日も頑張ります」

「天は偉いね」

「どうしてですか?」

「俺には明確な理由がないからさ」

 天はいっぱく置いて言う。

「‥良いと思います。そういう人の方が生き残っている気がしますから」

「そう?」

「はい」

 大通りをまっすぐに走り、東京の南端まで行くと、結界の壁が見えてくる。壁に沿うようにして、最奥に研究所は建っている。基地の半分くらいの大きさだが、地下深くまで続いているので、一目見ただけでは広さは分からない。

 研究所に着き、車を降りると、研究員たちがずらりと並んで俺たちを出迎えた。

 一斉に敬礼をし、俺たちも敬礼を返す。研究員の一人が前に出て案内を始める。

「ご足労いただき、有難うございます」

「いいえ。こちらこそ案内ありがとう」

「滅相もございません」

 研究所の中はどこも綺麗で明るかった。床はリノリウムでクリーム色をしている。病院の内装に近い。

 俺と天が案内された部屋に行くと、ハクが出迎えた。

「おはよう。わざわざ来てくれて助かった。ありがとう」

「ハクこそお疲れ様」

 天が小さく頭を下げる。

「今日はよろしくお願いします」

「ああ。早速始めよう。昨日も言った通り、君たちに行ってもらうのは戦闘データの記録だ。そこに横になってくれ。まずは天からだ」

 人一人がちょうど横になれるくらいの透明な台がある。

 指示されるままに天は横たわり、ハクに問う。

「私は何をすれば良いですか?」

「昨日の戦闘を思い出して欲しい。脳の記憶の部位を活性化して欲しいだけだから、まあ思い出すものは何だって良いけれどね」

 ハクが管で繋がった黒いヘルメットのような物を天の頭に被せる。台の表面をタイピングし、その後ハクは目を閉じて、自身の頭にもヘルメットをする。管狐が複数集まり、赤い光が発生する。

 機械だけでなく、管狐の能力も利用しているようだ。

 俺は待機し、交代で同じことをした。

一時間ほどで記録は終わり、ハクは言う。

「ありがとう。これで記録は保管された。仕事は終了だ」

「思ったより簡単なんだな」

「管狐のサポートがあってこそです。管狐がいなければ、現在の脳科学も百年は遅れていたでしょう」

「へぇ、人間の知能と物怪の力か」

 ハクは視線を落とす。

「どうした?」

「物怪の力を使うというのは、ズルに似ています。分からないところを物怪の力で補填して辿り着いた結果は、人類にとって正しい道ではない、ということです」

「ふぅん。むずかしい話だな。結果が良ければそれで良いと思うけど」

 その時、大音量でサイレンが鳴り響いた。けたたましい音が遠くでも聞こえて来る。

天井に設置された赤色灯が回転し、部屋が赤い光で満ちる。

「何だ?」

 ハクは目を閉じ、冷静に言った。

「研究員たちが非常口へ向かっている。物怪の収容棟の封鎖をしているようだ」

 ハクは考えるように眉間に皺を寄せる。

「物怪の脱走…だと思われる」

「脱走!?この一瞬でそこまで分かるのか?」

「管狐は一匹一匹に知能がある。物怪の収容棟には物怪が進行できないように結界が張られているから管狐も中へは入れないが、出入りする研究員たちの様子に違和感があったと教えてくれた」

「何の物怪が脱走したんだ?煙ヶ羅?」

「分からない。施設の最奥にある場所が物怪の収容棟になっている。捕獲した物怪を保管している場所だ。つまり、煙ヶ羅かもしれないし、そうじゃないかもしれない。複数の可能性もある」

 ハクは俺と天を見て言った。

「早速だが、君達にはその収容棟へ向かってもらう」

 ハクは立ち上がり、両腕を真っすぐ左右に広げる。

 ハクの身体から白煙がポン、と音を立てて発生する。煙が晴れるとハクは変化している。

 緋色の袴の装束姿で獣耳がひょこりと生え、伸ばした手の平から赤い糸が無数に伸び、先端が消える。糸はピンと張られ、ハクは右手を握りながら引き上げ、手の平から伸びる糸を手繰った。

 三角の獣耳を揺らして、ハクは言う。

「監視カメラは全て砂嵐だ。回線を壊されているようだ。つまり知能がある。少し厄介かもしれない」

「ハクはどうする?」

「まずは何が起きているのか把握する作業に入る。それから対処法を考え、全員に指示を出す。もしも脱走していた場合、物怪がどこに居るのかも分からないから、ツバサ達には収容棟への道を逆算してもらう。道中異変が無ければ、中に入って様子を探ってくれ」

