第42話「……殿下なら、何を願いますか。今より数年前の貴方が、家族を奪われたら」
「――新しいお召し物は、後程お持ちいたしますね」
そう言って、侍従さんが下がっていく。
アマンダとディーデリックの話が長引いているらしく風呂を勧められた。
風呂から上がってきたバッカスに。レンブラントの奴もそれに乗った。
たぶん、俺を引き留めたいのだろう。ディーデリックのために。
ルシールに連絡しなければ、と言ったら既に使者を送っていると。
……まぁ、俺もディーデリックに挨拶なしで帰りたくないから助かったけど。
「流石にメイドさんが身体を洗うとかじゃなかったか……」
風呂場に隣接する脱衣所の中まで案内されたときには、このまま侍従さんの前で脱ぐことになるのかと少しヒヤヒヤした。でも、ディーデリックならどうなんだろう。客人の俺はともかく王子なら身体も洗ってもらうんだろうか。
なんてどうでもいい思考が走り、そのままラピスが元王城のメイドだったことを思い出してしまう。そして、ディーデリックと深い関係だったことも。
……いやいや、まさかまさか、そんなことは。
「ふぅ~、生き返るな」
長い髪を縛り上げ、濡れてしまわないようにしてから湯船につかる。
しかし、部屋の中に湯船がひとつだけとは贅沢な空間だ。
流石は王族の別邸だし、なんとなくお湯の質まで良いような気がする。
思い込みかもしれないけれど。
「――げっ、殿下が直接お出迎えですか」
お風呂から出て、更衣室に置かれていた衣服に身を包んだ。
少し明るい色をしたワンピースと上から羽織るブラウス。
よくこの背丈の衣服があるものだなんて思いながら、更衣室を出た直後だ。
ディーデリック・ブラウエルが静かに廊下に立っていた。
「あなたの濡れた髪が見たかった――と言ったら怒るかな?」
「お戯れを。怒りはしませんが流石にそれだけではないはずだ」
「ふふっ、そうだね。あの子が君と2人きりにして欲しいと」
アマンダですか?という質問に頷くディーデリック。
「――その後にあなたの時間が欲しくて待っていた。
と言っても、あの子との話を終えれば貴方のほうから乗り込んでくるだろうが」
こんなところで待ってるくらいなら、使用人に任せればいいのに。
なんて言うだけ野暮だな。
そして、ディーデリックのこの言い回し。不穏なものを感じる。
「私が怒るようなことを、あの娘に吹き込んだのですか?」
「――過去を清算しなければ先には進めない。その道筋を示した。
ただ、やり方が私のそれだから、あなたは怒るかもしれない」
レンブラントが言っていたな。
殿下は、この一件を利用するつもりだと。
そんな彼がアマンダに対して”過去の清算”を提示したか。
なんとなくだが、見えてきた気がする。
「ディーデリック殿下、貴方は大人だ。少なくとも成人している」
「うん」
「けれどあの娘はまだ子供だ。分かっていますよね」
こちらの言葉を聞いて静かに微笑むディーデリック・ブラウエル。
その顔つきが余りにも魅力的で息を呑んでしまう。
……これが15歳のやれる表情なのか。
「フランシス、もし、貴方があの子だったら何を願う?
今のあなたからほんの数年前かな、幼い日の貴方が家族を奪われたなら」
「……殿下」
紫電の瞳に見つめられ、どこか動けなくなっていく。
有無を言わせない圧倒的なカリスマが、目の前に立っていた。
「私と貴方の時間は後にしよう。これ以上あの子を待たせると怒られてしまう」
スッと踵を返し歩き始めるディーデリック殿下。
彼に置いていかれないように、こちらも歩き出す。
視線を外してもらって、ようやく動き出せた。
「……殿下なら、何を願いますか。今より数年前の貴方が、家族を奪われたら」
「ふふっ、それは私にとっては”出番が来た”という意味しか持たないよ――」
なるほど、一国の王子らしい切り返しだな。
この世でこう答えられる人間はそうはいないが、確かに彼には当てはまる。
「もっとも、こんな回答では、あの子に寄り添うことはできない。
だから、そうだね、私にとって、あの子が失くしたものに近いのは……」
「――それ以上は。口に出さずとも伝わっております」
かつての王国騎士団、幼い日の彼が接した黄金時代。
その名を今、再び彼の口から語らせるのは酷な気がした。
「……ありがとう。何故か今日は、古傷のように痛んで。
いつか君に言ったはずだ。不出来な者から権限を奪うと」
俺から手柄を奪った第三王子、のちに西方戦争で地位を確立した男。
そして、その西方戦争こそが王国騎士団の多数を死に追いやった戦いだ。
兄だと明言しないのは、ここが王族の別邸だからなのだろう。
「つまり、あなたの再征服は――」
「……無論、それだけではないけれどね。
復讐なんていうつまらないことだけに私の命を使ってはいけない。
私は、そう安くは生まれてきていないのだから」
――儚げに笑う彼が、心底美しく見えた。
まるでガラス細工のように気高く、鋭利に輝いているように。
「あなたの再征服が叶えば、この国の歴史が進みます」
「ふふっ、そうだ。我が国は先へ進み、私は歴史に名を刻む。
そして私が残れば、私を作った彼らの名も遺せるはずだ――」
ひとつひとつは聞いていた話ではあったが、より深いところで理解した。
ディーデリック・ブラウエルの求める再征服と、そこに宿る感情を。大義を。
「――私があの子に示した道筋も、このための一歩になる。
そこも含めて伝えたつもりだ。あとは貴方がどう判断するか」
客間の扉、その前に立ったディーデリックがこちらを見つめてくる。
「あとは直接、アマンダから聞けという訳ですね」
「そうだ、私室で待つ。待っているよ、フランシス」




