第44話「――貴方に救ってもらった命を、再び危険に晒すこと。許してください」
――アルフォンソ領。
その名の通り、地方貴族であるアルフォンソ家が統治する領土だ。
俺が住んでいた田舎は、管轄としてアルフォンソ家のものではない。
ただ、かなり近くてその名を何度か聞いたことがある。
「近いということは、うちの領土ではないんですよね?」
「ああ、郊外って意味でもない。
いいや、郊外は郊外なんだけど、ぎりぎりピークシャフト領だ」
こちらの言葉を聞いて、頷くアマンダちゃん。
いや、マルセロか。頭の中で認識を書き換えるのに時間が掛かりそうだ。
こいつは俺のことをずっとお姉さんって呼んでくるし、出会い方がマズかった。
「もう少しでお姉さんは僕の領民だったわけですね」
「”元”だけどな」
「故郷に良い思い出がないって……」
こいつの顔を見ていると納得してくれたようだな。言葉にはしていないが、あの場所がどういう場所か知っているのなら良い思い出がなくても当然だと分かるはずだ。特に聡明なこの子なら。
「しかし、そうか、あのアルフォンソ家の……アマ、いや、マルセロ。
教えてくれないか。ここに来るまで何があったんだ?」
「――はい。ただ、どこから話せばいいのか。お姉さんは祖父の知り合いだと」
マルセロの確認に頷く。
「エド爺はあまりプライベートな話をしなかった。
ただ、娘さん、君のお母さんは拳銃が名産の地方に嫁いだと」
「そうです。アルフォンソ領では、いわゆる砲が名産で」
――大砲から拳銃まで。なんて続くマルセロの言葉でようやく話が繋がる。
俺は、地元近くの領地の名産が拳銃であることさえ知らなかったのだ。
魔術師とは思えない情報への疎さだな。いいや、あんな僻地に生まれたせいか。
「父も勇敢な砲兵でした。魔術の才能に恵まれて、西方戦争で英雄の1人に」
……西方戦争か。ここでもそれが出てくるんだな。
ディーデリックに戦い方を教えた王国騎士団に多大な被害を与え、俺から手柄を奪った第三王子がその地位を確立した戦争が。
「それで、みんなから絶大な支持を集めていたんです。世継ぎよりもずっと」
「……跡目争いか」
「はい。西方戦争の終わり際に父は亡くなったのですが、そこから……」
”――母が襲われ、僕は逃げてきました。遠方の祖父を頼って”
苦しそうに告げるマルセロの表情を見ていると、やりきれない想いになる。
父親も母親も祖父も……なんて壮絶な人生を。
「……ディーデリックが」
「はい?」
「王子が君に”道筋”を示したと言っていた。いったい何があった?」
こちらの言葉を聞いて、フッと息を吐くマルセロ・アルフォンソ。
「もしかしたら、お姉さんには止められるかもしれないんですけど」
ディーデリックの奴も同じようなことを言っていた。
ここで認識が一致しているのは意外だな。
もっと、考えが甘い子供を乗せるような真似をしたんじゃないかと思ったが。
「――アルフォンソ領に戻って、あの暗殺者を手配した奴を割る」
「ッ……?!」
「ディーデリック殿下が力を貸してくれると。安全とは言い切れませんが」
あの王子は、いったい何を焚きつけているんだ。
本気か……? 本気であいつは。
なるほど、だから俺からあいつのところに乗り込むだろうって。
「あいつに何のメリットがあるんだ」
「なにかの試運転をするって。
冒険者と騎士団を雇うとかなんとか、よくわからなかったんですけど」
っ、ここで、それか……確かにあいつは言っていた。
王国騎士団かあるいは現在の冒険者を再編して組織化すると。
個々人のパーティ単位ではダンジョンは攻略できないと。
「……あいつがそう言ったんだな。なら、本気だよ、あいつは」
「あの人が本気であることは、見抜いていたつもりです。なんて偉そうですかね」
舌を出して笑うマルセロ。
まったく、おしとやかな少女のフリをしたクソガキだったか。
でも、かわいいな。子供にはこれくらい愛嬌があった方が良い。
「――貴方に救ってもらった命を、再び危険に晒すこと。許してください」
っ……本当なら、そんな危ない橋を渡るなと引き留めたい。
それこそ俺が救った命だ。せめて大人になるまで、俺の傍に居ろと。
けれど、今の自分はフィオナの居候に過ぎない。
あと、5年か6年、この数奇な宿命を背負った貴族の少年を養えるだろうか。
彼の人生に責任をもって、かつ、正当な報復の機会を奪う資格が俺に。
「……命を一度救ったくらいじゃ他人の人生を支配することはできねえ。
未来は自分で選ぶものだ。過去を清算しなければ先に進めないのも分かる。
ただ、そうだな……お前の帰郷には王子は同行するのか?」
こちらの言葉に頷くマルセロ・アルフォンソ。
相変わらずだな、ディーデリック。流石は自分の身を冒険者に置く異常者だ。
王族である以上に戦士だ。
「レンブラントって居るだろ? あの黒い服の魔法使い」
「ええ、僕の正体に勘づいていた人ですよね」
「王子が来るならあいつも来る。あいつから絶対に離れるな」
あいつはディーデリックを守ることを最優先するだろう。
しかし、自分の視界でマルセロを死なせるような人間ではない。
実力的にも、本人の性格としても。
「――はい。殿下が僕を利用しようとしていることは分かってます。
だから、僕も全力であの人たちに守ってもらいますよ」
「ふっ、そうだ。それでいい。遠慮するな。全力でしがみつけ」
マルセロの注いでくれた紅茶を飲み干して、立ち上がる。
怒りというほど、単純な怒りが湧いてきている訳じゃない。
ただ、ディーデリックの野郎に一言言わなきゃ気が済まねえ。
「お姉さん……本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
立ち上がって深々と頭を下げてくれるマルセロの姿。
そして、恩という言葉に、自分が返せなかった恩を思い出してしまう。
エド爺にデカい借りを残したまま、俺は――
「――長生きしろ。あの偉大な魔道具屋、エドガルド・ベネディートよりも」