「了解」

「了解です」

「二人に一匹ずつ憑ける。僕のスペアIDを持たせるから、セキュリティは解除できるはずだ」

 ハクはポケットからチップを取り出し、管狐に咥えさせる。

 管狐は俺の目を覗き込む。赤い光と共に、まるで風のように視点が移動して、進行方向を見せた。部屋を出て廊下をずっと進み、逃げる研究員たちとすれ違って地下へ降りる。さらに人気のないカーブする廊下を突き進み、数枚のゲートの先に結界がある。

 ハクの瞳は煌々と赤く光り、集中しているのが分かる。

 俺と天は視線を通わせる。

「行こう」

「はい」

 俺たちはハクの研究室を出て、先を駆ける管狐の後を追った。

廊下の途中で、白衣を着た研究員二人が避難をせずにウロウロしていた。挙動不審だ。

 天が研究者に問う。

「どうされました?」

 研究員は顔を見合わせた後、早口で言う。

「あいつら…帰って来ないんだ」

 天は目を見開く。俺も近づいて話を聞く。

「向こうってどこですか?」

 研究員達は口籠る。

「逃げ遅れている人がいるなら、ハッキリ教えて欲しい」

 研究員は追い詰められたような表情で、真下を指差した。

 真下に階段なんて無い。

 俺が不可解な顔をすると、研究員は小声で言った。

「このマンホールの下です」

 床には円形の蓋のようなもの、一見デザインにも見えてしまいそうなものが入口になっているらしい。

「この下?」

 物怪の収容棟は、まだ直進、真正面にあるはずだ。

「収容棟じゃないってことですか?」

「…ああ…その…混乱して、逃げ遅れて」

 俺は天を見て、言った。

「俺はこっちに行くよ。収容棟の方は天に任せる。まだ物怪がどこに居るかは分かっていないし、万が一があるから」

 天はマンホールを見たあと、頷く。

「了解しました」

 天は俺に囁く。

「研究者の様子がおかしいです。くれぐれも気をつけて下さい」

「あぁ。そっちもな。避難を終えたら俺も合流する」

「分かりました」

 俺と天は分かれる。

 俺は研究者の指差したマンホールを開く。梯子があって、更に地下へ降りるようになっている。梯子に足を掛けると、研究者たちはざわめき出したが、それを無視して地下へ降りる。想像以上に穴は深く、下へ降りる程、嗅いだことのない変な匂いがした。

 降り立ち、周囲を見ると、そこは下水道のように水が流れていて、俺が立っているのはコンクリートで出来た岸だった。光はなく、視界が悪い。水は飛沫を上げながら激しく流れている。

 歩いて行くと、コンクリートの壁に重厚な金属製の扉を見つけた。手摺のところに赤と緑のライトが設置されていて、赤いライトが点灯している。

 俺が向かおうとすると、管狐は俺の前に回り込み、何故か進行を阻害した。

「行ったら駄目なのか?」

 俺が問うと、管狐は思案するように、尾をゆらりと往復させ、消える。

 俺はドアノブらしき半円の手摺を引くが、開かない。認証のモニターはあるものの、なんの反応も示さない。

「どうする」

 棒立ちでは時間が過ぎるだけだ。

 俺が踵を返そうとした時、管狐が五匹、空気から溶け出すようにして現れた。五匹全員がチップを咥えていて、壁を駆けのぼり、複雑な認証を許可していく。

「良いのか?」

 俺は管狐に言った。

「ありがとう」

 管狐達はゆらりと尾を揺らし、消えた。

 カチッとロックが解除される音がした。扉を開いて中に入ると、そこはただの四角い箱だった。振り返ると、壁に数字が書いてあり、俺はエレベーターだと気が付いた。B1、一、二、三、四、五、とある。

俺は下から確認しようとB1を押した。

無音で扉が閉じた後、急降下する。少し浮上し、また降下するのを幾度か繰り返した後、扉が開いた。

 中へ入った瞬間、異様な冷気が全身を包み込んだ。薄暗い。

 目を凝らすと何とか見える。

 部屋というよりも、廊下に近い。細長い空間がまっすぐ続いていた。

 最奥に赤いランプのついた合金の扉がある。

 ふっと、過去の実験場の記憶と状況が重なった。

管狐が近寄らせなかったのは、ここに研究所の秘密があるからかもしれない。

 しかし、床は見覚えがない形状をしていた。少なくとも、自分の実験された場所ではない。機械の導線が凝縮され、癒着し合い、それ自体が床になっている。凹凸が激しくて歩きにくい。

