第38話「――”名誉の死”は、私からは与えない」
「――”名誉の死”は、私からは与えない。
王族と刃を交える名誉も、拳を交える名誉も、貴様には与えん」
そう告げるディーデリック・ブラウエルの表情を、俺は初めて見た。
今まで俺がフランシス・パーカーと接してきた気高くも優しげな王子としての彼ではない。路傍に転がるゴミを見つめるような冷たい瞳を。
「レン、後は任せたぞ――」
「ええ、仰せのままに。既に出来上がっておりますよ」
王子に銃口が突きつけられているというのにレンブラントの余裕は崩れない。
ならば、この”既に出来上がっている”という言葉、嘘偽りではないのだろう。
俺はレンブラントという男をそういうものだと感じている。
「な、なにを……」
「ああ、そういえば殿下。警告は必要ですか?」
「そうだな、してやってもいいか。3つ数えるうちに離れれば、不問に処す」
見ているこちらにまで背筋に悪寒が走る。
この警告を聞き入れなければ、何か恐ろしいことが起こる。
そういう確信があった。
「ふざけるな、こちらは引き金に指を掛けているんだぞ!」
「フフッ、私が何の対策もしていないで貴方をそこに立たせているとでも?」
そう言っている間にディーデリックが3まで数え終える直前だ。
意識的か無意識か、拳銃にかかる指が僅かに動いたように見えた。
瞬間、男の肘と手首に”切れ目”が走る。
「え、――?」
レンブラントの漆黒の瞳が、静かに笑う。
なんだ、あの魔法……見ていたはずなのに、なにも理解できない。
どうして暗殺者の右腕が切断されているんだ、この一瞬で。
「他人の忠告は聞くものだぞ、特に王族のは。おかげで服が汚れた――」
拳銃を握ったまま落ちてくる右手首を蹴り飛ばしつつ、ディーデリックは痛みに悶える暗殺者から距離を取る。切断された右腕から溢れる血が、彼の外套を汚している。
「そう言うと思って警告の時間を設けたんですがね」
「だと思った。しかし、そもそもここまで近づけるな、レン」
「貴方がフランシス嬢に気を取られているからでしょう?
私だってバーンスタイン殿を彼女の元に移動させるので大変だったんです」
右肘から先を失った暗殺者が痛みで動けないのをいいことに軽口をたたき合うディーデリックとレンブラント。まるで日常会話みたいに。
「しかし、私自身ではなく、他人を狙うダシにされるとはな。
レン、今度こそお前に任せる。殺すも生かすもお前に一任だ」
「了解しました――」
そう言いながらディーデリックがこちらに向かって歩いてくる。
この状況で、暗殺者を無視して、か。
よほど信頼しているんだな、レンブラント・ヴィネア・マクシミリアンを。
「――それで、どうしましょうか。投降するのなら命は助けますが」
「っ……分かっているはずだ。本当の意味で”同業者”だろう? お前」
「うーん、あんな雑な仕事をするんだ。失敗した時も雑で良いじゃないですか」
俺を心配して歩いてきてくれる王子の相手をするべきなんだろうが、俺は目が離せなかった。レンブラントと暗殺者、向かい合った2人が迎える決着から。
……退いてしまえ、降伏しろ、本当に殺されるぞ。お前。
「っ、分かった、投降する……全てを洗いざらい――ッ!!」
暗殺者の言葉はブラフだった。レンブラントを油断させるための。
投降するという言葉を聞いてレンが近づいた瞬間、左手に蓄えていた爆破魔法を起動させ――ようとしたのだ。
「……ごめんね、左手には”仕掛け”てなかった」
返り血を浴びながら、レンブラントが静かに呟く。
暗殺者の左腕に起動していた魔術は、術者が死んだことで不発に終わる。
……暗殺者だった男の頭が、ボトンと地面に落ちる。
右腕と同じように”切れ目”から切断されたのだ、その首が。
「あ、あれが……レンブラントの、魔法……」
「すまない。君には少し刺激が強すぎたみたいだね、フランシス」
「ディー、デリック殿下……」
助けてもらってありがとうとか、こんなところに逃げ込んでごめんなさいとか。
そういう言葉を紡がなきゃいけないのは、分かっていた。
分かっていたんだけど、流石にこれは……背筋の寒気が止まらない。
「フランシス……」
血に汚れたマントを脱ぎ捨て、内側の上着を脱いで俺の肩にかけてくれる殿下。
その温かさに少しだけ落ち着きを取り戻す。
「こ、これが普通、なんですか……あなた様と彼の」
「――ああ。立場上、狙われることが多くて」
少し寂しそうに答えてくれるディーデリック殿下。
大丈夫だ。あの冷酷な視線は、俺には向けられていない、俺には。
「殺生を前に綺麗な振る舞いでなかったことは認める。
君が怯えるのも当然だとは分かってる。以前、ラピスにも同じ反応をされた。
でも、そうだな……嫌わないでくれると嬉しい」
そういって静かにこちらの肩を抱く。
魔術師としては太く、剣士としては細い腕。
その体温に呼吸が落ち着いてくる。
「……ご、ごめんなさい。
こんなところに逃げ込んで、迷惑をかけて、その上こんな態度を」
「いや、まず、あなたが真っ先に私を頼ってくれて嬉しい。これは本心だ」
彼の温かな瞳に、別邸で共に食事をしたときのことを思い出す。
あの時のままの王子が、隣に立っていた。
「そして、あなたが怯えているのは、それはあなたが真っ当な人間だからだ。
生まれた時から殺されることに慣れている私とは違ってね。
……けれど、そうだな、別世界の人間なんだって思わないでくれると、嬉しい」