 赤いランプの点灯している重厚な扉は少し開いていた。

「…誰かいるのか」

 そっと押し開け、現れたその光景の異様さに、俺は唖然とした。

 オレンジ色の円柱の水槽がずらりと並んでいた。サイズは様々で、俺の背丈の三倍もあるような巨大なものから、一メートルも無いくらいの小さいものもある。

 近づいて観察し、俺は息を呑んだ。

 物怪だ。ホルマリン漬けのように、ふやけている。

 白くて細長いモノがぐるぐると入っているのは、「一反木綿」。その隣には俺の背の二倍以上の大きさの水槽があった。中には三つの眼に八つの顔を持つ、「三目八面」が入っている。意識はないようで、開眼していても反応を示さない。

 進んでいくと、途中で床が赤い絨毯に変わった。ガラスの薄い扉があり、ここも既に開かれていた。絨毯はふかふかしている。上質なものだと分かる。

 水槽は無い。

 代わりにショーケースがずらりと並んでいた。

 近づいて覗くと、中には、色とりどりの「注射器」が陳列していた。

 下に金色のタグがあり、物怪の名前が表記されている。


 たたりもっけ[tatarimokke]

 犬神    [inugami]

 わいら   [waira]

 神社姫   [jinnjyahime]


 眩暈がして、俺は膝をついた。

 金色の押子とガスケット、ガラスの注射筒。黒い薬液。

 記憶がフラッシュバックした。 

 呻き声、人間の腐って溶けた油のにおい、虫が肌を這い回る。

 俺は床に手をついた。

 ならば、ここにあるのは全て物怪の…

 急に意識がぼんやりとして、俺は道を引き返していた。

 そして気づけば、俺は水槽に手を伸ばしていた。

 窮屈そうに折り畳められた黒い翼、人面に、曲った白い鋭利なクチバシ、平たい蛇の胴。

以津真天いつまで

 その時、全身が冷気に包まれた。

 暗闇から、長身の男がゆっくりと歩いてくる。冬木だ。

 冬木が怒鳴る。

「何をしている」

 俺はハッとした。

 目の前にある以津真天の入った水槽に伸ばされる手は、自分の意思ではない。まるで誘われているかのようだった。

 何故か隠さなければいけないように思えて、俺は問う。

「研究員たちは?」

「既に全員確保して経路まで送った。これが最後の一人だ」

 冬木の抱える白衣の研究者を見る。

 垂れ下がった名札には、物怪保管研究部管理長の文字があった。

「どうしてその人は気を失っているんだ?」

「パニックになっていたから面倒だったので黙らせた」

「怪しい。ここに物怪も居ないだろ。その人は管理長として様子を見に来たんじゃないのか?」

 冬木は無表情で言う。

「さあ」

「しかも、お前がわざわざ人を助けた所なんて、今まで一度も見た事がない。多少の犠牲は仕方ないと思っている人間がこんな場所来るかよ」

「お前に疑われるのは面倒だから、先に説明する。俺はただ、自分の目で真実を確かめたいだけだ」

 冬木は抱えていた研究者を下ろし、俺を見る。

「これから言うことは他言無用だ、いいな」

「分かった」

 冬木はコートの前を開く。

 内ポケットから何かを取り出し、俺に見せた。

「こいつは裏切り者だ。注射器を盗もうとしていた、ほら」

 冬木の手には、二つの細長い箱があり、冬木が親指で蓋を弾くと、中には先程ショーケースに飾ってあった物と同じ注射器があった。

「既に蓋が開けられていた」

 一つの箱には黒い液体の入った注射器が、もう一つの箱には、白い液体の入った注射器が入っている。

「お前が盗んだの間違いじゃなくて?」

「俺は認証を解除できない。注射器は顔認証、指紋認証、個人のマイクロチップ、それ以外に番号が必要になる。俺じゃ開けられないし、ショーケースからも取り出せない」

「それなら、ここに入ることも出来ないだろ。俺は管狐に解除してもらったんだ」

「俺の目的は研究の実態を探ること。研究所には、ハクや研究者に話を聞いたり、自身でも勉強したり、よく出入りしている」

「違う、この地下の部屋だ。狙って侵入したとしか思えない」

 冬木は鼻で笑う。

「そうだな。それは認める。俺の目的は真実を知ることだ。このトラブルに乗じて色々探ろうと思った。研究者たちが逃げている中を観察していると、数人が経路を逆戻りしているのが分かった。そして奇妙なことに地下へ降りて行った。だから俺はマンホール付近で待機し、研究者の一人の気を失わせ、チップや指紋を利用して中へ入った」

 俺は冬木の抱えている研究者を見て問う。

「その人が、お前が気絶させた研究者か」

「いや?俺が全員気絶させた。こんな場所があるなんて知らなかったから自由に探索したかったんだ。奥まで進むと、こそこそやっているヤツがいた。それがコイツだ。セキュリティが面倒だから、管理長ごと持ち歩いていただけだ。生体認証が多いからな」

 きな臭い話だ。だが、問い詰めても本当の事は話さないだろう。

「注射器というのは、真実に直結する重要アイテムだ。見逃す訳にはいかない」

「お前は、盗んだそれをどうするつもりだ」

「保管する」

「監視カメラがある。言い逃れは出来ない」

「監視カメラの映像は、ハクが作った動画だ。あいつは見せられない物を隠しているから、これも取り返しには来ないだろう」

「…どういう意味だ?」

 冬木は俺に近づき、微かに笑って言った。

「取引をしないか?」

「取引?」

「注射器は二本ある。お前に一本やるよ」

 冬木は白い注射器が入ったケースを閉じ、差し出す。

「共犯にするつもりか?」

「この注射器は交渉の道具となり得る。他にも使い道は色々ある。その代わり、俺の悪行を口外しないことが条件だ」

「俺はこの注射器の価値が分からない。これを注射すれば、その物怪になれるとでも言うのか?」

 冬木はニヤリと笑む。

「その通り、と言ったら?」

「注射器は要らないが、お前の知っている話を俺は知りたい」

「注射器に入っているのは、物怪の核となる細胞だ」

「核となる細胞?」

「『コア細胞』とでも言おうか。物怪に内臓の概念は無く、全て同じ細胞で構成されているが、1つだけ特別な細胞がある。それは【ただの細胞から増殖しても得られない】ものだ。各々の物怪で違う。それがコア細胞だ」

 冬木は続けて言う。

「そのコアは、今俺達の身体の中にある。ここの物怪たちはコアを抜かれているから復活できない。おそらく【コアはそれぞれの注射器に保管されている】はずだ」

 俺は自身の胸に触れた後、横にある以津真天の眠る水槽を見つめ、言った。

「俺達の中にあるコアさえあれば……この以津真天は復活できるのか」

「ああ。だから、お前を引き寄せたんだろう。俺の推測だと「ホショク」というのは、宿主のコアの細胞を中心に物怪の細胞が増殖して、こっちの身体が本体になるという現象だ」

 俺は衝撃で言葉を失った。

「凄い。そこまで分かっているのか」

 冬木は肩を竦めて言う。

「俺は別に研究者でも何でもない。色々と情報を集めて考えた結果だ。正しいかは分からない。それに、治す方法も不明だ」

「身体の中のコア細胞だけくり貫けば」

「お前も分かっている通り、俺達が実験でやられたのは注射だ。血液に混じり、全身の臓器を介し、全ての細胞に浸透している。都合よくはいかない」

 俺は冬木の手にある注射器を見て、問う。

「その注射器は何の物怪のものだ?」

「分からない。名前は書いていなかった」

「その注射器をお前に預けて良いか、俺だけじゃ判断できない。お前の行動は、今お前からしか聞いていない。信用は出来ない」

「俺は真実を知りたいと言っているだろう。放っておけ」

 急激に気温が下がり、パキっという音がして、雹が弾けた。

 冬木が押し殺した声で言う。

「物怪も黒幕も俺が全て殺す。お前は黙ってろ」

「尻尾を出したな。殺すなんて物騒な考え、見過ごす訳にはいかない」

「お前も分かっているだろう?このままじゃ俺達は都合の良い捨て駒になる。降りてくる情報を鵜呑みにしているだけじゃ、真実には近づけない。お前がそんなに優等生だとは思わなかったな」

 俺は冬木の持っていた白い注射器を受け取った。

 コートの内側に仕舞って答える。

「受け身では何も情報が得られないっていうのも全面的に同感だ。この事は黙ってるよ。バレないっていうのも、お前を信用することにする。どの道、物怪宿りは重要な兵器だ。殺されはしないだろう」

 冬木は息をつく。

「それでいい」

 そして、ハンドガンを投げて寄越した。

「収容棟に天がいる。早く行け」

「お前は?」

「ハクに呼ばれている。既に解決策はあるようだ。俺の力が必要らしい」

 冬木は近づき、銃口で俺の胸元を押して言った。

「お前が口外した場合、俺はお前を殺す。邪魔した場合も殺す」

「生きて戦う責任があるんだろう?」

 俺が言い返すと、パン、と乾いた音がして、視界が真っ白に染まった。

 冷気だった。

 顔を上げると、冬木は消えていた。


    ―    ―    ―


 収容棟の扉の前で、天は立ち止まった。

 テレパシーでハクの声がした。

『物怪はその中に居る。そういう意味では、脱走はしていない。だが逃げられなくなった研究員も中に居る』

 天は眉をひそめ、聞き返す。

「脱走はしていない?でも逃げている人がいるんですよね?物怪を捕まえなくても良いのですか?研究員の人も早く助けないと!」

『その部屋からは逃げられないが、中の様子は分からない状態だ。内部では物怪を制御するために強力な結界が張られていて、物怪宿りも変化が出来なくなっている。生身の身体で物怪と相対するのは危険だ。天はそこに待機していてくれ』

「ダメです!人が危険に晒されているのに、放っておくわけにはいきません」

『だが』

「大丈夫です、物怪宿りとして、物怪から人を守るのは使命です!」

 天が強く言うと、ハクは答えた。

『そこまで言うなら了解した。管狐は中へ入れないから、無線のイヤーモニターをオンにしておいてくれ。何かあったら直ぐに連絡する』

「了解です」

 チップを加えた管狐が、認証のモニターにジャンプして、チップを翳した。結界の刻印された透明な扉は「可」と表示され、ゆっくりと開く。

 管狐は消える。扉の先には地下への階段が続いている。電気が一切ついておらず、真っ暗だ。

 天は自身の足に巻かれたガーターリングに触れ、スイッチを入れる。リングは赤く光って周囲を照らした。腰に下げている革のケースから、短刀を抜き出して左右に振る。

 浅く息を吸い、階段を降りていく。

 階段を降り切ると、足音が響いた。

 コンクリートで囲まれた、広い部屋。奥行きもあり、全ては見通せない。物は置いていない。おそらく、物怪が管理されているのは、もっと奥の部屋だろう。

 天は大きな声でたずねる。

「誰かいますか?」

 声が反響するだけで、返事はない。

 天は静かに歩く。物怪特有の気配が濃く漂った。

 刹那、背後で空気が動いた。

 天は前へ跳躍した。着地と同時に素早く短刀を薙ぎ、振り向きざまに広範囲に刃を振った。切断された肉片が天の身体に当たって跳ね返り、床に転がる。床が青白く点滅し、結界の線が浮かび上がる。肉片は結界の光に焼かれ、ジュっという音の後、煙となって消滅する。

 息をつく間もなく、物怪は襲いかかってくる。天は腰を下げ、俊敏な動きで的確に刃を振りながら、物怪を切断する。

 吐き気を催すような、凄まじい腐臭。黄土色の皮膚。膨らんだ腹と、骨と皮だけの醜い人型の物怪の正体は「餓鬼」に違いない。ランクはD。噛まれれば肉が腐り、細胞が壊死する。

 天は素早く周囲を観察する。

 床に描かれた青い五芒星の結界に重なるようにして、小さな赤い結界がうっすらと点滅している。そこから大量の餓鬼が召喚され、天を目指し、飛び掛かってくる。キリがない。

 召喚陣があるということは、それを作り、餓鬼を召喚している親玉の物怪が居るはずだ。

 赤い召喚陣は、壁際に沿って描いてあり、部屋の中央、反対側の壁にも、印を押したかのように、一列に並んでいる。壁際へ走り、ふと目に留まったものがあった。

 部屋の隅にある丸い通気口。

 天は素早くしゃがんで覗き込む。

丸い極小の、通気口のフィルターに穴が開いている。

 ハクの「電線が断たれているから監視カメラは使えない」という言葉を思い出す。

「ネズミだ」

 天は餓鬼を無視して、部屋を真っすぐに突っ切った。ガーターリングの光は周囲を照らし、結界の透明な扉を前方に発見する。後ろからは餓鬼が迫って来るが、この扉の結界は赤い召喚陣で上書きされていない。

 天は扉に飛び込む。

 振り向くと、予想通り、餓鬼はガラスに張り付く虫のように、次々に飛び込んできては重なり合って潰れていった。

 胸を撫で下ろし、天が数歩進むと、突然床がガクリと沈み、手摺が上がって床が下降し始めた。

「わっ!」

 慌てて手摺にしがみつく。下を見ると、大きな倉庫のような場所があった。透明なコンテナがずらりと並んでいる。目を凝らすと、コンテナの中身がモゾモゾと蠢いていて、物怪が入っているのだと分かった。

 物怪の檻には結界が刻印されていて、特殊なガラスで出来ている。

 ガタンとエレベーターは着地し、天は注意深く様子を見ながら足を踏み出す。降り立ったその場所は、ずらりと並ぶ物怪の檻によって十字路に分かれていた。まっすぐ進むと、人がいた。白衣を着ているから研究者だろう。

 二人は天に背を向ける形で、壁に設置された何かに触れていた。

 天は駆け寄り、声を掛けた。

「大丈夫ですか!」

 天の声は倉庫に響く。

 だが、研究員二人はこちらを振り向かず、無言のまま手を動かしている。何かを打ち込んでいるようだ。

 天は短刀を構え、そっと近づいて問う。

「…何を、してるんですか」

 返事はない。物怪に操られているのだろうか。

 天は二人の横に回り、覗き込んだ。

 壁にモニターが埋め込まれている。それに二人はタイピングをしていた。目が虚ろだ。

「しっかりしてください!」

 天は叫び、引きはがそうとするが、二人に声は届かない。

 その時、ウィン、と音がして、すぐ横にあった物怪の檻が光った。さらに、檻に刻印されている結界が消滅した。

 同時に、ガシャンと檻が内側から爆ぜるように割れ、特殊なガラス片が飛び散った。

 床の結界が点滅し、tesso Release と表示される。

 檻と床の結界が破壊された。

 いや。

 自分は変化できない。

 tesso release、つまり結界が解除されたのは『鉄鼠』に限定されている。

 カツン、とかたい物に爪を置いたような音が暗闇に響き、天は正確にその方向を見上げた。

 後方、右斜め上。暗闇の中に、濃い大きな影がある。

 赤い眼と目が合った。影はゴキブリのように、ソロソロと動き、天の前に姿を現す。檻の上に乗り、こちらを見下ろしていた。

 巨大なネズミ。

鉄鼠(てっそ)」ランクB

 僧が怨霊になったねずみの物怪だ。元が僧侶という事もあり、知能が高い。

 破壊されたガラス片が鉄鼠の念力で浮かび上がった。複製、分裂した無数のガラス片が、研究員たちの周囲を取り囲み、銃口を突きつけるかのように構えられる。

 研究員を助け出すため、走り出そうとした天の周囲にも、大量の浮いたガラス片が向けられた。

 動けない。

 その時、乾いた銃声が連続で響いた。

 すべては一瞬のうちに、同時に起こった。

 鉄鼠の胴体に大きく穴が空く。鉄鼠はすぐに檻の上から移動し、暗闇に姿を隠す。

 視界の端で研究員が倒れ、研究員を守るように、誰かが覆い被さった。

 念力によってセットされていたガラス片が、いっぱく置いて、降り注ぐ。

 天は檻の間に滑り込み、ガラス片の雨を避ける。

 攻撃が止み、天が身体を出すと、研究者たちを庇ったツバサがガラス片を受けていた。背中の服が真っ赤に染まっている。吸収しきれない血が袖の間から流れ出ていた。

「ツバサ!」

 天が駆け寄ると、ツバサは痛みで喘ぎながら、天を見上げて言った。

「大丈夫だ、銃で気を逸らしたから威力は低い。今から鉄鼠の気を引くから、研究者を連れて逃げろ」

「ツバサ」

「倉庫の壁際に移動しろ。合流したら無線で合図する。一気に仕留める。いいな」

 有無も言わせないツバサの鋭い眼光に射抜かれ、天は頷いた。

「了解」

 ツバサは闇に向かって銃を撃つ。 

 鉄鼠は巨大な体躯からは想像できない異常な速さで床を這いまわり、銃弾を避けながら、散らばったガラス片を複製してツバサに投げつける。ツバサは檻の間に隠れながら射撃をし、鉄鼠を牽制しながら鉄鼠の意識を自分に向けさせ、天たちから離れていく。

 天は研究者を両手で抱きかかえ、檻の間を遮蔽物にして、壁まで移動した。檻の間からツバサの様子を覗く。

 ガラス片以外にも、鉄鼠は置かれているコンテナ、機械など、あらゆる物を複製し、ツバサに向かって投げつける。

 ツバサと目が合う。

 その時、物体が全ての角度からツバサに降りかかった。逃げ場を無くしたツバサは咄嗟に頭を抱え、受け身を取るが、ガラス片が身体に突き刺さり、全身に物をぶつけられ、壁に打ち付けられた。

「ツバサ!」

 衝撃で、ツバサの持っていたハンドガンが床に転がった。ツバサはスピンする銃に手を伸ばすが、鉄鼠の方が早い。

 ハンドガンは念力で宙へ浮かぶ。

 鉄鼠の赤い目が細められ、髭が興奮するように動いた。

 その時、ツバサと目が合った。

 イヤーモニターから声が聞こえた。

― 突っ込め

 ハンドガンが、複製、分裂する。ねずみ算式に出来上がった大量のハンドガンが、一切の躊躇なく天達に引き金を引く。

 発砲される寸前、天は壁を蹴りつけ、鉄鼠に突撃した。

 カチっという空撃ちの音が部屋に響く。

 鉄鼠の眼が驚愕で見開かれる。天は勢いのまま、短刀で鉄鼠の右眼を貫いた。

 鼓膜を劈くような悲鳴がこだまし、痛みで鉄鼠は体を揺らした。隙が生まれる。

 すぐさま、ツバサは転がった銃を装填し、鉄鼠の四つ足を正確に打ち抜いた。破魔の刻印がされた銃弾は凄まじい殺傷力で、周囲の肉体を巻き込みながら破裂し、足を破壊、鉄鼠の機動力が失われた。

 ツバサは連続で銃弾を撃ち込み、鉄鼠の修復が追い付かなくなる。

 だが、同時にツバサの弾も無くなった。

 ツバサが銃を投げ捨てて、天たちを守るように覆い被さった時、ズン、と音がして電気が復旧した。

 ハクと研究者、冬木がやって来る。

 ツバサは貧血でふらつき、天は支えた。

「早くツバサを外に!」

 ハクは冷静に言う。

「一時的に床の結界を解除した。変化してくれ」

 ツバサは変化し、以津真天の姿になると全身の傷はみるみる内に修復していき、変化を解くと、無傷の状態に戻った。

 ツバサは天の肩から腕を離す。

「ごめん、ありがとう」

「いいえ」

 ハクは操作されていた研究者二人に近づき、しゃがみ込んで怪我を見る。

 ハクは救護の人間に問う。

「彼等の足は?」

「ほとんど怪我をしていません。ズボンが破けている場所だけ擦過傷があるだけです」

「なるほど、わざと外して空気圧で膝を押しただけか」

 あまりに平然としているハクに違和感と疑念を抱き、天はハクに訊く。

「見てたんですか?」

「ああ。管狐に、天の身体にマイクロカメラを装着して貰っていた」

「…中の様子は分からないって言ってたのに」

「監視カメラの配線はネズミによって破壊されていたから、実際あの時は分からなかった。天が戦ってくれなければ、対応は遅くなっていた。ありがとう」

「でも私には、援護が来るまで待ってて良いって…私が動かなかったら、どうするつもりだったんですか」

 ハクは視線を逸らす。

「答えてください」

「その言い方の方が、天は積極的に、且つ、柔軟な思考で動けると思った。僕の指示よりも」

 自分はハクに、物怪宿りとしての責任感、使命感を利用されたのだ。

 湧き上がる不快感を堪えると、ハクは目を伏せて言った。

「言いたい事があるなら言っていいよ」

「いいえ」

 ツバサがハクに問う。

「もう全部解決したのか?」

「ああ」

「説明してくれ」

「そのつもりだ。まず、どうやって鉄鼠が召喚陣を描いたか、についてだが…」

 ハクはそこで言葉を止めた。視線の先には昇降台で降りてくる軍人たちがいた。

 中央に百目鬼総統がいる。百目鬼はコートを翻し、靴底を鳴らしながら、ハク達のところまでやって来た。全員が敬礼の姿勢を取る。百目鬼も敬礼を返し、全員の顔をゆっくりと見回して穏やかに言った。

「健闘だった」

 ツバサが言った。

「わざわざ来てくれたんですか」

「たまたま外出していてね。近くだから駆け付けたが、優秀な部下のお陰で既に解決していたようだ」

 百目鬼はツバサに近づく。

 ツバサは小首を傾げ、言う。

「良い靴ですね」

 百目鬼は笑う。

「分かってくれて嬉しいよ」

「いつも新品ですから」

 ツバサと百目鬼はじっと互いのことを見ていた。

 まるで無言で会話を交わしているかのようで、誰も口を挟めない。

 だが、百目鬼はむしろ機嫌をよくし、微かに笑った後、ハクに言った。

「ところでハク、研究者が逃げ出し、ここまで場が混乱した理由を教えろ」

 はい、と短く返事をして、ハクが言う。

「研究者が逃げ出したのは、餓鬼が召喚された為です。どこからやって来ているのかも分からない状態だったので、とにかく逃げる選択を取るしか無かったようです」

「檻に入れられた鉄鼠が餓鬼を召喚できた理由は?」

「ここは地下で、空気の入れ替えの為に通気口が複数あり、床下に薄く空間があります。鉄鼠は外から鼠を呼び寄せ、共食いをさせて、血で召喚の結界を描き、鼠の死骸を供物に召喚の陣を作っていました。冬木の雪女の能力で冷気を送り、絶対零度で空間の表面を削って既に陣は消しました」

「鉄鼠の檻のみが解除された理由は?」

「念力によって操られた研究者が解除しました。今後改良します」

「結界越しにも念力が通った理由は?」 

「暗示というのは精神が混乱している際に掛かりやすいです。餓鬼が発生したことで、研究者はパニックになり、檻越しにも念力が通ってしまったようです。檻の強度は勿論、冷静にトラブルに対処できるよう訓練を行います。加え、鉄鼠がねずみを操るのは念力ではなく、その物怪の性質によるものでした。捕獲した物怪も場合によっては殺す選択を取らなければならないようです。今後は臨機応変に対応していきます」

 そうして鉄鼠の脱走事件は終わった。

 帰り道、天はたずねた。

「靴って、何かの暗喩なのですか?」

 ツバサが天を見る。

「どうしてそう思う?」

「二人がその…互いを警戒しているように見えたので、やり取りがあったのかと思って」

「いや、事実を言っただけだよ」

「…そう、ですか」

 ときどき、ツバサがひどく遠い人間だと思う時がある。これだけ近くに居るのに、近づけないのは何故だろう。

 

    ―    ―    ―


 ハクは一人、収容棟で作業をしていた。

 グンという音がして、リフトが降りてくるのが分かる。

 靴音を響かせ、男がやって来る。

 ハクはしゃがみ込み、無視して作業を続けるが、背中を蹴飛ばされて床につんのめった。

「無視か」

「いいえ、気が付きませんでした」

「こっちを向け」

 ハクは腕を引っ張られ、無理やり男と顔を合わせられた。

「注射器が盗まれたというのは本当か」

「…はい」

「どうして取り返さない?お前は分かっているはずだ」

「いいえ、分かりません」

 男は深くため息をついた後、ナイフでハクの胸部を刺した。心臓を貫通した刃を引き抜かれ、傷口から派手に血飛沫を上げながらハクはうつ伏せに倒れる。

 辺りは血の海になる。

 男はトントンと踵を鳴らした後、ハクの頭を蹴飛ばした。

首が折れ、ハクは転がって壁にぶつかる。その周囲に管狐が集まり、男に向かって毛を逆立てた。

 静寂の漂う倉庫の中、ハクの手が、管狐を抑えるように伸びる。

 ハクはゆっくりと起き上がる。

 首が元に戻り、胸部の傷も時間を巻き戻すかのように塞がれていく。

 男はハクに怒鳴りつけた。

「お前を見ていると気分が悪くなる」

「はぁ」

「なんだその返事は!」

「…注射器の在処は、彼女の力を使えば直ぐに分かるでしょう。そう焦らなくても大丈夫です。むしろ必死になって取り戻す方が面倒なことになるでしょう」

 それに男は答えず、ハクに言う。

「お前は何をしていた?」

「結界の解除と発動、その強さの調節です」

「もっと詳しく説明しろ」

「…嫌です」

 ハクは男に首を絞められ、苦悶の表情を浮かべる。

「憎たらしい」

 ゴホッとハクは咳き込み、言う。

「物怪宿りが変化していれば、今回の件は直ぐに片付いていたかもしれません。結界の中でも物怪宿りが活動できる機能を考えていました」

「ハッ、そんな地味な事をやって何が変わる?」

「有事の際、街の中でも物怪宿りが戦える」

 男はおもむろにハクを床に押さえつけ、背中を滅多刺しにした。

「お前は人形だが、俺が面倒を見てやっているんだ。お前は最低限自分の役割を果たせば良い」

 男はナイフを投げ捨て、ハクの身体を表に返して言う。

「ホショクの装置は報告していないようだな。俺にも嫌われたくないし、仲間とも上手く付き合いたい、そういう計算高くて狡猾なところが、お前はダメなんだよ」

 ハクは目を閉じる。

 男は囁いた。

「お前が守りたいのは、結局自分自身だ。臆病者め」

 男は部屋を出て行き、しばらくハクは転がったまま、考えていた。

 冬木は本気で暗殺を企んでいる。そのために、組織の裏を探ろうとしている。超小型のマイクロチップが一定箇所にあり、それが監視カメラの役割を果たしている。

 そして自分がそれらを敢えて見逃している事も理解している。

 自分の仮面が剥がれるのも時間の問題だ。

 それで良い。

 急に吐き気が込み上げて、ハクは両手で口を塞いだ。急激な血圧低下と、細胞の修復で身体に無理が生じている。

「父さん…」

 頑張ればいつか認められると思っていた。

 だが、自分は利用されているだけだった。


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